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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百四十五節、蠢く塔

「お疲れ様です」

塔のような建造物の屋上でタバコをふかしている男へ、若い男が声をかけた。

振り返った男…ロドニーは、部下の疲れきった顔を見て、「お疲れ」、と持っていた缶コーヒーを差し出す。

「すみません」

お礼をいいながら受け取ったクレスは、そのままロドニーの隣にあったベンチに腰掛け、タバコを取り出した。

ポケットからライターを探しているクレスに、

「ほれ」

ロドニーは火をつけたままのライターを差し出し、「あ、すみません」、とタバコに火をつけさせてもらう。

「どうだった」

屋上に広がる青い空を見上げながら、ロドニーはきいた。「お前の担当は確か…マレキア大陸、だったか?」

「ええ。“異界の門”です」

クレスは答える。「模様の一部を適当に書き換えろというものでした。ロドニー警部は…」

「エティン大陸の僻地にある石の木だ。確か名称は“奇跡の証人”だったかな」

空から地平線に顔を戻し、ロドニーは続ける。「俺も同じく、模様の一部を損壊させろという任務だった」

ガーゴ本部であるその塔は、すぐ側にそびえ立つ『ルインザレク城』とほぼ同じ高さを誇っている。

地上から五百メートル以上にもなるその屋上から見える景色は壮観の一言で、ルインザレク城下町や、遠くにある様々な建造物が一望できる。

ガーゴ社員たちにとって憩いの場である屋上は、現在全員が出払っているためか、休憩時間なのに人がいない。

「これも改ざんの一部なのでしょうか」

誰もいないのをいいことに、クレスはやや声を抑えていった。「ドワ族の有力な科学者たちが“遺物”について研究を始めたとききます。我々の任務はそれを妨害するためだったのでは…」

「だろうな」

新たなタバコを点火させたロドニーは、同じく小さな声で返事をする。「これでまた解読の難易度があがったというわけだ。あるいは間違った結論へ導かせてしまった」

「…つまり、上層部は遺物が何であるか、知っていた…ということですか?」

真相を知られてはまずいから妨害する。

クレスの読みは正しくて、ロドニーも同じことを考えてはいたものの、「さぁな」、としかいえなかった。

「例の遺物には様々な名称がある。“古の忘れ形見”、“呪われし遺物”…そして“解放の鍵”」

「解放の鍵…?」

「何の鍵なのかは分からん。そもそも我々には細かい情報が降りてこない」

ロドニーは肩をすくめる。「あーしろこーしろと作業指示を出すだけ。その意味について一切の説明は無い。組織の末端である我々が知る必要はないと判断しているのだろう」

彼の口調は相変わらず諦めきったものだ。「俺たちは所詮コマに過ぎんからな」

思うところがあったクレスは顔を上げて何事かいおうとしたが、ロドニーの背中を見て止めた。

何故だか、吹けば軽く吹き飛んでしまいそうに見えたのだ。この広い大空と比べ、優しい上司の背中はやけに小さく見える。

「おっとそうだ、これをお前に渡すところだったんだ」

と、ロドニーがクレスに差し出したのは、一枚のプリントだ。

「我々の今後の活動予定が決まったらしい」

そのプリントには妨害工作のほかに、残りの七竜を討伐することまで書かれてある。

「もう行動するんですか」

クレスは驚いた目をロドニーに向けた。「いま現在も俺たちは世論の反発を受けているはずじゃ…」

「その件についてはすでに“調整済み”だそうだ」

ベンチにかけたロドニーは、つまらなそうな横顔を向けた。「否定派の集団を取りまとめている主要人物を懐柔し、メディアを統制している機関にも便宜を図ってくれるよう“手土産”と共にお願いしたらしい」

間もなくガーゴに対する反発は封殺される、とロドニーは続けた。

「…例の最強の弁護士とやら、ですか」

暗躍する人物のことを暗示してクレスがいうと、ロドニーの表情にやや翳りが差す。

「思い返せば、あの男の参入によってガーゴ内部は随分とギスギスしてきたように感じます。顔を合わせたことも会話をしたこともないですが、何者なんですか」

ただの弁護士ではないだろうと、クレスは踏んでいた。

「噂程度の情報だ」

ロドニーはクレスをちらりと見てからいった。「例の弁護士は、“レギリン教”から差し向けられた奴らしい」

「レギリン教…? エティン大陸を主な活動拠点とする、世界の謎に迫るとかいう怪しげな、あの団体ですか?」

「ああ。数ヶ月前から、ウチと防衛システムの構築や守護機兵の共同開発を始めたことはお前も知ってるだろ。研究員ばかりでなく、実力のある戦闘員までも投入してきた。討伐部隊に何人か知らない奴がいたのを覚えているか?」

「そういえばいましたね」

「その七竜討伐作戦も完遂目前だ。最後まで滞りなく、かつ迅速に遂行できるようあの弁護士を送り込んできたと、もっぱらの噂だよ」

七竜討伐作戦は世界中が注目している案件だ。もしその作戦が成功すれば、ガーゴ組織は世界に認められることとなる。

先日、ガーゴ上層部は世界に向けて“世界防衛部隊”なるものまで発足することを発信した。おかげで爆発的に認知度が向上し、同時に寄付も激増した。

上層も中層の連中もこの異様な盛り上がりに酔いしれており、ガーゴ組織はもはや誰にも止められないほどの広がりを見せている。

そのため、今回の七竜討伐作戦は必ず成し遂げなければならないという、上層部の焦りは分かる。火消しに必死になるのも当然だろう。

しかしレギリン教も一緒になって討伐を急かす理由が分からなかった。

「あの、レギリン教の参入は、どういった理由で…?」、クレスが尋ねる。

「世の中の謎を解明し、そこから得られた知識や技術を世の中の平和に役立てたいから、だそうだ」

「平和…」

「ガーゴの設立理念は世界平和と悪の根絶。レギリン教はその理念にいたく共感し、参入を申し出た、ときいたな」

「お互い目指すところは同じ、ということですか」

「そうだな」

頷いたきり沈黙するロドニーだが、その表情に納得した様子は見られない。

レギリン教に“黒い噂”が飛び交っていることは、クレスの耳にも届いている。

彼らの邪悪ともいうべき力を利用してまで、ガーゴは世界平和と悪の根絶を実現させたいのだろうか。

強化薬パンドラを使い、隊員を危険に晒してまで、目指さなければならないものなのだろうか。

「我々ガーゴ組織もレギリン教も、数多くの有志が集まってできた組織だ」

やがてロドニーはいった。「掲げる思想や理念はご立派なものばかりで、ガーゴに対する市民たちの期待や応援の声は多い。しかしどこもそうだが、組織が大きくなればなるほど問題も生じる。自分はこうしたいとか、この方が効率がいいとか、目指すところは同じだが主義主張の小競り合いはどこでだって生じるものだ」

その台詞は、レギリン教の参入を快く思ってないが故に出てしまったものだろう。

「このガーゴ組織も一枚岩じゃない」

ロドニーは続ける。「平和のためといいながら金稼ぎのためだったり、単純に有名になりたかったり、入隊を目指す動機は人それぞれだ。それが市民のためや仕事の効率向上に繋がるのなら誰も何も思わない。しかし自分自身のためや、上司に忖度といった内向きな考え方を持ったときには、仕事の邪魔になるばかりか、終着点が奇妙なところに変わってしまうこともある。シアレイヴン戦のときのようにな」

再びベンチから立ち上がったロドニーは、手すりに手をかけ眼下に広がる街並みを一望した。

「同じ志を持った同僚が、欲に目がくらんで徐々に歪んだ笑顔を浮かべるようになっていったのは、近くで見ていた俺には正直辛かったよ」

また背中から哀愁を漂わせ、ロドニーはさらに続ける。「それがそいつの本質だったというならそれまでだが、友人だった同僚の俺を見る視線が、他人を見るようなものに変わっていくのは、結構くるものがあったな…」

当時の思い出を蘇らせたロドニーは、そのままクレスのほうに顔を向けた。「お前は俺と同じ思いを抱いてほしくない」

「俺…ですか?」

「ああ。お前にも同僚がいるだろう。そろそろその同僚の“変貌”が見えてきたんじゃないか?」

「…それは…」

ない、とは言い切れなかった。

実際、上司に気に入られ出世の道が見え始めたある同僚は、熱血漢だったほかの同僚と距離を置き始めている。出世のためなら犠牲は仕方ないとばかりに。

人というものは、置かれた環境によって簡単に性格が変わる。もちろん人それぞれだが、目の前にぶら下がる“エサ”が魅力的であればあるほど、そのエサを手に入れるために自分が大切にしていたものを捨てる奴もいるのだ。

「すでに組織の一部となり、改ざんに手を加えてしまった俺だ。ガーゴという巨大で強いロボットの部品に成り下がった俺には何の力も無く、部下のお前にこうして愚痴を垂れるしかない」

しかし、とロドニーは続ける。「お前は俺と違ってまだ若い。やり直せる機会はいくらでもあるんじゃないか」

え、とクレスの顔が上がった。

「お前は優秀だ。正義感に決断力、どれをとっても人々のヒーローとなる素質を秘めている。こんな場じゃなく、もっと真っ当な組織の下にいたならば、お前は本来の力を存分に発揮できると思う」

心が黒く染まる前に行動したほうがいい。

もっと希望あるところへ行ったほうがいいと、ロドニーは言いたいのだろう。

「俺の愚痴を聞いているばかりじゃ、お前も腐っていくだけだぞ?」

薄く笑ったロドニーはまた手すりに手をかけ、地平線に顔を向ける。

その諦めたような表情は、志半ばにして意欲を失い、機械の部品となることを受け入れてしまったかのように、クレスには見えてしまった。

「………」

クレスは無言のまま立ち上がって、同じく手すりに手をかけて上から街を見下ろした。

街中を歩く人々は忙しそうに走っていたり、友達と談笑しながら歩いていたり、代わり映えのない日常が広がっている。

米粒ほどの大きさだが、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいる姿を眺めながら、「ロドニーさん、今日の朝刊、読みましたか?」、とクレスはそうロドニーにきいた。

「ん? いや…朝はチビどもを学校に送ったりと色々と忙しいからな」

それが? というロドニーに、「少し面白い記事がありましてね」、とクレスが笑いかける。

「面白い記事?」

「ええ。ヒューマ族年齢で八十歳を越えるお爺ちゃんが、“魔道技術士”という国家資格を取得したそうです」

「え、それはすごいな。最難関とされる資格だろ、確か」

「そうですね。年間十人もいれば多いほうです」

魔道技術士がどういうものか尋ねようとしたロドニーだが、「でも俺が面白いと感じたのはそこじゃないんですよ」、とクレスが先にいってきた。

「そのお爺さんが、難しい資格を取るに至った動機です」

「動機?」

「ええ。資格を取って、高性能な介護ロボットを作りたかったそうです」

「ロボット…?」

「寝たきりの奥さんのため、そして将来的には自分のため。七十を過ぎて奥さんが病気で倒れたのを機に、専門書を読み漁って一から習い始めたそうですよ」

「す…すごいな…」

素直に感心するロドニーを見て、クレスはまた笑う。

「やりたいことに年齢は関係ないんだって思いましたよ。周りからどれだけ無謀だといわれようが、時間の無駄だと笑われようが、やりたいと思ったこと、正しいと思えることを愚直なまでに貫き続ける人は、いくつであってもかっこいいなって。その上で人の役に立つ技術を開発しようだなんて、まさにヒーローです」

クレスの持論を聞いて、ロドニーが浮かべたのは気まずそうな表情だった。

八十歳の老人よりもいくつも若い自分が、こんなところで愚痴を垂れているのは恥ずかしいと思ったのかもしれない。

「先ほど、ロドニーさんは俺がヒーローの素質を秘めているといってくれましたよね」

そんなロドニーに向け、クレスは笑いかける。「ロドニーさんこそ、その素質を秘めていると思います」

「お、俺が?」

「ええ」

「いや、でも俺はもうそんな年じゃ…」

「ヒーローになるのに年齢は関係ありませんよ」

地平線に顔を向け、クレスは続ける。「確かにロドニーさんは愚痴は多いし、よく休憩挟もうとするし、走るのも遅くて、子供が思い描いているようなヒーローとは程遠いと思いますけど」

「う」

「でもあなたは腐りきってない」

はっきりと、クレスはいった。「多種多様な思惑が渦巻くこの組織の中に長年いたのに、私利私欲に走らないし、改ざんに手を染めてしまったとはいっても、そこにはいつも躊躇いがあった。これまでロドニーさんから散々愚痴を聞きましたが、しかしその愚痴の内容はほとんどが人のためであり、至極真っ当な考えの下に生まれたもの」

「いや、そう…か?」

「ずっと付き合わされてましたから、さすがに俺も分かりますよ」

だから、とクレスはいう。「自分は“待つ”ことにしました」

「待つ…?」

「あなたがヒーローになるまで。尊敬する理想の上司になるまで、待ってみます」

ロドニーは固まってしまう。

ヒーローになることを期待している。

その部下の言葉はロドニーにとっては全く予想外のもので、つい指に挟んでいたタバコを落としてしまった。

「…俺はもう…組織と戦うことは止めたんだが…」

「いまは、ですよね」

クレスは爽やかに笑う。「家庭のこともありますし、無理強いはしませんよ。俺が勝手に待っているだけですから、だから俺の気持ちは気にしないでください」

「いや…ええ…?」

「このままロドニーさんが腐りきっていってしまっても、それはそれで可愛い上司だと思うことにしますよ」

動きを固めたまま、ロドニーは部下の顔をまじまじと見つめる。

「なんだか、ちょっと…変わったか?」

やがて彼はきいた。「以前はもっと、こう…素直だったというか、自分というものが無いような奴だと思ってたんだが…」

「何でしょうかね。自分でもよく分かりません」

そう答えるクレスだが、「でも多分、きっかけはアイツ…だろうなぁ」、と呟いた。

「アイツ?」

「ええ。アイツです」

地平線を眺める彼は、この晴れやかな青空のように清々しい表情をしている。

「自分が正しいと思うことを貫き、色眼鏡を持たず、個人を個人として接してきたあいつです」

それが誰のことをいっているのか、ロドニーはすぐに理解する。

「せめて、ディグダイン戦のときにあいつが助けてくれた隊員たちはみんな元気だということは伝えたいな」

「…そうだな」

ロドニーも思わず笑顔を浮かべてしまう。

ダイン・カールセン。

正体不明の遺伝子を持つヴァンプ族。

“持たざるもの”、“呪われた一族”と近隣の村から忌避される種族のあの男は、計り知れないほどの力を持っている。

しかしそういった血族関係だけではない、ダイン自身の“特別な力”というものを、ロドニーとクレスはいまはっきりと感じ取っていた。

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