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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百四十四節、少女庭園(真相編)

「わざわざすまないね」

校長室に集められたラフィンたちを見るなり、窓際にいたグラハムは朗らかに笑いかけた。

「先日の奇襲戦に於いて、多大なる功績を収めてくれた君たちにせめてもの感謝を伝えたくてね」

「感謝…ですか」

ラフィンは不思議そうにいい、横に並ぶシンシアたちと視線を交わす。

「あの、特に何かした記憶は…」

困惑する彼女たちに向け、グラハムは「もちろん他の生徒諸君も頑張ってくれたよ。当時のモンスターの湧き方は異常なほど凄まじく、彼らの奮闘がなければ初日にしてこの学校は落とされていただろう」、といった。

「しかしあの子らの奮闘も虚しくモンスターは湧き続け、数万もの軍隊となった。一級の危険種に相当するような巨大なモンスターまでも召喚された。あれらを退けられたのはラフィンとディエルの力によるものに他ならず、右往左往して相当な被害が予想されたノマクラスを、シンシアとニーニアは纏め上げてくれた。幽閉中に“予想外の事態”に巻き込まれつつも、ティエリアは奇襲戦の事後処理を手際よくこなしてくれた」

各々の功績を口にしたグラハムは、「良くやってくれた」、とお礼を言ってから、振り返って窓へ目をやる。

広いグラウンドを見下ろす彼の横顔には、奇襲戦が無事に済んだ安堵感と、そしていまこの場にいない“誰か”に向けた少しの後悔が入り混じっていた。

「当時のあの未曾有の事態に、私は情けないことに見ていることしかできなかった。中止すべき状況であるにもかかわらず、何もできなかった」

「それは“例の人たち”に監視されていたからでは…」

ラフィンは、グラハムとクラフトが置かれていた状況に理解を示すも、

「そんなことは言い訳にもならんよ」

グラハムはラフィンを見てまた笑った。「学校という場所は学ぶための場所だが、しかし一番配慮すべきは子供たちの安全と安心だ。身体の危機に晒される学び舎などどこにも存在しないし、してはいけない。絶対に安全だという大前提がなくては、親御さん方は安心して大切な子供を預けられないのだから」

グラウンドで部活に勤しむ学生たちを一瞥し、グラハムは続ける。「しかし誰が見ても困難であったあの危機を乗り越え、君たちは奇襲戦を終わらせてくれた。いまこうしてこの場で君たちに偉そうに講釈を垂れていられるのも、そして教職員という役職でいられるのも、君たちのおかげで…」

「違います」

と、グラハムが言い切る前に声を張り上げたのはディエルだ。

「私たちは、ただ目の前で起こっていた事態に手探りのまま対処していただけです。学校のためではなく、友達が危険に晒されないためだけに動いていた。だからお礼をいわれる筋合いはありません」

いつもふざけているディエルなのに、いまグラハムを見つめるその表情は真剣そのものだ。

「奇襲戦を終わらせたのはダインです」

そう、はっきりと断言した。「ダングレスを倒すため暗躍し、薬によって暴走してしまったジグルを止めたのはダインだし、学校を覆い尽くすほどのモンスターを一瞬で消し去ったのも彼です。ガーゴの狙いを粉砕し、結果校長先生もクラフト先生もいまの地位を維持できた。感謝すべきはダインですよ」

自身の目で見たからこそ、ディエルはそう言い切れたのだろう。その通りだとシンシアは頷き、ニーニアとティエリアも同意見だとグラハムを真っ直ぐに見据えている。

「…彼には申し訳ないことをした」

ディエルたちの真っ直ぐな思いを受け止めてから、グラハムは空を仰ぎ見た。「君たちの言う通りだ。彼の常人離れした力が無ければ、私もクラフト君も…そして、ともすれば学校の形態自体ががらりと変わっていたかも知れん。それが学生たちにとって良いか悪いかはいまとなっては知る由も無いが、しかし少なくともいまのように笑顔の多い学校ではなくなっていたことは間違いないであろうな。故に、彼の…ダインが成し遂げたことはあまりにも大きい。感謝すべきはダインというのは、その通りだ」

グラハムの率直な言葉に、「でも退学させられたんですけど」、とディエルは冷静に突っ込んだ。

「名簿から彼の名前が消えて、学校に立ち入ることもできない。理不尽極まりないと思うんですけど。その辺、校長先生としてどうお考えなんですか?」

「お、おい、校長先生相手にずけずけ言いすぎじゃ…」

さすがにクラフトが咎めるも、「ふふ、構わん。その通りだからな」、とグラハムは優しく笑った。

「もちろん、このままでいいとは思っておらんよ。ダインの学校生活をこんなことで終わらせるわけにはいかん」

教職員の顔に戻った彼は、体ごと振り返り、「どこだったかな…」、とデスクの引き出しを漁り始める。

「君たちは口は堅いほうかな?」

何かを探しながら、ディエルたちにきいた。「まぁ言いふらすような子たちでないのは分かるが…」

「ディエルは危ういんじゃない?」

ラフィンが冗談めかしていうと、ディエルは「分別ぐらいついてるわよ」、ムッとして言い返してきた。

「ふふ、そうか。分別がついているのなら安心だな」

そういって、ようやく探しものが見つかったのか、引き出しの中から大きな封筒を取り出した。

その封筒から一枚の書類を抜き出し、内容を確認した彼は、「うむ、これだ」、といってデスクの上に置く。

ディエルたちに見えるようにその書類を滑らせると、ラフィンから「あ」、という声が漏れた。

その書類は何かの契約書だった。一番上の題名に『特例制度』という記載がある。

「え…こ、これ、ダイン君の…?」

シンシアがいい、ニーニアとティエリア、ディエルも食い入るようにその書類を見つめた。

一番下には確かにダイン本人の字で名前がサインされている。

「君たちも知っての通り、これは絶対的な効力を持つ契約書だ」

グラハムはいった。「ここに書かれてあることは絶対で、例えダインであっても逃れることはできん。実際、この紙があるがために彼はこの地に足を踏み入れられないのだからな」

そういってから、「しかしな」、とサインが書かれた右側を見るよう指し示す。

そこには赤い色で×印がつけられていた。

「手心を加えさせてもらったよ」

グラハムは含み笑いを漏らす。「これは何百年も昔に作られた契約書でね、書かれている内容に色々と現代とそぐわない項目が散見しているんだよ。近々修正したいと思っていたので、ちょうどいい機会だしついでに見直すことにした」

「つ、つまり…?」

どういうことだとティエリアが尋ねる。

「私ですら容易に反故にできない契約書なのだが、修正であれば手を加えることができる。理不尽な項目を消すことが可能で、新たに書き加えることもできる。つまり修正といいつつも、制約はあるが思いのままに変更が可能なのだ。この意味が分かるかな?」

にっとしてディエルたちを見ると、彼女らはたちまち表情を明るくさせていった。

「じゃ、じゃあ…!」

「ああ。近い将来、君たちの期待に応えることが出来ると思う。とはいっても、そもそも彼の退学は理不尽なものであり、元の形に戻すだけなのだがな」

グラハムがいったところでディエルたちは沸き立つが、「すまんが喜ぶのはもう少し先にしてくれ」、とクラフトが釘を刺した。

「あいつがいま置かれている状況については、お前らも知っているだろ? あいつをいますぐ復帰させたいという思いは俺も先生も同じだが、あいつにも色々と都合がある。それらタイミングを見極めてから、復帰について打診したいと思っている」

「すまないがもう少し耐えて欲しい。わざわざ私がいうことでもないとは思うが、彼の力になってやってくれ」

グラハムにいわれ、ディエルたちは笑顔になって「はいっ!」、と声を揃えた。

「長いことすまなかったな。では、ここらで解散としよう」

グラハムがいい、希望を取り戻した彼女たちは笑いながら校長室を出て行く。


「ふふ、やはり若い生徒たちと会話するのは楽しいな。私まで若返った気になる」

ディエルたちの賑やかな笑い声を聞き届けてから、グラハムは満足そうに椅子の背にもたれた。

「まぁ、俺にとってはやかましい奴らでしかないですが…」

クラフトはため息を吐くが、「しかし、あいつ等は確かに他とは少し違うようですね」、と続けた。

「シンシアとディエルは自ら進んでノマクラスに移籍してきたし、入学当時は冷たい印象しかなかったラフィンの性格も軟化した。一年生の頃はずっと物憂げだったティエリアは良く笑うようになり、いまや彼女らは影の人気者だ」

そう話すクラフトの手には校内新聞が持たれていた。新聞部が極秘で調査したとされる“ファン数調べ”では、一位にティエリアの名前があり、ほぼ僅差でニーニア、シンシア、ディエルと続いている。ラフィンは“憧れる人”ランキングの首位を飾っており、早くも歴代生徒会長を凌ぐ得票数を獲得している。

「本当に面白い子たちだよ」

グラハムはまた笑う。「まぁ最も、あの子らをあそこまで成長させたのは、“彼”の影響に他ならないのだろうがな」

「そう、ですね」

すぐさまダインのへらへらした顔を思い浮かべたクラフトは頷く。「あの六人は、もはやクラスメイトという間柄を超えた絆で結ばれているようです」

「そのようだ。色々な意味で侮れん存在だよ、彼は」

と、グラハムは別の書類をデスクの上に置いた。

「…それは?」

見慣れない書類にクラフトが尋ねると、「ダインのお土産のようだ」、とグラハムは堪えきれない笑いを漏らしながらいった。

「ダインの?」

不思議に思ったクラフトは、失礼、と一言断ってその書類に目を通す。

そこに書かれた文字を目で追っていく。すると、彼の顔が徐々に驚愕に染まっていった。

「こ、これは…」

「ああ。“彼ら”が独自に調べ上げた報告書らしい。この情報は有効に活用して欲しいそうだ」

「いや、でも、いつの間に…というかどうやって…」

ダインはこの学校に入ってこれないはず。

「気付いたら手元にあったよ。果たしてどうやって持ってきたのか」

混乱するクラフトだが、グラハムは考えるのを止めたのか愉快そうにしているだけ。

ひとしきり笑ったグラハムは、「しかし、されてばかりではシャクだな」、と表情を引き締めた。

「退学になってもなお、ダインは我々に手を貸してくれている。教職員として、そして長老の一人として、この恩義には恩義で返してやらねばな」



学校での用事を全て終え、ラフィンが自身の教室を跨いだときにはすでに夕方になっていた。

窓の外は一面がオレンジ色に染め上がっており、教室内も燃え盛るような色で満たされている。

ラフィンは無言のまま自席に向かい、カバンを手に持つ。と同時に、その口から自然とため息が漏れてしまった。

「…まだ、か…」

小さく呟いて椅子に座ろうとしたとき、

「何が?」

教室の出入り口から声がした。

ドキッとして顔を向けると、そこにはディエルが立っている。

「な、何よ。まだ帰ってなかったの?」

ラフィンはすぐに冷静さを取り戻していう。「他のみんなはもう帰ったんでしょ?」

「ええ。そうね。みんな帰ったわ」

教室に入り教壇に向かったディエルは、そのまま机に飛び乗って足を組む。

「みんなやけに嬉しそうだったわ」

シンシアたちの様子を思い浮かべていたディエルは、ラフィンを見つめたまま首を傾げた。「みんな笑顔になっていた。どうしてかしら?」

「どうしてって、ダインが戻ってきてくれるからでしょ? あなたは違うの?」

「いえ、そこに関しては私ももちろん嬉しいわ」

ディエルは一瞬微笑むも、またすぐに不思議そうな表情になる。

「でもあの子たちの喜びようは、ダインが戻ってきてくれることとは別に、何か“とてもいいこと”があったように感じられたのよね」

「どういうことよ」

「私がトイレに行ってる間に、“誰か”があの子たちに何か嬉しくなるようなことをいったみたい。それとも、何かの約束を取り付けたか」

「いってる意味が分からないわ」

ラフィンは興味が無い素振りを見せ、そのまま椅子から立ち上がった。「もう帰るわね」

つかつかと教室を出て行こうとしたラフィンだが、

「どこに?」

その背中に向け、ディエルがきいた。「“まだ”なんでしょ? その状態でどこに帰るの?」

彼女の口元は怪しげな形に歪められ、そのままラフィンへ鋭い眼光を差し向ける。


「ねぇ? ━━ダイン」


教室から廊下に出ようとしたラフィンの動きがピタリと止まった。

「もう隠さなくて良いのよ。ここには私たちしかいないし、誰の目も耳も無い」

白状しなさいというディエル。

立ち止まったままのラフィンは、一度肩を上下させて大きく息を吐いた。

「諦めなさいっていったでしょ。いつまでダインの幻を追いかけているのよ」

振り返ってディエルを見るその目は憐憫の眼差しだ。「妄想もその辺にしたら?」

「あなたこそ、とぼけるのもその辺にして。もうすぐ下校時間だし、いますぐ認めてくれたら時間の節約になるんだけど」

「認めるも何も、証拠も何もないんじゃどうしようもないじゃない」

「証拠はあるわ」

足を組みなおし、ディエルは“証拠”を口にする。「ニーニアのあなたに対する世話欲がかなり強かった」

「何それ」

自席に戻りつつ、ラフィンはまた息を吐く。「そんなもの証拠とはいえないでしょ」

「そんなことないわよ。あなたを世話したときのニーニアの充足感は、私から見てもかなり満たされていたようだったわ。あの子も本能では分かってたのよ。あなたがダインだってね」

自信満々にいうディエルだが、ラフィンは肩をすくめる。

「その程度の状況証拠で私が白状するとでも?」

「いえ、まだあるわ」

ディエルは続ける。「あなたがクラスメイトの人たちと和やかに世間話しているのは、やっぱりどう考えても異様だった。最近は少しマシになってきたあなただけど、それでもまだクラスメイトと話すのは抵抗があったはずだもの。それにお昼のあなたもおかしくて、ニーニアにお弁当を食べさせてもらうのもすんなり受け入れてたわ」

反論しようとしたラフィンを制し、「それに」、とディエルは畳み掛ける。「ついさっき、校長先生と校長室で話していたときだってあなたはおかしかった」

「どうおかしいのよ」

「学校を救ったのはダインだという台詞を、私にいわせた」

「…は?」

「あの状況なら、まずあなたが率先していってた台詞だったはず。ダインがどれほど活躍していたのか“本当の”あなたは見てきたはずだし、彼が退学になって心から悔しがっていたあなたなんですもの。校長先生が私たちに感謝するといった直後、普段のあなただったら我慢できずにダインのことを口にしてたはずよ」

証拠を列挙するディエルはすでに勝ち誇ったような表情をしている。

「なのにあなたはずっと黙り込んでいた。“あなた”らしいわよね。自分の成し遂げたこと、その功績を、“あなた”はこれまで少しも口にしてこなかったから。自慢げに語ることも無ければ得意げに振舞おうともしない。それがあなたの…いえ、ダインの良いところだと思う。けど墓穴だったわね」

「…そろそろ付き合いきれなくなってきたんだけど」

ラフィンはうんざりした表情だ。「勘違いだって、どうしたら分かってくれるのかしら」

首の振り方も喋り方も、どこからどう見ても彼女はラフィンだ。

身振り手振りからしても、彼女がダインだと思えるようなものは一切感じられない。なのにディエルが浮かべたのは満面の笑みだった。

「ラフィンはね、基本的に無趣味なの」

といった。

「ゲームはしたことがないらしいし、マンガや雑誌もあまり読んだことが無い。テレビもニュース以外はそんなに見ないんじゃないかしら。流行ものには病的なほど疎い奴なのよ」

「…それが?」

本気で分からないというラフィン。

「あなた、クラフト先生に呼ばれる前にいったわよね?」

両目に怪しい眼光を放ちながら、ディエルは続ける。「ニーニアのママチャレンジに挑んだとき、あなたは私が先にやれといってきた。そのとき、あなたはこういったわ。『ドラマでも映画でも何でも、良くある展開だ』って」

ラフィンの動きと表情が固まる。

ディエルは続けた。「おかしいわよね? 基本的に無趣味で友達なんていないに等しかったラフィンなのに、どうしてドラマや映画の手法を知っているのかしら?」

硬直していたラフィンの額から、じわりと汗がにじみ出た。

「残念だったわねぇ。あの余計な一言が無ければ、私は見事に騙されていたかもしれない。それともまだ否定する気でいるのかしら? 私はまだ幻想を見ているとでも?」

ディエルの指摘は、“たまたま見ていた”といった偶然性で言い逃れできるものでも、“人から聞いて”といった言い訳も通用するものでもない。

こちらの次の出方を窺うディエルをジッと見てから、ラフィンは小さく嘆息して椅子の背にもたれた。

「…お手上げだよ」

そう諦めたように笑みをこぼし、両手を上げて見せる。敗北宣言だった。

「全く、どこまでしつこいんだよお前は。こんなことに躍起になってどうするんだよ」

ブロンドの長い髪を揺らし、小さな口からラフィンの透き通るような声が発せられるが、その口調も仕草もダインそのものだ。

「隠そうとすればするほど、暴きたくなるタイプなの、私」

ディエルは嬉しそうに笑う。「で、理由を聞いてもいいかしら? 無理の無い範囲で良いから」

親しげな声色になって教壇から飛び降りた彼女は、ラフィンの…いや、“ダフィン”の前にある机に腰掛ける。

「要約すれば、俺はオモチャにされてたってことだな」

「オモチャ?」

「ああ。校長先生に用があってさ、誰にも知られずに動けって母さんにいわれたから仕方なくな」

「どうしてラフィンなの? 別にそいつじゃなくても」

「いや、シンシアたちだと校長先生と面会するのは難しいからさ。ラフィンだったら生徒会長だし、“ダイブ”も半分成功していたから、昨日の夜中に頼み込んで今朝身体を貸してもらったんだよ」

そうダインの説明を聞きながら、ディエルの表情はやや不機嫌なものになっていく。

「私は副会長なんだけど。校長先生に会うだけだったら私でも良くない?」

自分を選んでくれなかったことが不服のようだ。

「ディエルとは成功するかどうか微妙だったろ? ラフィンとは実績があるからで…」

「ラフィンは聖族でしょ。あなたと私は魔族同士なのに、順番がおかしいじゃない」

「い、いや、それは俺にいわれてもな…」

憤慨するディエルだったが、すぐに機嫌を良くして笑顔になる。

「ま、でもおかげで面白いものが見れたけどね」

と、にやにやした視線をダフィンに向けた。「なかなか様になってたわよ? 女らしい言葉遣いに女らしい動き。まさかあのダインがねぇ?」

外見は何もかも女のラフィンでしかないのだが、ダインにとっては女装しているようなものなのだ。

「そ、その辺のことはあんま突っ込まないでくれ…」、とダフィンの顔は赤くなっていった。

「ともかく、ラフィンもそろそろ起きそうだからさ、いい加減帰ろう」

立ち上がったダフィンはカバンを手にし、教室を出て行こうとする。

が、ドアに手をかけるものの、それはぴくりとも動かなかった。

「あ、あれ?」

どれだけ力を込めても、そのドアは揺れすらしない。

誰かにカギを閉められたのかと思ったが、ドアの淵がキラキラと何やら光っている。

良く見てみると、それは氷だった。どうもカギを閉められたのではなく、氷でドアを固定されていたため動かなかったらしい。

「ねぇダイン、聞いてたんでしょ?」

教室を密閉状態にさせた犯人は、椅子に座ったままダフィンに声をかけた。「女装状態のダインと学校生活を謳歌したいって、私がいったこと」

「へ? あ、ああ、聞いてたけど…いや、でももう間もなく下校時間だし…」

「私は諦めの悪い女なの」

振り向くと、いつの間にかディエルがすぐ近くに移動していた。

「夕焼け色に染まった教室ってすごくロマンチック。いまなら、いい思い出が作れると思わない?」

囁くような声だった。

「え〜と、それはどういう…?」

ディエルの行動に不可解さを感じていると、彼女は突然ダフィンの胸に飛び込んだ。

「うひゃっ!?」、ダフィンはびくりと驚く。

「思い出作り、しましょ?」

「い、いや…え? 思い出作り?」

「私も未経験だけどね。でも本とかでそれなりの知識はあるわ」

ダフィンの胸元に顔面を沈めていたディエルは、そのままゆっくりと彼女を見上げた。「ね? ダイン」

夕日に染まったディエルの顔は夕日以上に真っ赤になっており、その口からは熱い吐息が漏れている。

少し興奮した様子のディエルを見て、彼女が何を考えているのか、何をしようとしているのか、徐々に理解できてきたダフィンは焦った。

「い、いやっ…! ば、バカ! よ、良く見ろ! 俺はいまラフィンなんだぞ? この顔でこの身体だぞ!?」

ディエルの腕から逃れつつ、距離をとる。「まずいだろ、色々と!!」

「でも中身はダインじゃない」

ディエルはじりじりとダフィンとの距離を詰めていく。「中身があなたなんだったら、外見は何でも良いわ」

「と、取り返しのつかないことになるから!」

慌てたダフィンは、ドアは諦めて窓から飛んで逃げようと思った。

しかし教室の窓も全てが氷で固められており、びくとも動かない。

「いまのあなたはラフィンだものね。エンジェ族だったら、私の魔法も効果がある」

ディエルがダフィンに向けて手をかざす。

何か魔法を使ったと思った瞬間、ダフィンは自身の手首に軽い衝撃を感じた。

両手首が氷で固められ、まるで手錠のようになっている。

「は…!?」

「暖かい氷だから安心して」

怪しげに微笑んだまま、ディエルがさらに近づいてくる。

逃げようとしたダフィンだが、今度は足も氷で固められたようで、動けなくなったところでまたディエルが飛び掛ってきた。

「ちょ…!」

抱きつかれた勢いのまま、後ろに倒れてしまう。

「きゃっ!?」

思わず女らしい悲鳴を上げてしまった。

「あははっ! きゃって! 可愛い。素敵よ?」

「ま、マジなのか…!? や、止めたほうがいいんじゃ…!」

「駄目よ。ラフィンはまだ寝てるようだし、いまのうちにダインとの忘れられない思い出を…」

「い、いや、何も“コレ”じゃなくても思い出なんて…!」

「いいの。怖がらないで」

倒れるダフィンにのしかかりながら、ディエルは彼女の頬に手を添えた。

「女の快楽ってすごいらしいから。全身が突き抜けるような感覚に支配されて、それしか考えられなくなるらしいの」

興奮しきったディエルは、もはやそれしか考えられないらしい。

デビ族は欲望に忠実━━それはディエルとて例外ではないようだ。いや、むしろ彼女だからこそ、より忠実なのかも知れない。

ディエルの手がダフィンの身体を這い回る。

「や…!」

また女らしい反応と共に体を震わせてしまうダフィン。ディエルはまたくすりと笑った。

「見た目はラフィンで、中身がダインで、でも反応は女の子って…なんか倒錯した気持ちになっちゃうわね?」

さらに這っていったディエルの手はダフィンの足に向かい、つつ…と膝から太もものほうへ上がっていく。

「ちょ…ま、まずいから、マジで…!」

「ん〜?」

彼女の手によってスカートが徐々に捲くりあがっていき、ダフィンはさらに慌てた。

「れ、冷静に…冷静になれ、ディエル…!」

「も〜うるさいわね。その綺麗なお口は塞いじゃおうかしら」

ディエルの顔面が迫ってくる。

こいつ、マジだ。

そう思ったダフィンは、どうにかディエルの魔の手から逃れようと身体を揺らしてしまう。

「ちょ…あ、暴れないで」

しかし少し激しく動きすぎたためか、頭を振った拍子に側にあった机の脚に頭を強打してしまった。

ガツッという音と共に視界が揺れ、

「あだっ!?」

目の前がチカチカし、ダフィンの動きが急に止まる。

「…あれ?」

彼女の目は閉じられており、全身の力が抜けているようだ。

「え…ちょ、ちょっと、大丈夫?」

割と大きな音だったので心配に思ったディエルだが、目立った外傷は無い。

どうやら一時的に気を失ってしまったらしい。

回復させようと思ったが、しかしダフィンから抵抗が無くなったいまはチャンスでもある。

「…よし、いまのうちに…」

いまなら安心して“思い出作り”ができる。

「ダイン、一緒にいきましょうね? めくるめく快楽の向こうへ…」

ディエルが続きを始めようとしたときだった。

「…何の…向こうですって?」

ダフィンから声がした。

彼女の目は開かれ、真っ赤だが怒ったような表情で間近にいたディエルを睨みつけている。

「あれ、もう目が覚めたの」

「ええ…おかげさまで」

「そうなの。良かった。じゃあ続きを…」

と再びダフィンの身体をまさぐろうとしたディエルだが、何故か手が動かなかった。

「あ、あれ?」

見れば自分の両手には光る鎖が巻きつけられており、それは胴体と足にもある。

「残念だったわね」

ディエルが使った氷の魔法を即座に解き、“ラフィン”はいう。「私が眠っている間に、何とんでもないことやらかそうとしてるのよ」

その口調、その仕草…長年の付き合いがあるディエルは、すぐさま理解した。

「あ、あ〜、もしかして…戻っちゃった?」

冷や汗と共にいう彼女は咄嗟に逃げ出そうとしたが、バインドの魔法で全身が縛られているため微塵も動けない。

ラフィンはそのまま腕を振る。するとディエルを縛り付けた鎖がひとりでに動き、ディエルごと吹き飛ばしていった。

「にゃっ!?」

黒板に軽く背中を打ちつけ、そこでもまた両手両足が拘束される。まるで磔にされたかのような格好だ。

「くすぐりたかったのよね? くすぐりの向こう側を体験したかったってことよね?」

にこやかにいうラフィンだが、額には青筋が浮かんでいる。

「いいわ。望むようにしてあげる。ただし、あなたが一方的にやられるだけだけど」

両手をわきわき動かしながら、ディエルに近づくラフィン。

「い、いやっ…え、え〜とね、ちょっと…お、落ち着きましょうか?」

そうディエルが声をかけても、もうラフィンには届かない。

「あ、あのね? あの…え〜と…」

ディエルの背中に冷や汗が流れた。

くすぐりの刑は、過去ディエルの悪戯が過ぎたときにラフィンが施行したことがある。

どれだけ泣いて叫んでも全く許してくれなくて、容赦ない性格のためトラウマレベルのくすぐりだった。

いま当時のことを思い出したディエルは顔が一気に引きつってしまう。

恐怖で体が硬直してきたが、彼女は気丈にも「わ、私、諦めないんだから!」、といった。

「ダイン! 諦めないから! 絶対学校であなたを襲っ…!」

ここにはいないダインに向けて宣言している途中で、ラフィンはディエルへ向けて走り出す。

「私を辱めようとしたことを後悔させてやるーーーッ!!!」

…ディエルの壊れたような笑い声は、教室を突き抜け校舎中に響き渡る。

その地獄の底から響くような悲鳴は部活帰りの生徒たちを恐怖に怯えさせ、その日、学校の七不思議にまた新たな不思議が加わることとなった。

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