十四節、二人目の犠牲者
「行くのねダイン」
廊下を早足で歩くダインの後ろを、ディエルがついてきていた。
「ついてくる気か? ややこしいことになりそうだからお勧めしねぇけど」
足を止めず横目で言うダイン。その横顔には怒りの表情が浮かんでいるが、ディエルは意に介さないように笑った。
「いやぁ、何だか面白そうな匂いがするから」
「ラフィンのときみたく巻き込まれることになるかも知れないぞ?」
「いーのいーの。邪魔しないし、私はいないものだと思って」
「まぁ好きにすりゃいいけどさ」
一階東通路突き当たり。
観音開きの茶色い扉の上部には、『会議室』というプレートがある。
その扉の側には待合室のような空間があり、そこに置かれたソファに一人の女生徒が座っていた。
顔を青くさせたその顔がダインを捉えたとき、震える口が開く。
「だ…ダイン…」
ラフィンだった。これまでの凛としたものではなく、絞り出すような声に、彼女の心情が透けて見えるようだ。
「あの…わ、私…」
泳ぐ視線が何度も扉に向けられている。
「いるんだな?」
会議室を指差しダインは尋ねる。
ダインが何故知ってるのかと考える余裕すらないのか、彼女は頷いた。
「分かった。いまは何も言うな」
ラフィンを手で制しつつ、ダインはそのまま扉の前に立ち聞き耳を立ててみる。
「ご説明願います」
会議室では、男の冷たい声が反響していた。
「由緒あるセブンリンクスの生徒会長という立場を放り投げ、後輩に譲り渡すという暴挙は前例がない。一体どういうつもりなのか、説明してくれないでしょうか」
男の声は口調こそ丁寧なものだ。しかしその声色には棘がある。
納得のいかなさから沸き起こった怒りをぶつけるような声に感じた。
「あの…そ、の…わ、私、は…」
対する女の声…ティエリアの声は、いまにも消え入りそうなものだった。
「ひ、人前に立つのが、苦手で…うまく、喋れなくて…」
不安、恐怖、様々なマイナスの感情が聞いている側にも伝わってくる。
「苦手だから辞退したというのは理由になりません」
弱々しい声を掻き消すかのように、男は鋭く言い放つ。
「世の中には苦手でもそれを続けなければならない者は沢山いるのです。あなたは苦手だからという理由で他の事柄でも逃げ出すのですか。かの創造神エレンディア様と同種族というプライドはないのですか」
人格批判まで始めた男の声は止まらない。
「今からでも遅くはありません。再び生徒会長の座に就いてください。グラハム校長や教職員の方々には私から説明しておきます」
ティエリアから返事はない。無音だが、彼女の性格を考えれば、今頃青ざめているのだろうというのは分かる。
ずっと思い悩んでいたのだ。ようやく重責から解放され、笑顔が増えてきたばかりなのだ。
しかし元来から気の弱い彼女は言い返すことも、断ることも出来ない。次々と話を進めようとする男の前に、打開策は見つからず押し黙ったまま。
「書類なども必要ないでしょう。グラハム校長の指示だと説明すれば、異論を唱える者もいないはずです。いいですね?」
一年前に戻されると思い、絶望しているのかもしれない。
ダインは一呼吸置いた。ふつふつと沸き起こってきた感情を押し込め、再び男が話し出したのも無視して扉を開ける。
「すんませーん、ティエリア先輩います?」
そこで男の声が中断する。
上座にはガーゴ視察団と思しき面々が椅子にかけていた。
赤髪の男はつまらなそうな顔で携帯機を弄っており、エル族とエンジェ族の女二人は予期しない訪問者に険しい視線を向けている。
部屋の中央にはティエリアが一人だけ椅子に座らされており、リィンが言っていた通り本当に尋問しているような光景だ。
「誰ですか」
上座の中心に鎮座する金髪の男、カインもまた、ダインを睨みつけてきた。
間近で見ても整った顔つきで二枚目俳優のような容姿だが、その目つきは冷たい。
「今は取り込み中なのですが」
そのときダインの背後から「うっ」というディエルの声がする。
恐らくカインが警告に似た脅しのような聖力を放ってきたのだろう。
しかしダインは物怖じせず、そのまま会議室に入室した。
「いや、この後先輩と用事があるので、そろそろ帰ろうかと」
「今日は諦めなさい。長くなる」
すぐさまカインが言ってくるが、ダインは一歩も引かない。
「今日しか予定合わないんすよ」
「こっちは大事な話をしてるんだ」
「俺も大事な用があるんすけどね」
「カイン様に楯突くというのですか」
そのとき我慢できないとばかりに噛み付いてきたのは、エル族のジーニだ。
「ルインザレク正規軍隊長に向かってその口の利き方は何です」
「いやどこの誰だかは知りませんけど、隊長だから従えっていうのはどうなんすかね?」
カインだけでなく女二人の顔色も怒りに染め上がる。
つまらなさそうにしていた赤髪の男、シグだけは愉快そうに笑い声を上げた。
「言われてやんの」
シグの茶化しにカインはさらに表情を険しくさせ、ダインを睨みつける。
「いいから退きなさい。この学校の将来を左右する大事な話し合いをしているんだ」
「話し合い…っすか」
ダインは頭を掻きながら呟く。
「そっちの要求押し付けてるだけじゃねぇか…」
「なに」と血相を変えるカインに向かって、彼は言った。
「さっきの会話聞こえてました。ティエリア先輩を見てきた一生徒として言わせてもらいますけど、先輩は人前に立てる性格じゃないっすよ。生徒会長には向いてない」
それは非難でも擁護でもなく、ティエリアの性格を知っているからこそ言える結論だ。
「話しててそっちも分かったでしょ? 司会も進行も円滑には進めない。それに選挙でも結果が出たんだ。いまこの状況が、いまの生徒達が選んだ形なんすよ」
事実のみを突きつけるダインだが、カインからはしばらく返事がない。
「君は一体誰だ」
と、怒りを孕ませた静かな声で聞いてきた。
「クラスと氏名を言いなさい」
「いや誰でも良いじゃないっすか」
「いいから言うんだ」
有無を言わせぬ空気にダインは反抗心が生まれた。そっちこそ誰だよと言いたくなったが、余計にこじれそうだと思い直し素直に名乗る。
「ノマクラス一年、ダインっすけど」
そのときカインから大きな舌打ちが聞こえた。
無礼なだけでなく、魔法力も格下の相手をしていたことに対する苛立ちからくるもののようだ。
「時間の無駄でしかないとは思うが、君にも分かるように説明してあげよう」
どうにか怒りを堪えつつ、彼は語りだす。
「この学校の生徒会長は、古来より魔法力が最も高い者が務めなければならないことになっている。卒業後、ガーゴの上層部に配属されるのが内定しているためだ。なのに、途中で生徒会長職を辞退し、後輩にその座を明け渡すようなことがあったとなれば、他の者に示しがつかないだろう。本来ならばあってはならないことなのだ」
他の大陸からも希望者が来るほど、ガーゴが運営する企業は魅力的なものが多い。
とりわけ主な組織である防衛部は、賢者クラスの実力者が揃っているということもあり誰もが憧れる職業だ。
運営の規模を広げ、地位も名誉も確立されたガーゴ組織は、いまや政治での発言権を得るまで成長した。
もはや国家そのものと言っても良い。
そんな組織の入り口でもあるセブンリンクスは、ガーゴ組織の中ではガーゴの顔ともなるべき重要な位置づけだ。
少しでも不正の匂いがすればすぐに駆けつけ指導し、場合によっては圧力をかけ退学や退職へ追い込む。
公正に、厳正に、を掲げるガーゴ組織だけに、その決められたルールを破る者には容赦はしない。
“ナンバー、セカンド”であるカインもまた、同組織が定めたルール、慣例に傾倒していた。
「生徒会長はゴッド族が務めるべきなのだ。そこに生徒会長としての適正や、その人物による性格などは関係がない。選挙の結果なども全くの無意味だ」
「それ、こっちの学校のこと全く考えてない意見すよね」
ダインは反論した。
「魔法力があるだけなら、例えバカで全く適正がなくても生徒会長を務めるべきとでも言うんすか? ただでさえ書類仕事が多く、その上企画の運営や司会までやらなきゃならないんだから、その度に支障があっちゃ授業として成り立たないっすよ」
再びカインが口を開き反論しようとしたが、「そもそも」とダインが声高に言ってそれを封じる。
「これ、なんなんすか? ガーゴだか何だか知りませんけど、何の権限があって一人の生徒を問い詰めてるんすか? 教師でもないそっち側の言うことを聞く道理がどこにあるんすか?」
「さっきの話を聞いてないのか? このセブンリンクスはガーゴへの登竜門だ。我々は君たちの上司とも言うべき存在だ」
「知らないっすよ」
ダインは吐き捨て、続ける。
「それ、教科書に載ってるんすか? 教師の誰からもそんなこと聞かなかったんすけど? 大体ガーゴガーゴってね、みんながみんなそちらに憧れてるとは思って欲しくないっすよ」
「なんだと」
いよいよカインが立ち上がろうとしたところで、「いい加減にしなさい!」と隣にいたエンジェ族のサイラが叫んだ。
「ノマクラス程度の実力しかないあなたが、発言すること自体おこがましいとは思わないのですか」
ジーニも論戦に参加する。
「本来であるならばこうして我々に意見すること自体認められてはいない。我々が反応したからといって、あまり調子に乗らない方がいいわよ」
隊長クラスである彼らの実力は確かなものだ。モンスターの大量発生や犯罪者集団の殲滅など、数々の難局を切り抜けてきたのだろう。
名前を聞いただけで騒がれるほどの名声がある彼らは、その名声を得られるほどの強さと実績があるのは間違いない。
そんな三人が放つ聖力は、まるで常に刃の切っ先を向けられているような刺々しさがあった。ダインの背後で無言のまま事の成り行きを見守っていたディエルが、ひっきりなしに身震いするほどだ。
並みの生徒であるならば、途端に萎縮しこの場を走り去っていたことだろう。
「話逸らさないでくださいよ。いまノマクラスどうこうは関係ありませんよね?」
しかしダインは微動だにしない。警告に似た聖力を受けながらも、眼光鋭く三人を睨み返している。
「ティエリア先輩が生徒会長を務めるべきだという、慣例である以外の根拠を教えてください」
「答える必要はありません」
サイラがダインを睨んだまま言う。
「これ以上この場をかき乱すようなら、校長に掛け合うことになりますが」
脅しとも取れる発言を受けても、ダインは表情一つ変えなかった。
「俺はこの学校の生徒っす。関係ないというのは俺の台詞なんすけど」
ティエリアはまだ固まっている。この剣呑とした空気に、今にも泣きそうな表情だ。
ダインは彼女の前に回り、自分の背中で彼女の視界を覆ってから続けた。
「聞けば今回の視察は唐突なものだったらしいじゃないすか。全クラスの午後の授業を変更させた挙句、前の生徒会長を引っ張り出し元に戻せと詰め寄っている。この場だけじゃなく、学校全体をかき乱してるのはどっちっすかね」
サイラは険しい表情のまま押し黙っている。正論を言われたというよりは、こんな奴に好き勝手に言われていることに苛立っているようだ。
「校長に掛け合ってどうこうできるっていうなら、どうぞお好きに。ただ、この学校の生徒であるうちは言わせてもらうっすよ」
三人の険しい視線を一身に受けながら、彼は続ける。
「ティエリア先輩は生徒会長を嫌がっています。いや、最初から望んじゃいなかった。なのにゴッド族だからという理由だけで生徒会長職を押し付け、辞退を申し出れば無責任だと叱責する。理不尽だとは思いませんか? 確かに社会に出れば、嫌だから出来ないは通用しないだろうっすけど、それは社会に出てから経験すればいいことで、いま無理やり先輩を生徒会長に復帰させたところで、この学校がよくなるとは思えないっすよ。それに、みなさんはラフィンの生徒会長としての仕事振りを見てないんすか? 一年で手探りで頑張っているあいつを見て、魔法力が高い奴が生徒会長になるべきっていう慣例に少しも疑問を抱かないんすか?」
「…だから、そうするとガーゴ上層部に配属された際に他の者に示しが…」
「俺はこの学校の話をしてるんすけど」
サイラの反論を遮ってダインは言う。
「ガーゴがどうこうはいまは関係なくないっすか? 支援者だとか内定だとか別問題っすよね? 教科書にも生徒手帳にもガーゴのことが載ってない以上、この学校にとってあんたらは全くの部外者だ。そんな部外者に文句を言われる筋合いも、学校の内情に干渉する権限もない」
断ずるダインに、サイラとジーニが噛み付こうとする。
「もういいっ!」
カインの鋭い一言で、彼女たちは動きを止めた。
「ここまで無礼な生徒は君が初めてだ。このことは、後でグラハム校長にきっちりと報告させてもらう」
「はぁ。どうぞお好きに。俺は間違ったこと言ってないつもりっすけど」
ダインの言葉はもはや聞く耳すら持たないようにしたのか、完全に無視を決め込み椅子から立ち上がる。
「しかしティエリア君、私の話はよく考えて決断することだね」
それだけを言い、最後にダインを睨みつけてから会議室を出て行った。
ジーニ、サイラと同じようにこちらを睨んでから退出していき、最後にあくびと共に立ち上がったシグは、ダインの脇を通り抜けざまに彼に親指を突きたて笑う。
「面白かった。お前とはまた会えそうな気がするよ。んじゃまたな」
軽い調子で言い、カインたちの背中を追っていった。
ガーゴ視察団が立ち去り、会議室はダインとティエリア、ドアの側に控えていたディエルだけになる。
「…はぁ〜、何だかやっと呼吸できたような気がする」
ディエルは胸を押さえながら深呼吸していた。
「でもすごいわねダイン。ガーゴのナンバーセカンドって言われてるあの男にあそこまで言い返すなんて。相当な偉いさんなのよ?」
「知ったことかよ。偉かろうがなんだろうが部外者には違わねぇんだから。あんなのが上層部なんだったら、ガーゴって組織も程度が知れるな」
「にはは! 確かにそうかもね!」
ディエルは愉快そうに笑った。
「良い物見れたし、私帰るわね?」
「ああ」
ティエリアにも挨拶し、ディエルは軽快な足取りで会議室を出て行った。
「あ…あの…ダイン、さん…」
会議室に静寂が訪れ、やがてティエリアがようやくといった感じに声を出す。
表情はまだ固い。体も硬直したままで、極度の緊張状態にあったというのが見て分かる。
「落ち着いたら帰ろう」
そんな彼女にダインは笑いかけ、緊張が少しでもほぐれるようにと頭を撫でる。
ラフィンもまだソファで固まっていたようなので、二人が立ち上がれるのを待ってからダイン達は学校を出ることにした。
「ちょっとそこで話そうか」
校門を出てからもティエリアとラフィンの肩はひどく沈んでいた。
あまりの落ち込みように見かねたダインがいつもの公園へ案内し、ベンチに座らせる。
「災難だったな」
自動販売機で買ってきたジュースを彼女たちに手渡し、ダインもベンチに腰掛けた。
早速ダインがジュースを飲むものの、ティエリアもラフィンも両手で缶ジュースを握り締めたまま顔を下に向けている。
「あの…も、申し訳ありませんでした、ティエリア先輩…」
ラフィンが口を開いたと思ったら、そんな謝罪の言葉が飛び出してきた。
「私が入学式であのようなことを言わなければ、カイン様に叱責されることもなかったはずなのに…この展開は、予想できたことなのに…」
もう何日も前のことをいまさら後悔しだすラフィンに、ティエリアは大きく首を振る。
「わ、私のせいです。私が、ラフィンさんの提案を受け入れていなければ…私の意志が弱いせいで…」
ラフィン以上にティエリアには元気がない。彼女は見て分かるほどにショックを受けているようだった。
ガーゴ視察団に叱責されたから落ち込んでいるわけではない。ダインと視察団の激しいやりとりに衝撃を受けてしまったわけでもない。
「ダインさんにも…ラフィンさんにも、ご迷惑をおかけすることになってしまって…」
自分のせいで二人に迷惑がかかってしまった。そのことが、ティエリアにとっては一番のショックだった。
校長先生に掛け合うと言っていた。ダインが目をつけられてしまったかもしれない。
今後、学校での彼の立場が悪くなってしまうのではないか。
そのことが頭の中を駆け回り、ティエリアは胸が苦しくなる思いだった。
「いや、あれは単に俺が勝手にでしゃばっただけだ」
気にするな、と笑いかけると、ラフィンも「自分もそう」と言い始める。
「私が悪いんです。もっと慎重に動くべきでした」
「そ、そのようなことは。私が悪いのです。もっと意思を強く持てていたら…」
ダインが「いや、だからさ」とフォローしようとしても、彼女たちの口は止まらない。
ティエリアもラフィンも自分が悪いの一点張りで、自分を責める言葉が相次いでいる。
うじうじしっぱなしの二人にいよいよ我慢ならなくなったダインは、「いいから聞け!」と二人の手を掴んだと同時に思い切り聖力を吸い上げてやった。
「ふああぁぁ!?」
「ひああぁぁぁっ!?」
二人は同時に悲鳴をあげつつ、瞬く間に力が抜けベンチに寄りかかってしまう。
「先輩もラフィンも、何も悪くねぇよ」
ぐったりとして喋ることすらできなくなった彼女たちに向け、彼は言った。
「先輩は、壇上に上がってスピーチがあると思っただけで気分を悪くするほどの人見知りなんだから、例えラフィンの申し出がなかったとしても別の形で生徒会長を辞退していたはずだ。ラフィンはそんな先輩を見かねて交代を申し出たんだし、お互いの利益不利益が合致し、選挙でも結果が出て正式に認められたんだ。何一つ、文句を言われる筋合いなんかないんだよ」
落ち込む必要は全く無い。そう言っても、彼女たちは頷いてくれない。
いや、聖力を吸いすぎたせいで動けないのか。
「悪い」と謝るダインに向け、ティエリアはどうにか口を開く。
「で、です、が…ダインさんに、ご迷惑、が…」
「俺のことは気にするな」
再び彼女たちに笑いかけ、それぞれの頭を撫でる。
「本心を言うとさ…元と現生徒会長に言うことじゃないかもしれないけどさ、俺は言うほどセブンリンクスって学校に執着してないんだよ」
思わぬ告白に聞こえたのか、ティエリアとラフィンの目が見開く。
「例えあのガーゴ視察団が学校をどうこうできるほどの立場にいて、退学に追い込まれたとしても、俺は別に何も思わない。後悔もしない」
だから気に病む必要はない。
そう続けようとしたのに、ティエリアが遮った。
「わ、私は嫌…ですっ!!」
初めて彼女の大声を聞いた気がする。
「ダインさんが、退学なんて、絶対に…初めてお友達になって下さった方なのに…!」
感情の高ぶりが聖力にまで影響したのか、薄まっていたバリアの光が眩く光りだす。
瞬く間に聖力を回復させ、泣きそうな顔のまま続けた。
「何とも思わないなんて、言わないでください。そのような寂しいことを、仰らないでください…」
「そう、よ…」ラフィンも回復に努めながら言ってくる。
「あなたは、まだセブンリンクスにいるべき、よ…。勝手に退学だなんて、許さないんだから…」
二人がここまで反論してくれたことに、ダインは驚くと同時に嬉しくなった。
自分のために悲しんでくれる人がいる。怒ってくれる人がいる。
家族でもないのに親身になってくれるこの二人と、そして恐らく同じような反応を見せてくれていたであろうシンシアとニーニアにも感謝の念が湧いてきた。
「いや、別にこっちから辞めてやるとかは考えてないよ」
照れ笑いを浮かべながら彼は言う。
「退学にならないよう、できるだけ抵抗はするつもりだ。ただ、それでも退学が免れなかったとしても、俺は何も思わないってこと。自分のせいだって責めることだけは考えてほしくないから、ああ言ったまでだよ」
ティエリアとラフィンの気持ちを蔑ろにしてるわけじゃない。
そこまで言ってようやく、彼女たちは安堵の表情を浮かべた。
「マジでさ、今日のことは気にするな。後であいつ等が何かしてくるようなら、一人で考え込まず相談し合おう。絶対に自分だけで対処しようとするな。良いか?」
素直に頷く二人に、ダインは再び頭を撫でてやった。
嬉しそうに笑うティエリアと、くすぐったそうに顔をしかめるラフィン。
正反対にも見える彼女たちの反応に笑っていたが、ふと二人の本心が改めて知りたくなった。
「なぁ、さっきはあいつ等の理不尽な要求につい思ったこと言っちまったんだけどさ…」
ティエリアは、本当に生徒会長をしたくなかったのか。ラフィンは、本当に生徒会長をやりたかったのか。
今更ながら知りたかったダインは、改まって彼女たちに質問をぶつけた。
「わ、私、本当に人前は苦手でして…多人数ですと、緊張で何度も倒れそうになってしまって…」
ティエリアは真面目に答え、ラフィンも頷く。
「私は、最初こそ肩書きのためだとか家柄の威厳だとか考えていたけれど、いまは純粋に学校のために生徒会を務めたい」
そう話す二人の表情は真剣で、嘘偽りは微塵も感じられない。
「なら良かったよ」ダインは笑顔で言い、「俺も手伝えることはするからさ。乗りかかった船だ」と続けた。
「な、何でも?」反応を示したのはラフィンだ。
「じゃ、じゃあ、副会長とか、どう…かしら…」
いきなりな提案に、ダインは即座に「いやいやいや」と手と首を振る。
「元メガクラスのディエルならまだしも、始めからノマクラスの俺が生徒会に入るなんざ周りが許さないだろ」
「う…それはまぁ、そうだけど…」
そういった後、「そういえば」と何かに気付いたような声を出す。
「あの時は余裕がなかったから良く見てなかったけど、どうしてあの場にディエルがいたのかしら」
「ああ、あいつは勝手についてきたんだよ。面白いものが見れそうだからってな」
「何よそれ」
ラフィンは心底呆れたようにため息を吐く。
「ったくあのバカデビ族は…」
「あ、そ、そういえば私も気になったことが…」
完全回復したティエリアは、姿勢を正しながらダインに顔を向けた。
「ダインさんは、どうして視察団の方々が会議室にいると分かったのですか?」
「それは━━」
口止めされているとリィンは言っていたが、もう終わったことだしティエリアとラフィンなら話しても良いだろう。そう思ったダインは正直に打ち明けた。
「視察団の特別ゲストとして来た、シンシアの姉の…リィンさんだっけ? あの人が教えてくれたんだよ。生徒会長引継ぎの件で先輩が尋問されるってさ」
「あ、そ、そうなのですね」
「ああ。選挙までして結果も出たのに、部外者なのに今更何を言われることがあるんだってついカッときちまってさ。扉の前で聞いてたらガーゴがどうの、ゴッド族がどうのって責められてるのを聞いていたら余計むかむかしてきて…」
ティエリアの消え入りそうな声は、まだダインの頭の中に残ってる。
泣きそうだった彼女の顔を思い出し、「怖くなかったか?」と尋ねると、ティエリアは素直に「こ、怖かったです」と答えてくれた。
「だから聞いてられなくなって、突撃しちまった。あいつ等体面のことばかり言うしラフィンの頑張り気にもしてないようだったし、ろくでもない奴らだよな」
「い、言いすぎよ。もう…ふふ」
ラフィンは一応は咎めるものの、そのとき初めてはっきりとした笑顔を浮かべる。ダインの率直な感想が面白かったのだろう。
「や、やっぱり優しい方です…」
呟いたティエリアは、「ですが」と困ったような笑顔を浮かべる。
「いけませんね。後輩の方にそのようなご心配をおかけしてしまうなど」
今更先輩風を吹かす彼女に、今度はダインが笑い声を上げてしまった。
「まぁ先輩っつってるけど、俺としては、先輩との関係は先輩後輩の単純なものじゃないと思ってる」
「え、そうなのですか?」
「友達だろ? 友達が理不尽に責め立てられてたら腹が立つし、助けたいとも思う。心配だってしちまうよ」
当然だろ、と言う彼に、ティエリアは「そうでした」と言って嬉しそうに笑った。
そのとき、ラフィンから「はぁ」とため息が漏れる。
「前から思ってたんだけど、あなたってほんと変わってるわよね」
呆れとも感心ともとれる表情で続ける。
「会議室での一件でもそうだけど、ゴッド族なんてそうそう知り合えるものじゃないのに。いたとしても、神々しさからエンジェ族ですら近寄りがたい存在なのに、友達だなんて」
確かにゴッド族は他の種族より特徴が一つ突き出ている気がする。
常に張り巡らされている眩しいバリアもそうだし、聖力の回復力も凄まじいものがある。レア種で特別な存在というのはダインでも分かっていた。
しかし彼は肩書きや種族など気にしない。例えどれほど偉い立場の人物や実力がある人がいたとしても、間違ったことは間違っていると言える。
簡単に言えば、フィルターがないのだ。そうして育ててきた親の教育もあるのだろう。
「他のゴッド族がどんなもんかは知らないけど、先輩はなんかとっつきやすいんだよな。見た目可愛いし」
素直なダインの言葉に、ティエリアはぽっと顔を赤らめる。
「ま、まぁ可愛いのは分かるけど…」
ラフィンにまで言われてしまい、とうとう彼女は恥ずかしそうに俯いてしまった。
その反応ですら可愛く思えたダインは、「な?」とラフィンに同意を求める。
「そ、そうね」と素直に頷くラフィンも、彼は笑いながら見つめていた。
「ラフィンもそうなんだぞ?」
「え?」
「なんかとっつきやすい」
「え、ええ? 初めて言われたんだけど…素の顔が怒ってるように見えるって昔言われたことあるし…」
「まぁ始終無言なら俺もそう思ってたかも知れない。でも最初の印象こそ確かに悪かったけど、話せる奴だってのは最初から分かってたぞ?」
「そう…なの?」
「ああ。一応聞く耳は持ってくれてたし、嫌味は多いけど素直なところもあったし、規則規則ってガチガチってわけでもなかったしな」
緩い奴だという意味に受け止めてしまったラフィンは、「不真面目じゃないわよ」と反論する。
「いやそういうんじゃなくてさ、ほら、前に必要悪も知ってるって言ってたじゃん」
「あ…あれは…」
「選挙のときなんか、俺を利用しようとしてたりさぁ」
懐かしむようにダインが言うと、ラフィンがティエリアをチラリと見て慌てだす。
「や、ちょ、だ、ダイン、ティエリア先輩の前で言う話じゃないでしょ!」
「事実だろ?」
きょとんとダイン達を見つめるティエリアに、止めるラフィンを無視して彼は説明を始める。
「先輩、昨日はこいつと友達になってくれって勧めたけどさ、こいつエンジェ族だけど割と腹黒いところがあって…」
「だ、だからダイン! 心証悪くなるようなこと教えるんじゃないわよ!」
「いや、友達なんだったら色々知っておかないと駄目だろ? 先輩も知りたいよな?」
「は、はいっ! ラフィンさん…お、お友達のことなら、知りたいです」
頷くティエリアに、ダインは笑いながら入学式翌日のことを話し出す。
「ディエルとこいつが闘技場でやりあってたり、そこでディエルに昔おねしょしたこと暴露されたりしてさ」
「だ、ダインっ!! って、どうしてその話知ってるのよ!? まさか聞いてたの!?」
「聞いたっつーか聞こえたっつーか」
「あ、あああああもう! なんでそんなこと覚えてるのよ!」
「面白い奴のことは何でも覚えてるぞ? 納得のいかなさから地団太踏んでたりとかさ」
次々とラフィンの意外な一面をティエリアに暴露し、ラフィンは始終あたふたしている。
ラフィンの慌てようにティエリアは笑いっぱなしで、二人とも視察団との一件などすっかり頭から抜け落ちたようだった。
※
「だいん、またきらきらしてるよー!」
帰ってきたダインを玄関で出迎えるなり、ルシラは「またか」という顔で目を覆ってる。
「今回はいつになく強力ですね…」
サラに至っては軽く引いているようだ。
「強い別種の聖力が二つ…まさかとは思いますが、エンジェ族とゴッド族の方ですか?」
「あー、そうだな。ちょっと流れでさ」
「どういう流れですか。通常ありえない状況なのですが」
黙らせるために吸魔したと言ったら、サラに怒られるかもしれない。
どうにかはぐらかそうとしたところで、ルシラが目を覆ったまま言った。
「きのうも見た、かわいいおんなのこと…こんどはきれいなおんなのひとが見えるよ!」
「綺麗な女の人…もしやその方がかの有名なラフィン様?」
「有名かどうかは知らないけど、そうだよ」
ダインが認めると、サラはすぐにルシラに向き直り、似顔絵を描くようお願いしている。
「ん、あとでね!」
「ええ、ええ、楽しみにしてますよ。しかしダイン坊ちゃま、男のお友達がいないのはなぜでしょう? 同性でも一応吸魔は可能なのですが、これまでそのような気配はありませんでしたし」
ダインの友人関係が今更気になったサラは呟く。
「それこそ流れとしか…いや、一応話せる奴はいるよ。でもノマクラスの中でも俺は浮いてるしなぁ」
「ふぅむ…」
サラが顎に手を添え、何やら考え込んでいる。
「せっかくの学生生活ですし、様々な吸魔の体験をしてみてもいいと思うんですけどね。さしあたって同性での吸魔を経験して欲しいところなのですが」
「それはお前が見たいだけだろ」
ため息と共に突っ込んでいると、ルシラが「おなかすいたー!」と腹を押さえながら言った。
「おや、もう空腹に? 今日のおやつは少し多かったかもと思っていたのですが。先ほどまで食べていたでしょう?」
「ん? ん〜でもほんとにおなかすいたよ?」
そう言うルシラは確かに満腹には見えない。
「遊び盛りだもんな。腹も空きやすいんだろ」
ダインは笑いながらいつものようにルシラを抱え上げ、リビングへ向かった。
「カイン・バッシュ様と言えばオールキラーの異名がつく有名人ではないですか」
早速ガーゴ視察団とひと悶着あったことを報告すると、サラは驚いたように目を開く。
「オールキラーって何だ?」
「全てのモンスターに特攻効果のある聖力を持つ方ですよ」
そう答えつつ、コップにお茶を注ぎ足す。
いつもの報告会だった。今日は気分を変え書斎にいる。
早寝早起きが基本のルシラはダインの隣におり、開きっぱなしの絵本に突っ伏していた。
「超がつくほどのイケメンでファンクラブが今も乱立しているとか」
「まぁ…そうだな。同性の俺が見ても顔は良いと思うよ。顔は、な」
そこのみを強調して言う辺り、ダインのカインに対する印象は最悪だというのがにじみ出ている。
「地位も名誉もあって顔も良いともなれば、どこかしら欠点ってのは出てくるもんだろ」
続けて言うダインに、サラは突然くすりと笑い出す。
ダインのその台詞が、嫉妬のように感じてしまったのだろう。
「いやマジだって。今まで何人か他人を見下す奴ら見てきたけど、あいつほど上から目線な奴はいなかったよ。取り巻き連中も番犬みたいな奴らだったし」
「確かにダイン坊ちゃまの話を聞く限りでは、私も似た印象を持ちましたが…」
サラは少し困った顔をしている。
部外者とは言え、ガーゴがセブンリンクスの実質的な上司に当たるのは間違いない。
そんな人達と口論になってしまった。しかも幹部クラスときたものだ。
「さすがにまずかったか」
それまでの勢いを弱め反省気味に言うダインに、サラは「いえ」と首を振った。
「ダイン坊ちゃまがそう感じられたのなら、それが正しいのでしょう」
「そう、か?」
「ええ。事実、ティエリア様とラフィン様は最後は笑顔で帰られたのでしょう? でしたらそれで正解だったということです。私もダイン坊ちゃまが間違ったことをしているようには思えませんでしたし」
ダインの心情に理解を示すサラだが、ダインは喜ぶどころか難しそうな顔をして天井を仰ぎ見る。
「でも確実に嫌われただろうな。ノマクラスの俺に言いたい放題されたなんてさ。名前も顔も覚えられちまったと思うし」
彼が懸念しているのは今後のことだ。
「俺は何言われてもいいんだけど、周りに何か影響出たら嫌だなぁってさ」
そうですね、とやや逡巡するサラだが、すぐに顔を上げ「しかしまぁ大丈夫じゃないですか?」と言ってきた。
「こう言っては失礼かもしれませんが、ダイン坊ちゃまは学校内でも落ちこぼれとされるノマクラスの一生徒に過ぎません。そのような人物に、いくら腹が立ったとは言え地位も名誉もある“ナンバー”の方々がわざわざ何かするとは思えません」
「まぁそうだよな」
「苦言を呈することはしてくるでしょうが、それ以上というのは考えにくいですよ。アリ一匹を全力で殺しにかかる猛獣などいないのですから」
「俺はアリか」そう言った後、彼は笑う。「奴らにしてみればそうだろうな」
「しかし何かしてくるという可能性は捨てきれないのも事実ですね。プライドの高い方ほど少しの批判も許さない傾向にありますから」
過去の事例を思い浮かべたのか、サラはダインに向き直る。
「仮に学校内では収まりきれないほどの面倒ごとが発生したときには、私にご相談ください。どうにか対処いたしましょう」
サラのその台詞には頼もしさしか感じなかった。いや、実際彼女は頼もしいのだ。
いまはメイドとしての仕事しかしていない彼女だが、昔はそれだけではない様々な仕事をダインの父ジーグから依頼されていた。
資材の調達、情報の収集、噂の流布。
細かい内容までは聞かされていなかったが、サラの暗躍としか思えないような展開をいくつも見てきた。
どうにか対処する、という彼女なので、本当に困ったときにはどうにかしてくれるのだろう。
「向こうが校則の枠を超えちょっかいをかけてくるようなら、そこからは我々大人の出番なのですから」
「つってもサラは俺とそんな年変わらないだろうがな」
いざというときは頼む、と言うと、彼女はやや得意げに「お任せください」と返してきた。
「それはそうと、明日はルシラのことを頼んでもいいのですよね?」
話題を明日のことに変えてくる。
「ああ。パーティの買出しだったな。早めに帰ってルシラと遊んどくよ」
おもちゃ箱はどこだったかサラに尋ねるが、彼女は「必要ないかもしれません」と言ってきた。
「そうなのか?」
「ええ。最近のルシラの流行は、おもちゃより読書ですから」
そこで二人の視線は、未だ眠りこけているルシラに向けられる。
つい先ほどまでルシラが読んでいたのは幼児向けの絵本だ。しかし、ルシラの前には辞書や図鑑といった分厚い本が積み上げられている。
「暇つぶしになればと数学ドリルや穴埋め単語問題集など、ルシラにしてはやや年齢層高めの本も買い与えてみたのですが、一日かからずに書ききってしまいました」
「マジか」
「幼少期のダイン坊ちゃまが諦められた問題集も、全て埋めてしまいましたし。それも全問正解」
「もしかしたら天才かもしれません」というサラ。
「英才教育でも施されてたのかな」
思案するダインに、サラは「読書スピードが尋常ではありません」と言った。
「初めの頃から、ルシラは知識欲が底なしだったように思います。分からないはずなのに、単語辞書や大陸ごとの言語辞典などを読みふけっていましたし、そこから次々と知識を取り込んでいるように見えましたね」
そういえばルシラは記憶喪失だったんだ。未だに思い出せそうな気配は無い。
親のことすら分からないようだったし、ほぼ無知の状態から問題集を解けるまで知識を身につけた。それもこの短期間でだ。そう考えると、確かにルシラは天才かもしれない。
「将来有望だな」
「ええ。お手伝いもよくしてくれますし笑顔も可愛いし、うちの子にしたいくらいですよ本当に」
冗談が多いサラにしては珍しく、本気の顔だ。本心からルシラのことを気に入っているのだろう。
ダインも同じ気持ちだった。一緒にいるときは常に側を離れず、顔を向けると笑顔で返してくる。頭を撫でると心底嬉しそうに笑い、両手を広げ抱きついてくる。
彼女の言動何もかもが、ただただ可愛いの一言に尽きる。
とはいっても不安も残る。いまはダイン達が保護しているが、ルシラがいま置かれている状況はとても幸せなものだとは言えないからだ。
何らかの事件に巻き込まれ、記憶喪失のため家族のことすら思い出せない。
ルシラの両親のことを考えれば、彼女の笑顔に癒されている場合などではないはずなのだ。
もちろんずっとこのままというわけにもいかない。
「未だルシラの素性については分からずか」
ルシラがここに来てから何日か経つ。進展がないかとサラに尋ねるが、彼女は小さく首を振った。
「商店街の掲示板やテレビ新聞といったメディア関係にも目を通していますが、いまのところそれらしいニュースは入ってきてませんね」
「他の大陸でもか?」
「はい。とは言いましても迷子は日常茶飯事にありますから、さすがに全世界の全ての迷子情報に目を通すことはできていませんが」
ひょっとしたら見逃してる可能性があるかも知れない、と続けるサラだが、彼女もルシラの境遇を懸念している。
暇があれば、それこそ毎日全世界のニュースに目を通していたはずだ。
それなのに、未だにルシラを探しているというニュースは飛び込んできてない。
「親に何かあったとか、捜すに捜せない事情があるとか、考えられることはいくつかあるが…」
ある一つの可能性が濃厚になってきたダインに変わり、サラが真剣な様子で続きを呟く。
「やはり捨て子、でしょうか」
物憂げな表情になったダインは、しばし返事をしない。
「あまり考えたくないことだけどな」
静かに言って、隣で眠るルシラの頭を撫でた。
「その場合、冗談ではなく本当にルシラを引き取ることを考えた方が良いかも知れませんね」
「そうだな」
ダインの手が心地いいのか、どんな夢を見ているのか分からないが、ルシラは嬉しそうな寝顔を浮かべている。
「ここまで懐いてくれてるんだ。こいつの想いには出来る限り応えてやりたい」
「全くの同感です」
「親父もお袋もその点に関しては了承してくれるとは思う。しかし、どんな辛い現実があったとしても、それを知らないことには何も決められない」
捨て子にしろ不慮の事故にしろ、ルシラの素性がはっきりと分からなければ正式な手続きも踏めない。
ダイン達が知らないだけで、ルシラの関係者か誰かはいまもまだルシラを必死で捜している可能性もあるのだから。
せめてルシラはどこに住んでいて、なんという種族なのかだけでも知る必要がある。
「引き続き情報収集に努めます」
そういうサラに、ダインは頼む、と頭を下げた。
※
それから少し過ぎた頃、ルインザレク城下町にある、エーテライト邸。
その広い敷地の一室に、シンシアの部屋があった。
「ふぅ、ちょっと食べ過ぎちゃったな」
そう言いながら宿題を終えた彼女は、明日の授業で使う教科書をカバンに詰めていく。
下の階からは未だにどんちゃん騒ぎの音が聞こえる。
リィンの久々の帰省ということもあって、門下生を含めての宴会がいまもまだ続いているようだった。
明日は学校があるのでシンシアは一人自室に戻ってきたのだが、一階の物音はまだ止みそうにない。
寝れるかどうか怪しいところではあったが、もう日付が変わろうかという時間なので布団に入ってみた。
リモコンで照明を消す前に目を閉じてみる。
今日あった出来事を振り返りつつ眠気の訪れを待とうとしたが、ふとダインのことを思い出し目を開けてしまう。
今日もダイン部をする予定だった。お菓子の準備もしていたのに、急用ができて帰ったと姉のリィンから聞かされたのだ。
メールで直接聞いたら明日話すとしか答えてくれなかったダイン。
これまでの彼の言動から、何となく分かる。彼はまた、自分の知らないところで何かをしていたのだろう。
先日はドラゴン退治。ニーニアへの吸魔に、ラフィンとティエリアとの談笑。
大変なこともあっただろう。しかしダインから事後報告を聞けば聞くほど、自分も参加したかったと悔やんでならない。
人当たりの良い彼女は、その朗らかな性格も相まって友達は多い。
中等時代の友達との付き合いもまだ続いているが、最近はダインやニーニアたちと毎日一緒にいる。
楽しいからに他ならなかった。ニーニアもティエリアも可愛いし、ダインの特殊能力には毎回驚かされる。
ディエルの話も面白いし、みんな上を目指し必死なものの、良いクラスメイトばかりだ。
ノマクラスに移籍してよかった。そう思えるだけの思い出が、これからももっと増えていくのだろう。
中でもダインとの思い出がもっと欲しいと考えてしまった彼女は、自然と閉じた目をまた開けてしまう。
側に置いていた携帯を取り寄せ、記録メモリーからダインとニーニアのツーショット画像を呼び出す。
クリームで汚れたニーニアの口元を、ダインがティッシュでふき取っている瞬間のものだ。
世話される側に回されたことに不満げな表情でいるニーニアを、ダインは何とも優しそうな笑顔で彼女の口元に手を添えている。
「…ダイン君…」
初めは、吸魔という特殊能力や魔法の効かない特異体質に興味が引かれただけだと思っていた。
興味の延長線上だから、彼のことを考えただけでこんなにも胸が高鳴るものだと思っていた。
でも違った。
興味を持って興奮するだけなら、こんなにドキドキはしない。顔も熱くならないし、体質や能力よりも彼の笑顔を思い浮かべるはずがない。
自分でもおかしいと思うほどの頻度で同じ画像を見ることも、そのまま寝てしまうこともあるはずがない。
吸魔されたときの感覚はまだ残っており、こちらから思い切って抱きついたときの感触もまだ脳裏に焼き付けられたままだ。
「…寝れるかなぁ…」
自分の頬を触り、いつも以上に体温が高くなっていたことに気付いた彼女は呟く。
無理やり眠ろうと決め、画面を真っ暗にし携帯を側に置いた。
そのときだった。
携帯から部屋へ視線を戻すと、視界の端々に動く何かが見えた。
「え…?」
ぎょっとしつつ左右を見る。仰向けで横になる彼女の周囲に、突如として現れたものに彼女はさらに驚愕した。
それは細長く、管状の…透明な触手だった。
一瞬混乱したシンシアだが、すぐにダインの説明とニーニアの体験談を思い出し、それが何であったかを悟る。
「こ、このタイミングで…!?」
驚いている間にドアからノック音が聞こえ、さらに心臓が飛び跳ねた。
「ひゃわっ!?」
(シンシア〜、まだ起きてる〜?)
リィンの声だ。
「あ、わ、わわわっ、お、お姉ちゃん!? ちょ、ま、待って…!」
得体の知れない触手に囲まれてるなど、他人から見れば襲われてるようにしか見えない。
もしいまこの場面を退魔師であるリィンに見られたら、最悪なことになってしまうのでは。
そう思ったシンシアは大慌てで触手を隠そうとしたが、激しく動揺していたせいもあり反応が遅い。
(起きてるね?)
ドアノブが回り、リィンが顔を覗かせてきてしまった。
「あ…!?」
シンシアは寝たまま両手を天井に突き出し、そのまま固まっている。
「ん? どうしたの?」
リィンは不思議そうに彼女を見ていた。
「え? え、え、と…こ、これは…その…」
しどろもどろになるシンシア。
「んん? それよりもう寝るんでしょ? その前に明日のこと伝えておこうと思って」
と、リィンは平然と明日の予定を話し出す。いまもシンシアの周囲では触手が体をうねらせているのに。
「明日の晩は食べに行こうって話になったから、明日は学校が終わったら早めに帰ってきてくれる?」
シンシアはすぐには反応できない。尋ねるリィンを、不思議そうに見つめ返した。
「シンシア?」
「あの…え…? み、見えて、ない…の?」
「何が?」
リィンはシンシアの部屋を見回す。確実に触手が伸びている部分にも視線が向けられたものの、そのまま通過した。
「何かあるようには見えないけど…」
どうやら本当に認識できてないらしい。ホッと安堵したシンシアは「な、なんでもないよ」と言った。
「? それよりどう? 帰ってこれそう?」
「あ、う、うん、分かったよ」
と返事をするシンシアにリィンは満足げに頷く。
すぐに退室するかと思いきや、明らかにおかしい妹の態度に彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なになに、さっきからその慌てよう。さては何か隠してるな〜?」
「え!? う、ううん、な、何もないよ」
「ひょっとして、好きな男の子の写真でも見てたのかなぁ?」
「ええ!? な、ないよ、写真とかはないよ!」
慌てて否定するシンシアだが、妹のことをずっと見てきたリィンにとってはお見通しだ。
「好きな男の子がいるのは否定しないんだ?」
「あわ…」
「ま、誰かは聞かないでおくね? もう分かってるしね〜」
ふふ、と口元に手を当てながら、「おやすみ」と言い残しリィンはドアを閉める。
姉に心を見透かされてしまったことよりも、触手がばれなかったことにシンシアは安堵した。
「ど、どうして見えてないんだろ…」
触手はダインのものだったのは間違いない。証拠に、空気を読んだのかリィンと話している間は襲ってこなかった。
しかし一体どういう原理になっているんだろう。
興味が湧いたままその触手に触れようとしたが、その前にそれは動き出した。
こちらが驚かないようにしてくれているのかあえてなのか、ゆっくりとシンシアの手や足、胴体に触手が巻きついてくる。
「わ、わわわ…」
ゆっくりとした動作だがあっという間に拘束されてしまった。
一見すると捕らわれた獲物のような光景に見えなくもない。だが、ニーニアも言っていた通り、その触手の感触は確かにダインのそれと全く同じだった。
艶かしいけれど柔らかく、温かで、触れているだけで安心してしまうような、あの不思議な感触。
「だ、ダイン君、大丈夫なの、かな…」
枯渇状態に陥ったとき、触手が伸びる。
そう言っていた彼の台詞を思い出した彼女は、ダインのいまの状況が気になった。
現にこうして触手が伸びてきているということは、彼はいま魔力が枯渇した状態なのだろう。しかももう日付の変わった時間にだ。
意識がある状態なのかどうかすら分からない。しかし連絡できるものなら連絡をする必要がある。
そう思った彼女は携帯を再び取ろうとしたが、触手に拘束されたままなので腕が動かせられない。
感触の柔らかい触手であったが、その力は思いの外強かった。
「あ、あの、ダイン君に連絡、取りたいん、だけど…」
触手はダインの分身のはず。であるならば、耳の器官が無くてもこちらの声は届くはずだ。
「け、携帯、取らせて欲しい、かな…」
心配だから、と続けても、触手はシンシアを拘束したまま、その力は緩まない。
聞こえないのだろうかと思ったそのとき、一本の別の触手がシンシアの頭上に移動した。
そのままゆっくりと頭を撫でられる。
「え…?」
声が聞こえたわけではない。感覚でしかないが、自分は大丈夫と言っているような気がした。
「ほ、本当に…?」
優しく撫でられている感触から、また返事を返してくれたような気がする。
「じゃ、じゃあいいんだけど…」
連絡の必要はないと分かり、シンシアの体から力が抜ける。
触手の感触に意識が向いた瞬間、全身が瞬く間に安堵感に包まれた。
まだ状況をはっきりと飲み込めたわけではない。
しかし、枯渇状態に陥ったダインは自分を吸魔対象に選んでくれた。
自分の聖力を欲しているのだ。
つい先ほどまで思いを馳せていた当人からの求めに、シンシアは触手に絡まれながらも嬉しさがこみ上げてくる。
そのとき数本の触手の先端がシンシアの方に向き、バナナのように皮が剥けていく。
吸盤のように広がったその先端が、シンシアの肩や脇腹、太ももに吸着した。
「あ…」
恐怖や不安は全くない。ニーニアの体験談から想像済みだし、何よりダインから出てきたものなのだから。
だが、吸われる感覚は肌と肌で触れ合う以上に強烈だと言っていた。
普段でさえ骨抜きにされてしまうのに、それ以上の感覚を味わってしまったら自分はどうなってしまうのか。
そっちの方の不安を抱えている間に、とうとう吸出しが始まってしまった。
音はない。しかし吸着された部分からは、光る液体のようなものが管を伝って上っていくのが見える。
「ふあっ!? あ、あ…!?」
想像していた以上の強烈な感覚に、それまで抱いていた思考の何もかもが吹き飛んでしまった。
一瞬にして頭の中が真っ白になり、口からは普段では絶対に上げない声が出てしまう。
体は震え、目は細め、眉間に皺を寄せてしまう。
本物の吸魔は凄まじいものだった。
吸われる部分から強烈な快楽が走る。あまりの強さで、無意識に身を捩じらせその快楽から逃れようとしてしまう。
すると触手はより強くシンシアを拘束し、首元や腹部、膝、すねと吸着場所を増やし、より大量の聖力を吸い取ってきた。
吸着場所が増えれば増えるほど、そこから伝わる快感が乗算してシンシアを襲う。
「ん、あ、あ、あああぁぁ…!!」
シンシアの口からあられもない声が漏れる。
(こ、こんな、の…ニーニアちゃん、耐えた…の…?)
そう思ってしまうほどに、触手による吸魔というものは強かった。
聖力だけでなく意識ごと吸われそうな感覚がして、何度も気を失いそうになる。
体は震えっぱなしで、かろうじて動かせる手と足先は快楽を感じる度に、握ったり緩めたりを繰り返してしまう。
このまま強烈な感覚が続いたらどうなってしまうんだろう。
そう思ったとき、突然吸い上げが止まった。
「は…! は、はぁ…はぁ…?」
ぐったりとしたまま呼吸を整えつつ、どうしたのかと目を開く。
触手の数が増えていた。数十はくだらないそれらが、これまたもったりとシンシアの体にさらに巻きついてくる。
もはや僅かな隙間しかないほどの数で埋め尽くされ、その感触にまたシンシアは「ふぁ」と声が漏れてしまった。
しばらくそのままで、吸魔が始まらない。
疑問に思ったシンシアだが、すぐに自分を落ち着かせているのだろうということが分かった。
どうにかなってしまわないように、休憩を挟んでくれたのだ。その休憩中に、こうして全身を感触の良い触手で包み落ち着くのを待ってくれているのだろう。
大丈夫か。
彼と全く同じ感触の触手から、彼の心配が聞こえてくるようだ。
「ん…だ、大丈夫、だよ…」
顔のない触手に向かって、彼女は力なく微笑みかけた。
「大丈夫、だから…続けて…」
これほど長い時間快感に晒されたことはない。何もかもが初めての感覚で戸惑いがあるのは否めないが、しかし恐怖心は全くない。
嬉しさしかなかった。これほど自分を求めてくれていることに。頼ってくれていることに。
そして魔力が枯渇している余裕のない状況だろうに、それでも自分を気遣ってくれている彼の優しさが嬉しくて仕方ない。
「いいよ、ダイン君、続けて…ダイン君が欲しいだけ、あげるから…」
どうにか動かせる手で、その触手を撫でる。
再び始まった吸い上げに、シンシアはまた体を震わせ、声を上げる。
それでも触手を撫でる動きは止めなかった。
「いい、よ…全部欲しいなら、全部、あげ、る…」
全身で彼の感触を感じ、彼の体温を感じ。余すところ無く彼に優しく力強く抱かれながら、聖力を吸われ続ける。
その感触は心地良いものでしかなく、再びシンシアの思考は快楽の波にさらわれ、身悶え喘ぎ始めてしまう。
肉体だけでなく、心までもが彼に抱かれ、吸い上げられ彼と一つになったかのようだ。
力はどんどん抜けていき、とうとう指先ですら動かせられなくなったシンシア。
ぱたりとベッドの上に落ちた彼女の手にも、細かく分裂した触手が絡みつく。
ダインと指を絡め手を握り合ったような錯覚を抱きながら、彼女の意識は緩やかに深いところへと落ちていった。