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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百三十三節、黄金色の庭

「助けてええええぇぇぇ!」

夕焼け色に染まった玄関口から、ディエルの悲痛な叫び声がする。

「ダイン、助け、助けて…! 連れ去られる…!」

彼女はカールセン邸の玄関前にいたダインに必死に手を伸ばしている。助けを求めているようだが、お互いの距離がどんどん離れていった。

「我侭が過ぎますよ、ディエルお嬢」

反対側の手を掴んで引っ張っているのは、黒い翼を生やし、黒いメイド服に身を包んだ、スウェンディ家のメイド隊隊長“ラステ”。

彼女はやや冷たい表情でディエルを見ている。「大人しく着いてきてください」

「どうして来たのよ! 今日も泊めてくれるって、ダインもみんなも快諾してくれてたのに!」

ディエルは自身の専属メイドに文句を垂れていた。「まだ遊び足りないんだから邪魔しないでよ!」

「一泊二日と会議して決めたではないですか」

感情のない声でラステはいった。「明日は習い事に会食など、予定は詰まりに詰まっているのです」

「全部断ってっていったじゃない!」

「そういうお話は大旦那様となさってください。私は私の仕事をこなすまでです」

ディエルのいうことなど聞く耳持たないという様子で、さらに彼女を引っ張っていく。

「だ、ダイン!」

もはや頼れるのは彼しかいないと思ったのか、ディエルは玄関前に一人だけいた彼にまた手を伸ばした。「連れ去られるから! 帰らされる…! ほら、お姫様がさらわれそうになってるわよ!」

「誰がお姫様だ。早く行け」

ダインは笑いながらいった。「お前を待ってる人もいるんだから。先に予定があるのなら、そっちを済ますのがスジってもんだろ」

「王子様まで冷たい!」

ディエルの演技じみた口調に、「誰が王子だ」、ダインはまた笑い声を上げた。

ラステはダインに向けて一礼し、手を挙げて応じた彼は、「ディエル、またな」、と彼女に声をかける。

「ちょま…! 待って! まだ私諦めて…!」

「諦めてください」

塀の外に連れ出された瞬間、そこに控えていた数人のメイド隊たちに身体を掴まれ、そのまま飛び立っていった。

「あーーーーーーーーーー!!!」

そんな声が木霊し、そして遠のいていく。

「相変わらずやかましい奴だったな…」

ダインは呟きながら玄関の中に入り、ドアのカギを閉めて家に上がった。

朝から始終騒がしかったリビングには誰もおらず、ダインはそのまま中庭へ向かう。

そこではルシラが植物たちに水遣りをしているはずだった。

元気に駆け回る姿を想像し、声をかけようとしたのだが…辺りに彼女の姿はない。

「ん?」

どこに行ったのかとルシラを探そうとしたとき、

「あ、ダイン…」

中庭の中央にあるベンチから声がかかった。

そこにはラフィンがいた。夕日の光を全身に受けた彼女の周りにはピーちゃんたちがいて、彼らは身体を丸めて寝息を立てている。

そしてラフィンの足にはルシラの頭が乗っており、彼女もまた穏やかな寝顔を晒していた。

「さすがにみんな疲れちまったようだな」

シャーちゃんの遊覧飛行はピーちゃんたちまで巻き込み、始終興奮しっぱなしだったためか、ルシラも彼らも完全に燃料切れを起こしている。

ダインの気配を察知したら誰かが必ず起きてきたはずなのに、誰一人として目覚める様子はなかった。

「ね、ねぇ、そろそろ交代してくれない? もうすぐサリエラが迎えに来るはずだから…」

そう話すラフィンは、この状況に少々戸惑っているようだ。

天才肌のお嬢様である故か、無菌状態で育てられてきた彼女なので、子供に甘えられたことがなければ、小動物と接する機会もなかったのだろう。

「サリエラさんは暗くなる前に来るっていってたんだろ? もう少し時間あるだろ」

「で、でも、これどうしたら…」

「別にそのままでいたらいい。時間までゆっくりしてろよ」

「何か飲むか?」、とダインが尋ねるが、彼女は首を横に振ったので、椅子を引っ張ってきてそのまま腰を降ろした。

「ん〜…」

寝相を正そうと、ルシラが動きだす。

ラフィンの足から頭が落ちそうになったので、彼女はすぐにその頭を掴んで元に戻した。

そのまま、つい、といった感じにルシラの丸っこい頭部を撫でる。

「にゅふふ…」

ルシラの寝顔は笑顔になり、その口元からくすぐったそうな笑い声が漏れた。

「…可愛い…」

ラフィンは思わずいってしまう。

ニヤニヤとしたダインの視線に気付き、ハッとして小さく咳払いした。

「えと…そ、それで? ディエルはもう帰ったの?」

「ああ、さっきな。最後まで喚いてたよ」

つい先ほどの状況をラフィンに伝えると、彼女は短くため息を吐いた。

「全く、あいつはまだまだ子供ね」

「はは。そうかもな」

「で、シンシアとニーニアとティエリア先輩は…」

「帰ったよ。一時的にな」

散らばって寝ていたピーちゃんたちを一箇所に集めつつ、ダインは続ける。「シンシアはリィンさんと特訓してるし、ニーニアは夕飯を作りに、先輩は着替えを取りに帰って、みんな戻ってくるついでに買い物をしてくるってさ」

元々二泊三日の予定でウチに来てたんだ、とダインがいうと、ラフィンはやや視線を伏せた。

「今日もここに泊まれるのね…」

どこか羨ましそうな口調に、ダインは含み笑いを漏らしてしまう。

「ラフィンもさ、予定が空けられるんだったらいつでも来てくれていいんだぞ?」

「え?」

「両親もサラもお前のこと気に入ったようだし、ピーちゃんたちも、それにルシラも懐いてるようだしさ」

自分の周囲を確認したラフィンは、「そ、そう、ね…予定が空いたら…」、素直に頷いた。

「お前のことだからどうせ休日も休日じゃないほど習い事だなんだで忙しいんだろ? たまにはこういう日があってもいいだろ」

「ま、まぁ…」

「何事もほどほどが大事なんだよ。何も考えず、何もせず、ぼけーっとする時間も必要だと思うぞ」

「あ、あなたはぼけっとしすぎなのよ」

「それは否定しねぇけどさ」

笑いながらダインがいうと、「もう…しっかりしてよね」、と一応怒って見せたラフィンも、すぐに笑顔になる。

二人はそれきり会話がなくなり、穏やかな静寂が訪れた。

ルシラやピーちゃんたちは寝息を立て続けており、夕方の間だけ鳴く鳥の鳴き声がどこからか木霊する。

オレンジに染め上がった中庭は朝とはまた違った色を放っており、花壇で咲き誇る草花も、畑で育てられていた野菜たちも、水遣りを終えたばかりらしくキラキラと水滴を光らせている。

夕方独特の匂いを肌で感じていた二人はしばし無言で、お互い言葉は見つからないものの、ただそうしているだけで何故だか心が満たされていた。

「…来てくれてありがとな」

やがて、ダインはラフィンに笑いかける。「奇襲戦の件でひどく落ち込んでるって聞いたもんだから、無理やりにでも連れ出して話をしたいって思ってたんだよ」

その彼の話に、「ほんと驚いたわよ」、昨日の生徒会室での一幕を思い出したのか、ラフィンはいった。

「知らない村に連れてこられて、知らないお店には何故かあなたがいて…ずっと混乱してたんだからね」

ジロリとラフィンが睨んでくる。ダインは軽い調子で謝った。

「…でも、ずっと夢みたいだった」

ぽつりと、彼女はいった。「一緒にご飯を食べて、シンシアたちと一緒にお風呂に入って、一緒のベッドで寝て…狭い部屋で窮屈に寝るっていうのが、こんなに良いものだとは思わなかったわ」

「窮屈って、正直に言いやがったな」

ダインが突っ込むと、「ふふ、ごめんなさい」、ラフィンは屈託なく笑った。

「でも多人数だからいいってわけじゃないのよね。一緒にご飯を食べるのだって、お話しするのだって、要は何をして過ごすかじゃなく、誰と過ごすかが重要だということ」

「分かってるじゃん」

ダインはまた笑った。「例えば高級なホテルに旅行にいったのだとしても、一人だとどれだけ手の込んだ料理でも味気なく感じ、客室から見える光景もつまらなく映っちまう。一人旅が好きな奴なら色々と感動できるかもしれないが、少なくとも俺は仲の良い奴と旅できるのなら旅したいし、不味かろうが一緒の飯を食えたほうが幸せだ」

「ラフィンはどうなんだ?」、ダインが尋ねえると、「そうね」、穏やかな表情で彼女は答える。

「いまが夢みたいで楽しいと思えているから、きっと私もダインと同じなのでしょうね」

二人きりというこの状況がそうさせているのか、彼女はやけに素直だ。

「今日はもう帰っちゃうけど、またよろしくね」

とまでいってくる彼女に内心驚きつつ、ダインは笑顔で頷いた。

だが、「ただし」、ラフィンは突然笑顔を真顔に戻す。

「近々お邪魔させてもらうことになると思うけど、そのときは遊びに、じゃないから」

「へ?」

どういうことだと尋ねると、「私を誰だと思ってるの。生徒会長よ?」、彼女は不敵に笑った。

「今日のことも含めて、これまであなたからは形のない色々なものをもらったわ。そのお返しに私が出来ることは何かを、ずっと考えてた。けれどなかなか答えが見つからなくて、その間にあなたは退学になってしまったけど…でもそのおかげ…といっていいかどうかは分からないけど、思いつくことができた。あなたのために、私が出来ることを」

とそこまで聞いて、ダインは少し頬をひくつかせる。嫌な予感が過ぎったのだ。

元来から真面目で、品行方正な生徒会長が思いつきそうなこと。それは恐らく…

「あなたが退学中に私が授業で習ったこと全てを、あなたが復帰するまで叩き込む」

案の定だった。

「い、いや、勉強はもう…」

「駄目よ。座学に魔法学、実技。全てを教えるわ。あなたが学校に復帰しても授業についていけるように。そして無事に進級できるように、サポートさせてもらう」

そう話す彼女の目はいつになく真剣だ。

きっとそれが彼女なりのダインに対する償いだったのだろう。いま現在も主席の道を歩むラフィンが、ダインに出来る唯一のこと。

「逃げないでね。もう決めたんだから。理解できるまで何度だって教えてあげる」

「あ、あーでも、そんなことのためにお前の貴重な時間を削ってもらうわけには…習い事とかさ、あるんだろ?」

「とっくにマスターして習う必要がないものもいくつかあるから、調整すればいくらでも時間を作れるわ」

天才にしか吐けない台詞をいって、ダインを真っ直ぐに見つめている。

一度こうと決めたらなかなか曲げないのがラフィンだ。剛直な彼女は、仮にダインが逃げ出しても、どこまでも追いかけ連れ戻すつもりでいるのだろう。

勉強は正直好きではない。しかし、知識を得るというのは人生のあらゆる場面で役立つこともある。

特に勉強を教える先生という存在は、学生時分でしか接せられないことも多い。

ラフィンの申し出は有り難く受け入れるべきだろう。無償で先生役をかってでるなど、大人になってからはほぼないといってもいいのだから。

そう思い直したダインは、「お、お手柔らかにな…」、そういって頭を下げた。

「じゃあ苦手科目を…」

ラフィンは早速勉強の話をしようとしだしたので、「ああそうだ!」、ダインはぽんと手を叩いて遮った。

「忘れるとこだった。お前に渡すものがあったんだよ」

そういうものの、「話逸らすんじゃないわよ」、ラフィンはジト目でいってくる。

「いやいや、マジなほうだって」

ダインはポケットを探り、そこから四角形の紙の束を取り出した。

「ほい、これ」

「…シール?」

「転移シールだ」

ラフィンに手渡しつつ、ダインはいう。「吸魔衝動による危険性については、昼間お袋やサラから説明受けたと思うけど、あれはマジで唐突に起こるものだからさ。授業中や人ごみの中でもし俺の触手に襲われそうになったら、そのシールを使って安全な場所に避難して欲しいんだ」

「避難…」

「場合によっちゃ…っていうか、襲われたら魔法力が全部吸い取られるから、まず動けなくなる。ラビリンスで戦闘中とかにそれが起きたらさすがにやばいだろ」

「そ…そう、ね、確かに…」

昼間のダイブ訓練のことを思い出したらしく、ラフィンの顔が赤くなっていく。

「そのシールに安全だと思う場所を念じながら地名なり印なり書いといてくれ。自分の部屋が一番ベターだと思うけど」

「え、ええ、ありがとう」

テーブルの上にラフィンのカバンがあり、彼女は受け取ったばかりのシールをその中に詰め込んだ。

そしてまたお互い話すことがなくなってしまい、静寂が中庭を包み込む。

そのとき風が吹き、ラフィンの長い髪が揺れた。

「…良い風ね…」

顔に髪がかからないよう手で押さえながら、彼女は穏やかに笑う。

そんなラフィンの姿を見て、ダインはしばし固まってしまった。

きっとブロンドの長い髪のせいだろう。やけに彼女の姿が美しく見えてしまったのだ。

風に煽られ靡く髪はまるで流れる水のようにさらさらしており、夕日の光に反射して全身が黄金色に輝いているようだ。

思わず彼女から視線を逸らせなくなってしまい、ラフィンはそのせいで俯いているのかと思いきや、

「…ね、ねぇ」

いまだ起きる気配のないルシラの頭を撫でながら、彼女は口を開く。「その…す、少し、触らせてもらっても、いい…かしら…?」

思いがけない申し出についドキリとしつつ、「な…何をだ?」、ダインはきいた。

「しょ、触手…あなたの…」

え、とダインはまた固まってしまう。

ヴァンプ族が出す触手は視認性が低く、また捕食対象者にしか触れられないという珍しいものだが、敏感で人によっては恥部とほぼ同じ認識だ。

ダインもその限りではなく、そのため安直に出し入れしたくはなかったのだが、それでもラフィンは彼にその触手を出すよう求めた。

「あの…理由をきいてもいいか?」

内容次第だと続けると、彼女は「だ、だって、襲われることがあるんでしょ?」、ちらちら彼のほうを見ながらいった。

「以前あなたの触手に絡まれたことあるけど、あの時は初めてだったからよく覚えてないの。昼間のことだって感覚に翻弄されるばかりで訳が分からなかったし。だから、いま改めて触ってその感触がどんなものか知っておきたいの」

なるほど、確かに彼女の意見も尤もだ。ダインが枯渇状態にいつ陥るか分からない以上、ラフィンはいつ触手に襲撃されるかも分からない。混乱しないためにも予備知識は重要だ。

そういうことならと、彼はラフィンに改めて向き合った。

「そ、そっとな」

左手を差し出し、手のひらを上に向ける。

その中心からやや太めの触手がニョキリと現れた。

「…触るわね」

「ああ」

やや緊張させつつ、ラフィンは上に伸びていた触手をそっと掴む。

ゆっくり触れてはくれたのだがやはり触れられる感覚は慣れないもので、ダインはビクリと肩を震わせてしまう。

「あ、い、痛かった?」

触手が敏感であるというのは彼女も知っていたのだろう。すぐ手を離してしまう。

「い、いや、どうやっても始めはこうなっちまうんだよ」

すっかり顔が赤くなっていたダインだが、「大丈夫だよ」、続けて触るよう促した。

「あ、じゃ、じゃあ…」

ラフィンは再び触手に触れる。

ヴァンプ族から伸びる触手は、ある意味で彼らの最大の弱点でもある。

昼間のシエスタの講座を思い出したラフィンは、「ふ、不思議ね…」、奇妙としかいいようがないその触手を撫でながら、小声でいった。

触れることが出来るのに、“それ”は透明で、無機物のように見えてぐねぐね動いている。

見るからに柔らかそうだが柔らかすぎというほどでもなく、二の腕の硬さに近い。質感は見た通りにすべすべしている。

体温があり、しばらく触ったままでいるとなんと鼓動のようなものまで感じる。本当にダインに触れているような感覚に近かった。

「こ、これが…あなたの…」

ラフィンはなかなかダインの触手から手を離さない。目の前で身悶えているダインに感化されたのか、彼女もすっかり顔面が紅潮していた。

それでも時折触手をさすったり両手で握り締めてきたりと、思う存分その感触を堪能しているようだ。

傍目にはいけないことをしているように見えなくもない。実際、二人のやり取りを遠目からジッと窺っていた“ある人物”がいたのだが、緊張状態にあったダインもラフィンも気付くことはなかった。

「あ、あのさ、もうそろそろ…」

限界が近いと伝えるものの、「ま、待って、もう少し…」、ラフィンはまだ満足してないようだ。

「こ、このままだとマズイんだけど…その…色々…」

触手が敏感ということは、ダインにはラフィンの手の感触がよく分かってしまうということでもある。

あまりに彼女に触られ続けるもんだから、別の“本能”が首をもたげてきた。

「な、なぁ、ラフィン…」

どうにかこうにか耐えていたダインが音を上げそうになるが、

「もう少し、耐えて…じ、実は試してみたことがあって…」

と、彼女がいった。

「た、試してみたいこと?」

「え、ええ。だから、えと…も、もう少し、この触手…伸ばせる?」

触手を握り締めながら彼女がこちらを向く。

また一瞬だけ邪な妄想が脳裏を掠めたが、それもまたぐっと耐えた。

「い、いまでも割とカツカツでさ…」

「? カツカツって?」

「暴走してしまいそうになるというか…」

「暴走?」

ラフィンもなかなかに疎い奴だ。“そういう”経験がなく、“そういう”知識が乏しいというのもあるかも知れない。

「お、襲い掛かっちまいそうになるんだよ、ラフィンに」

だからダインははっきりといった。「俺だって男なんだからな。色々我慢してるんだぞ。お前だって柔らかすぎるんだ、色々と…。そ、それに視線が向いちまうし…す、少しは自覚してくれよ…」

彼のその精一杯の台詞を聞いても、ラフィンには何のことか分からなかったようできょとんとしている。

だが彼の強い視線を感じ、その“見られている場所”から彼が何を想像しているかに気付き、ラフィンの顔面がまたさらに真っ赤になっていった。

つい身をよじって胸元を隠しそうになる彼女だが、

「い、いいわよ、別に…」

視線を逸らしつつ、ぼそぼそといった。「あ、あなたになら、どこを見られても…どこを触られても…べ、別に…」

もはや殺し文句に近いということを、きっと彼女は気付いてないのだろう。

「だ、だからな、そういうことを…」

「お、お願い。何でもいいから、試させて。あなたの周りにはいつも人がいるから、こんな機会滅多にないんだもの」

とにかく触手を使って試したいことがあるらしい。

「わ、分かったよ…」

しょうがなく折れたダインは、理性を強く保ちつつ、触手を伸ばす。

それは蔦のようにラフィンの腕に巻きついていき、「こ、このくらいか?」、彼女の二の腕辺りで止めた。

「もう少し…背中に届くぐらい…」

「こ、こうか?」

さらに触手を伸ばしていき、ラフィンの背中に到達する。

そのブロンドの髪に触れたときだった。

「ん」

ラフィンは目を閉じて集中し始める。

触手が髪に触れたところから熱を感じたのはそのときだった。

「え…」

髪から触手へ、熱い奔流のような何かが流れ込んでくる。

そしてお互いの体が強く光りだし、一瞬思考が飛んだ。

まるで意識ごと吸い込まれるような感覚だった。

「うおっ!?」

驚いたダインはすぐさま触手を引っ込める。

「あ、うまくいったわね」

何かに成功したらしく、やや興奮した様子のラフィンは、どういうわけかダインの鼻先ほどに近い場所にいた。

ダインのほうが、ラフィンの真横に移動させられていたようだ。

「な、何が起こったんだ?」

気付けばダインは無意識に目の前にいた彼女を抱いてしまっている。

「ダイブよ」

彼に抱かれたまま、ラフィンは嬉しそうにいった。「まだ原理はよく分かってないけど、ダイブは魔法力のやりとりがトリガーになってるっぽいから、お互いの敏感な部分を繋ぎ合わせたらうまくいくかなってね」

「び、敏感…? 髪が?」

「エンジェ族の髪は敏感なの。知らなかった?」

自分の髪や夕日の光に負けないほどの眩しい笑顔だった。「それこそ触れた人の意思が少し分かるほどにね。だから必要以上に触られるのを嫌がる人が多いのよ?」

「そりゃ知らなかった…でもすごいな。俺が念じなくてもダイブできるなんて」

「失敗したけどね。あなたが咄嗟に触手を引っ込めなかったら、完全に一つになれてたわよ?」

すごいことをいっているというのも、彼女は気付いてないのだろう。

「私、エレンディア様の証を持っているんだもの。魔法関連はお手の物なの。これでディエルに散々自慢でき…」

と、途中で彼女の台詞が止まる。その視線は真正面にいるダインに向けられていて、また顔が真っ赤に染め上がっていく。

どうやらお互い密着しているということにようやく気付いてくれたらしい。

「わ、悪い、もう離れるな」

ダインは離れようとした。

抱き寄せていた腕を引っ込めようとしたのだが、どうしてかラフィンはその腕を掴んで引き戻した。

「うお…ど、どうした?」

話しかけても彼女は無言のまま首を横に振る。

「…そ…その…」

俯き加減のまま何かをいおうとしたようだが、それ以上の言葉が出てこない。

「ら…ラフィン?」

しばし、言葉を忘れてしまったかのように黙り込んでいた彼女は、ふと顔を上げた。

こちらに真正面に向けられていたその目は、何故か閉じられている。

「…え…?」

ダインは戸惑うが、ラフィンはそのまま動かない。

すぐ目の前で目を閉じている彼女は、どこからどう見ても“待ち”の状態だ。

「え…えっと…」

もしかして、シンシアから昨夜のキスの件について話を聞いたのだろうか?

それとも、ニーニアやティエリアから“色々と”聞いてしまっていたのかもしれない。

夕日の魔力か、それとも二人きりというこの状況がそうさせたのか、やけに積極的なラフィンにダインはすぐにはついていけなかった。

だがこのまま彼女に“待ち”状態でいさせ続けるのも酷だろう。

「ラフィン…」

逡巡した結果、応じようとしたダインだが、

「う…うぅ…」

近くから誰かのすすり泣くような声がした。

「へあっ!?」

ダインとラフィンは同時に驚きの声を上げ、声がした方向に顔を振る。

「ラフィンお嬢様…お嬢様も、ようやく、大人に…」

…そこには知らない女が立っていた。

ブロンドのロングヘアーで、髪の末端だけをヘアゴムで束ねており、頭にはカチューシャ。

背中からは白い翼が生えており、エプロンドレスを見たところ、エンジェ族のメイドだというのは分かるが…その目元にはハンカチを当てて、泣き顔を晒していた。

「さ、ささ、サリエラ!?」

その姿が目に入るや、ラフィンの表情は驚愕に変わった。「い、いつの間に…!?」

「少し前からです…」

“サリエラ”は感動の涙をハンカチで拭いながらいった。「お迎えに上がったんですが、良い雰囲気だとサラ様に案内していただき、様子を窺わせていただいていたのですが…ラフィンお嬢様が…ラフィン…お嬢様、が…」

ぽつぽつと自らの状況を説明する彼女だが、また涙を溢れさせていき、そして両手で顔面を覆った。「ま゛ざがあ゛の゛ラ゛フ゛ィ゛ン゛お嬢ざま゛が意中の゛殿方ど接吻ずる゛時が゛ごよ゛う゛どばーーーー!!!」

彼女にとってはよほど驚くべき、そして感涙すべきことだったのだろう。わんわんと泣き出した。

「あ…っ…な…ん…な…!?」

ラフィンは凍りついたように固まったまま、ワナワナと震えだす。

「もう少しだったのですけどねぇ」

しみじみといって彼らの前に現れたのは、同じく物陰に潜んでいたサラだった。

「サリエラ様がもう少し飛び出すのが遅ければ、いまごろダイン坊ちゃまとラフィン様はぶちゅーっと」

「ピィッ!」

別の場所から鳴き声がする。ピーちゃんたちにもばっちり見られていたようだ。

「ちゅーしないの?」

ルシラまでもが目を覚ましており、下からラフィンとダインを見上げている。

「お…お前らな…」

二人きりではなかったのだ。それどころか一連のやり取りを見られていた。

その事実に気付いてしまったラフィンは、羞恥の極みに達してしまった。

暴れるのか、怒り狂うのか、泣き出してしまうのか。

湯気が出そうなほどに真っ赤になっていたラフィンが取った行動は…、

「ひょっ!?」

ベンチからこつんと音がする。

ルシラの頭がベンチにぶつかった音のようで、一瞬にしてラフィンの姿が見えなくなった。

姿が見えないが、足音が遠ざかっていくのが聞こえる。芝生の地面に点々と足跡がついていってるのが見える。

どうやら不可視の魔法で姿を消し、そのまま逃げ出したらしい。

「ああっ! ラフィンお嬢様、お待ちください!」

さすがラフィンの付き人といったところか、サリエラは咄嗟にラフィンのカバンを掴み、素早い身のこなしでラフィンの気配を追っていった。

「あ、そうだ、ラフィンお嬢様がお世話になりましたわ!」

サリエラは途中で足を止め、ダインたちに向けて丁寧に頭を下げる。「このご恩は決して忘れません!」

「いや、そんな大げさな…」

ダインが遠慮がちにいっても、「いえ!」、涙を拭い、サリエラはメイド長らしい凛とした表情を彼らに向けた。

「今度は是非とも当ウェルト邸にお越しください! 我らウェルト直属奉仕隊が総力を挙げておもてなしをさせていただきますので!」

では、といって、また彼女はラフィンの後を追いかけていった。

サリエラの声と足音が遠ざかっていき、中庭は一瞬静寂に包まれる。

「…余計なことをしてしまいましたかね」

サラは肩をすくめてダインを見る。

「い、いや、まぁ…」

「後十秒ほど余裕があれば、ぶちゅっとしているところを拝められたのではと思うのですが。といいますより、ダイン坊ちゃまがもっとお早くラフィン様のご意向を汲み取って行動していただければ、物陰で待つ必要もなかったはずなのですがね」

あまりにも勝手な物言いだった。

ダインはすぐに文句を言おうとしたが、「もー、駄目だなぁだいんはー」、ルシラまで同調した。

「だいすきな人とはちゅーするものなんだよ?」

…なんだか色々間違えてる気がする。

「るしらも、その…だいんにしてるかも知れないし…」

…ここは突っ込まないほうがいいだろう。

「ラフィンお嬢様が不憫でなりませんね。他の方にもいえることですが」

何だか一方的に責められてる気がする。

「あ、あのな、まさかあいつがあんな行動するなんて俺も思わなかったんだよ。それにいまは他に考えることが沢山あって…」

「そういうことを言い訳にして、あの可愛らしい方々の想いを蔑ろにするのはいかがなものかと」

そのサラの切り返しは、ダインの胸を確実に射抜いた。

うぐ、と思わずたじろぐダインを、サラもルシラも呆れたような目で見ている。

「…ピフィー」

なんとピーちゃんたちまでも、哀れむような目でダインを見上げていた。

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