百二十六節、秘密基地
「家族の…それも一人娘のことを一切気にしない父というのは、世の中にどれほどいるのだろうか」
工芸品の転がる倉庫のような薄暗い一室で、ジーグに背中を向けたまま“彼”はいった。
「生まれたばかりの我が子を抱いたときには、この子は何が何でも守りたいと、男ならば誰しもが固く誓うはず。どうだろうか?」
「…そうだな」
ジーグはやや戸惑ったような表情のまま、手にしていたグラスを傾ける。
そこはカールセン邸の離れだった。
周囲には誇りまみれの木箱が積みあがっており、中は売れ残りの工芸品や日用雑貨が詰められている。
狭い納屋の中央のスペースに、急ごしらえで用意されたテーブルがあり、ジーグと“彼”の男二人が狭苦しそうに椅子を寄せ合い、酒を酌み交わしている。
「じゃれあう母と小さな娘を見てこの上ない幸せを感じることもあったし、立ち上がって歩けるようになった瞬間を目にして涙したこともあった」
狭い納屋の中であるにもかかわらず、“彼”は演劇を披露しているかのような大きな動作で語り続けている。
「娘の笑顔に、何度忙殺に荒んでいた私の心が救われたか分からない。言葉を交わせるようになり、“おとうしゃま、だいしゅき!”といわれた日にはもう…この世界を何百週でも飛びまわれるほど歓喜したよ」
「そ…そうか」
夜になって突然押しかけてきたこの“珍客”を前にして、ジーグはどう対応するのが正解なのか、酒をちびちび飲みながら必死に答えを探っている。
「ジーグ殿! …いや、同世代だからジーグ君でいいか…ジーグ君! 君もそうは思わないか!?」
“彼”がくるりと振り返る。
その動きに合わせてブロンドの髪が靡き、ろうそくの明かりによってキラキラ輝く。
「我が子の一挙手一投足に目が離せなくなり、我が子と過ごす休日こそ、至上の休みとは思わないかい!?」
娘に対する愛情の深さを力説する彼の目は、そのブロンドの髪のようにキラキラ輝いており、ジーグは同世代であるはずなのだが、彼の方がジーグよりも一回りも二回りも若く見える。
「ま、まぁ、そうだな…」
“彼”の勢いに押されるまま頷くと、「だろう!?」、“彼”はまた顔に笑顔を広げた。
「我が子のためになるのなら何でもしたいと思うし、何が何でも守りたいと思うし、この子が幸せになるためにはどうすればいいのだろうかと生涯悩む。父とは…親とはそういうものだろう!?」
「あ、あぁ」
頷いたジーグは、すぐに「お説最もだが、ロディ殿」、彼の演説を遮った。
「それで何故このような場所で酒を飲もうなどと?」
周囲を見回し、再び彼…ロディに顔を向ける。「売れ残りが積みあがった納屋などではなく、もっと開けた場所の方が、財団を抱える君には相応しいと思うのだが…」
「いまからでも移動しないか? その方が妻もサラも動きやすいのだが」、と続けると、ロディは黙り込んでしまった。
先ほどの勢いはどこへやら、静かに椅子にかけ直す。
「…ある雑誌に書かれていたんだよ」
ロディはいった。「何かにつけて詮索しようとする父は、嫌われる傾向にあると」
「…あー」
ジーグから察したような声が漏れる。
「確かに私は…いや、“我々”は特殊な環境の中で生活している。傲慢な表現をすれば、貴族のような」
酒の入ったグラスを握り締めつつ、ロディはいった。「家は城ほどに広くて大きく、中では何百人もの召使いを従えている。毎日の食事には抱えのシェフが腕を振るってくれて、いい暮らしを、家族に苦労をかけたくないとの思いから、引っ込みがつかないほどの贅沢な暮らしをしてしまうようになった」
ワインを一気に飲み干した彼は、赤い顔で再び口を開く。「しかし、どのような環境、種族、家族で暮らしていたとしても、娘が父を嫌う理由は大差ないものだと思うのだよ。汗臭いから嫌いになった。口が臭いから嫌いになった。食べ方が汚い、小言が多い、エトセトラ…」
「ふむ」
「特に娘には気を使わないと駄目だ。ひとたび“胸が大きくなったな”などと言ってしまおうものなら、どれほど努力を積み重ね娘の信頼を得ていた父であろうと、一瞬で威厳も信用も何もかも地面を踏み抜くほどに失墜してしまうだろう」
切々と語り続ける彼の話は面白く、ジーグは口元に笑みを浮かべながら、
「つまるところ、アレか」、ロディの持つグラスに新たにワインを注ぎながらいった。
「娘を心配するあまり、外泊先にまで様子見に訪れたと知れたら、嫌われてしまうのではないかと思った、ということか」
「その通り!」
ロディは力強くグラスを掲げた。「ジーグ君は話せる御仁で良かったよ」
チーズとワインを口にし、その美味しさに頬を緩めた彼は続ける。「突然押しかけてきたのにこうして宴席を設けてくれた。君の奥方もメイドさんも、広い心を持った慈悲深い方々であるとお見受けしたよ」
「流石に手ぶらで帰すわけにはいかないからな」
ジーグも同じように頬を緩めて笑う。「全世界の中で屈指の財団を抱える、ウェルト家の当主であられるのだから」
引き続き酒を飲もうとした彼に、「幻滅したかな?」、ロディはやや申し訳なさそうな表情で、前方にいるジーグの顔を覗き込む。
「財界を賑わす重鎮の正体は、単なる親バカだったのだから」
「まさか」
ジーグは肩を揺らして愉快そうに笑った。「家族を大切にする。基本的なことだが、なかなかどうして難しいところもある。ロディ殿は、大富豪に対して抱きがちな、家庭を顧みない父というイメージを覆す、良い御仁ということが分かったよ」
表裏のない真っ直ぐな感想を聞いて、ロディは少し照れたように椅子に座りなおす。
「落ち着きのない男だと、妻からはよく言われているんだけどね」
そして幾度目かの乾杯を交わし、ロディが再び口を開く。「しかし驚いたよ」
「驚いた?」
「ああ。“あるスジ”から娘が外泊するという情報を聞きつけ、後先考えずすっ飛んできてしまったのだが…まさか、かつて娘が世話になったカールセン家の方々の家だとはな」
そこでロディはふと遠い目をする。「“ラビリンスの件”でジーグ君にお礼の書簡を送ったのが十年も昔か…。まさかこのような形で再会を果たすとは思ってもみなかったよ」
「ああ…ふふ、確かにな」
懐かしそうな表情でいたジーグは、カリカリに焼かれた小魚を口にする。「叫び声を聞きつけた息子が突然走り出してな。助けたご令嬢がウェルト家の者だとは私も思わなかったよ」
当時のことを思い出しお互い笑顔になるが、ロディはすぐにその笑顔を引っ込めた。
「私は意地悪な男だったのかもしれない」
真面目な顔になって呟いた。「あの一件から、私はカールセン家の…ダイン君のことを知っていた。すぐに彼と娘を会わしてあげることもできたのに、仕事にかまけてそこまで頭が回らなかった」
ジーグは静かに耳を傾けたまま、続きを促す。
「娘があそこまでダイン君に恩義を感じていたとは思わなかったのだよ。言い訳をさせてもらえるのなら、普段からそれらしい素振りを見せてくれなかったし、セブンリンクスに進学したいと言い出したのだって、私がラビリンスの建設計画を提言、出資したからだと思っていた」
「なるほど」
「娘はね、昔はほとんど笑わない子だったのだよ」
ロディは少し視線を伏せた。「証を持って生まれてしまったが為に、エレンディア様の再来だと親族が騒ぎ出し、やれ高度な教養を見に付けさせろだの、やれ才能をもっと伸ばしていけだの、詰め込みに詰め込みすぎた教育をあの子に施してしまった。無名な家柄の子や学力の低い同年代の者とは接触を禁じ、多才な知識人を教師につけさせ、無菌状態の中育ててきた」
台詞を区切ったロディはまた酒を飲み、すっかり出来上がった顔で息を吐く。
「娘はどんな無理難題もこなしていき、一流の技術も知識も自分のものにしていった。親族の期待する完璧で、そして感情のない“人形”へと育っていく様は、私には少々辛そうに見えたものだよ。メイドたちを前に我侭に振舞ったのも、詰め込み教育の反動で致し方ないことだと目をつぶっていたこともあった」
「でも違ったんだ」、ロディはさらに続ける。「“ラビリンスでの一件”以来、あの子の心の中には常にダイン君の姿があった。ずっとあの子を追いかけていたんだ」
「そのようだな」
内情を聞いていたジーグは、静かに頷くだけ。
「ある日を境に、突然笑ってくれるようになったんだよ」
ロディの語りは続く。「私の冗談にも笑ってくれて、妻の買い物にも付き合うことがあって、メイドたちの仕事を見て手伝いだしたときには、何があったんだと妻と二人で会議を重ねたこともあった」
「ふふ、また大層な」
「それぐらい衝撃だったのだよ。でも原因はすぐに分かった。娘の寝室を掃除した妻から、机の上に立てかけられていたダイン君たちの写真があったと聞いて、合点がいった」
そういってしばらく、ロディはグラスを見つめたまま動かなくなる。
「…認めるしかないよ」
数秒の沈黙の後、彼はいった。「あれほど想いを寄せていた彼の家に泊まりたいというのならば、認めるしかない。しかもその情報を寄せてくれたのが、ライバルの“あの子”からなのだから、なおのこと断れない」
降参するかのように、彼は両手を広げて肩をすくめた。「学校の催し…奇襲戦だったか。それが終わった直後の娘の落ち込みようは、とても見てられなかったよ。また昔のように“人形”に戻ってしまったのかと危惧した。しかしそれと同時に、それほどまで娘が“良い方向”に変わっていたことに驚いた。あの子にあそこまでの変革をもたらしたのは…」
ロディはゆっくりと、前方にいるジーグに目を向ける。
まるで師を目の前にしているかのような、尊敬の眼差しだった。「彼を…ダイン君をどのように育て上げれば、ああなるんだ?」
「私に聞かれてもな」
ジーグは相変わらず笑うだけだ。「周りの環境と、本人の意思次第としかいいようがない。真っ当に育てたつもりが、締め付けすぎてグレてしまうこともあるし、自由奔放に育てたのにしっかり者になってしまうこともある。運のようなものだ」
「運、か…確かにな」
反芻するロディに、ジーグは「だが、人の根本ともいえることだけは教えたつもりだ」、といった。
「根本?」
「人に迷惑をかけるな。自分が信じたいと思ったものを信じろ。その二点だけだ」
グラスを傾けたジーグから、小さく息が漏れる。「我々ヴァンプ族は厄介な能力を持っている。幸か不幸か認知度が低かったがためにこの地に住まわせてもらっているが、差別意識の強かった時代に我々の能力が知られてしまっていたならば、きっとここよりももっと辺鄙な場所まで追い立てられていただろう」
そこで彼の表情が物憂げなものに変わった。「かつての“タランチュリーの悲劇”のように…な」
ロディの顔からも笑みが消え、視線がゆっくりと下を向く。
「だから、人に迷惑をかけるな、自分の力を過信するなと口酸っぱくして教えた。その教えをどのように解釈し、活かすかは、それこそ本人の意思に委ねるしかない。息子があのように育ったのは結果でしかなく、子供の将来がどんなものになるかなど、誰にも分からないものさ」
ジーグの台詞を聞きつつ、ロディは徐々に内弁慶で傍若無人に振舞っていた以前の娘のことを思い出す。
「私と妻の育て方は良くなかったのだろうか…」
ジーグを前にしたからか、禁忌とも取れる台詞を呟くロディ。
「とんでもない」
ジーグはまた豪快に笑った。「ご息女は我が息子と友達になった。それはつまり、息子の…ダインの良いところを知っているということ。良いところだと気付ける“目”を持っているということ。ご息女には色々あったのだろうが、その目を持つ彼女ならば今後も心配はいらないだろう」
「そう、だろうか…」
「ご息女は恵まれている」
ジーグは続ける。「それは何も裕福な家庭に生まれたという意味ではなく、これほど娘を心配する父と母がいる。これ以上の恵まれた環境はないだろう」
ロウソクの明かりに浮かぶ彼の横顔は、ロディにはどのように映ったことだろうか。
「ありがとう…」
思わず呟いたロディに、「礼を言われる話ではない。私は思ったことを言ったまでだ」、オレンジのぼんやりとした光を受けつつ、ジーグは優しい笑みをたたえている。
「それにな」
テーブルに肘を突き、前のめりになって続けた。「エンジェ族の中でも財団を抱えるほどの重鎮であるのに、魔族の私と酒を交わしてくれた。ロディ殿が希望したとはいえ、このような埃っぽい場所でも少しも嫌な顔をせず、プライベートな親子関係を話してくれた。その時点で、あなたは信用に足る人物なのだと、私は確信しているよ」
「…そ…そう、か…そう思っていただける、か…」
どこか照れたようにロディがいったとき、納屋の扉からノックする音が聞こえた。
(親父〜、どうしても挨拶しときたいって奴がいるんだけどー)
扉の向こうからダインの声がする。
「うげっ!? ま、まさか娘が…ラフィンが来てるのか!?」
全身を緊張させるロディに、「そのまま隠れていてくれ」、ジーグはそういって、扉まで歩いていった。
狭い納屋なので、扉を開けるとすぐにジーグの“秘密基地”が見えてしまう。
そこそこ背が高いロディには隠れられる場所はないとすぐに悟り、咄嗟に不可視の魔法を使って姿を消した。
同時にジーグの手によって扉が開かれ、家の明かりと共にダインとシンシアたちの姿も飛び込んでくる。
「おお、みんな来てくれたのだな」
「おじ様、お世話になります!」
シンシアが笑顔で良い、「お世話になります!」、ニーニアとティエリアも続く。
「あ、あの…は、初めまして。私はデビ族のディエル・スウェンディという者で…」
珍しく緊張した様子でディエルがジーグに自己紹介しており、一通り聞いたジーグは朗らかに笑う。
「君のことは話に窺っているよ。君にとっては少々手狭な場所かもしれないが、ゆっくりしていってくれ」
「は、はい」
ディエルが一礼したところで、おずおずとやってきたのはラフィンだ。
「あの…! わ、私…私は、ラフィン・ウェルトといいまして…!」
自己紹介を始める彼女はかなり緊張した様子だ。
「うんうん、君のこともちゃんとダインから聞いているよ」
「そう、ですか…そ、それであの…!」
ラフィンが何か続けようとしたところで、彼らの背後からピィピィとドラゴンたちの鳴き声が聞こえてきた。
振り返ったディエルは、「うわっ!? なにアレ可愛い!?」、黄色い声を上げる。
(みんなはやくー!)
玄関前にいたルシラが、両手一杯にドラゴンたちを抱えながらシンシアたちを呼んでいる。
「ディエルちゃん、あの子たちにも挨拶してこよう!」
シンシアはディエルの手を引っ張って走っていく。ニーニアとティエリアも笑顔のまま駆け出していった。
しかしラフィンは動かない。
「ラフィン?」
ダインが声をかけるも、彼女は硬い表情のままだ。
「あの…そ、それで…あの…」
ジーグに何か言いたいことがあるようで、顔が真っ赤だ。
その表情から、ジーグには何か察するものがあったらしい。
「…息子が世話になったね」
優しい笑顔のまま、ジーグからそう切り出した。「何かと迷惑をかけてしまったのではないか?」
「い、いえ、そんな…!」
ラフィンは慌てて首を横に振る。「むしろ私の方が、彼から教えてもらうことが多くて…彼にはずっとお世話になりっぱなしで…」
そう話しながら、「なのに…」、徐々に、表情が曇っていく。
隣にいたダインをチラリと見てから、
「あの…申し訳…ありません、でした…」
ジーグに向かって、彼女はゆっくりと頭を下げた。
「私が発言したことによって、彼が退学処分を受けることになってしまって…」
体が震えている。強い自責の念に駆られだしたのか、謝る彼女はまた泣き出しそうな表情になっていた。
「俺は良いっていってんのにさ」
ダインは軽い調子でいい、ジーグも、「そうだ。気にすることはない」、同じく笑い声を上げた。
「息子は見ての通り授業態度が良いとはいえなかったからな。いずれこうなると予感はしていたのだよ」
「それ親がいっていいもんなのか?」
「言葉遣いもなってないし」
「いやそれは…そうだけど…」
「女友達ばっかり作っておったから、男連中に妬まれていただろうし」
「そんなわけ…え、そうなのか?」
「私がそうなのだから間違いない。こんなに可愛い子達に囲まれおってからに!」
「親父関係ねーじゃん!」
ジーグとダインの会話を聞きぽかんとしていたラフィンは、次第にクスクスと笑い出す。
「妬まれていたっていうのは、そうかもしれない」
他の男子学生の不満の声が聞こえてきたこともあると打ち明けたラフィンに、「えぇ…」、ダインはショックを受けたような顔になった。
「男友達の一人や二人、作っておくべきだったかな…」
真剣に呟くダインに、ラフィンはまた笑い声を上げてしまう。
彼女のはっきりとした笑顔を確認し、「ま、このように私たちはなんとも思っておらん」、ジーグは満足そうにラフィンにいった。
「学校が全てではないし、学歴がないからといって路頭に迷うわけでもない。最善の道というものは状況によって変化するものであり、後ろばかりを見ていてはその道を模索することも出来なくなる。ダインはもう前を向いている。君も、此度の経験を糧にするぐらいの気概で己のすべきことを見出して欲しい」
「前を…」
大きなジーグを見上げるラフィンは、笑顔から徐々に顔を引き締めていった。「はい」
「で、親父は…接客中だっけか? こんなところで?」
「ああ。まぁ色々あってな」
「色々…」
ダインは納屋の中を見回す。
不可視の魔法を使って聞き耳を立てていたロディだが、一瞬彼と目が合ったような気がした。
「客人はちょっといま席を外していてな」
「ああ、そうなのか」
とそのとき、家の方からシンシアが戻ってきた。
「ラフィンちゃんも早く! ピーちゃんたちすんごく可愛いよ!」
そのままラフィンの手を取って引っ張っていく。
「わ、分かった、分かったから…!」
彼女はジーグにぺこりと頭を下げ、中庭へと連れて行かれたようだ。
「じゃあ俺も戻るわ」、とダイン。
「ああ」
ジーグに背中を向けたダインだが、「あ、そうそう」、足を止めた。
「一つさ、その“客人”に伝えといてほしい」
「うん?」
「ラフィンはもう大丈夫だからってさ」
小さく笑顔を向けたダインは、「んじゃ」、といって歩いていった。
「ふむ…」
ジーグは静かに納屋の扉を閉める。
「…とのことだ」
テーブルに戻り、椅子にかけつつジーグは笑う。
「み、見えて…いたのか…?」
魔法を解き姿を現しながら、ロディは驚いた目をジーグに向ける。「娘でも気付かないほど強力な魔法を使ったはずなのだが…」
「我々は魔力が少なく、それ故魔法が効かないヴァンプ族だからな」
再び酒を飲み始めるジーグは、くくっと含み笑いを漏らす。「この状況から瞬時にロディ殿が誰であるか、そして君の思惑を見破ったのだろうな。だからご息女は大丈夫だといったのだ」
「す…すごい子だね…」
「あ奴は私から見てもなかなか鋭い奴だと思う。しかしそれは、数々の辛酸を舐めた故のことだと私は考えている」
語り続けるジーグは、ふと視線を伏せた。「平和になったとはいっても、深く根付いた差別意識はそう易々と取り払われるものではないからな」
その台詞には、魔力を持たないヴァンプ族であるが故の苦悩が、ありありと込められているかのようだった。
「…娘のこともそうだが、今日はそのことについて話をしたいと思っていた」
真剣な表情になったロディは、急に改まったようにジーグに体を向けた。
「ん? そのこととは、どのことだ?」
「ダイン君だよ」
ロディはいった。「娘の…ラフィンの一言によって彼が退学となったことは私も知っている。それで娘がどれほど悲しみ、悔しい思いでいたことか。シンシア君たちにも申し訳ないことをした」
「だから…」ロディは真っ直ぐにジーグを見る。「私に、娘とダイン君を救わせてはくれないだろうか」
「というと?」
「我々ウェルト家はセブンリンクスに多額の資金援助をしている。いまやガーゴを凌ぐほどに貢献できていると思う」
彼のその台詞を聞いて、グラスに酒を注ごうとしていたジーグの手が止まる。
「…発言権を行使するつもりか」
ロディが何を考えているかに思い至り口にすると、ロディはコクリと頷いた。
「我々ウェルト家は、いってしまえばセブンリンクスの筆頭株主のようなもの。私の発言は、学校長はおろか、ガーゴといえども拒絶できないはず。だから私がダイン君への退学を撤回するよう申し入れれば…」
「有り難い話だが」
微笑みつつも、ジーグは遮るようにいった。「止めておこう」
「何故…」
「発言権の行使はそれなりのリスクを伴うからだ」
視線を伏せたままジーグはいった。「ノマクラスの一生徒でしかないダインのために、そこまでしてもらうのは流石に気が引ける。あなた方ウェルト家の信用にもヒビが入ってしまうかもしれない」
「しかしそれでも…」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
それに…、新しくグラスに注いだワインを飲み、息を吐くジーグは少し憂鬱そうな表情を浮かべた。
「それに、学校に復帰できたからといって、ダインが以前と同じ学校生活を送れるとは限らん。“外野”がダインに抱いている疑念も悪評も、いくら金を積み上げたところで簡単に払拭できるものではないからな」
ロディは黙り込むしかなかった。浅はかな考えだったと悟り、恥じた。
ダインが復帰したことによって生じる新たな“火種”のことまで、彼は考えが及ばなかったのだ。
「…しかし…このままでは、あまりにも…」
搾り出すように口を開いたロディに、ジーグはまた優しい笑みを向ける。
「待っていよう」、そういって笑いかけた。
「曲がりなりにも、由緒正しいセブンリンクスを見守ってきた学校長なのだ。ダインがこれまでしてきたこと、やってきたことは見てくれていたはず。だから、彼が“答え”を出すまでは待っていようではないか」
「答え…?」
「そうだ。ダインは本当に退学処分を受けるべきだったのか。ダインを復帰させて欲しいというご息女含むシンシア殿たちの思いをどう捉えているのか。千里眼を持っていると噂されている学校長の、忌憚のない判断が下されるまでは、彼らの親である私たちは待っていていいのではないか」
「待つ…」
「ダインはガーゴの手から学校を救った。生徒会長を務めるラフィン殿は、苦悩にまみれながらも立派にその勤めをこなしている。そこに我々が疑念を挟みこむ余裕はない。学校長の最終的な判断が間違ったものだと我々が感じたのなら、そのときに動けば良い。ウェルト家としての発言権の行使は最後の手段にしよう」
考え込んでしまったロディに、ジーグはまた優しい笑みを向ける。
「子供を心配する気持ちは私とて同じだ。彼らだけではどうにもならないことを何とかするのが我々親の務め。しかし彼ら、彼女らを信じて待つことも、また親の務めではなかろうか」
無言になってしまったロディは、考えるあまりか初期の演劇じみた仕草が完全に消え失せてしまっていた。
「繰り返すが気持ちだけ受け取っておく。我々の…いや、ダインのために、身を削るようなことはしないで欲しい。そこまで申し訳なく思わないで欲しい」
「そのようなことをしてくれるぐらいなら」、と、ジーグは空になったロディのグラスに新たに酒を注ぎ足した。
「もっとご息女とののろけ話を聞かせて欲しい」
「…ラフィンとの…か?」
「幸せな話というのは、私にとっては酒の肴になるのでな」
グラスを掲げ、ジーグはまた笑う。「ダインの復帰に大財閥のウェルト家を動かしていただくよりも、このまま宴席に付き合っていただける方が私は嬉しいよ」
そんな彼の笑顔を見ていたロディは、やがて、「そ、そうか?」、と、笑顔と調子を取り戻していった。