百二十二節、奇襲戦を終えて~
終わるまで一週間以上も要するのが通例になっていた奇襲戦は、紆余曲折あって結局一日半という異例の早さで終息することが出来た。
しかしその内容は前例のないほど過酷なものであり、ギガクラスでさえも魔法力を残して終わりを迎えられた者はいない。
一週間どころか一ヶ月間休みなく働いたような疲労感が彼ら、彼女らを襲い、数日間の休息が設けられたのは当然の流れだったのだろう。
週の中盤が休校で埋まり、一日だけ登校日があって週末にはまた休み。
学生たちは各々羽を伸ばしているようだが、教職員はそうもいかない。
破損した校舎の修復に、“セブンリンクスの奇跡”についてマスコミが押しかけてきてその対応に追われたりと、連日連夜休みなく働いているようだ。
そうして奇襲戦での出来事を胸に、生徒たちは思い思いに休日を過ごしている。
シンシアは━━
「…何か、あったの?」
シンシアの姉、リィンは、こちらに木刀を構えていたシンシアを驚愕した表情で見ていた。
胴着姿でいたシンシアは背筋をピンと張り、揺るぎのない真っ直ぐな視線をリィンに向けている。
威風堂々とすら見えるシンシアとは対照的に、リィンは道場の床に膝をついている。
初めてだった。
シンシアとはこれまでに何度も練習試合を重ねてきたが、こうして打ち負かされることなど一度もなかった。
逃げ腰ですぐに決着がついてしまい、お姉ちゃんは強いな、とシンシアは諦めたような笑顔で負けを認めていたはずなのに…。
「力も動きも前とは全然違ってる気がするんだけど…奇襲戦で何があったの?」
たまらずリィンはきいた。
奇襲戦が異例のスピードで終わったことは聞いている。大まかな流れやその“真相”もシンシアから聞いてはいたのだが、肝心な“ジグルとの戦い”については聞かされていなかったリィンには、シンシアの急激な“変化”が不思議でならなかったようだ。
彼女にしてみれば、一夜にしてシンシアが別人のように強くなったように感じたので、驚くのも無理はなかったのかもしれない。
何よりシンシアの剣技には以前のような迷いが一切感じられない。
後半はリィンもそれなりに本気を出していたはずなのに、まさかそれでも打ち負かされてしまうとは思いもよらなかったようだ。
「本当に何があったの?」
気になって仕方が無いというリィンに、「実は…」、構えを解き、楽な姿勢になったシンシアは少し照れたような笑顔を浮かべる。
「憧れの人ができちゃって…」
「憧れの人?」
「うん」
「えー、誰誰?」
シンシアをこれほど変えた人物が誰なのか、気になったリィンはシンシアの隣へ移動し、一緒に腰を降ろした。
「どんな人?」
どんな偉大な人物かと期待を寄せていたリィンだが、妹の口から挙げられたのは、
「私、かなぁ?」
割と身近にいた。
「自分、っていうこと?」
「あ、ううん、正確にいえば、私の中にいたダイン君っていうことかな」
訂正するシンシアだが、余計に分からなくなったリィンは「んん?」、と首を傾げる。
「すごくかっこよくて、強かったなぁ…」
シンシアはどこかボーっとしている。
その表情に独自の解釈をしてしまった姉は、「あ、あ〜シンシア?」、徐々に顔を赤くさせていった。
「シンシアの中にダイン君っていうのは、その…隠語か何か…とか?」
リィンが何を想像したのか、シンシアは察したようで、「ち、ちち違うよ!」、同じく真っ赤になりながら慌てて首を横に振った。
「奇襲戦の最中に色々あってね、その…うまくいえないんだけど、ダイン君の心が私の中に入ってきて…」
「あ、あー、そういう…あの子色々と不思議な子だからねぇ」
「う、うん。不思議…不思議で、かっこよくて、私にとっては誰よりもヒーローで…」
つらつらとダインのことを話すシンシアは本当に嬉しそうで、そんな彼女を見ているうちに、リィンはたまらなくなった。
「お姉ちゃん寂しい!」
突然シンシアに抱きついた。
「わっ!? ど、どうしたの?」
「だって昔から私のこと目標にしてる、追っかけてるっていってくれてたのに、その役目がいつの間にかダイン君に切り替わっちゃってるから」
それは姉としての本心だった。モンスターを怖がった妹のために退魔師という職業を選んだほど、リィンは妹のことが大好きなのだから。
「あ、ご、ごめんね。でもお姉ちゃんを目指してるのも本当だよ? お姉ちゃんも強いしかっこいいし、ヒーローだよ?」
それもシンシアの本心だった。
「ふふ、ありがとー!」
ある意味現金だったリィンは、またシンシアをぎゅーっと抱きしめる。
「あはは、くすぐったいよ」
シンシアの笑い声を聞きながら、リィンは静かに目を閉じる。
「…シンシアは本当に、ダイン君のことが大好きなんだね」
そのささやきを聞いたシンシアは笑顔のまま、「…ん」、コクリと頷いた。
「でもダイン君、あんなことになっちゃって…大丈夫なのかな」
リィンが言及したのは、ダインが退学処分を受けたことだ。
奇襲戦の最中に起きた出来事をシンシアから色々聞いたリィンだが、ダインが退学となったことに一番驚きを隠せなかったようだ。
シンシアももちろんショックを受けてはいたのだが、その表情にはまだ余裕がある。
「実は週末のお休みのときにみんな集まって話し合うの。今後のこととか」
ダインとまた会えるから、今後とも会う予定があるから、さほど落ち込んでないのだろう。
「そうなんだ。話し合いするんだ」
「うん。退学処分は撤回できないみたいだけど、でもダイン君は学校外で色々とやることあるから。私は出来る限りそのお手伝いをするつもりでいるよ」
退学のことをいつまでも引っ張っていられない。
真面目な顔の妹を見てから、リィンはシンシアから離れて自分の胸を叩いた。
「じゃあ何かあれば私も頼って」
「え?」
「私だってダイン君の力になりたいからね」
そんなことをいわれると思ってなかったのか、「ほんとに?」、シンシアは意外そうな顔をした。
「もちろんだよ」、リィンは意味深な笑みを浮かべる。「将来的には私の弟になるかも知れないし?」
「そ、それは飛躍しすぎだよ!」
咄嗟に反応するシンシアに「違うの?」、とリィンがふと真面目に問いかけると、彼女は途端に黙り込んでしまった。
「ち、違うことは…その…な、ないかもしれないけど…」ぼそぼそ言い始める。
「あーあ、うかうかしてたら妹に先を越されちゃうな〜。私も早くいい人見つけないとな〜」
からかうようにリィンがいうと、シンシアはますます顔を赤くさせ俯いてしまった。
そんな彼女に笑いかけ、リィンは木刀を拾ってシンシアを立たせる。
「さ、目標が定まったんだから、シンシアにだって色々とやることある。後は努力を積み重ねていくだけだよ」
シンシアから距離をとり、木刀を構えた。「ついてこれる?」
「もちろん!」
シンシアも笑顔のまま木刀を握り締め、姉と向き合う。
そして仲のいい姉妹は再び稽古を始めた。
※
ニーニアは━━
自分の作業場にいたニーニアは、自分で設計し組み立てた機械を並べて消耗品を製造していた。
ゴウンゴウンと音を立てて全ての自動生成機が稼動しており、まるで工場のように回復ドリンクや補助アイテムが増産されている。
ニーニアは素材が尽きてないか見張りをしつつ、片手間にはアクセサリーを作っていた。
彼女がいま手がけているのは指輪で、前回ダインたちに配ったものからさらに改良を加えた一品だ。
友達の名前をリングに掘り込んでいき、シンシアたちの笑顔を思い浮かべているのか彼女は一人嬉しそうだ。
「後はダイン君…」
と、最後にダインの声や顔を思い出しながら指輪を作っていると、
「あらあらぁ、またすごいわねぇ」
作業場の入り口の方から声がした。
「ちょっと出すぎじゃない? 前が見えづらいわぁ」
くすくす笑いながらニーニアのところまでやってきたのは、彼女の母シディアンだ。
「あ、お母さ…」
いいかけて、周囲に沢山の結晶が浮かんでいたことに気付き、「あっ!?」、と声を出す。
「ご、ごめんね、作業に集中していたからこんなに出てたなんて…」
作業室を満たしている雪のような結晶は例の“ホワイトピュア”で、それはニーニアの上半身から出ていた。
「ホワイトピュアが出ても気にならないほど作業できてるのね」
シディアンは笑顔だ。「感覚も緩いようだし、“腺”は切らなくても良さそうね?」
「あ、う、うん、それはまぁ…」
喜ばしいことだとシディアンは続けるものの、すぐに怪しい笑みへと変わる。
「でもこのホワイトピュアの量から考えて、あなたが誰のことを思い浮かべていたのかは一目瞭然だけれど」
「うぐ…」
ニーニアは顔を真っ赤にさせていく。そのまま、「そ、それで何か用かな?」、手短に用件を聞いて追い返そうとした。
「ああそうそう、いまからシエスタさんのところにいってくるから、お夕飯少し遅れちゃうけど待っててねっていおうと思って」
「え、また?」
ニーニアは途端に不満そうな表情を浮かべる。
「もう、ずるいよ! そんなに頻繁にダイン君のお家に…私なんて数えるほどしか行ってないのに」
「ふふ、ごめんね、これもお仕事のうちだから」
笑っていうシディアンに、ニーニアは身体を向きなおした。
「そろそろ教えて欲しいよ」
そのまま母に詰め寄っていく。「みんなで何をしてるの?」
最近ではほとんど毎日、ニーニアの親たちはカールセン邸にお邪魔している。向こうで何かしら夕飯を作って持って帰ってきてくれるが、お料理教室だけではない別の目的があるというのはニーニアも分かっていた。
娘としていい加減気になっていたと、ニーニアは詳細をシディアンに尋ねるが、
「何っていわれても、楽しいこととしか…」
シディアンは答えをはぐらかす。
「私も参加したいよ!」
カールセン邸にいく口実が出来る。ダインと会うことが出来る。彼女の申し出はその一点に尽きる。
しかしシディアンの答えはまた微妙なものだった。
「さすがにあなたにはまだ早い気がするわ。人の目もあるし…」
難しそうな表情のまま、「考えておくわね」、とニーニアに背中を向ける。
「お母さん!」
追及しようとするニーニアを笑ってかわしつつ、作業室を出て行こうとした。
「あら?」
そのとき、アクセサリー用の作業台に見慣れないカバンが置かれてあったことに気がついた。
それはよく見れば学生カバンで、アクセサリーが何一つないところからニーニアのものではないということが分かる。
「あ、これもしかしてダイン君の?」
「え? あ、うん」
ニーニアは頷く。「教室に置いてあったダイン君の教科書とか入ってて…」
ダインが退学になったことはシディアンも知っている。ニーニアは、教室に置いたままだったダインの持ち物を一時的に預かっていたのだろう。
「じゃあついでだから、これ届けておくわね」
カバンを取ろうとしたシディアンだが、「あ、だ、駄目だよ!」、ニーニアが走ってきてそのカバンを抱き寄せた。
「これは私がダイン君に届けるから…」
「そう? でも早い方がいいんじゃ…」
いいかけたシディアンは、再び作業台を見て台詞を止めた。
「なるほど。あなたなりの考えがあるっていうことね?」
ニヤッと笑う。「あなたは私たちが何をしているか気にしているようだけど、娘たちも娘たちで何かしてるものねー」
「え?」
「あなたたちの可愛らしい企み、うまく成就することを願っているわ」
ニーニアの頭を撫でてから、シディアンは立ち去っていった。
しばしぽかんとしていたニーニアは、やがて母の台詞を思い出し顔を赤くさせていく。
「し、知ってたんだ…同盟のこと…」
内心驚いたニーニアだが、すぐに気を取り直して作業台につく。
抱くようにして持っていたダインのカバンを台に置いて、しばしそのカバンと向き合った。
「…何がいいかな…」
教科書の返却の他に、彼に何をプレゼントしようか。
考え込むニーニアはいつの間にか妄想するようになってしまい、作業室の中は再び彼女から発生したホワイトピュアで満たされていった。
※
ティエリアは━━
「う〜ん…」
ティエリアは自身の勉強机の前で唸り声を上げていた。
彼女の手元には小さな用紙があり、そこに何か書き込もうとしている。
明るい窓の外をしばし眺めつつ、心地いい風を感じているところで「あ」、と声を出した。
何か思いついたらしく、机に顔を戻してぼそぼそ呟きながらペンを走らせていく。
「拝啓、グラハム・シーカー校長先生様へ…」
その手紙はグラハムへ宛てたもので、内容はダインに下された退学処分を再考して欲しいという、ある種嘆願書に近いものだった。
奇襲戦が開始され、そのイベントが終了するまでの“真相”をシンシアたちから聞かされたティエリアは、その内容の濃さに始終驚きっぱなしだった。
だがその中でもダインが退学となったことに一番ショックを受けていたのだ。
彼は何もしてないのに。ただ学校を救おうと必死になっていただけなのに。人知れず多大なる功績を挙げたというのに、その見返りが退学ではあまりに酷すぎる。
特例制度が絡んでの退学処分は絶対的な権限を持っており、例え校長といえども簡単に捻じ曲げられるものではない。
ハードルが沢山あるのは分かっている。けれど何としてでもダインを復帰させたかったティエリアにとっては、セブンリンクスで最高権力者であるグラハム以上に頼れる人はいないだろう。
このままダインの学生生活を終わらせるわけにはいかない。
先輩として友として、そして大切な人として、ダインの退学処分をどうにか取り消してもらわなければ。
「なかなか深刻な問題ですね」
必死に文章を書いているところで、突然後ろから声がした。
「ひゃわっ!?」
驚いて振り向くティエリアだが、そこにいた人物を見てさらに目を丸くさせる。
「そ、ソフィル様!?」
ソフィル・ハイリス。ここバベル島を取り仕きる女王神が、ティエリアの自室にいたのだ。
「え!? な、何故ここに…」
困惑するティエリアに、「ふふ、すみません。一応ノックはしたのですが」、ソフィルは穏やかな表情で謝った。
「ティアちゃんのご両親に所用がありまして、お邪魔させていただきました」
「所用…ですか?」
「はい。それと、ティアちゃんにも用がありまして」
「私に…?」
「さ、どうぞこちらへ」
ソフィルはティエリアの手を取って立ち上がらせた。
そしてベッドに座らせ、ソフィルもその隣に腰掛ける。
「その後どうですか?」
「その後?」
「はい。確か、奇襲戦…でしたでしょうか。その最中に“どなたか”より手荒なことをされたとお聞きしたのですが…」
どうやら彼女はティエリアがシグに襲われたことを気にしていたようだ。
ゴッド族が他の種族に襲われるということは、悲しい事実だがこの長い歴史の中ではあるにはある。
「痛みや痒みといったものはございませんか?」
だからソフィルは、他者の干渉を受けてティエリアの内部に何か良くないことが起きているのではと危惧していたのだろう。
「あ、い、いえ、これといったことは…直接何かされたというわけではありませんので…」
確かにティエリアに外見上の変化はない。
でもやはり心配だったソフィルは、「念のため診させていただきますね」、といって、彼女をベッドの上で横にさせた。
失礼します、と可愛らしいデザインの上着を捲くり、腹部を露出させる。
「貫かれたのはこの辺りですか?」
「そ、そう、ですね」
「…なるほど。確かにこの辺りの聖力の流れが微妙に乱れていますね…」
感覚で察知したソフィルは、傷一つない腹部に手をかざした。
「いま修正しますね」
と、目を閉じて回復魔法を使う。
「…大変でしたね」
そのまま、彼女はティエリアに話しかけた。「よもやこのようなことになるとは、私も予想がつきませんでした」
「い、いえ、奇襲戦の最中は私はずっと控え室にいましたから、大変なのは戦場にいた学生の方々で…」
「実は私も少し見ておりました」
ソフィルは意外なことをいった。「ティアちゃんの…いえ、ダイちゃん方のことが気になってまして、どのような様子なのかと」
「そう、なの…ですね」
驚くティエリアに、「ダイちゃん、相当怒ってましたよ」、ソフィルは笑いながらいった。
「怒ってた?」
「ええ。ティアちゃんが手荒にされたことを知って、かなりの怒りを感じました」
そこでティエリアが思い出したのは、ダインがシグを殴り飛ばしたという現場だ。
森の景観がごっそりと変わるほど滅茶苦茶になっており、ジグルとの戦いもあってほぼ更地に近いものになっていた。
シグのその後のことは何も聞かされてないので知る由もないが、その半壊した景観だけでどれほどダインが怒っていたのか、ティエリアにも分かっていた。
「怒りという感情は、時に己の理性を失い自身を破滅に導くこともあるのですが、しかしそれは想いの裏返しでもある」
ティエリアに笑いかけ、ソフィルは続ける。「大切に思われているのですよ。ティアちゃんは、ダイちゃんに」
「…………」
黙りこくってしまうティエリアは、そのまま顔を赤くさせていく。
その可愛らしいリアクションにまた笑いながら、「そういえば、近日中にダイちゃんたちに会うのでしたよね?」、ティエリアの両親から聞いたのか、ソフィルがいった。
「あ、は、はい。色々とお話しすることがありまして…」
「なるほど。では“あのこと”もお話しすることになるかもしれませんね…」
何をいっているんだろうとティエリアが見上げていると、「さ、終わりました」、ソフィルはティエリアの背中に手を添え、抱き起こした。
「どうですか?」
「あ、楽になりました」
いわれて気付く程度の違和感が、ソフィルの手によって綺麗さっぱりなくなっている。
「ありがとうございます」
お礼をいうと、「いえいえ、ティアちゃんは私の娘ですからね」、ソフィルは優しく笑って立ち上がった。
「さて、ではティアちゃんも一階に行きましょうか。ご両親とお話しましょう」
「え?」
不思議そうな彼女に、「我々の今後のことです」、ソフィルは不意に真剣な表情になる。
「今後起こりうることが“視えて”きたので、そのお話をするために今回このお家にお邪魔させていただきました」
「起こりうる、こと…?」
「そうです。ダイレゾのこと…そして、守人となっていただいたゴディアさんのこと。それらのお話をさせていただきます」
※
ディエルは━━
「…ええ、お願いね」
淡い光の灯る薄暗い自室で、通信機を手にしていたディエルはどこかと通話中だった。
「でもほんと、私が言ってたってことだけは本人に絶対伝えちゃ駄目よ。悟られても駄目だから」
念を押しつつ、相手の返事を待ってから、「じゃあお願いね」、通話を切って携帯を机に置いた。
そしてすぐに彼女の口からため息が漏れる。
「全く、何で私がこんなこと…」
表情には明らかな不満が浮かんでいる。
そんな彼女の背後から、くすくすと笑い声が聞こえていた。
「こんなこともあるのですね」
ディエルは振り向き、メイド隊の隊長である彼女を見てまたため息を吐く。
「何年振りでしょうか。ディエルお嬢もさすがに緊張されたのでは?」
からかうような彼女に、「あのね、ラステ」、ディエルは身を乗り出していった。
「私はスウェンディ家の長女なのよ。たかがエンジェ族ごときに連絡するぐらいで緊張するはずないじゃない」
プライドを滲ませるディエルだが、ラステと呼ばれた女は笑顔を崩さない。
「ですがウェルト邸のメイド長にご連絡するのはかなり久方ぶりでしょう?」
ラステは続ける。「どういう風の吹き回しで?」
「しょ、しょうがないじゃない」
そこでディエルは少し頬を膨らませる。「あいつが…ダインが頼み込んできたから、仕方なく…」
言い訳するディエルに、ラステの笑顔は少しだけ引っ込んだ。
「それで、どのようなご様子なのですか、ラフィンお嬢様は」
尋ねるラステに、
「案の定よ」
ディエルはまた息を吐いた。「案の定、自室に閉じこもってるらしいわ」
奇襲戦の終盤━━ラフィンがダインに退学を言い渡し、即座にダインが追放されてから、ラフィンとは未だに面と向かって話せていない。
あの後は、生徒会長という役職の勤めを立派に果たしたラフィンであるが、閉会の進行をしているときも、スピーチをしているときもずっと青い顔をして、心ここにあらずといった様子だった。
ラフィンのことはシンシアたちも気にかけてはいたようだが、奇襲戦が終了したと同時に家に帰らされたため、結局会うこともできなかったのだ。
シンシアたちとはいまも気軽にメールでやりとりしている。しかしラフィンからは一向に返事が来ない。通信にも出てくれず、シンシアたちにも無反応のまま。
ラフィンがいまどんな状態であるのか。ダインも気にかけており、だから実家の番号を知っているディエルに頼み込んできたのだった。
「本当は文句の一つでも言ってやりたいところなんだけどね」
ラステに向けてディエルはいった。「もっとよく考えて発言してって。生徒会長なんだからその発言に責任を持てってね」
「なるほど」
納得したように頷いてから、ラステは意味深な笑顔を向ける。「その心は?」
「学校がつまんなくなる」
ディエルはきっぱりといった。「ぶっちゃけた話、ダインがいないと学校に行く意味がない。そこまできてるわ、私はもう」
彼女は明らかに不満げだ。「もし単なる私怨でダインを退学に追い込んだのだとしたら、私はどんな手を使ってでもあいつを生徒会長の座から引きずり落としてたわね」
「ふふ、そうですか」
ラステはまた嬉しそうに笑う。ミーナ以外で、誰かのためにそこまで怒るディエルを見たことがなかった。
「恋は女を変えるといいますが、ディエルお嬢も例に漏れず、ですね」
「そ、そういうんじゃないわよ」
ディエルは即座に否定してみせるものの、幼少期から世話になってるラステには筒抜けも同然だ。
「い、色々と面白い奴なの、ダインは」
だがディエルは簡単には認めない。「人の魔法力を吸い取れたり、乗り移ったり…見てて飽きなくて、だから研究対象みたいな感じというか…」
奇襲戦の最中、ディエルはラフィンを相手に大見得切ったはずなのに。
何事もあけすけにいう彼女であるが、シラフの場においては身内でも内面を隠したがるのはディエルらしいところなのかもしれない。
「研究…そう、興味本位よ。ダインの生態を暴くみたいな感じで、だから恋とかなんとか私は…」
「携帯が鳴ってますよ」
「え?」
「その研究対象の方からのようですね」
「えっ!?」
ディエルはすぐさま携帯を拾い上げ、耳に当てる。
「は、はい、だ、ダイン? どうしたの?」
受け答えするディエルは顔が真っ赤だ。
ラステはこらえきれない笑いを漏らしつつ、「失礼します」、といって部屋を出て行った。