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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
121/240

百二十一節、夜明けの光「ヴァンプ族の一撃」

「…あら?」

濡れたおしぼりを手にダインの寝室に入ったところで、シエスタは声を上げた。

彼女の視線の先にはベッドがあり、そこにルシラを寝かせていたはずなのだが…

「あ、え〜と、おはよう…でいいのかな?」

ルシラは目覚めていた。

上半身を起こしており、固まっていたシエスタに顔を向けている。

「大丈夫なの?」

倒れたルシラをジーグが見つけ、慌ててベッドまで運んでも彼女は起きる気配がなかった。

何度呼びかけてもどれだけ身体を揺らしても反応がなくて、何か重い病気にかかってしまったのではとシエスタたちは肝を冷やしていたのに。

「うん、大丈夫だよ?」

しかしそう答えるルシラの顔色は確かにいつも通りだ。

「ルシラが起きたわよー!」

廊下に声を響かせてから、シエスタはルシラの隣へ移動した。

「どこか痛いところや辛いところはない?」

「何もないよ?」

「じゃあしんどいとか、頭が回ったような感じがするとかは?」

「あはは。ないよ。心配してくれてるの?」

「私の子供なんだから当然じゃない」

そう会話しているところで、シエスタの声を聞きつけた大人たちと、ピーちゃんたちまでぞろぞろとやってきた。

「あ、本当に目を覚ましたようですね」

ピーちゃんたちはベッドに飛び乗り、間近からルシラの容態を窺う。

サラはルシラの額に手を当てて体温を測ったり、脈拍を確認したりしていた。

「あはは。くすぐったいよ」

嬉しそうに笑うルシラを見て、「ああ、良かった…一時はどうなることかと」、そういったのはジーグだ。

「ギベイル殿、医者は呼ばなくて大丈夫そうだ」

「ふむ、そのようだな」

ギベイルは手にしていた携帯をポケットにしまいなおす。

そしてルシラを中心に大人たちが取り囲んでいった。

「さっきまで意識がなかったのですが、本当に大丈夫なんですか?」

サラは再びルシラにきいた。

「うん、本当に大丈夫だよ! 私そんなに長い時間倒れてたのかな?」

「え? ええ、まぁ…」

返事をしつつも、ルシラにどことなく違和感が生じたサラは、そのままシエスタたちに目を向けた。

サラと同様の違和感を抱いていたジーグとシエスタ二人も妙な顔をしている。

「ねぇルシラ、ここはどこだか分かる?」

今度はシエスタがきいた。

「どこって、ダインのお部屋でしょ? いいところだよね」

…やはりどこかおかしい。

おかしいというか、受け答えするルシラの口調から、子供っぽさのようなものが感じられなかったのだ。

「ねぇギベイルさん、やっぱり一度お医者さんに診てもらったほうがいいかも…」

シエスタがギベイルに促している。

彼女は、ルシラが倒れた拍子に頭をどこかにぶつけてしまったのかも知れないと思ったのだろう。

だが彼らの心配を余所に、「あはは!!」、ルシラはまた笑い出した。

「みんな本当にいい人たち。優しい人たち。“ルシラ”が大好きになるわけだよね」

と呟くようにいった。

そこでギベイル以外の大人たちにピンと来るものがあった。

再び携帯を取り出そうとしたギベイルを手で制して、「もしかして、あなたは…」、さすがに驚きを隠せない様子で、サラがきいた。

「ルシラ…さん?」

「うん」

“ルシラ”は満面の笑みで頷く。「ダインを送り届けるついでに、お邪魔させてもらったよ」

「送り届ける…?」

詳細を尋ねようとしたものの、「ごめんね」、“ルシラ”は先回りして謝ってきた。「あまり“ここ”に滞在できる時間は少ないから、細かいことは後でダインから聞いて欲しい」

「そう、なの? あまりここにいられないの?」、シエスタがきく。

「うん。このルシラじゃなくて、“私”がちゃんとお邪魔できたときにお話しよう」

それよりも、と彼女はベッドから飛び降りた。

「ずっと“ルシラ”がお世話になっていたから、せめてお礼だけでもいいたくて」

そういってルシラはジーグたちに向けて頭を下げた。「お世話してくれて、ありがとう。優しくしてくれてありがとう。“ルシラ”も私も、みんなのことが大好きだよ」

色々とルシラの説明が不足しているのは否めない。

正直いってどういう状況なのか、ジーグたちはあまり理解できてはいない。

だが彼女が感謝を伝えたかったということだけは分かっていたので、「お礼なんて別にいいのに」、とシエスタは微笑みかけた。

「あなたはもう正式に私たちの娘になったんですもの。例えあなたが何人いようと、まとめて受け入れるわ」

「その通り」

サラも便乗して強く頷く。「何しろこちらにはカールセン家に私シーハス家、さらにはリステン家がおられますから、受け入れ準備は万端です」

「ふふ、そうだな」、ギベイルも髭を触りながら頷いた。

「あはは。ほんとに、本当に、ありがとう」

ルシラは心から嬉しそうに笑って、「ん〜」、と何やら悩みだす。

「何か少しでもお返ししたいんだけど…」そういった。

「だからいいのよ、そういう他人行儀みたいなことは止めて」

ルシラの頭を撫でながら、シエスタがいう。「あなたが幸せなら、私たちはそれで十分なんだから」

ルシラも嬉しそうに笑うものの、「え〜、でもなぁ…何かしないと気が済まないよ」、と義理堅さを発揮した。

「これだけ“ルシラ”を笑顔にさせて幸福で包み込んでくれたもん。愛情を沢山注ぎ込んでくれたから、私もここまで来れたんだし」

考え込むルシラに、「ではこうしましょう」、サラが提案を始めた。

「ルシラさんが一番恩を感じている人に、お気持ち程度の何かを返してあげてください」

「お気持ち?」

「そうです。疲れたときは肩を揉んであげるとか、困ったときは力になってあげるとか、何でもいいです。私たちならば、ルシラさんにどのようなお返しをもらったとしても、喜ばない方はおりませんよ」

「何でも…」

そこで彼女はまた首を捻って考え込んでしまう。

“ルシラ”がいつもの彼女でないとピーちゃんたちも気付いたようで、彼らも同じような仕草で首をかしげている。

「一番恩を感じているのはダインだから…」

そのなんとも微笑ましい光景をジーグたちが眺めていると、「あっ!」、ルシラは突然顔を上げた。

「何か思いつきましたか?」

「うん!!」

「それは?」

「へへ〜、それはね…」

ルシラは両手を広げる。

その全身が少し光ったような気がした。



「さぁかかってきな! 楽しもうぜ!」

銃器で武装しながらシグはいった。「ジグルを倒すなんて予想外だぜ。リィンに後で何か言われるかも知れねぇが、知ったこっちゃねぇ!」

やけに興奮した彼は随分と嬉しそうだ。シンシアを強敵とみなし、その強敵の出現に喜んでいるのだろう。

「やっぱ前んときは実力隠してたんだな。ちょっとあのときより雰囲気が違って見えるが…人格が変わったのか?」

シグのシンシアに対する興味は尽きないようだ。

「いや、それどころじゃないんで」

シンシアはそういって断った。「見て分かりません? いま学校が滅茶苦茶なんすよ」

「ああ知ってる。俺もバカじゃねぇ」

シグはいった。「でも学校がどうなったところで俺関係ねぇし、役目も終わったし」

「役目?」

「レッドキラーの他に神殺しの異名までついちまうかもなー」

シグは自分に酔っているのか、話が見えない。

「だからあなたに構ってる暇なんて…」

文句を言おうとしたディエルを手で制して、シンシアは彼に一歩近づいた。

「神殺しってなんすか」

その言葉にやけに引っかかるものがあったのだ。

「ああ、そうだな。俺の強さを証明できるものがあったんだ。この映像を見りゃ、お前も俺と戦いたくてウズウズするだろ」

嬉々としてシグがポケットから取り出したのは小型のタブレットで、そこに映し出された映像をシンシアたちに見せてきた。

その映像…ティエリアがシグの持つ槍に貫かれている瞬間の、衝撃的な映像。

「━━ッ」

シンシアは目を丸くさせ、動きが固まった。

ディエルとニーニアも動かない。あまりのことに、二人とも声が発せない。

「いやー、バリアを破壊するのにさすがに時間かかっちまったけど、どうにか破ることができたよ」

まるで難解なステージをクリアしたかのように、シグは得意げだ。「すげぇだろ?」

しばし反応しなかったシンシアは、

「…生徒に危害加えたんすか」

静かに、そうきいた。

「いや、もちろん殺しちゃいねぇよ?」

シグは答えた。「ただバリアを突破ついでにビックリさせただけだ。その光景をたまたま見てた奴がやたらキレててしつこかったんだけどさぁ」

そんなことはどうでもいいとばかりに、シグは構えた。「さぁ、やろうぜ!!」

殺気立たせるシグだが、それでもシンシアは反応しなかった。

「どしたよ? やっぱこれが俺の本気じゃないと見抜いたのか?」

見当違いなことをいって、彼は武装を解除する。「しゃーねぇな。時間もないし初っ端からガチでいってやるよ」

創造魔法を使い、槍を出現させた。

「神槍ラスト・インディグルってんだ。かっこいいだろ?」

その槍を振り回しただけで辺りに聖力の暴風が吹き荒れる。

創造された槍に相当な力が込められてるのは間違いない。後ろからディエルとニーニアの悲鳴が聞こえた。

「さぁかかってきな! お前は有罪か無罪か、判定してやるぜ!!」

「…………」

俯き加減でしばし黙ったままでいたシンシア。

そのとき彼女の体がふらりと揺れ、後ろに倒れた。

「あ?」

どうしたんだと目を見開くシグだが、彼女が立っていた場所に別の人物がいたことに気付き、また「は?」と声を出す。

そこには、学生服を着た男の…ダインがいた。

「何だお前? どっから出てきた?」

シグの質問に答える様子もなく、ダインは雨の振り続ける雨雲を見上げたまま。

その垂れ下がっていた両手は徐々に硬く握り締められていき、拳になった。

「…ああ…」

やがて、ようやく彼は口を開く。「やっぱ駄目だ」

呟くようにいってから、「ディエル、ニーニア」、背後で怯えるようにしていた彼女たちに声をかけた。

「悪いがシンシアと一緒にちょっと離れててくれ」

「え?」

「頼む」

そして彼は前方にいるシグに顔を戻す。

「おいおい、お前がやろうってのか?」、シグは意外そうにダインを見た。

「シンシアが倒れてるの見えてないんすか?」

「んなもん回復してやるよ。こんな機会滅多にないからな。無理やりにでも付き合ってもらうぜ」

冗談としか思えない台詞だが、実力至上主義で最強に拘り続けるシグは本気だ。

「どこまでも自分勝手な人っすね…」

「いいからどけよお前。魔力もないお前はお呼びじゃねぇんだ」

「どかねぇなら…」、シグの目つきが険しくなる。「ちっとばかり痛い目みることになるぜぇ?」

強化魔法を使い始めたのか、彼の全身が七色に光り始めた。「それどころか、お前程度が受けたら下手すりゃ死ぬぞ?」

どう脅されようともダインは動じない。ただ真っ直ぐにシグだけを睨みつけている。

「警告したからな? お前はもう有罪確定だ!!」

シグの姿が消えた。

「その辺で死んどけ! 奥義…!!」

ダインに向け、全方向から無数の槍が迫ってくる。

「迅雷・千穴!!!」

光速のごときスピードで、凄まじくぶつかる衝撃と音はした。

周辺の木々は吹き飛ばされ、避難したディエルたちはシンシアを捕まえつつ木にしがみつく。

が、異変はその直後に起こった。

「…あ?」

目の前で何が起こっているのか、光速移動を“止められた”シグは混乱していた。

ダインが二本の指だけで、槍の切っ先を受け止めていたのだ。

彼はそのまま拳を後ろに振りかぶっており、そして━━

ダインの姿が消えた。

シグは自身の頬に何か当たったような気がした。

刹那、

辺りは真っ白になった。

衝撃音と共に、木々が薙ぎ倒される音。地面が抉れる音。遠くでガラスが割れる音。

それら派手な物音が一斉に響き渡ったようなとてつもない破壊音がして、周囲にあるあらゆる物体が大地震にでも襲われたかのように大きく揺れる。

「きゃあぁぁ!?」

まるで世界が壊れたような音と衝撃だった。

とんでもなく巨大な爆弾が落とされたような爆発音だった。

シンシアを庇うようにしてお互いを抱き合っていたニーニアとディエルは、震動と音が止んで雨音が聞こえ出してから目を開ける。

前を見た彼女たちはすぐさま驚愕し、言葉を失った。

ダインの目の前の景色がぐちゃぐちゃになっていたのだ。

森の中であるはずなのに彼の前方に木は一つも立ってなく、瓦礫や岩石もない。

まるでとんでもなく巨大な球が転がった後のように地面が抉れており、その遥か先にシグと思しき人物が地中に埋まっている。

彼は白目を剥いて動かなくなっており、全身をぴくぴく痙攣させていた。

「…ぐ…!!」

そんな彼の元へ、ダインは一歩踏み出そうとしている。

追撃を繰り出そうとしている彼は、どうにか怒りを静めるために振り上げていた腕を下ろした。

「っだぁ!!」

鬱憤を晴らすかのような声をあげ、頭上に向けてパンチを放つ。

すると空間が歪むほどの震動と共に衝撃波が上に放たれ、雨雲を突き抜けていった。

その空振りで空は一気に晴れ渡り、そしてダインは腕をだらりと下げる。

「はぁ…はぁ…」

彼の肩が上下している。

「駄目だ…アンガーマネジメントが必要だな…」

自分に言い聞かせている彼の元へ、恐る恐るニーニアたちが近づいた。

「あ、の…だ…だいじょう、ぶ…?」

目の前で起きているありえない現象に戸惑いつつも、ニーニアがダインに声をかける。

「はぁ、ふぅ…ああ、どうにかな」

振り返って彼女に笑いかける彼の表情はいつも通りで、ニーニアはホッとしたのを感じた。

「こ、これは…私たちはどう処理すれば…いいのかしら…」

広い森であるはずっだが、ダインの怒りの一撃によってもはや半壊したといってもいい。

見れば校舎の窓も全て割れており、校舎自体の位置もずれてしまっているようだった。それほどの威力だったのだろう。

「悪い…でもあれこれ考えるのは後回しだ」

呼吸を整えつつダインはいった。「いよいよモンスターに押し負けられちまいそうだ」

校舎には未だに無数のモンスターが蠢いている。バリアは維持されているようだが、何度も壊されているようだ。

「ちょっといってくる」

走り出そうとしたダインだが、彼の様子が少しおかしかったことに気付いてニーニアが声をかけた。

「ほ、本当に大丈夫? 辛そうに見えるけど…」

「ああ、ちょっと悪いもん食っちまってな。時間が経てば治るはずだから」

じゃあシンシアのことは頼む、といって、ダインは周囲のものが吹き飛ぶほどのスピードで校舎まで駆け出していった。



廊下に鳴り響くモンスターの沢山の怒号を、椅子にかけたままでいたグラハムは確かに聞いていた。

「どうやら最後の防波堤が破られたようですね」

危機的状況であるにも関わらず、ジーニの表情には笑みが浮かんでいる。「防衛隊の生徒は全滅。誰も守る人はいなくなってしまった」

「もうサインするしかないのでは?」

サイラは勝ち誇ったような表情をグラハムに向ける。「いま同意書にサインしていただければ、後処理が楽なので助かるのですが」

サイラはさらに彼に迫った。「早急に終らせた方が、校舎の損壊も軽微で済みますよ」

先ほど校長室を襲った大きな震動は、モンスターが起こしたものだと思っているようだ。

二十メートル、十メートル。モンスターの猛然とした足音が近づいてきている。

ここ校長室まで敵がなだれ込んでくるのは、もう一分もないかもしれない。

それでもグラハムは瞑目したまま、ただジッと耐えるのみだった。



「━━ラフィン、大丈夫か」

バリアを張り巡らせているラフィンの元へ、ダインは瞬時にやってきた。「無事…のようだな、一応」

「え!? だ、ダイン!?」

制服をボロボロにさせたまま、ラフィンが振り返ってきた。

「い、いまきたの!?」

「ああ悪い。ちょっと遅れた」

「いや、ちょっとどころじゃ…きゃぁ!?」

必死にバリアを張り巡らせる彼女だが、その外はもう地獄絵図のようにモンスターの顔で埋め尽くされている。

シグとの激戦で聖力を使い果たし、目覚めてどうにか防衛に復帰したものの、疲労困憊の彼女ではさすがに限界があった。

バリアを張ってはいるもののところどころ穴が開いており、そこからモンスターが漏れ出している。彼らは次々と校舎へ侵入していった。

防衛部隊も迎撃部隊もほぼ全滅している。

玄関前もグラウンドも無数の生徒たちが気を失って倒れており、ラフィンはたった一人で、この数万もの群れを押さえ込んでいるようだ。

しかしそれももう限界だ。校舎に侵入したモンスターはすでに校長室にたどり着いたかもしれない。

“悪いもの”を取り込んでしまい具合が悪くなったダインでは、さすがにもうどうしようもなかった。

「う…うぅ、ぐ…!!」

ラフィンの張るバリアにさらにモンスターがのしかかり、彼女に圧が加わっていく。

「も…む、り…! だ、ダイン、逃げ…!!」

ラフィンがいいかけたときだった。

ダインは彼女の真後ろに移動し、何故か後ろから彼女を抱きしめる。

「へぁっ!? え!? ちょ…な、何、どうしたの!?」

ドキッとするラフィンだが、「悪い…ちょっと借りるぞ」、ダインはそういって彼女の両腕を掴んだ。

そのまま両手を上に上げさせる。

「な、何!?」

尚も困惑するラフィン。

そんな彼女の腕に、ダインの触手が絡み付いていく。

「え…!?」


(魔法は詠唱が大事だから…え〜と、どんなのがいいかな)


触手を伝って、どこからか別の“意識”がラフィンの頭に流れ込んできた。


(あ、時間ないね。じゃあ意味が伝わればいいから適当に…)


その“意識”に突き動かされるように、ラフィンの口が勝手に開き、声が発せられる。


「…悪い子は、めっ…だよ」

そして、

「…バイバイ」

無意識にそういった瞬間、ラフィンは不思議な感覚に襲われた。

まるで自身の中にある“何か”が急速に、とてつもなく大きく膨らんでくるような感覚だった。

━━後に“セブンリンクスの奇跡”と世間を騒がせる現象が、その直後に起きた。

ラフィンが両手を掲げたその頭上に、とんでもなく大きな…大陸ごと覆い尽くしそうな巨大な魔法陣が広がっていたのだ。

「…え…」

何が起きたのだろうと考えた瞬間、その魔法陣が青白い光を放つ。

そして一瞬にして辺りは何も見えないほどの光に包まれた。

ただただ白く、眩しく、そんな中モンスターたちが蒸発していくような音だけが聞こえている。

やがて炭酸が弾けるような音と共に光が収まった。

ラフィンが眩しさに閉じていた目を開けると、いつの間にか晴れ渡っていた青い空と朝日が見えた。

魔法陣は消えていて、あれだけ無数にいたモンスターも全てが跡形もなく消失している。

「…な…に…が…」

訳が分からず困惑したまま振り向くと、そこにはダインが座り込んでいた。

「どうにか…なったな…」

そう微笑む彼は、明らかに具合が悪そうだ。

「え、だ、ダイン、大丈夫なの?」

「ああ…ちょっと寝りゃ大丈夫なはず…」

そのまま倒れそうになっているダインの元へ、ラフィンは慌てて駆け寄っていった。



「…ありえない…」

“綺麗”になった窓の外を眺めながら、ジーニは目を丸くさせて呟いた。

「どうやって…あんなに大勢のモンスターを…」

もう一秒もないはずだった。つい先ほどモンスターが校長室に押しかけてきて、机上にある水晶に触れようとしていた。

生徒側の敗北が確定しそうになったその瞬間、とてつもない光と共にモンスターたちが消滅していたのだ。

絶体絶命のはずだった。どう転んでも生徒側が敗北するのは避けられない状況のはずだった。

全て計画通りに事が進むはずだったのに、ガーゴ幹部が…いや、どんな大賢者でも為し得ないことを、セブンリンクスの生徒たちは体現したというのか。

「先生…先生!!」

そのとき廊下から慌てるような足音が聞こえ、校長室に誰かが飛び込んでくる。

「ご、ご報告します!」

やってきたのはクラフトで、同じく信じられないという表情をしている。「先ほどの現象によりモンスターは全滅、そして召喚石も全て破壊されました!」

「はぁっ!?」

今度はサイラから驚愕の声があがった。「どういうことですか!?」

立ち上がった彼女はこの不測の事態に明らかな戸惑いを浮かべている。「召喚石は簡単に破壊されないように出来ているはず…それをたった一度の魔法で破壊されるなんてありえません! 先ほどの光と関係あるのですか!? あの魔法は何なのです!!」

次々とクラフトに質問が寄せられるも、「いや、何、といわれても俺も何が何だか…」、クラフトも混乱しているようだ。

そのとき、サイラの持つ通信機から音が鳴る。

応答したサイラはまた驚いたように目を見開き、ジーニに耳打ちした。

「…そんな…」

ジーニも驚愕した表情を浮かべ、次に悔しそうに表情を歪ませる。

「ふむ…終わったのか」

グラハムだけは、どこか達観したような表情でいた。

そんな彼をキッと睨みつけ、「グラハム校長、こうなることは予見していたのですか」、ジーニが険しい口調で問いかけた。

「あなたは予知能力があると生徒間で噂されています。どうなのですか」

「さて、何のことやら」

とぼけるようにグラハムはいい、肩を揺らして愉快そうに笑った。「いったではないか。我が校の生徒たちは気骨のある者ばかりだと」

それよりも、と彼はジーニとサイラに鋭い視線を向ける。

「ダングレスの予定外の復活。モンスターの規格外の出現。君たちには色々と聞かねばならないことがありそうだ。なぁクラフト君」

「ええ、そうですね」

クラフトも同じく彼女たちを睨みつける。「同組織より特別講師として招かれたシグ…教官だったか。彼が学生たちをかき乱していたことも認識している」

証拠は出揃ったとばかりに、彼はジーニたちに詰め寄った。「どういうことか、きっちり説明してもらおうじゃないか」

「くっ…」

彼らの激しい剣幕に、ジーニとサイラは思わず顔を背けてしまう。

「答える義務はありません」

そういって、校長室を出て行こうとした。

「おや、逃げるのか?」

煽る様にクラフトがいうと、「状況の確認をしに行くだけです」、ジーニが短く答え、そのまま歩いていった。

明らかに怒っているような靴音が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。


校長室で二人きりになり、クラフトは大きく息を吐いた。

「今回ばかりは、もう駄目かと思いましたよ」

「ふふ、そうだな」

グラハムは未だ笑ったまま、デスクの引き出しから一枚の書類を取り出し、ペンケースから金色の筆を取り出す。

「確かに“彼”一人だけでは難しかったかもしれないが…」

何やら書類に文字を書き込みながら、「もういませんよ」、とデスクの上に置かれていた縦長の小物入れに声をかけた。

するとその蓋が勝手に開かれ、中から手のひらサイズの“誰か”が飛び出してくる。

「え…」

その存在をクラフトが認識した瞬間、

「あ、あなたは…!?」

驚愕して、そのまま後ずさって傅いた。

「初めまして…でいいのでしょうか。おかげで危機を脱することができました」

グラハムは丁寧な口調でいった。「もっとも、あなた様は“彼”のために動いたに過ぎないのでしょうが」

グラハムに話しかけられていた小さな“彼女”は、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回している。

「ふふ、そうですか。下界の世界は初めてのご様子」

声を発さない彼女だが、グラハムはその彼女の声が聞こえているようだ。

そして何度も辺りを見回した後、グラハムの手元に目がいった。彼が何をしているのか気になったのだろう。

「ええ、これはもちろん、影の英雄である“彼”のためですよ」

一枚の書類のある箇所に、彼が何かを書き込んでいる。

「手心を少々。あなた様の…いえ、あなた様の“同体”である彼女のためにもね」

そう笑いかけてから、グラハムは筆を置いた。

「申し遅れました、こちらの者は『クラフト・アーカルト』と申す者です」

グラハムに紹介され、クラフトはもう一度“彼女”に向けて頭を下げる。

「そして私は『グラハム・シーカー』」

座ったままで申し訳ない、とお辞儀をしてから、彼は続けた。「グリーン第三長老裁判員。そして同組織の幹部が一人、女傑“グリシス・シーカー”の弟に当たる者です」

“彼女”を見るグラハムの目はどこまでも優しく、そしてどこまでも尊敬の念が込められていた。

「いつでも遊びに来てください。あなた様なら歓迎いたしますよ━━ルシラ様」



意識が醒めたとき、まず遠くから聞こえてきたのは生徒たちの大歓声だった。

「…?」

身体を起こして前を見ると、傷だらけの生徒たちが互いの手を叩き合って全身で喜びを表現しているのが見える。

空は明るく、魔法で花火のようなものが打ち上げられていた。

ぼーっとしたままその光景を眺めているところで、彼女は徐々に状況に気付いてきた。

「…終わった…のですね…」

そしてハッとして周囲を見回す。

いつの間にか自分は外にいて、仮設の建物が吹き飛んでいる。

自分の身体には女生徒と思しき学生服のベストがかけられており、そこでここで何があったかを思い出した。

赤い髪をした男に突然襲われたのだ。

特訓してやるよといわれ、訳が分からないまま自分の身を守るためにバリアを張っていたのに、壊されてしまった。

赤髪の男が近づいてきたところで、自分の意識は途切れてしまった。

その後どうなったかが全く分からなかったのだが、状況を見るに奇襲戦は生徒側の勝利で終わることができたらしい。

自分が想定していた最悪の事態は免れたようで、彼女はホッとした。

が、奇襲戦を締めくくるための最後の工程が残っていたことをすぐに思い出す。

アナウンスだ。終ったことを生徒会長がアナウンスしなければ、イベントはまだ続いていることになっているはず。

「ラフィンさ…」

すぐにラフィンの姿を探す彼女だが、ラフィンはどこにもいない。

「あ…」

と、自分の身体にかけられていた上着にネームプレートがあり、そこにラフィンの名前が刻まれているのを見て、自分が倒れた後の展開もある程度察することが出来た。

ラフィンは恐らく今頃疲労困憊だろう。起き上がることも出来ないはず。

しかしアナウンスはしなければならない。そうしないとこの奇襲戦が終わったことにならないのだから。

よろよろと立ち上がった彼女は、外にむき出しのまま置かれてあったマイクスタンドの前まで向かった。

マイクの機能が生きていることを確認したティエリアは、そのマイクに向けて口を開く。

「━━み、皆様、お疲れ様…でした」



「ああ、良かった…先輩も無事なんだな」

校舎のスピーカーから流れ出したティエリアの声を聞き、ダインはほっと息を吐いた。

「どっか怪我してるんじゃないかと心配してたんだが…」

呟くダインに、「ね、ねぇ…」、彼を支えるようにしていたラフィンが声をかける。

「あなたが…やったの?」

生徒会長の仕事も忘れ、彼女は未だ驚いた表情のままだ。

「ん? 何をだ?」

「さ、さっきのあれよ。あの、とてつもない魔法…」

「あー、いや、まぁ、俺がやったかといえばそうかも知れないが…」

ダインが答えたときだった。

「その話は本当ですか」

ラフィンの後ろから声がした。

「先ほどの魔法は、ダイン・カールセン…あなたのものですか」

やってきたのは、いつものジーニサイラコンビだ。

ダインを見下ろすその目つきはいつにも増して険しい。「どうなんです」

「え〜と…」

しばし考え込んだダインは、「まぁ、そうっすね」、ラフィンをチラリと見てから認めた。

「俺っすよ。まぁ詳細は明かせないんすけど」

「明かせない?」

サイラがピクリと反応する。「ノマクラスのあなたがあれほどの魔法を使えるとは思えません。明かせないというのなら、合法ではない手段を用いたと判断しますがよろしいのですか」

「え…」

「いいっすよ」

驚くラフィンを制し、ダインは簡単に頷いた。「罰則でも何でも受けますよ」

ノマクラスの一生徒でしかないダインの悪びれない態度に、ジーニもサイラも激昂してきたのが分かる。

計画を潰された逆恨みもあったのだろう。

「ラフィン・ウェルト生徒会長!」

キッとラフィンを睨み、ジーニはいった。「この者に対する処罰を言い渡しなさい!」

「え? な、何故…」

「さっきの話を聞いてなかったの!? 反則を犯して奇襲戦を無理矢理終わらせたのよ! 生徒会長として看過できない問題でしょう!!」

「で、ですがそれは…」

「校則第十九条、学校行事において反則を犯した者には、如何なる理由があろうとも罰則を設ける。忘れたの!?」

勝利に沸く生徒たちだったが、ヒステリックに叫ぶジーニとサイラの声を聞きつけ、グラウンドに集まってくる。

「早くいいなさい!!」

座り込むダインを指差し、ジーニたちがラフィンを叱責している。

その状況だけで、外野の生徒たちはダインがまた何かやったのだと察したのだろう。

「げ、厳罰って、そんな、それじゃあ…」

戸惑うラフィンの脳裏に、ある二文字が浮かんでいる。

特例制度を用いたダインには、決して言う事はない…言ってはならないはずの二文字が。

「早く! こんな不正を働く生徒を野放しにしていては、セブンリンクスの名折れよ!!」

「い、言えま…」

拒否しようとした彼女に、

「ラフィン」

ダインが声をかけた。

「いいんだ。そのままいってくれ」

「え…で、でも…!」

「いいんだって。お前は生徒会長なんだから、その役割をきちんと果たさないとさ」

とにかくこの場を収めなければ、ラフィンにも被害が及ぶ。ギャラリーもいるので、彼女の判断如何によっては生徒会長としての信用も失墜する。

彼の心配も分かる。でも彼の友人として、簡単に言っていいことではない。

義務と心情が揺れ動き、ラフィンは唇をかみ締めてしまう。

取り囲む生徒たちは固唾を飲み込んでこの成り行きを見ている。ラフィンがどう判断を下すのか気になっているようだ。

そんな人だかりに、ようやくニーニアとディエル、そして目を覚ましたシンシアが到着した。

「ラフィン」

ダインはもう一度促すように彼女に声をかける。自分を見上げる優しいその目が、彼女の心を抉った。

「…だ…ダイン・カールセン…」

シンシアたちが人垣を割ってどうにかダインの姿を捉えたとき、ラフィンはダインに言い放っていた。

「あなたを…厳罰に…た…退学処分に、します…」

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