十二節、日常2
「この公園に来るのも何だか久々だね〜」
ダイン達四人は、学校を出てそのままいつもの公園までやってきた。
ダイン部を独自に立ち上げ、ようやくの活動といったこともあり、シンシアは上機嫌に公園の簡易的なテーブルまで走っていく。
「ダイン君部のメンバーも増えたことだし、歓迎会だよ!」
そういって、シンシアが持ってきたお菓子を並べていく。
ニーニアも嬉しそうに人数分の紅茶を紙コップに注いでいった。
早速バウムクーヘンをいただこうとしたが、新メンバーであるティエリアが「改めて自己紹介した方が…」と言ったところでシンシアが「そうだ!」と立ち上がる。
「ティエリア先輩、お願いして良いですか?」
「は、はい。分かりました」
ティエリアの顔は赤い。自分を見つめる面々はもう見慣れた顔ぶれのはずだが、改めて自己紹介となると少なからず緊張するようだ。
それでも息を吸い込み、静かに自分の紹介を始めた。
「ギガクラス二年八組、ティエリア・ジャスティグと申します。住居はここから遠いところにあるバベル島、中央居住区にある『ルシフィル結界領』外縁にございます」
そのときシンシアから「おぉ…」という感嘆の声が漏れる。バベル島というのはゴッド族しか住んでない、かつては立ち入り禁止区域だった絶海の中にある孤島だ。伝説の島とも言われており、そこからの出身者ということで彼女は驚いているのだろう。
「得意魔法は回復系と、防御系…ですね。好きなことは読書とお料理で…」
途中でティエリアの話が止まる。
「す、すみません。ジャスティグ家は普通で血筋も注目すべきところはなくて…面白くない、ですよね…」
家柄も趣味も実力も、ゴッド族というブランド力に相応しいものは何もない。
ゴッド族というだけで有難がられる彼女ならではの悩みに、ダイン含め全員が笑い出した。
「今更言うことじゃないだろ。そんなもの気にする俺らじゃないのは分かってるだろ?」
「そうですよ。家柄がどうのじゃなくて、ティエリア先輩のことを知りたいんだからそれで良いんです」
シンシアの台詞に、その通りだとニーニアが何度も頷いている。
「読書と料理が趣味なんて結構なことじゃんか。俺なんかガーデニングだけだぞ? 最近は料理もするようになったけどさ」
「あ、そ、そうでした。すみません」
口癖のように謝ってしまうティエリアだが、そのすぐ後に笑顔になって笑い出す。
「あの、よろしければみなさんのことも改めて教えてはいただけないでしょうか?」
「んむっ! もちろん!」
口の中のお菓子を飲み込みつつ、シンシアが手を上げる。
彼女を先頭に、ニーニア、ダインと自己紹介を済ませていった。
ダインの紹介が終わった頃にはお菓子も無くなり、歓迎会の終わりを見計らってシンシアがダイン部の活動開始を告げる。
「何するんだ?」
「う〜ん、最近のダイン君って、無意識に魔法力を吸っちゃうことは減ってきたよね?」
最近の彼の行動を思い出し、シンシアは言う。
彼女の言うとおり、吸魔をある程度コントロールできるようになった彼は頷いた。
「お前たちのおかげだな」
改めて礼を言われた彼女たちは嬉しそうに笑い、またシンシアが元気良く「じゃあ次のステップに移ろう!」と言ってきた。
「次って?」
「実験とか面白そうじゃないかな?」
「実験…」
「吸魔といっても状況は色々あると思うんだよ。例えば、二人同時に吸った場合とか、数珠繋ぎのように手を繋いだ状況だと先の人まで吸えるのかとか」
確かにそれはダインも試したことがない。吸魔自体秘め事に近い感覚でいた彼なので、想像すら出来ないことだった。
「私達も吸われる感覚に耐性つけていきたいし、早速どうかな?」
「ああ。やってみよう」
「あ、じゃ、じゃあ私から…」
ニーニアが率先してダインの隣にやってきて、彼と手を繋ごうとしたが、ティエリアから「大丈夫でしょうか」という声が聞こえ動きが止まる。
「大丈夫って?」
「ダインさんは、普段はそれほど魔力が体内に備わってはいないのですよね?」
「そうだけど」と頷く彼に、ティエリアが説明したのは魔法に詳しい者なら誰もが知っている通説だ。
「種族にもよりますが、各々の魔法力を有する許容量にはある程度限界があるはず。先の実験で許容量を超えて魔法力を注ぎ込んだ結果、体に何かしらの異常が見受けられたとマジカルデータバンクで見た記憶があるのですが…」
ティエリアの言っていることは事実だった。いまもなお魔法技術は発展を続けており、その過程でいくつもの実験が繰り返され、個体差はあるけれど魔法力に許容量があるというのが発見された。
許容量を超えての貯蓄は異常を来たす。場合によっては意識が朦朧としたり、そのまま倒れてしまうこともある。ティエリアはそれを心配していたのだ。
吸魔という不可思議な特徴しか考えてなかったシンシアとニーニアにとっては、まさに盲点だった。
だが確かにティエリアの言うとおりだ。ダインは普段からあまり魔力を有してない。つまり許容量はそれほど高くないのかも知れない。
「許容量の限界か…」
ダイン自身にも未知の領域だった。だが今後定期的にシンシア達から魔法力をもらうならば、実験をする前にまず知っておかなければならないだろう。
とは言え、シンシアは帰ってから稽古してるらしいからそんなに吸えないし、ニーニアは元の魔力が低いからそこまで頼れない。
「あの、私でしたら大丈夫ですので」
どうしたものかとシンシア達と相談していると、ティエリアが自分の胸に手を当て言ってきた。
「多少は聖力の蓄えがあると思いますので、ダインさんの許容量も分かるはずです」
「そりゃ願ってもないことだけど…でもいいのか?」
「はい。お任せください」
確かにゴッド族は半永久的な聖力の蓄えがあると噂されている。限界を知る手段としてならば、吸魔相手として申し分ない。
「バリアの出力も可能な限り押さえますので、それほどダインさんに害が及ぶことはないと思います」
微妙な顔をする彼の心配を予想して言う彼女だが、ダインが心配しているのはそこではない。
「あ〜っとな、そうじゃなくてさ…先輩、忘れてないか?」
「はい?」
「ほら、ちょっと前、ニーニアが触手で吸魔された話…」
「え? はぁ…覚えてますが…」
それが何か、という表情だ。
「許容量が分かるまで、吸われ続けるっていうことですよ」
分かってなさそうな彼女にどう説明したらいいものか考えていると、シンシアが代弁して言ってくれた。
「その吸われる感覚っていうのが、まぁ…ちょ〜っとエッチな感じと言いますか…」
そこでティエリアから「あ」という声が漏れる。ニーニアの話を鮮明に思い出してくれたのか、顔が徐々に赤くなっていった。
「ニーニアちゃん、それでこの間失神しちゃったんだし…」
「わ、私は元々の魔力が低いから」
ニーニアも顔を真っ赤にさせながら笑っていた。
「ティエリア先輩はゴッド族だから聖力はものすごくあると思うんですけど、その分長い時間あの感覚に晒されちゃうっていうことだから、ダイン君はそれを心配してるんじゃないかなって」
さすがシンシアだ。ダインはその通りだとばかりに大きく頷いた。
「許容量は気になるけど、みんなにそんな負担かけてまで知りたいってわけでも…」
「だ、大丈夫です!」
ダインの台詞を遮り、ティエリアは言った。
「我慢します。そういうことに耐性をつけるためでもあるのです…よね?」
「それはまぁ…」
「わ、私も、触手による吸魔対象に選ばれる可能性もあると、ダインさんは仰ってましたし…ですので、私にとっても必要なことのはずです」
いつもの引っ込み思案な様子とは違い随分と積極的だ。
「だ、ダイン君、してあげて」
驚いたことにニーニアまでティエリアを援護してきた。
「これまで、ティエリア先輩からはちゃんと吸ったことはないんだよね? 経験はしといた方がいいと思うし…」
「そうだね」
シンシアも頷いている。
「ダイン君の心配も分かるけど、私たちは大丈夫だからって前に言ったよ? エッチな感覚がするだけで、後ろめたいことなんか何もないんだから」
「まぁ…」
ティエリアは一歩前進する。
「ダインさん…お願いします!」
ついには頭を下げてきた。
ここまで頼み込まれてはさすがに断れない。
「わ、分かったから。そこまで真剣にお願いしなくても良いよ。お願いするのは俺のほうなんだしさ」
どうにか頭を上げさせると、彼女は嬉しそうに「ありがとうございます」とまた頭を下げる。
ひょっとして、ここまで吸魔してくれと必死なのは、これまで何度か吸わせてもらったシンシアやニーニアと同じになりたいからではないのだろうか。
吸魔は信頼の証。シンシアやニーニアと同じように、自分も信頼の証を感じたい。
ティエリアの本音が見えてきた瞬間、ダインの中にくすぶっていた吸魔への罪悪感はたちどころに薄れていった。
「じゃあ…いくな」
できるだけティエリアが緊張しないよう、柔らかい表情で笑いかける。
「ど、どうぞ!」
両手を下げ、ダインに体を向けるティエリアは顔が真っ赤なままだ。これからエッチな感覚が来ると分かっているからだろう。
「接触面は広い方がいいんじゃないかな?」
ティエリアの手を握ろうとしたところでシンシアが助言してきた。
「その方が時間短縮できると思うよ?」
なるほど。確かにその通りだ。基本的に肌と肌で触れるしか吸魔は出来なかったが、一度肌に触れた後だと服越しからでも吸うことは出来る。
数日前の実験で得た情報を思い出し、ダインはティエリアの手に軽く触れた。
ティエリアから「あっ」という声が漏れる。まだ吸ってないのに体が震え、顔の赤みも増した。
「やっぱ無理してるんじゃ…」
その反応に心配になって言うと、彼女は大きく首を振った。
「そ、そういうことではないので…だ、大丈夫ですから、本当、に…」
彼女の方からも、ダインの手をきゅっと握り締めてくる。
見た目どおりにティエリアの手は小さく、ダインの手のひらの中にすっぽりと収まる。
滑るような肌質で体温が高く、触っているだけでも気持ちいい。
可愛い手だな、と思いつつも、少しずつ彼女から聖力を吸い上げた。
「ふぁ…」
ティエリアはまた全身がぴくりと反応し、目を細め口から小さな悲鳴が上がる。
「もっと触るな?」
このままいけると判断したダインは、「は、はい…!」と頷く彼女を優しく抱き寄せた。
細い体に小さな背丈。彼女の頭はダインの胸辺りまでしかなく、先輩という割りにはどこもかしこも幼く見える。
けれど彼女の全身から発せられるバリアには相当な聖力を感じ、抱擁での吸魔を始めてからぴりぴりとした電流のようなものが、吸い上げた魔力に乗じて流れ込んできた。
ティエリアは間違いなくゴッド族だ。生きる奇跡と言われ、光の象徴とされる希少種。
「あ、う…あ、あぁ…」
彼女の口から何度も悩ましげな声が漏れる。
体は震えっぱなしで、それでもダインから離れまいとするかのように彼を精一杯抱きしめている。
その反応も声も、感触も、全てが可愛い。おまけに吸った聖力からティエリアの温もりや感情が“感触”となって伝わってくるようだ。
相手に対しプラスの印象を抱くと、多量に吸魔してしまうことも分かっていたダインだが、今更止める事など出来なかった。
もっともっとと、腕の中でティエリアが震えているのに、手足が震えているのに吸い上げるのを止められない。
ティエリアを覆うバリアは名の通り自身を守るものだ。吸魔というものにも防衛反応が出てしまい、吸えば吸うほどダイン側に痛みを感じる。
それでも吸魔は続けてしまい、彼女を抱く腕に力を込め、貪欲に吸い上げていってしまう。
「あ…っ!? あ、あ…!?」
ついには彼女からはあられもない声が上がり始める。体の震えも大きくなり、膝が笑い出す。
シンシアとニーニアは、しばし惚けたような表情でティエリアがダインから聖力を吸い取られる様子を見ていたが、彼女の全身から突如眩い光が放たれ目を細めた。
「わ、わぁ…!」
シンシアから声が上がる。ニーニアも、震えるティエリアの背中を見て驚愕していた。
エンジェ族のように、ゴッド族も生活の邪魔になるため普段は背中の翼を魔法で消している。
しかしその余裕すらなくなったのか、ティエリアの背中からは虹色に輝く、エンジェ族よりも多い六枚の羽が出現していた。
鳥が翼を広げるように左右に大きく広がっており、彼女の震えに合わせて光を点滅させている。
「す…すごい、ね…は、初めて見たよ…」
シンシアの台詞にニーニアは頷き、「綺麗…」と呟く。夕日の中浮かび上がるゴッド族の羽根は様々な光を放っており、まるで宝石のような輝きだった。
「うおっと…!」
全身の輝きが消えた瞬間、ダインから慌てるような声がした。
とうとうティエリアの足が崩れ、地面に倒れそうになったのだ。
ダインはすぐさま吸魔を中断し彼女を抱きとめるが、ティエリアの腕はだらりと垂れ下がったまま動かない。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
ただ彼の胸の中で激しく呼吸を繰り返しており、意識はあるようだが完全に力が抜けてしまったようだ。
「この辺で止めておこう」
ティエリアの具合から考えても、ダインは相当な量の聖力を彼女から吸い上げたはず。
にも関わらず表情はけろっとしており、前例にあるような気分の悪さや身体の異常は見られない。
「す…ごい、です…ね…ダイン、さ…」
ベンチに寝かされながら、想定していた以上の許容量があったことに驚くティエリアだが、同じ感想を抱いていたダインは「回復優先しろ」とひとまず彼女を黙らせた。
大人しく呼吸を繰り返し、何度も胸を上下させている。
顔は赤く、うっすらと汗もかいているようで、感覚が残っているのか手足も僅かに震えていた。
全身ぐったりとした様子で、口からは吐息が漏れている。
どう見てもエッチな何かを連想させるような表情で、そんな彼女の様子を見たシンシアとニーニアは、同じく顔を赤くさせたまま生唾を飲み込んだ。
「や、やっぱり他の人にはお見せできないよねぇ…」
シンシアが率直な感想を呟く。
「だ、ダイン君はなんともないの?」
ニーニアに問われたダインは、「ああ、まぁな」と笑いかけた。
「これだけ吸ったのは初めてだけど、意外といけるもんなんだな」
自分の体を確かめようと手を見るダインだが、その手がやけに光っていることに気がつく。
いや、手だけではない。自分の腹や足、確認できる全ての部分が光っている。
「だ、ダイン君すごいね、眩しいよ!?」
彼の変化にシンシアとニーニアも気付いたようで、目を覆いながらも驚いた顔でこちらを見ていた。
「ティエリア先輩から聖力を吸ったから、かな?」
ニーニアの説が一番濃厚だろう。吸った魔法力に乗って、相手の感情やぬくもりが伝わる。つまり魔法力とは血のようなものかも知れないと彼は思った。
ティエリアの聖力を体内に感じる。温かで柔らかな感触は全身を巡っており、まるで彼女に抱かれているような気持ちよさがあった。
「あ、そうだ、回復アイテムあるんだった」
ニーニアがすぐさま自分のカバンを漁り、そこから小瓶を取り出す。
栄養ドリンクにも見えるそれを、ティエリアに飲ませようとした。
しかし仰向けのままじゃ飲みづらそうなので、ダインが起こさせ、後ろから支えてやる。
「あ…す、すみま、せ…」
「いいから飲め」
ニーニアから回復ドリンクを飲ませてもらうティエリア。
「もう少し時間が経てばすぐに動けるようになるはずです」
「助かるよ」
ティエリアに代わってダインが礼を言って、彼女が落ち着くまでそのまま抱きしめた。
彼なりの労いのつもりだった。魔法力を失いぐったりとした相手に、自分の体を使ってできるだけ心地よくなってもらう。
とは言え抱きしめて頭を撫でることぐらいしかできないが、それでもティエリアは嬉しそうに笑った。
「ん…ふふ…気持ちいい、です…」
満足そうにする彼女を見ていると、吸いすぎたというダインの罪悪感も薄れていく。
「いいなー」
一連のやり取りを見て羨ましそうに言ったのはシンシアだ。
「私も抱っこされてなでなでされたいよ」
素直すぎる台詞だったが、ニーニアも同意して「そうだね」と頷いている。
「この間触手で吸われたときも、ダイン君に同じようにしてもらったよ」
初耳らしいシンシアが「え」と驚く。
「私だけまたのけ者?」
と、非難の目が向けられたダインは、「機会があればな」とまた笑った。
「ティエリア先輩の後してくれてもいいんだよ?」
「色々と問題がでるだろ。こういうときだけにしたい」
そんな話をしているところで、ようやく動けるようになったらしいティエリアはゆっくりと閉じていた目を開けた。
「ほ、本当にすごいですね。ひょっとしたら私よりも許容量があるのかも知れません」
全身が光り輝く以外、ダインには未だに目立った変化はない。本当にいくら吸魔しても問題ないようだ。
「吸魔っていう特殊能力があることを考えると、できるだけ許容量を持っておきたい身体になってるってことかも知れないね?」
ニーニアが「確かに」と呟く。
「特殊能力に合わせて進化した種族や動物も沢山いるし、ダイン君のヴァンプ族もそうなのかもしれないね」
「うん。つまりいくら吸っても大丈夫ってことだね」
「さすがに無尽蔵ってわけじゃないだろうがな。個体差もあると思うし」
と、ダイン。
「でも少なからずダイン君には吸いすぎて体調不良を起こすことはなさそうだから、そこは安心できそうだよ」
安堵したようにシンシアとニーニアは笑顔を浮かべている。
許容量の問題はクリアしたが、まだ顔が赤いティエリアを見たニーニアは気になったことを彼女に聞いていた。
「どう…でした? 吸われて」
吸魔の感想だ。すっかり体調が戻ったティエリアは、ダインに解放してもらいながら「すごかったです」と答えた。
「瞬く間に力が抜けて、声が出てしまい、吸われる感覚に体が震えて…」
あっという間に聖力が回復したのはさすがゴッド族といったところだが、感覚はまだ残っているらしく表情は惚けたままだ。
「確かに、授業中や街中などであのような状況になれば、少々困るかもしれませんね。その上、触手のときはあの感覚はもっと強力なものになる…のですよね?」
問われたニーニアは、同じく顔を赤くさせながらうなずいた。
「耐えられるようになりませんと」
気合を入れる彼女達を見て、またダインの中で罪悪感がくすぶっていく。
「なんつーか、悪いな。あんな感覚、ない方がいいんだけど…」
「いえ」と、ティエリアが首を振ってきた。
「その、嫌ではない、ですから…ぜ、全然、全く…」
確かに嫌そうではない。かといって、問題ないというわけでもない。
彼女たちの耐久力を強いるだけでなく、自分も何かできることをすべきだろう。
解決法を模索しているところで、空がいつの間にか暗くなり始めているのに彼らは気付いた。
「あう〜、許容量テストしかできなかったよぉ」
せっかくのダイン部の活動開始なのにと、シンシアは残念そうだ。もっと試したいことがあったのだろう。
「次はもっと色々な実験するよ! 耐える力もどんどんつけていきたいし!」
すぐに気合を入れなおす彼女に、ニーニアとティエリアは同調している。
「もっと耐えられたら、ダイン君沢山吸えるからね」
「はい! 下克祭や中間テストなど、乗り切れるはずです!」
「私たちの仲も良くなっていく一方だね!」
「ふふ。もう仲が良すぎると思うけど」
「親友のもっと上を目指そう!」
夕焼けの中彼女たちは頷き合い、「おー!」と拳まで振り上げていた。
やる気に満ち溢れ、可愛らしい目標を掲げる彼女たちは、見ているダインまでつい笑顔になってしまう。
不意に彼は彼女達がいなかったらどうなっていただろう、と考えてしまった。
クラスの中では完全に孤立していただろう。ひょっとすれば一週間もせず退学か、自主的に学校を去っていたかもしれない。
「ありがとうな」
いまこの場に自分がいるのは、彼女たちのおかげなのは言うまでもない。
感謝の気持ちが沸き起こったダインは、そのまま彼女たちの頭を撫でていった。
突然の感触にそれぞれ体を震わせるものの、それでも嬉しそうな笑顔をこちらに向けてくれる。
「先輩はもう大丈夫そうか?」
「はい!」
「ん、じゃあ今日はこの辺でお開きにするか」
夕焼け空になってからは早いもので、もう暗くなり始めている。
「今度からは私もお菓子作ってくるよ!」
そう言いながらシンシアは帰還魔法を展開し、帰っていく。
「あ、わ、私も楽しみにしていてね!」
ニーニアは道具を使って足元に魔法陣を広げ、手を振りながら姿が消えた。
「私も作ってきますので…!」
ティエリアは空中に魔法陣を展開させ、笑顔のまま全身が光の玉となり、遠い彼方へと瞬時に飛んでいく。
「…何もない、か」
彼女たちにずっと手を振り返していた彼は、一人になったと同時にそう呟いた。
「はぁ…」と息を吐く彼は、顔面が真っ赤で手が震えている。
反動によるものだった。彼女たちがいた手前では平常心を装ってはいたが、それは幼少期に“特訓”をした賜物であっただけで、心そのものが鍛えられたわけではない。
身体の中には未だにティエリアの力を感じる。暖かい感情と、柔らかい感触がまだ残っている。
興奮しないわけがなかった。彼も年頃の男子であり、健常である以上当然の反応が出てしまっている。
「なんともないはずはないんだよな…」
胸はずっと高鳴っているし緊張しているし、正直なところティエリアが倒れなければあのままどうなっていたか自分でも分からない。
ニーニアにはなんともないと答えたが、吸魔というものは心で繋がりあった状態に近いので、当然ながら彼女たちが感じているのもこちらに流れてきていたのだ。
感覚の共有に加え、彼女たちの息遣いや恥ずかしそうな表情、柔肌に触れる感触に可愛い声は、さすがに長時間耐え切れるものではない。
「マジで何とかしないとな…」
その場で立ち尽くしたまま何度か深呼吸を繰り返し、反動を押さえ込む。
どうにか平常心を取り戻した彼は、気持ちを切り替えて帰路についた。
「…さすがに驚きました」
玄関でダインを出迎えるなり、サラは驚いた様子で言ってきた。
「まさかゴッド族の方の聖力まで持ってくるとは…」
ヴァンプ族ほどではないが、ゴッド族も希少種だ。一目見ることすらレアだと言われている存在なので、そんな相手から吸魔できたというのは、サラにとっては驚き以外の何物でもない。
「なんかまぶしいよー」
同じく出迎えに来てくれたルシラは、困ったように両目を手で覆ってる。
ダインの全身は未だに淡く光っており、眩しすぎていつものように抱きつきタックルが出来ないのだろう。
「良い方々に恵まれすぎですね」
サラの台詞に「改めてそう思ったよ」とダインは笑い、カバンを彼女に手渡す。
「きらきらしたおんなのこがみえるよ?」
これまた特殊なルシラは、魔法力の質で種族を見分けられるサラからさらに踏み込んで、相手の顔まで見えるらしい。
「かわいいこだね?」
「はは、そうだな。可愛いよ。他の友達もな」
「しかし」と、サラが口を開く。
「ダイン坊ちゃまのご様子から、相当な聖力を吸ったとお見受けしますが…時間がかかったのではないですか?」
「そりゃまぁ…」
「大変だったでしょう?」
相変わらず彼女は無表情だが、その口ぶりから彼女の言わんとしている事が分かる。
サラもヴァンプ族なのだ。吸魔の際に生じる感覚の共有も当然分かっているはずで、ダインの精神が大変だったんじゃないかと聞いているんだろう。
「あんま長い時間吸うもんじゃねぇな」
どうにか理性は保ててた、という彼に対し、サラが理解を示したように頷く。
「今回は肌の触れ合いのみでしたでしょうが、触手を使った場合の長時間の吸魔では、さすがにダイン坊ちゃまの強固な理性にもひびが入るかもしれませんね」
いきなり不穏なことを言い出す。
「前回の触手による吸魔は気を失っていた間に起きたことでしたからまだ良かったものの、意識があるうちにあのようなことになれば…」
口元の端に笑みが浮かぶ。
「我慢できずにやっちゃったりして」
愉快そうに言ったサラに、ダインは「おい」と咎めた。
「ルシラいるんだぞ」
「ああそうでした」と言葉を慎むサラだが、その表情から考えると絶対にわざとだろう。
何事にも興味津々なルシラが早速何の話か聞いてくると身構えていたが、不思議と彼女は興味を示さなかった。
いや、興味というよりも固まっているようだった。もうダインの眩しさに慣れたようで目から手は離れたものの、微動だにしないままダインをじっと見上げている。
「ルシラ?」
どうかしたのかと尋ねるが、ルシラの返事は口ではなくその腹から聞こえた。
大きな空腹の音が玄関に鳴り響き、ルシラはお腹を手で押さえる。
「おなかへったよぉ…」
力なく言い、困った様子にダインとサラは笑い声を上げた。
「そうですね。まずはお夕飯にしましょうか。もう準備は済ませておりますし」
ルシラは何よりもまず食い気らしい。食べ盛りなのは結構なことだと、ダインは笑顔のままスリッパを履いた。
「あのね、だいん、るしらね、るしらもね、ごはんとかおてつだいしたんだよ!」
光に慣れた彼女は、早速ダインの足を掴んでよじ登ろうとしてくる。
察してダインが抱き上げると、嬉しそうに抱きついてきた。
「おさらならべたりね、もりつけ? っていうのしたりね、こんどはおさかなやいてもいいって!」
「はは、良い子だなルシラは」
屈託なく今日あった出来事を話す彼女は可愛らしいことこの上ない。
サラダの盛り付けは抽象画を連想させるような独特なものであったが、それもまた可愛くて、食卓の席ではしばらく笑い声が絶えなかった。
毎日の報告会は、就寝一時間ほど前にリビングで行われる。
基本的にダインが思い出せる範囲でその日あったことを報告し、サラに興味のある内容や伝える必要がある場合には、その都度助言をしてくれる。
もはや日課として染み付いた報告会だった。
「ダイン部の活動ですか…」
今日の一番大きなイベントはラフィンとのお茶会だったはず。サラもそこに一番食いつくかと思いきや、彼女が気になったのはダイン部での出来事だ。
「改めてご説明しますが」と、サラが再度ダインに伝えたのは吸魔の特性についてだ。
「感覚に慣れるというのは結構ですが、常習性の方が厄介ですので長時間の吸魔についてはあまり推奨できません」
麻薬のような常習性に、動けなくなるほどの脱力感。その気になれば空っぽになるまで魔法力を吸い尽くすことも出来る。
サラはダインに吸魔の上手な使い方を覚えて欲しいようだった。
「ダイン坊ちゃま側の努力も必要になるでしょうね。これまで女体に触れる機会が滅多になかったダイン坊ちゃまにとっては、些か刺激の強いものなのですから。触手による吸魔の気持ちよさを知ってしまったら、もはやどうなることか。ダイン坊ちゃまもお年頃の男の子なのですからね」
何とも済ました顔で言うサラだが、同族である彼女も当然吸魔行為は経験済みのはずだ。
「サラはどうしてるんだ?」
ダインは単純に興味があって尋ねた。
ヴァンプ族が生きていく上で、吸魔というのはそれほど重要なものではない。
能力としてある以上必要なことではあるのだが、別に魔力を吸わなくては生きられないというわけではないのだ。
ヴァンプ族のみではなく、どの種族にとっても魔法力というものは体力等とは別枠の力という位置づけだ。
生命力が尽きれば死んでしまうが、魔力や聖力が尽きたとしても身体に深刻な影響を及ぼすことはまずない。
何かしらの異常はあるものの、休めば回復する力なのだ。よって、社会的には魔法力は重要視されてるものの、生きる上での必要性はそれほど高いものでもない。
「まぁ私は基本的に村から出ることはそれほどありませんから、吸魔衝動に陥ることはまずないのですが」
吸魔は滅多なことではしないと言いながらも、その“滅多”がいつなのかを打ち明けた。
「ジェイルだけですね。私にとっての吸魔対象は」
サラから久しぶりに聞いたその名前に、ダインは「ああ、あの人か」と納得した顔を見せる。
ジェイルとはサラの恋人だった。人柄が良く優男のヴァンプ族で、サラと同年だ。
サラが今も通い詰めているレストランでチーフを務めており、常連客のサラに惚れ込んだ彼が告白してきたらしい。
「同族とは言え他人同士ですとある程度の吸魔は可能なので、当時は興味本位もあり色々とやりましたかね」
「色々?」
「ええ。互いに吸魔しあったり、触手を絡ませあったり。大抵の場合は我慢できなくなりそのままやっちゃってましたが」
あまりに淡々と話しているが、その内容はとても子供に聞かせられるものではない。
「そ、そうか」
ダインは思わず顔を逸らしてしまう。少しも動揺しないサラはさすがだと思うしかなかった。
昔から彼女は感情の起伏が少ない。かつては鉄仮面と言われていたほどで、そんな彼女から恋人が出来たと聞かされたときには、驚きすぎてソファから転げ落ちたほどだ。
「互いに吸魔しあう中での行為は、悦楽の極致に近いと思います。もう戻れなくなること請け合いです」
「いや真顔でそんなこと言われてもな」
「ダイン坊ちゃまも我慢できなくなったなら、そのまま襲いかかられてはいかがでしょう」
「できるかっ!」
ダインが即座に突っ込むものの、いつの間にか週刊誌を手にしていた彼女はそれを開き内容を黙読していた。
「貞操観念が強いのはヴァンプ族とヒューマ族ぐらいですよ。重婚や多数の男女が入り乱れての共同棲生活など、一夫一妻にこだわらない種族は数多くございますし」
「いや、そういう話じゃ…」
ダインの否定を遮り、ゴシップ記事に目を通す彼女は続ける。
「デビ族は欲望に忠実ですし、ハーレムを築く種族もあるとか。同族婚であったりスポーツとして営みに励む種族もいらっしゃるようですし、下着文化がなかったり、服すら身に着けず裸で暮らしている種族もございます。性を秘め事として考えている種族は少数派なのかも知れませんね」
ゴシップ記事の内容を聞かされ、ダインはますます顔を赤くさせていってしまう。
彼の反応に満足したのか、サラは「ま、所詮週刊誌ですけれど」と雑誌を閉じた。
「真実と異なることもあるでしょうから鵜呑みにはできませんがね」
「そりゃそうだろ。大体それが真実だとしても、個人差はあるはずだし」
ふとニーニアやティエリアのことが浮かぶ。あの二人は確実にそういったこととは縁遠いはずだ。
「大体、ただでさえ吸魔で恥ずかしい思いさせてるってのに、それ以上何かするわけにいかねぇだろ」
真面目な顔になるダインに対し、サラはやや感心したように目を見開いた。
「さすがはカールセン家のご長男。特に倫理観や道徳心の育成に力を入れた奥様の賜物でありますね」
それは否定しない。ダインにとって両親は親である以上に人生の師に近い存在だ。
文字も言語も、考え方や計算方法まで、何から何まで親から教えてもらった。友達が出来て、上手く付き合えているのも両親のおかげと言っても良い。
「まぁ、ダイン坊ちゃまが誰と恋仲になるのかといったことは、私が関与できることではありませんからね。そこはお好きになされば良いと思いますが」
「しかし」とサラはやや真面目な顔になって話を始めに戻す。
「吸魔の影響により、ダイン坊ちゃまがひどい興奮状態に陥ってしまうということは相手方に伝えた方が良いかもしれませんね。興奮のし過ぎで、冗談ではなく本当に襲い掛かってしまう可能性がないとは言い切れませんし」
サラの言うことももっともだ。ダインは深刻そうに「そうだよな」と頷く。
「その点に関してはダイン坊ちゃまもお伝え難いでしょうし、今週末に来ていただけるのですからそのときに私からお話いたしましょう」
「助かるよ」
素直に礼を言うダインの声を聞きながら、彼女は背後の壁に貼られたカレンダーに目を通す。
「ダイン坊ちゃまのご友人は三名。だんな様と奥様もお帰りになられますし、我々も含めて総勢八名がここに集まるわけですか…」
改めて聞くとかなりの人数だ。親の知人友人が何度か尋ねてきたことはあるが、今回ほど多人数だったことはあまりない。
「そうですね。おもてなしの意味もありますし、慎ましやかながらもパーティでもご用意した方が良いかも知れませんね」
「おお、そりゃあいつらも喜んでくれそうだけど、大丈夫か?」
大変じゃないかとダインは尋ねるが、サラは胸を張った。
「一応私はここカールセン邸のメイド長ですからね。腕の見せ所です。どんとこい大仕事です」
確かにサラは祭事の炊き出しや年末の大掃除など、ここ一番の仕事のときは意気揚々としている。
忙しくなればなるほど燃えるタイプのようで、早くも手帳に当日の献立をメモしているようだ。
「大皿料理を十品ほど作ろうと思うのですが」
「いいな」と素直に喜ぶダインだが、メモを眺めながらサラは考え込むように顎に手を当てる。
「しかしこれは、買出しにそこそこ時間がかかりますね…」
彼女が懸念しているのはルシラのことだ。サラは屋敷の専属メイドなので日中はずっとルシラの相手を出来ていたが、今回の買出しで長い時間屋敷にルシラを一人でいさせることに不安があるようだ。
「商店街へ一緒にお出かけしてもいいのですが、何にでも興味を示すあの子がどこへ行くかわかりませんし、かといってこの広いお屋敷に一人でお留守番させるのも…」
当のルシラはソファの上で寝息を立てている。
目の前のテーブルの上には積み木があり、これまた芸術家のような難解なオブジェは建設途中のままで、残りのパーツはルシラの小さな手の中にある。
「買出しは前日の…明後日にするつもりか?」
ダインが尋ねた。
「そのつもりですが」
「んじゃその日は早めに帰ってくるからさ、入れ替わりで買い出し行ってくれて良いよ」
「おや、頼めますか?」
「ああ。最近暗くなってから帰ってきてるし、ルシラともがっつり遊べてないからな」
助かります、とサラが頭を下げたところで本日の報告会は終了した。
ダインはコップを片付け、サラはルシラを抱き上げて自室へ運んでいく。
表情こそ出さなかったが、ダインも明々後日のことは楽しみだった。
初めて友達を家に呼ぶことに若干の不安はあるものの、優しい彼女たちのことだからきっと楽しいに違いない。
何を話そうか。自分も何かもてなすことができないか。
布団に入り眠る間際まで三日後のことを考えていた彼だが、シンシア達のことを考えていた影響なのか、その日見た夢はとても不思議なものだった。