百十一節、極寒の竜
「どういうことか説明してもらっていいすか」
その場所は、見えるもの全てが雪に覆われた大地だった。
雪の降る地、コンフィエス大陸。
エンジェ族が統治しているそこは年がら年中寒く、どこを見渡しても銀世界しかない。
中でも“アブリシア”を封印している場所、『アイスマウンテン』は特に寒い極寒の地といわれている。
自分の背丈よりもはるかに高い積雪を眺めつつ、家に帰り厚着に着替えていたダインは、「何かきいてません?」、とすぐ前を歩いている例の二人組みに尋ねた。
「学校の方も割りと大変なことになってるってのに、何の説明もなく呼び出されたんすけど」
奇襲戦の状況については、ディエルやラフィン、ティエリアから逐一メールで連絡してもらっている。
例の大群はどうにか捌くことが出来て、いまは小康状態に突入したらしい。
イレギュラーの原因を調査中とのことだが、予断を許さない状況なのは変わらない。
「アイツもいないし昨日の今日で討伐って、ガーゴはどうかしちまったんすか?」
「い、いや、俺にきかれても…」
クレスは困惑した表情のまま、上司であるロドニーに顔を向ける。
魔法の防寒具を見に付けているロドニーだが、その身なりは軽装だ。頭髪の乱れから推察するに、彼も急遽今回の計画に駆り出されたのだろう。
「討伐するから来いとだけいわれて学校を抜け出してきたってのに、ろくな説明もされずこんな場所まで来させられて、どんな組織っすか。俺“ら”は上層部の道具じゃないんすけど」
あえて複数形を用いてガーゴを批判したが、ロドニーもクレスからも反論の声は上がらない。どちらも渋面を浮かべており、ダインの意見は最もだと思っているようだ。
「でもマジでどうするんすか?」
ダインは真面目な顔で二人に尋ねた。「アイツがいなかったら、そもそも討伐自体できないんじゃ…」
そこでロドニーはしばし思慮する。
何か躊躇っていたようだが、「実はな…」意を決したように口を開いた。
「上層部からこういうものを渡されてな…」
そういって彼が懐のポケットから取り出したのは、小さなビニール袋に包まれたカプセル状の錠剤だった。
「…まさかそれ…」
ピンと来てダインがいうと、ロドニーはこくりと頷く。
「名を“パンドラ”というらしい」
隊列のしんがりを歩きながら、ロドニーは続ける。「対ドラゴンの秘密兵器だそうだ。服用すると尋常ならざる力を得られるとか。先を歩く隊員は全て服用済みだ」
ダインはすぐに顔を上げて前を見る。
相変わらず規則正しく並んで歩く討伐部隊だったが、彼らの背中から立ち上る気配は以前見たときとはまるで違っていた。
漂う魔法力は鋭敏なほど研ぎ澄まされており、歩いているだけだが僅かな隙もないように見える。
「…やっぱり、完成したのか」
禍々しいほどに歪な“力”を彼らから感じ、ダインは呟いた。
「理性と精神の維持はできているようだけど…」
討伐隊の面々を静かに観察しているところで、やや不安げに前を見ているロドニーとクレスの顔が視界に入る。
「二人は飲んでないんすか?」
彼らからは別段おかしなものは感じない。
「先日見た“彼”のようになってしまうのかもしれないと思ったら、なかなか手を出せなくてな…」
ロドニーは正直にいい、「いくらこれで強くなれるとはいっても、どんな副作用があるか分からないし…」、と、クレスも服用を躊躇っているようだ。
「ドラゴンと対面する前に飲むようにいわれてはいるのだがな…」
彼らの心配は分かる。ジグルという“被害者”を見た後なので、余計に不安なのだろう。
「どうにか飲まずにやり過ごせればと思っているのだが…」
ロドニーの顔面は皺が寄り、頭髪は白髪交じり。一見すると熟練の傭兵のようだが、その口からは頼りない台詞ばかりが飛び出してくる。
しかしそれこそが人間らしい反応だ。
討伐隊に抜擢され、上司からの評価も上がったのだろう。討伐する度に報酬も上がっていくのかもしれないが、そういう金や名誉に目をくらませ自身を犠牲にしては意味がない。
「成分のよく分からないクスリなんざ、飲まないに越したことはないっすからね」、と、ダイン。
「それはそうなのだが…」
「それよりそのクスリ早くしまってください。飲んでないのバレたら面倒っすよ」
そうダインが促すと、ロドニーは意外そうな表情で「いらないのか?」といった。
「君のことだから、このクスリを追っているように感じたのだが…」
確かに、正直に言えば欲しい。その“パンドラ”という薬は、ガーゴとレギリン教が長年研究した末に開発されたもの。つまり、彼らの情報全てが詰め込まれている。
成分を調べ上げれば入手経路も分かるだろうし、何を目的にしているのかも分かるかもしれない。
答えが目の前にあるのかもしれないが、ダインは「大丈夫っすよ」、と笑っていった。
前回の一件で協力的になってくれた二人にお礼をいいつつ、「部外者の手に渡ったと知れたら、お二人はタダじゃ済まないでしょうし」、と続けた。
彼らの立場を案じていたのだ。「独自で調べますから、それはいいっす。本心は欲しいんすけどね」
笑っていうダインに、「…すまない」、ロドニーはそのクスリをポケットにしまい直す。
「ドラゴンと戦闘が始まったら、できるだけ安全な場所にいてください」
辺りの空気が変わったことを肌で感じつつ、ダインは続ける。「仮に“奴”の強さがそのパンドラによるものだとしたら、ここのドラゴン…“アブリシア”との戦いは一瞬で決着がつくかもしれないっすから」
「本当か?」
ロドニーがその根拠を尋ねようとしたときだった。
突然、キイイィィ…ン、と、前方から耳鳴りのような音が鳴り響く。
次いで、同じ方角から猛吹雪がやってきた。
「うおっ!?」
急な吹雪にロドニーもクレスも顔面を腕でクロスさせ、何が起こったかと前を見る。
「どうやら始まったようです」
ダインがそういうや否や、
『ッグギャアアアアアアアアァァァァァ!!!』
今度はそこから大きな咆哮が聞こえた。
地鳴りと共に大気が震動し、山のようなドラゴン、“アブリシア”が姿を現す。
「出たぞ!!」
先陣を切っていた部隊が戦闘態勢に入ろうと広がり始める。
だがその一瞬の隙を突いて、真っ白な鱗を纏っていたドラゴンは一行に向け、口から凍てつくブレスを浴びせかけた。
散り散りに移動していた戦闘部隊の動きが途中で止まった瞬間、彼らのいる場所が空間ごと氷に包まれる。
「なっ…!? い、一瞬で…!!」
驚愕の声を上げるクレスに、避難してください、とダインが声をかけた。
やはり手助けが必要かとダインが身構えたが、その巨大な氷にヒビが入る。
震えだしたと思ったら、その氷は瞬く間に粉々に砕け散った。
「うおおおおおぉぉぉ!!」
氷に閉じ込められていた戦闘員が自力で脱出したらしい。勇ましい雄叫びを上げながら素早く移動し、ドラゴンを取り囲んだ。
そして彼らの手元が一斉に光りだし、そこから光る鎖が伸びてドラゴンの全身に絡んでいく。どうやら束縛の魔法を使ったようだ。
シアレイヴン戦のときは簡単に引きちぎられていた魔法だったが、
『グ…ギギ…グ…!!』
アブリシアは動けない。口元もぎちぎちに固められ、ブレスすら吐き出せないようだ。
「攻撃部隊、前へ!」
部隊長が叫び、後続の部隊が魔法の詠唱を始める。
光の矢や槍が現れ、ドラゴンに向けそれらが一斉に放たれた。
アブリシアの硬い皮膚を貫通し、突き刺さった瞬間爆発が巻き起こる。
『ギャアアアアアアアアァァァァァ!!!』
ドラゴンから悲鳴が上がる。どうにか鎖を千切ろうと動くものの、鎖には少しのヒビも入らない。
「手を休めるな!! 弾幕を張れ!!」
爆発の光と攻撃魔法のあまりの数に、ドラゴンの姿はあっという間に見えなくなる。ただ悲鳴だけが聞こえていた。
「こ…これは一体…」
ガーゴ戦闘部隊の圧倒的な力量に、クレスは目を見開いたまま固まっている。
「あれがパンドラの力なのか…」
ロドニーも彼らの段違いの強さに驚愕しているようだ。
「…マジで何なんすかね」
シアレイヴンを前に逃げ惑っていた彼らのことを思い出しながら、ダインは腕を組む。「あの強化薬、絶対にまともな材料を使ってるわけないと思うんすけど…」
前方では討伐隊の一方的な攻撃が続いている。
ドーピングの効果で魔法の威力も前回より格段に上がっているらしく、ドラゴンの皮膚はずたずたに切り裂かれていった。
徐々に無残な姿になっていくものの、ドラゴンは力を振り絞って鎖を引きちぎる。
『ガアアアアアアアアァァァァァ!!!』
渾身のブレスを全方位に放ち、周囲は巨大な氷で固められる。
しかしそれでも彼らには効果がなく、また打ち破られてしまった。
そして再びドラゴンへの集中攻撃を再開し、その巨体は光と爆発に包まれる。
やがてアブリシアは口から大量の血を吐き出し、地面に沈んだ。
「…も、もう終わったのか…」
ドラゴンが動かなくなったのを確認し、ロドニーは呟くようにいう。「本当に一瞬だったな…」
「この戦力なら、どんな敵でも勝てるのでは…」
クレスはただ立ち尽くすのみだ。
「おっと、そろそろいってきます」
戦闘員がドラゴンの浄化に取り掛かりだしたので、ダインはすぐさま前線へ駆け出していった。
彼らの視界に入らないよう、素早くアブリシアの懐に入り込み、その肌に触れる。
「いるか…?」
集中して“核”の在り処を探り当て、攻撃魔法で切り裂かれていた部分に手を差し込んだ。
体温を感じない肉を掻き分け、目的のものを掴んで引っ張り出す。
気を失っている“彼”は、倒れている“外皮”どおり白い肌をしている。
「怪我は…ないか」
素早く彼をシャツの中に入れ、ついでに残骸も回収してその場を離れようとした。
「…?」
が、何か違和感がした。
ドラゴンの周りには討伐隊がいて、彼らは強力な浄化魔法を詠唱しており、やがてドラゴンの地面に魔法陣が浮かび上がっていく。
そこから感じる彼らの聖力に、何か妙なものを感じたのだ。
それがどういったものかは具体的には分からない。しかし、聖なる力のようには感じられない。
魔力よりも禍々しく、触れていると気分が悪くなるような、異質な力。
これは何なのだろうと思った瞬間、辺りは浄化の光に包まれだした。
ダインは咄嗟にその場を飛び退き、ロドニーとクレスの元へ戻る。
「終わりました」
ダインが声をかけると、「昨日から疑問だったのだが、一体何を…?」、ロドニーが不思議そうな表情でダインを見た。
彼の衣服は血や砂にまみれている。
「巻き込みたくないんで伏せますけど、これが俺の仕事っす」
ダインは笑って続けた。「それより予想通り早く終わったから、時間的に余裕ができましたね」
彼が帰りそうだと予感して、「あーいや、休む暇はないんだ」、クレスが呼び止めた。
「次の封印地はエティン大陸にある空中要塞だ。転移魔法で移動できないところにあるから、このまま歩いて向かう予定らしいぞ」
「休みなしっすか」
ドラゴンの後処理が終わった討伐隊は、携帯を耳にあてどこかと通話している。本部だろうか。
「パンドラの効果は十分立証されたからな」
ロドニーの耳には、本部の声が聞こえるようインカムが付けられてある。「いまから向かえと指示があった」
「ふ〜ん…」
ドラゴンの初討伐に喜ぶ隊員たちを眺めながら、「随分焦ってるんすね」、ダインはいった。
「どういうことだ?」
「だって気になりません?」
不思議そうにする二人に、ダインは声を潜めていった。「伝承のドラゴンを連日で討伐するなんて、普通じゃ考えられないでしょ。世界中が注目してる計画なんだから」
「それは…確かに…」
お互いに顔を見合わせ、再びこちらに振られたところでダインは続ける。「いくらパンドラがあったとしてももっと慎重に進めるべきことだと思うし、今日だけで二匹も討伐しようだなんて普通考えませんよ」
そう話しながら、やがてダインの目には濃い疑念が宿る。「平和のためとか大義名分振りかざしてますけど、何か別の意図があるように思うんすよね」
「別の意図…例えば?」
「例えば…」
腹部に忍ばせた子供ドラゴンを撫でつつ、ダインはひっそりという。「例えば、真相に気付かれる前に、本当の目的を成就させようとしている…とか」
「本当の目的…?」
「議論する余地を与えちまったら、真相に近づく奴が出てくるかもしれませんし」
「七竜討伐計画は何かの経過段階とでもいうのか?」
「あくまで推論ですけどね。根拠のない陰謀論みたいなもんすけど…でもそうでもなきゃ、こんなに急いで討伐する必要ないじゃないすか」
ロドニーもクレスも黙り込んでしまう。
ダインのその疑惑は、ガーゴの理念に同調してこの討伐計画に加担していた二人をはっとさせるものだった。
「何かあるような気がするんすよね…パンドラのこともそうだし…」
思慮に耽った二人を見て、「あ、いや」、ダインは考えすぎなくていいと彼らにいった。
「二人はガーゴの正式な隊員なんだし、守るものもあるでしょうしこの問題には突っ込まない方がいいです」
ろくな目に遭わないでしょうからと、ダインは続ける。「調べてくれる人は別でいますから、良かったら忘れてください」
ダインが話す疑惑は、ともすればガーゴ全体に影響を及ぼす由々しき問題かも知れない。
ガーゴに属する者としては、自分の身を案じるならば確かに触れていいことではないのだろう。
ダインの気持ちは正直にいってありがたい。
だが、市民を守るべきガーゴとして、ダインの微塵もこちらを頼ろうとしないその振る舞いに、ロドニーには些か突き刺さるものがあった。
何かいおうとしたが、不意に家族のことが浮かび、口を閉ざしてしまう。
「んじゃ一瞬だけ家に帰ります。すぐに戻ってくるんで」
ダインはそういって、携帯を取り出しながら駆け出していった。
「…どうしますか」
ダインの背中が見えなくなってから、クレスはロドニーへ顔を向ける。「部外者である彼に任せていい問題なのでしょうか」
まだ新人であるクレスの目には、熱い正義感が浮かんでいた。
まだ青いが眩しくも見えたロドニーは、「いや…よそう」、表情を曇らせた。
クレスから視線を逸らし、地面を見つめる彼の胸に渦巻いていたのは、ある種の敗北感だった。
「俺たちは、所詮コマに過ぎないからな」
手柄を上司に横取りされた新人時代。
明確な証拠が揃ってるのに、上層部の子供だからと冤罪をでっち上げられた過去。
保身に走る同僚と敵対してしまい、徒党を作って追い込まれたこともある。
被害者のためにと尽力したつもりが、気付けば出世街道を外されていた。
「俺たちがいくら騒いだところで、上は何もしないだろう。それどころか不当な処分を下されるかも知れん」
数多くの辛酸をなめたからこそ、ロドニーはそういってしまった。
「ロドニー警部…」
「情けない上司ですまないな…」
正直に謝るロドニーだが、「いえ、守るものがあるのでしたら真っ当な判断かと…」、彼の家庭事情を思い出したクレスは、そう語るに至ったロドニーの心情に理解を示した。
部下にまで同情されてしまったことにロドニーはまた気持ちが沈んだが、しかし奮起したところで状況は変わらないというのは経験則で分かっていたのだ。
「一度でも、組織の不条理を飲み込んだ身。その時点で、俺たちがガーゴに噛み付くという大それたことはできないんだよ」
そう綴ったロドニーの表情はどこか悔しげだった。
反発心はある。だが自分は無力だというのは、他の誰よりも自分が痛感していたことだ。「この組織に屈したのだから、いまさらどうこういえる権利はない」