百十節、完成した力
ダインたちノマクラスは、校舎裏側の防衛に当たっていた。
西方からやってきたモンスターは数が多く、いまや校舎を取り囲むほどの規模になっている。
全方位からの襲撃に、生徒たちは散り散りになって防衛に務めていた。
攻め入ってくるモンスターの目的は学校を乗っ取ること。校長室に侵入され、そこにある水晶玉を破壊されると生徒側の敗北が確定する。
敗北に際したペナルティーはない。しかしこの長い歴史の中で生徒側が敗北したことはなく、自分たちの世代で汚点を付けるわけにはいかないと彼らは躍起になっていたのだ。
東西南北、空からも陸地からもモンスターは襲いかかってきている。
校舎裏側は比較的敵影は少なかったはずだが、時間の経過と共にその数が増えてきた。
「グルアアアアァァァァッ!!」
そこら中からモンスターの怒声が聞こえ、刃を交え合う音や炎が燃え盛る音も聞こえる。
「い、いくらなんでも数が多すぎるだろこれ…!」
小範囲ながらバリアを張ってモンスターの侵入を防いでいた学生の一人が叫ぶ。
そのバリアの向こう側では、屈強な体躯をしたモンスターが持っていた武器や太い腕を振り回し、バリアを突破しようと攻撃を繰り出している。
外は景色が見えないほどモンスターで覆いつくされており、報告できいていた数より断然多いように思えた。
「こ、こんな中で召喚石の破壊に向かうなんて無理だろ…!」
別の学生からも悲鳴が上がるが、「口じゃなく手を動かしなさい!」、と別の女生徒が叫んだ。
「探索部隊はメガクラス以上なんだからなんとかなるでしょ!」
奇襲戦におけるクラスごとの役割はある程度分担されている。
ノマクラス、ハイクラスは防衛、メガクラスは迎撃と探索、そしてギガクラスは殲滅。
どの役割も決して楽ではないが、モンスター群の中を突っ走らなければならないメガクラス以上は比較的負担が大きいだろう。
しかしそれが伝統ある奇襲戦における生徒側の、昔から変わらない作戦だった。
開始直後は全クラス防衛に努め、モンスターの総数が減ってきたらメガクラスが探索を開始し召喚石を見つけ、ギガクラスと共に破壊に乗り出す。
「こ、ここでこのモンスターの数だったら、正門前はどうなっているんだろうな…」
ノマクラスの一人、ジョセフが呟く。
「いうな…想像したくない」
同じくバリアを張り巡らせモンスターの動きを制限させつつ、クォイルは思考を止めた。
「ガアアアアアァァァァッ!!」
そのとき、すぐ側からモンスターの咆哮が響き、同時に「きゃああぁっ!?」、という女生徒の悲鳴がした。
ノマクラスの女三人組、イド、マイラ、レイモンがバリアを突破してきたモンスターに襲われそうになっていた。
しまったという顔をする男連中だが、戸惑うばかりで対処できない。
いまにも女生徒の肩に噛み付きそうになったが、そのライオン型のモンスターは突然炎に焼かれだす。
「ギャアアアアァァァァ!!」
悲鳴と共にモンスターはあっという間に消し炭になり、怯えた三人組の元へ黒髪の女が近づいた。
「大丈夫?」
声をかけたのはディエルだ。
「あ、ありがとう。危なかった…」
「まだまだ押し寄せてくるから、気を抜かないで」
三人組が安心したのを確認してから、ディエルは後ろを向く。
「ほらダイン、さっさとついてくる!」
後ろにはダインがいた。
「い、いや、俺は戦力にならないからさ…」
申し訳なさそうにするダインだが、「私の使えばいいっていってるでしょ! 遠慮は禁止!」、ややきつい目つきながらも、ディエルは彼の手をぎゅっと掴んだ。
「ちょ…!」
そのまま手を引いて、モンスターの集団の中へ飛び込んでいく。
「ちょ、ちょっとちょっと、抜け駆けは駄目だよディエルちゃん!」
そのすぐ後にシンシアとニーニアが追いかけていき、彼らが向かった先からたくさんのモンスターの悲鳴が上がり、集団が一瞬にして消えた。
「…な、なにあれ」
一匹を倒すのにも苦労していたのに、マイラは戸惑うしかない。
「ま、まぁノマクラスの中でもあの人たちは別格だから…」、と、レイモン。
「ダイン君いつも振り回されてるよね…魔法力の高い人たちに付き合うのも大変だなぁ…」
イドは心中お察ししますといわんばかりの表情だ。
確かにダインは大変だったかもしれない。
彼の作戦としては、種族バレの恐れもあるので、後ろから静かにシンシアたちのサポートに回る腹積もりでいた。
しかしディエルが彼を前線へ引っ張り出してきたのだ。目立ちたくないというダインの考えなど何のその、彼に魔力を吸わせ共闘を強要している。
彼女は待ちに待った大暴れイベントでテンションが上がっていたというのもあるが、ダインと一緒に楽しみたいという思いもあったのだろう。
あるいは彼に良いところを見せたかったのかもしれない。どちらにしろ、ダインはディエルに振り回されている。
「飛ばしすぎだっての! まだ始まったばっかなんだから、魔力はキープしといた方がいいんじゃねぇのか?」
初速からトップスピードで駆け抜けるディエルなので、ダインはさすがに引きとめようとした。
「なんでもないわよこんなもの!」
しかしディエルは構わず攻撃魔法を使い続けている。「私とダインが力を合わせれば、奇襲戦なんて一日で終わるんだから!」
「え? まさか今日中に終わらせるつもりなのか?」
「ええ」
「グルルル!!」
襲い掛かってきたモンスターを風の魔法で吹き飛ばしつつ、ディエルは続ける。「アイツなんかに活躍されたくないもの」
またラフィンへの対抗意識が芽生えてしまったようだ。
そういえば、昨日きいていた通りラフィンは控え室へ通された。
反対にディエルは外へ放り出されている。
「まさか控え室に案内されなかったのが不服だったとか?」
と尋ねるものの、「いーえ? こっちの方が断然楽しいわよ」、ディエルは笑顔で答えた。
「ただアイツが出てきたら色々とややこしくなりそうだからね。誰かさんの取り合いになるでしょうし…」
「誰のことだ?」
分からなくて質問したのだが、ディエルは小さく息を吐いた。
「…ほんと、妙なところで発揮されるその鈍感さは天然なの? 演技?」
何故か軽く睨まれてしまった。
「あのね…」
ディエルが何か話そうとしたとき、
「ダイン君、ディエルちゃ〜ん…!」
遠くからシンシアの声がした。「わぁっ!?」、という悲鳴が後に聞こえる。打撃や衝突音が聞こえ始めたので、恐らく突如やってきたモンスターと戦闘を始めたのだろう。
「ちょっと持ち場を離れすぎたな。助けに行くか」
ダインがそういうが、
「う〜ん…」
ディエルは微妙そうな顔で唸りだした。
「どした?」
「いえ、ちょっと気になって」
「何がだ?」
「シンシアよ」
モンスターと鍔迫り合いを始めたシンシアを眺めつつ、ディエルはいった。「この前まではもっと動きが機敏だったような気がするんだけど…」
モンスターを相手に大立ち回りを見せつつも、彼女はシンシアの動きに違和感を覚えたようだ。
「ああ、どうも自信をなくしちまったみたいでな」
朝に見たシンシアの反応を思い出しながらダインは答える。「姉との実力差を実感したんだと」
その道を極めようとした者ならば、恐らく誰しもがぶち当たる壁だ。
上には上がいる。退魔師を目指すシンシアは、いままさにその壁にぶつかったということだろう。
ディエルも経験があったのか「あー、私も良くあるわ」、とシンシアの心情というものに理解を示す。
「色んな習い事してると、その道のプロの神業を目の当たりにすることがあるんだけど、あれを見ちゃった瞬間に真似できないって投げ出しちゃうのよね」
分かる分かると軽い調子で頷くディエル。
思い悩むシンシアと同列に語られたくなかったので、「お前のは単に飽きただけだろ」、とダインは笑いながらいってやった。
「そんなわけ…あるけど」
反論するかと思いきや、ディエルは簡単に認めた。飽きっぽい性格だというのは自覚があるらしい。
「まぁとにかくスランプらしい。リィンさんの猛特訓を受けてるのに、逆に弱くなるってのは考えもんだな」
「逆をいえば、スランプは自分の殻を破るチャンスでもあるんだけどね」
でも…と、モンスターに囲まれたシンシアとニーニアを遠くから眺めながら彼女は続ける。「でもちょっとタイミングが悪いわよね」
「…だな」
確かに、セブンリンクス最大のイベントである奇襲戦でのスランプはまずいだろう。
今回のイベントももちろん内申に響くだろうし、シンシアにはどうにかうまく切り抜けて欲しいところなのだが。
「しょうがねぇ。ディエル、あいつらを助けに…」
ダインが声をかけようとしたとき、遠くから空に轟くような雄叫びが聞こえた。
周囲で戦っていた生徒たちは声が聞こえた方向を見たまま固まっている。
“そこ”には一際大きなモンスターがそびえ立っていた。
まるで山を思わせるような図体をしており、分厚く盛り上がった腕と二本の足がある。
人型だがその顔面は牛のような形をしており、その手には校舎ごと分断できそうな巨大な斧を持っている。
「あ、あれって…パワフルベヒーモスじゃ…」
どよめく生徒の中からそんな声がした。全員驚愕した表情を浮かべており、大型のモンスターまで湧いてくるとは予想してなかったのだろう。
「ボスのお出ましってわけね」
しかしディエルだけは不敵な笑みを浮かべていた。
再びダインの手を握り締め、「行きましょ」、と巨大モンスターの元へ駆け出そうとする。
「お、おい、シンシアは…」
「強くなろうとしてるからスランプに陥ったんでしょ。邪魔しちゃ殻を抜け出せないわよ」
あえて手を貸さないことも優しさだとディエルはいう。「ピンチの度に助けてたんじゃ、あの子は強くなれないわよ」
優しくするだけでは相手のためにならないと彼女はいいたいのだろう。
確かにその通りだと思い直したダインだが、しかしシンシアたちが心配なのも事実。
「シンシア、ファイトだ…!」
それだけをシンシアにいって、ダインはディエルに引っ張られていった。
「ご…ごめんね、ニーニアちゃん」
どうにか周囲のモンスターを倒せたシンシアは、ニーニアから回復ドリンクを受け取りつつ謝った。
「急にモンスターが湧いてびっくりしちゃって…」
「う、ううん、私は大丈夫だけど…」
ニーニアはそういって、シンシアの顔を覗き込む。「それよりシンシアちゃんの方が心配だよ」
「え、わ、私?」
「うん。何でもないところでこけそうになるし、強化魔法の精度も前ほど高くないような気がするし、それに…」
ニーニアは、シンシアが発現させていた聖剣を指摘した。
その聖剣は以前のように輪郭がはっきりしておらず、ぼんやりとまるで炎のように揺らめいている。
創造魔法は術者の魔法力によってクオリティが左右される。シンシアの集中力が欠いているという証拠だった。
「朝からため息が多かったし、どこか具合が悪いんじゃ…」
シンシアの体調を心配するニーニアに、「ご、ごめんね」、とシンシアは重ねて謝った。
「体調が優れないわけじゃなくて、朝から色々考えすぎちゃってて…」
シンシアは思い込みが激しい面がある。
それは気持ちが上向いていればどこまでもプラスされていくが、マイナス思考に陥るとどんどんテンションが下がってしまうということでもある。
彼女がマイナス思考に陥ったきっかけは、姉のリィンが修行しているところを見たことだった。
自身の創造魔法でモンスターを創り出し、何十体ものモンスターを一振りで切り伏せていた。
その剣捌きも身のこなしも常人のものではなく、どれだけ動き回って聖剣を振り回しても息一つ乱さなかった姉。
とても真似できそうにない。そのときのシンシアはそう思ってしまったのだ。
そこからだった。気持ちがどんどん沈んでいき、いまや気分は地の底よりも深いところまで落ちている。
自分には何が出来るのだろうと、ふと考えてしまったのだ。
ドワ族のニーニアは様々な便利アイテムを創り出し、ダインを楽しませた。
ゴッド族のティエリアは唯一無二の絶対的なバリアを張って、あらゆる災害からダインを守ることが出来るだろう。
エンジェ族のラフィンはエレンディアの証を持っている魔法の天才だし、エンド族の末裔であるディエルはダインと肩を並べて前線に出ている。
スランプに陥り気が滅入ってしまったシンシアは、普段の彼女なら比べる必要のないことを比べてしまった。
彼女たちに比べ、自分は何が出来るのだろうか、と。
自分以外の彼女たちはそれぞれの得意な能力を活かし、ダインの助けになることができる。
でも自分の創造魔法は聖剣しか作れず、その力も大して強くはない━━自分の唯一の力が、とても小さなもののように感じてしまった。
自分がいくら頑張ったところで、彼…ダインの助けになれる気がしない。
大切な人を助けられないのに、退魔師なんて目指しても意味がないのでは…。
暗く、深いところまで気持ちが沈んだときだった。
「シンシアちゃん!」
突然ニーニアに大きな声で呼ばれ、シンシアはハッとする。
「ど、どうしたの?」
「あ、あっち! あっちが大変なことになってるよ!」
ニーニアが指差す先を見る。そこにはノマクラスのクラスメイトがいて、彼らは大量のモンスターに囲まれていた。
「うわわ、ほんとだ!」
シンシアはニーニアと共にすぐに駆け出し、いまにも彼らに飛び掛りそうになっているモンスターを聖剣で斬りつけた。
「はああっ!」
斬られたモンスターはたちまち霧散していき、クラスメイトのホッとした顔が飛び込んでくる。
「大丈夫?」
「う、うん。ありがと…」
そう会話してる間にも、また周囲にモンスターがわらわらと寄ってきた。
少し尋常ではない様子だった。
「一体何が…」
シンシアが声を出すと、「そ、それが…」、何か事情を知っているのか、イドが隣に顔を向ける。
そこには別クラスの男子たちがいた。彼らもモンスターに囲まれ必死の抵抗をしていたように見えたが…違った。
彼らは敵を弾き飛ばしていたのだ。突進してきたモンスターを魔法で弾き、こちらに押し付けてきている。
「俺らが鍛えてやるよ、クソども!!」
いかにも悪そうな笑みを浮かべつつ、その男子学生たちは湧き出るモンスターを次々とこちらへ送り込んできた。
「おら、もっと踊れ踊れ!」
逃げ惑うノマクラスの生徒たちを見て、男たちはゲラゲラと愉快そうに笑う。
「な、何だよ! こんなときに邪魔しなくても…」
ノマクラスの男子学生、ジュセが非難の声を上げかけたが、
「あ?」
ガラの悪い学生の一人が彼を間近で睨みつけた。「ノマクラスの分際で俺らハイクラス様に文句つけんの?」
その表情はまさしくチンピラのそれだ。
「いいんだぜ? やりたいんなら反撃してきても。相手してやるよ」
そう凄まれ、内弁慶だったジュセは途端に萎んでしまう。
男は続けた。「お前等は存在自体邪魔なんだからあんまでしゃばんじゃねぇよ。俺んとこのクラスがこの奇襲戦を終わらせてやるんだからよ」
そう話す男の背後からは、凄まじい戦闘音が聞こえていた。
鬱蒼と生い茂る森の中、モンスターで埋め尽くされていた場所から突如モンスターが吹き飛ばされているのが見える。
中心にいた“影”が動いた瞬間に、敵の塊がまとめて消し炭となっていくようだった。
「俺らには頼りになる“仲間”がいるからな。あいつはギガクラスより上の実力がある」
嵐を巻き起こす“影”を見る男の目は、どこか誇らしげだった。
そこでそのガラの悪い連中のことを思い出したニーニアは、「シンシアちゃん、あの人たちって…」、シンシアにこっそりと話しかけた。
「うん、ハイクラス八組の人…だね」、シンシアはそう答えた。
ハイクラス八組。その連中が…いや、具体的にいえば八組のある“特定の生徒”が、あの大嵐を巻き起こしているのだ。
なおも大挙してくるモンスターの軍団に風穴を開け、一度に数百体ものモンスターを退治している。
あれは誰なんだと他の生徒たちはざわついているが、シンシアとニーニアはすぐに分かった。ジグルだ。
もう力を隠す必要がなくなったのだろうか、単独で暴れまわっているようだ。その強さたるや、一騎当千に迫る勢いだ。
「お前等は邪魔なだけなんだよ」
ノマクラスの面々を見回し、八組の男はいった。「ザコはザコらしく片隅に固まってジッとしてろ。目障りなんだよ」
「そんな言い方…!」
たまらずシンシアが声を上げる。
「あ?」
男の目がこちらに向けられそうになったとき、突如周囲が炎に包まれた。
激しい炎で視界が一気に明るくなる。
「うおっ!?」
何が起こったと驚愕する男に、
「ウチのクラスに何か用かしら?」
炎の中から現れたのはディエル…とダインだ。
もうボスモンスターを倒したのか、彼らのずっと後ろでは巨大なモンスターが倒れているのが見える。
「ハイクラス八組様が、持ち場を離れてこんなところまで来て何の用?」
ディエルは男たちを睨みつけながら続ける。「まさか何かちょっかいかけてきた? ハイクラス五組のときみたいに、いじめられたって騒いであげましょうか?」
ディエルの剣幕に押された男たちは、たじろいだ表情に変わる。相手が元メガクラスのディエルでは分が悪いと思ったのだろう。
「そうしてイキれんのもいまのうちだ」
しかし去り際に男は捨て台詞を残す。「俺らの“仲間”が偉業を成し遂げるのを指を咥えて見ておくんだな」
そうして彼らはぞろぞろと本来の持ち場である校舎西側へ歩いていった。
「…仲間ねぇ」
ディエルは呆れた表情で呟く。「“あっち”はそうは思ってないでしょうけど」
ね、とディエルはダインに顔を向けるが、彼は嵐と化したジグルをじっと凝視していた。
「あいつ…また強くなってんな」
と、一言。
「強くなった?」
「ああ。あいつとは何回かやり合ったけど、今日の動きはまた段違いだ」
「強くなった…」ディエルもダインと同じ方向を見つめ、腕を組む。「本人の素の能力が向上したっていうこと?」
「いや…多分、完成したんだろ」
「完成した?」
「例のクスリだよ」
シンシアたちにも聞こえるよういったとき、彼女たちから「あ」という声が上がった。
「アイツを実験体にしてデータを集め、薬の改良に努めてたんだろ」
以前のように理性を失ったり血管が切れている様子がないと、ダインは続けた。
「え、じゃ、じゃあ、クスリの副作用は排除されたっていうこと?」、とシンシア。
「多分な。だけど…」
目まぐるしい速さで動き回るジグルだが、ダインは彼の動きをしっかり捉えていた。
彼の挙動をつぶさに確認しつつ、その表情にはどこか残念そうな色合いが込められている。
「…アイツがもう手遅れなのは変わらないだろうな」、そういった。
再び襲い掛かってきたモンスターをディエルが排除し、安全になったところでダインは続けた。「あいつの身体に流れる魔法力が相当乱れている。抑制の魔法か何かでどうにか食い止めているみたいだが…崩壊は時間の問題だろう」
「そ、そんな…」
不正な方法で力を得て数々の悪行を重ねてきただろうジグルだが、生命の危機が危ぶまれているということに、シンシアとニーニアはショックを受けたような表情になる。
「アイツももしかしたら予感はしてるのかもな。動きがどこかやけくそに見える」
シンシアもニーニアも固まったままジグルがいる方向を見ている。もはや何も言葉が出てこないのだろう。
「人をあれほど変えるクスリって、一体何なのかしらね」
クラスメイトの奮闘によってインターバルが発生し、その合間にディエルが差し込んできた。「クスリの形がどんなものか分からないけどさ、錠剤ぐらいのサイズでしょ?」
人差し指と親指で錠剤の平均的なサイズを測りながら、彼女は疑問を口にする。「人体に深刻な影響を及ぼす麻薬なり劇薬なりはあるけれど、あれほどの身体強化に繋がるクスリなんて、どの時代にも存在してなかったはずよ」
それはかねてからダインも疑問に思っていたことだった。
ガーゴとレギリン教が共同開発したクスリというところまでは分かっているが、どういった材料を使ってあれほどの効果を出せたのか。
仮に安全面や理性、倫理といったものを度外視して開発に取り掛かったとしても、そう易々と作り出せるものではない。
七竜と渡り合えるほどの力を得られる薬の成分とは一体何なのか。
「アイツまだクスリを隠し持っているかも。後を付けてみましょうよ」
ディエルの提案に、「ん〜、そうだな」、ダインも頷く。
ジグルの後を追おうとした、その瞬間だった。
突然、校舎の頂上付近からけたたましいサイレン音が鳴り響く。
━━『ざ、在校生の…在校生の方々にご連絡いたします! 想定外の事象が起こっていることを確認しました!』
ラフィンの声だった。
これまでは戦況を逐一報告するものだったのだが、どこか逼迫している。
「想定外…?」
戦闘中の学生は思わず手を止め、放送に聞き入ってしまう。
━━『遠方より新たな脅威…イレギュラーのモンスターが発生したようです!』
ラフィンの声から異変を感じた何人かの有翼人の生徒は、すぐさま状況を確認しようと空を飛ぶ。
上空から前方を確認し、そちらを指差しながら何か喚きだした。
━━『残滓です!』
ラフィンの声は続く。『レギオスの残滓が、集団となってこちらに向かっているようです!』
それは以前ラビリンスのバグとして登場した、厄介なモンスターだった。
生徒たちもまだ記憶に残っていたようで、地上の学生たちも一斉に騒ぎ出す。
「え? え? これも奇襲戦の演出じゃないの?」
ノマクラスのミズリが困惑した声を上げた。
確かにその可能性もある…が、スピーカーからラフィンの『教職員の方々が対処に当たりますので、無理だと思ったら即座に校舎へ避難してください!』、という声が鳴り響いた。
どうやら演出でもなんでもなく、本当に異常事態のようだ。
ダインたちの周囲にいる生徒も冗談ではないと気付いたようで、ざわつきがさらに大きくなる。
「ね、ねぇ! 向こうに見える真っ黒なのが全部そうなの!?」
上空で遠方を確認していたデビ族の女が声を出した。
「な、何匹いるのよあれ…! ぜ、絶対に無理じゃない…!!」
別のフェアリ族の女生徒は我先にと校舎の中へ入っていった。
━━『決して無理はしないでください! レギオスの残滓の総数は約一万…一万です! 身の安全を第一に行動してください!!』
その早口な喋り方から、ラフィンは相当慌てているというのがダインたちにも伝わった。
「ねぇ…まさかもう例の連中が仕掛けてきたってことじゃない?」
ディエルがダインたちに小声で話しかける。「ダングレスの幻影が復活したときも残滓が湧いたでしょ。あの連中はもう討伐に動き出したってことじゃ…」
「え…だ、だってまだ奇襲戦が始まったばかりだし、生徒たちたくさんいるよ!?」
シンシアが驚いて声を上げた。「こんなに早く行動する理由なんてないはずじゃ…」
ガーゴがあえて学生を危険に晒すような真似はしないはず、とシンシアは続ける。
確かに彼女のいう通りかも知れないが、シアレイヴンの討伐時にエル族の村を見捨てようとした前例があるだけに、ダインははっきりとは否定できなかった。
とはいえ、情報が少なすぎるのでこちらとしてもまだ動きようがない。
「まだ証拠が出てきてないからなんともいえないな」
それよりも、とダインは数分後到着するであろう強敵の襲撃に身構えた。「俺らは現状で出来ることをやろうぜ」
ノマクラスはほとんどが避難を始めている。ハイクラスも移動を始めており、校舎の裏門は人でごった返していた。
「そうね!」
歯ごたえのある相手が現れたとばかりに、ディエルは嬉々として自身に炎を纏わせた。
「シンシア、ニーニア、やれるか?」
振り向きつつダインが尋ねると、ニーニアは「う、うん!」、と緊張させながらも攻撃アイテムが入ったカバンを握り締める。
「だ、大丈夫…大丈夫…」
シンシアは聖剣を握り締め構えてはいるが、その手は少し震えていた。
彼女のことだ。ここで校舎の中に逃げろといっても、無理をしてでも戦うつもりでいるのだろう。
とにかくいまだけでもシンシアのメンタルが強くなってくれればいいのだが…。
どうしようかと考えたとき、ダインのポケットから音が鳴った。
「あ?」
まさかこんなときに誰かから連絡が来たようだ。
敵の襲撃に警戒しつつ、そのまま通信機を取り出し耳に当てる。
通話相手からの声を聞いている間、ダインは固まってしまった。その顔には困惑が貼り付けられている。
「いや…マジでいってる?」
その彼の声に、シンシアたちは不思議そうな視線を向けた。
「決まったことって、ちょ…」
何か尋ねようとしたところで、一方的に通話を切られたのか、ダインは携帯を耳から離してしまう。
「ど、どうかしたの?」
シンシアが尋ねるも、彼は携帯を見つめたまましばし動かない。
「ちょっとダイン、もうすぐ敵が来るわよ!」
ぼさっとしてるんじゃないとディエルの檄が飛ぶが、それでも彼の反応は薄いままだ。
「も、もしかしてお家の方で何かあったの?」
ダインの表情からただならぬものを感じ、ニーニアの表情も不安そうなものに変わる。
「いや、それが…ガーゴから連絡がきてさ…」
ダインは困惑したままいった。
「いまからドラゴンを二匹討伐するから来いって…」