百八節、変わりある日常
その日の朝もいつも通りの朝だった。
待ち合わせ場所である通学路途中の公園にはシンシアたちがいて、ダインの姿に気付いた瞬間、おはようと笑顔を向けてくる。
「みんな早いんだな」
奇襲戦のこともあり、ダインはいつもにしては割りと早めに登校したつもりだった。
なのにシンシアたちはそれ以上に早くに来ていたとは。
「きょ、今日のこと考えてたらジッとできなくて」
そう話すシンシアはそわそわした様子だ。「かなり早起きしちゃったから、道場で体動かしてきちゃったよ」
確かに彼女の顔は少し上気しているようだ。
「おいおい、体力は温存しておかないと」
「あ、か、回復アイテムあるよ」
栄養ドリンクを取り出そうとしたニーニアの学生カバンはパンパンに膨らんでいる。見るからに重たそうだ。
「ニーニア、まさかそれ今日の準備で…?」
「う、うん。何が起こるか分からないから」
こっそり見せてもらうと、カバンの中は小瓶や小さなボール、お守りやペンダントといった小物が沢山詰め込まれている。回復や戦闘用のアイテムをしこたま持ってきたのだろう。
「これで数日は持つと思う…」
「そう…だな。でも他の人に見つからないようにな」
部外者が準備万端なニーニアを見て、奇襲戦のことを知っていると勘付かれたら色々と面倒だ。
ニーニアもそのことは分かっていたらしく、頷いてからカバンのチャックをしっかり閉めた。
「で、では行きましょうか」
歩き出すティエリアは、見て分かるほどにぎくしゃくしている。
彼女だけではなく、シンシアもニーニアも顔に緊張を宿らせていた。
奇襲戦の説明を受けた後ならば仕方のないことだろう。しかし他の学生は普段どおり通学している中、彼女たちだけやけに緊張していてはバレてしまいそうだ。
「普段どおりにな」
できるだけ彼女たちが落ち着くよう、ダインは「奇襲戦が今日とも限らないしさ」、と適当なことをいった。
「ラフィンが勘違いして奇襲戦だと解釈しただけで、別のイベントの可能性もあるわけだし」
「べ、別? 例えば?」、とシンシア。
「例えば…え〜と、復讐戦とか…」
「奇襲戦より過酷そうだけど…」
ニーニアの反応に、「あ、あれ以上ですか!?」、ティエリアは目を丸くさせた。
「戦闘期間が一ヶ月どころでは済まなくなるのでは…」
「そ、そんな…!」
話が広まりそうになったところで、「だ、大丈夫、大丈夫だよ!」、とシンシアが声を大きくさせた。
「私たちにはダイン君がいるから!」
ダインをチラリと見る。「だから何が起こっても大丈夫だよ」
ね? と問いかけてくるシンシアに、ダインは「シンシアも、だろ?」、といった。
「リィンさんの特訓受けてるんだし、俺が手を貸さなくても乗り切れるだろ」
シンシアの頑張りを見ていたからこそ思った、ダインの意見である。「聖剣が大きくなって形もはっきりしてきたし、シンシアがいれば大丈夫だ」
特訓が始まってそう日数は経ってないが、自信はついてきたはずだ。
そう感じていたのだが、
「う、う〜ん、どうだろ…」
シンシアの反応はイマイチだった。
「私なんかまだまだだよ」
「おいおい、まだそんな感じなのか?」
「だ、だって、お姉ちゃんの動き見ていたらまったく追いつける気がしなくて…」
眉を寄せ、肩を落とす様は明らかに自信なさげだ。今日は大事なイベントなのに、メインアタッカーでもある彼女がこんな調子ではまずい。
「あのな、シンシア…」
シンシアを改めて元気付けようとしたとき、
「おっはよーぅ!」
突然、ダインたちの背中に軽く衝撃が走る。
彼らの背中を叩いたのはディエルだった。
「なーに緊張した顔してんのよ」
こちらに笑顔を向ける彼女の後ろにはミーナもいて、ぺこりと頭を下げてくる。
「早く行きましょうよ」
シンシアたちとは打って変わり、ディエルはやや興奮した様子だ。
彼女にしてみれば久々の大暴れが出来るイベントなのだ。気分が高揚して仕方ないのだろう。
「ディエルちゃん、楽しそうだね…」
シンシアはすっかり意気消沈してしまっているようだ。先ほど早起きしてしまったといっていたが、緊張と不安の余り、あまり眠れなかったのかもしれない。
「他の学校にはないイベントなんだもの。あなた達ももう少し楽しむ心を持った方がいいわ」
「そう切り替えられたらいいんだけど…」
何度目か分からないため息を吐くシンシア。
どうしたら彼女たちの緊張がほぐれるかとダインが考えていると、ニーニアが隣に近づいてきた。
「だ、ダイン君、あの…」
彼女はダインの手をそっと握り締めてくる。
「い、いいかな?」
どうやら恒例となってしまった、手を繋いでの登校をしたいらしい。
「これで不安が紛れるのならな」
ダインは笑っていい、歩くペースをニーニアの歩幅に合わせた。
「あ、で、ではもう片方はシンシアさんが…」
「す、すみません」
ティエリアとシンシアはこそこそ話し合い、ダインの空いた方の手を取ろうとする。
が、別の方向から手が伸びてきて、ダインの手を掴んだ。
「“これ”は私がもらっていくわ」
何とダインの手を奪ったのはディエルだった。
「なっ…!?」
まさかの行動に驚くシンシア。ダインも固まっている。
「あんまりダインに頼りすぎちゃ駄目よ。自分のためにもね?」
そういって駆け出していった。
「お、おい…!」
引っ張られるようにダインも走り出し、ニーニアと繋いでいた手が離れてしまう。
「ちょ、ちょっと…!」
シンシアたちが追いかけようとしたとき、最後尾にいたミーナが呼び止めてきた。
「あの…実はディエルちゃんから伝言を預かってて…」、彼女はおずおずとそういった。
「伝言って…私たちに?」
「う、うん。ディエルちゃん、ああ見えて恥ずかしがりやさんだから…」
「それは一体…」
不思議そうにするシンシアたち。
そんな彼女たちに向け、「あの…」ミーナは小声でいった。「自分も混ざるって…」
「…混ざる?」
「う、うん」
「混ざる…」
何のことかと、シンシアたちはお互いに顔を見合わせる。
ディエルの真意を考えながら、前方に顔を向けた。
「お、おい、早いっての!」
「どこがよ! もっと私のペースに合わせなさい!」
前方では強引なディエルにダインが戸惑っており、そんな彼をディエルは笑顔で見つめている。
ダインの手をしっかりと握り締める彼女の頬に、若干の赤みが差していることを見逃さなかったシンシアたちは、全員が何かを直感したようだった。
「ちょ、ちょっとちょっと! どういうこと…!?」
彼女たちは慌てて駆け出していく。
訝しげに見る他の生徒の視線を意に介さず、ダインを巻き込んでの論争が始まった。
「あ、あはは…」
遠巻きに彼らを見つめながら、ミーナはつい笑い声を上げてしまう。
彼女も楽しくて仕方なかったのだ。数週間前までは人当たりのいい仮面をつけ、内面は誰も信用しなかったディエルだったのだが、ダインと接する度にその仮面がはがされていくのが見て分かる。
ディエルが誰かと触れ合うことなんてまずなかったし、顔を赤くさせたり心からの笑顔を浮かべたこともなかったはずなのに。
本当に楽しい人たちだ。
シンシアたち含め、彼らがどう変化していくのか、間近で見届けていたい。
そう思っていると、
「う〜ん、相変わらずモテモテだねぇ」
ミーナのすぐ隣から男の声がした。
「うひゃっ!?」
突然誰かに話しかけられたので、ミーナは全身を飛び上がらせてしまう。
隣には、見るからに美形なエル族の男…ユーテリアがいた。
「僕のどんな誘いにも応じなかったあの子が、あんな顔をするなんてねぇ…」
そう呟くユーテリアだが、彼とは面識の無かったミーナは「あ、あの…?」、持ち前のキョドりを見せてしまった。
「ああごめんごめん、君はダインと知り合いでいいんだよね?」
「あ、は、はい、同じクラス…ですけど…」
「うん」、頷くユーテリアは、ミーナに笑いかけていった。「じゃあ後ででいいから、彼に伝えておいてくれないかい?」
「え? 何を…」
「ありがとう、ってね」
「…あ、ありがとう…?」
何の話か分からないミーナは固まるしか出来ない。
「ほんとは僕からいうべきなんだろうけど、あの中にお邪魔するのはさすがに気が引けるからねぇ」
「あの…お、お礼を伝えれば、いいんですか…?」
「うん。ダインだったらきっと分かってくれると思うけど…姉と甥がお世話になったっていえば分かりやすいかな」
美形過ぎるのでつい視線を逸らしつつも、「わ、分かりました」、ミーナは頷いた。
「悪いね」、そういったユーテリアは再び前方に顔を向ける。そこではディエルとシンシアたちの押し問答が始まっていた。
間に挟まれたダインはしどろもどろするばかりで、「ふふ」、彼らが初々しく見えたユーテリアはまた笑ってしまう。
「面白い奴だよね、ダインってさ」、そういった。
「え?」
「目撃する度に、彼の周りには人が増えてきているような気がするよ」
ユーテリアのダインを見る目は、少し羨ましそうにも見える。
ミーナはユーテリアほどダインを見てはいない。しかし彼に関する“悪意ある噂”はよく耳にすることがあった。
どれも根拠がなく評価を下げるものばかりだったが、噂のこともあってミーナもダインのことは気にはしていたのだ。
本人にも陰口は届いているはずなのにまったく気にする素振りはなくて、そして彼に集まる人たちはみんな本当に楽しそうな笑顔を浮かべている。
数週間前までクラスメイトにいじめられ卑屈になっていたミーナにとって、ダインとその周りの人たちがどれほど眩しく見えたことか。
「きっと物事の本質が見えているんだろうねぇ」
ユーテリアはいった。「外見上のプライドを持たず、本質だけを見ようとしているから、あんなに人が集まっているのかもしれないね」
「そう…ですね」
本当にその通りだと、ミーナは思った。
ディエルの仮面を見破り、その素顔に何度も話しかけていたダインだから、ディエルも取り繕うことを止めたのだろう。
「私も、ああなれたら…」
つい淡い望みを口にしてしまったが、「はは、そうだねぇ」、ユーテリアは笑ってカバンを背負いなおす。
「あの中に混ざれたらいいんだけどね。でもみんな僕のことかなり警戒しているから無理だろうねぇ」
笑いながら彼は続ける。「だから、遠くからサポートするだけに留めておくよ」
「サポート、ですか?」
ディエルから何も聞いてないミーナには相変わらず何の話か分からなかったが、ユーテリアは構わずいった。「ダインは僕の大切な人たちを助けてくれた。やられた分は、きっちりお返しするつもりでいるよ。アライン家の長男としてね」
「あ、そ、そう、ですか…」
「いつでも助けになる。ダインにはそう伝えといてくれ」
じゃあ、といいつつ、ユーテリアは学校とは別の方向へ歩いていった。
ちょうどそのタイミングで二人の様子がディエルの視界に入ったらしく、慌てたようにミーナの元へ走り寄っていく。
「ちょ、だ、大丈夫だった!? あの女たら…いえ、ユーテリア先輩に何か不埒なことでもされたんじゃないでしょうね?」
ディエルの慌てるような声と、なんでもないと釈明するミーナの声がする。
「酷い言い草だ」
ユーテリアはクスっと笑いつつ、木を背にして通信機を取り出した。
どこかの番号にかけ、応答があったと同時に声を出す。
「申し訳ないんですけど、そっちには協力できそうにないですね」
そう伝えてから、返事があるまでに数秒の間があった。
『━━悪い話じゃないと思うんだけど』
予想外の答えだったのか、通話相手は意外そうな声だ。『英雄の称号とアライン家としての名声が得られるチャンスなのに。いいの?』
「確かに機織や音楽団だけじゃあ、いくら名門でも知名度は上がらないですからね」
実家が抱えている難問を思い起こすユーテリアだが、「でも…」、さらに続けようとした。
“市民を見捨てるような組織は信用できない”━━そういってやりたかったが、余計な一言だと思い、キザったらしい笑い声を漏らす。
「他の“印”を持つ人も、お爺さんだったりまだ子供だったりで、とても戦えそうにない人ばかりだし、僕だってあまりお役に立てないと思いますよ」
ユーテリアがそういったところで、説得する気が失せたのか、『分かったわ』、嘆息混じりな声と共に、通話が切れてしまった。
「…つれないねぇ…」
携帯を見つめながら、ユーテリアは笑みを浮かべる。「デートの誘いに乗ってくれたら考え直さないこともなかったんだけどなぁ」
誰に向けたのか分からない冗談と共に、彼は遠くにある学校に顔を向けた。
「…さて、そろそろ真相究明といこうじゃないか」
その横顔は、ある組織に向けられた激しい怒りに満ちている。
「グリーンを翻弄し、スフィリア女王を侮った罪は重いですよ…モルト教皇…」