百一節、詰問
「モレス執行員から報告を受けたのですが、敵前逃亡したというのは事実ですか」
ガーゴ本部の会議室で、ジーニの棘のある声が木霊する。「どうなの」
彼女が見据える先にはダインが立たされており、彼は後頭部を掻いている。
「まぁドラゴンだけが敵だというのなら、そうでしょうね」
シアレイヴンの討伐がどうにか完遂し、終了の報告をしに本部に訪れた直後のことだった。
本部内にある広場に集められ解散の号令がかかった直後、ダインだけ呼び出しを受けていたのだ。
モレスの意地の悪そうな笑みと、目の前で表情を険しくさせているジーニとサイラの顔を見て、何の用件で呼び出されたのか大体察しはつく。
案の定、ジーニはため息を一ついた。
「特例制度を使ってまであなたを抜擢したカイン様の顔に、あまり泥を塗って欲しくないんだけど」
諦めとも侮蔑ともとれるような視線だ。隣にサイラがいるが、彼女も腕を組みただダインを睨みつけている。
「いや、魔力のない俺にどこまで期待してるんすか」
二人の鋭い目つきを一向に気にしてない素振りで、ダインは肩をすくめた。「ただ、困ってる人を放っておけなかっただけっすよ」
「どういうことよ?」
ジーニは少し眉を上げる。「あなたが敵前逃亡したとしかきいてないんだけど」
確かに彼女の表情は何も分かっていなさそうな顔だ。
「ああ、やっぱりっすか」
狡賢そうなモレスの顔を思い出しながら、ダインは嘆息する。
「ドラゴン対策に力入れすぎじゃないっすか? みんな前しか向いてなかったっすよ」
「だからどういうことよ」
詳細をきく態度を見せてきたので、ダインはいった。「ドラゴンが暴れて、近くの村が巻き込まれてましたよ」
「はぁ?」
ジーニは怪訝そうな表情を浮かべた。「もっとマシな嘘をついて欲しいものなんだけど」
「いや事実だし。何だったら問い合わせてみてくださいよ。助けた人の名前覚えてるんで」
そういっても、ジーニもサイラも動く様子はない。
しかしダインが嘘をいってるようには見えなかったのか、二人の瞳が若干揺れ動いた。
彼女たちはどういう心情でいるのか。探るような視線のままダインは続けた。「イレギュラーならイレギュラーで、それ用のマニュアルでも作っておくべきじゃなかったんすか?」
「…近隣住民への被害については、各国の保険団体が補填することになっています」
サイラが真顔になって答えた。「村が全壊したとしても、全て建て直せるほどの資金は準備しているはずです」
「…またその話っすか」
ダインは色々といいたい気持ちが湧いたが、「まぁそう決められているのなら、俺はでしゃばった真似をしたってことでしょうね」、ここで何をいったところで無駄だと思い、議論することは諦めた。
「ただ一言だけ」そう断って、続ける。「あまり人命を軽視した言動を続けるとロクなことになりませんよ」
さらりと忠告したつもりだったのだが、どうやら余計な一言だったらしい。
「何の話です」
サイラの表情にさっと朱が差す。「敵前逃亡しただけでなく、言いがかりまでつける気ですか」
ダインをまたギロリと睨みつけてきた。
「ドラゴンを野放しにすれば被害が拡大する。数少ない人員ではできることに限界がある。優先順位が出来てしまうのは仕方ないことだとは思わないのですか」
サイラの言葉が自分勝手なものに聞こえ、「いや、仕方ないはないでしょう」ダインは思わず反論してしまった。
「統率力を誇示したかったのか何なのか知りませんけど、今回討伐隊を少数にしたのはそちらさんなんですよね? もっと人がいれば色々と対応できたと思うんですが」
「こちらの事情を良く知りもしないくせに適当なことをいわないでくれません? まともに動けるのがそれだけしかいなかったとは考えられないのですか」
「だったらそもそも決行日を見直せば良かったじゃないですか。現地の地形や近隣の建物などを入念に調べ上げ、十分すぎるほどの人員を確保してから計画を実行すべきだった。俺には功を焦ったようにしか思えないんですけど」
ダインははっきりとはいわなかったが、その台詞回しには采配ミスだと指摘しているも同義だった。
「一介の学生風情が私たちのやり方にケチをつけるつもりですか!」
プライドが傷つけられたように感じたのか、サイラは激昂して立ち上がる。
「何故あなたがこの場に呼ばれたのかよく考えなさい! 以前から感じていたことですがあなたは無礼が目立ちます! 謝罪するどころか立場も弁えず偉そうに口答えして。私たちに意見すること自体おこがましい。恥を知りなさい!」
ヒートアップしたサイラに感化され、ダインも反論しようと口を開く。
「まぁまぁ、どちらもその辺で」
そのとき、背後のドアが開く音と共に、誰かが突然入室してきた。
スーツを身に纏ったヒューマ族の男は、靴音を響かせながらサイラたちの側へと回り込む。
「は、ハイドル先生」
彼の顔を確認した瞬間、怒りに染め上がっていたサイラの顔が驚きに切り替わった。「来てくださったのですね」
「ああ、うん。そうなんだけど、総監室が分からなくて迷っていたところだったんだよ。この部屋で聞き覚えのある声がしたから入らせてもらったんだけど…」
そう話しながら、ハイドルという男の視線はダインに向けられる。
「ドア越しだが話は聞かせてもらったよ。現状、謝るべきは君の方だろうね」
オールバックでメガネを光らせた彼は、そう断言してきた。「物事は結果が全てだ。ジーニ君もサイラ君も君が敵前逃亡したと報告を受けたから、こうして呼び出した。経過がどういうものであれ、契約違反を犯したのは君であるのは疑いようのない事実だ。だからそれに関してはまず謝るべきではないか」
ハイドルのいい方はどこか軽々しいが、いっていることに反論できる余地はない。「違うかな?」
「いや…いきなり誰っすか」
冷静にダインが突っ込むと、「おっとご存知なかったか。まだ私のことを知らない人がいるんだねぇ」、ハイドルは大げさに驚いたりアクションをして見せた。
そしてそのままダインの前まで歩いてきて、一枚の小さな紙を差し出してくる。名刺だ。
そこに書かれてある職業を見て、ダインの目は大きく開かれる。「弁護士?」
「本日付でこのガーゴの顧問弁護士になった。ハイドル・ヴィンスだ」
名刺の裏には彼がこれまで手がけた裁判が書かれてある。実績なのか無罪と羅列した下の方にテレビ出演のことも書かれてあり、自分は有名人だということを全力で匂わせているような内容だった。
「ということで、謝った方がいいよ。数々の難事件とされる裁判を無罪に導いてきた私がいうのだから間違いない」
負けず嫌いの虫が騒ぎ出したダインであったが、見るからに狡猾そうなその男を相手するとなると、面倒ごとが増える予感しかしない。
「…すみませんでした」
ぶっきらぼうに頭を下げたところで、サイラも溜飲が下がったのか怒り顔のまま椅子にかけなおす。
「素直にそうすればいいんですよ」
「もういいわ。退室して」
ジーニにいわれ、大人しく引き下がろうとしたダインだが、
「次はないわよ」
彼の背中にジーニの鋭い一言が飛んできた。
どうやら一日目にしていきなり最後通告を言い渡されたようだ。ダインはため息で返事を返し、そのまま廊下に出てドアを閉める。
「…ふむ。ガーゴもなかなか大変だねぇ」
呑気そうな表情でハイドルが口を開く。「ああいうのにも頼らないといけないとはね」
「ああ、まぁ、色々とありまして…」
困惑顔で返事をするサイラに、「まぁどうでもいいんだけど」、ハイドルは当初の目的をきくことにした。
「総監室はどこにあるか分かる? トップの人に挨拶しときたいからさ」
総監室に入室してきた男を見るなり、執務中だったヴァイオレットは笑顔を浮かべた。
「おお、君がハイドル君か」
「お初にお目にかかります総監。本日より顧問弁護士として着任させていただきました、ハイドル・ヴィンスと申す者です」
ハイドルは丁寧に頭を下げる。物腰こそ柔らかいが、その目の奥にぎらつく野心を、長年ガーゴのトップに君臨していたヴァイオレットは見逃さなかった。
抜け目ない男だと内心警戒心を抱きつつも、特に表情に出すこともなく、「うむうむ。まぁかけてくれ」、握手をしつつソファを勧め、自身も執務を中断させて机を挟んだ正面に腰を降ろす。
「噂はかねがね聞いているよ。数々の難事件を解決に導いているそうじゃないか」
「いやいや、そちら様ほどではないですよ。市民の手助けだけでなく、就職の斡旋など一企業として簡単にできることではない」
それから一言二言歯の浮くような褒め合い合戦が始まり、話はやがて今回の契約のことへと流れていく。
「総監、私はこの世の中は民衆の支持こそが全てだと思うんですよ」
ハイドルはいった。「閉鎖的だった裁判はオープンになって民意が反映されるようになったし、ひとたび悪事が露呈すれば、ネット含め袋叩きにあってしまう。翻って、国のために功績を収めた者や果報をもたらした者には多くの支持が集まる。いいことも悪いことも民意によって左右されるんです。いい世の中になったとは思いませんか」
「そうだな」
頷くヴァイオレットを満足げに見てから、ハイドルは続けた。「このオブリビア大陸のガーゴに対する民衆の思いは厚い。ナンバーの人たちは憧れの対象だし、就職希望者も毎年増える一方だ」
「有り難いことにな」
「そして此度の七竜討伐ですよ」
身を乗り出し、ハイドルの力説は続く。「今回シアレイヴンの討伐も滞りなく終わったと報道されましたし、民衆の支持はさらに高まることでしょう。ここへ来る途中店に寄ったのですが、テレビを見ていた客はみんな拍手喝采でした。現地の環境問題も解決されるのですから、外国からの支持も集まることは間違いないはずです。七竜を討伐するたびにそうして支持を得られるのですから、ガーゴの基盤はより磐石なものになる」
お見事ですといわんばかりにハイドルは手を叩いていたが、不意に表情を険しくさせた。
「しかし、光が強いと影も濃くなる」
神妙な面持ちになって、彼はいった。「国内ですら、政治家同士のいったいわないの醜い足の引っ張り合いがあるのですから、国家間でも同様の問題が生じるのは目に見えてますよね」
ヴァイオレットを覗き込むように背を屈めるハイドルの表情は、心中を察するかのような顔つきだ。
「早速スフィリア女王から非難が上がっているとか。シアレイヴンを討伐するのに時間がかかったため被害が拡大した、と」
まだ出回ってない情報を口にするハイドルにやや驚いた顔を見せたヴァイオレットは、彼と同じく困り顔になって「ああ」と頷く。
「トルエルン大陸のルチル王からも、ドラゴンとの戦いで火山が変形したため溶岩が噴出するようになったと、先日抗議されたよ」
そう彼が続けると、「お任せください」、ハイドルは笑顔と共に両手を広げた。
「七竜討伐で今後も国家間で色々と問題は生じるでしょうが、私が来たからには安心です」
ハイドルは続ける。「彼らとは、“個人的な”パイプを持っていますから」
彼のその台詞にはどのような意味を孕んでいるのか。
ヴァイオレットはハイドルに関するある程度の噂は聞き及んでいたらしく、彼もまた安心したような笑みになって頷いた。
「サイラ君からの強い推薦で招かせてもらったが、期待通りの人材のようで良かったよ」
「まだ私は何もしてはおりませんよ」
ハイドルは可笑しそうに笑った。「非難声明を出されている二国に関しては私にお任せください。適切に対処いたします。それよりも、直近での難題があるのならご提示いただきたい」
そして彼の表情は素に戻る。「差し当たって、この“彼”…に関することでよろしいでしょうか」
ハイドルがカバンから取り出したのは一冊の雑誌で、あるページを開いてテーブルに滑らせてくる。
そこにはヴォルケイン討伐に最も貢献したとして、“謎のフード男”が誰であるかの検証記事が書かれてあった。
「サイラ君から聞きましたよ」
上半身を逸らし、ソファにもたれながら彼はいった。「そろそろ扱いきれなくなってきたとか。凶暴性が増し、まるでモンスター化したようだと」
「…そうだな」
記事を黙読したヴァイオレットも、ソファの背にもたれながら顎を触る。「彼の変貌振りに、さすがに彼のご両親も疑問を抱き始めたらしい」
彫りの深い顔面にはさらに皺が寄っている。「探偵を雇いこの近辺を嗅ぎまわっている。なかなか気が強いご両親らしくてな、脅迫文めいたものも送られてきたよ。裁判も辞さないとか、この件を公にするとか」
「それは怖いですねぇ」
面白おかしそうにハイドルは肩を揺らす。
「七竜討伐の立役者なのですから、もちろん真っ当な“おもてなし”をしているのでしょう?」
「もちろんだとも。彼の少々困った“遊び”にも目をつぶっているし、彼は有意義に毎日を過ごせているはずだよ」
「ウィンウィンの関係であれば、いまさら騒ぎ立てることもないでしょうに」
「データも一通り揃ったし、調整も済んだ。次回はこれといたトラブルなくドラゴン対策を進められると思うのだが」
「なるほど…」
頷くハイドルは雑誌をジッと見つめており、やがて…
「うん…ではこうしましょう」
何か思いついたのか、軽く手を叩いた。
「ヴォルケインを単独で討伐し、ガーゴの存在を広く知らしめてくれた。シアレイヴンまでも対処してくれた彼を、ここは一つ盛大に“送り出して”はいかがでしょうか」
「ふむ?」
どういう意味だと興味ありげな視線を向けてくるヴァイオレットに、ハイドルが向けたのは何とも不気味な笑みだった。
「男なら誰しも伝説のヒーローに憧れるもの。英雄として名を残せるのなら、彼も本望でしょう」