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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
10/240

十節、融心

翌朝、目が覚めると隣にはいつものようにルシラがいた。

体を丸め、ダインの寝巻きを掴んだまま寝息を立てている。

一応彼女は女の子なので、サラの部屋に寝かせるようにしてるはずなんだが…。

仕方ない奴だと思いながらその頭を撫でる。

「ん〜」と心地良さそうな声にこちらまで笑顔になってしまう。

まだルシラがここに来て数日しか過ぎてない。にもかかわらず、彼女はもうこの屋敷に馴染んだようだ。

起きてるときはサラの仕事を手伝ったり中庭の手入れを手伝ったり、遊び半分だが元気良く屋敷内を駆け回っている。

ご飯もよく食べるしよく遊ぶし寝るし、植物にもダイン達にも笑顔を振りまく。

子供はこうじゃなくちゃな。

彼女が起きるまでその頭を撫でていたが、ふとダインは起きる直前まで見ていた夢のことを思い出した。

いや、思い出したというほど鮮明には覚えてないのだが、どことなく不思議な夢だった。

光の中、全身がふわふわと浮いたようで、何かに抱かれているような感触があったのだ。

寝ぼけてダインの寝室にやってきたルシラに抱きつかれていたからだとは思うが、妙な心地よさがあった。

それに夢の中では自分以外にもう一人誰かいたような気がする。全てがぼやけてたので良く分からないが…。

そのとき、ドアのノックと共にまだパジャマ姿だったサラが寝室に入ってきた。

「ダイン坊ちゃま、ルシラは…またいましたね」

もはや見慣れた光景だったのだろう。ベッドの上にいるルシラを見て、彼女は小さく息を吐く。

「相変わらずダイン坊ちゃまにべったりですね。さすがの私も妬いてしまいます」

「いや、お前は昼間たっぷり相手してるだろ」

「まぁお昼寝やずっと抱きついたりはしていますが…」

正直に告白するサラに「おい、仕事は」と笑いつつも、彼女が両手に大量の衣類を持っていたことに気付く。

「それは?」

見たところどうも子供服のようだ。

「実家の母に子供服があれば欲しいとお願いしていたところ、早朝に持ってきてくださいました。当分ルシラはここにいるわけですし、いつまでも同じ服でいさせるわけにはいきませんからね」

「え、クリスティさん来てたのか」

朝食ぐらい一緒にすれば良かったのに、というダインに「ランニングのついでですから」とサラは言った。

「いつまでも鍛錬を怠らない母。私も見習いたいものです」

「もう十分だろ」

彼女はベッドまで近づいてきて、その上にもらった子供服を並べていく。

ワンピースにシャツに、ハーフパンツにスカート。靴下やパジャマまである。

どれも可愛らしいデザインで、それだけにルシラに一発目に何を着せようかサラは考え込んでいた。

「全部古着なのか?」

「そうですね。私の幼少時代の服もあります。ファッションは時代と共に移り変わっていくものですが、母が選んだ服はどれも可愛らしい…さすがですね」

サラの母、クリスティはいまはファッションデザイナーをやっている。

カールセン家に仕えていた頃から服飾のセンスがあり、ダインの服も彼女がよく見繕ったり仕立ててくれた。

「これとこれを組み合わせ…いや、こっちの方が…」

あれこれとコーディネートを考える彼女だが、何も朝することではないんじゃないだろうか。

突っ込もうとしたとき、とうとうルシラが起き出してしまった。

「んん…ふわぁ…」

むくりと上半身を起こし、両手を上げ伸びをする。

「ん〜…? だいん、さら…なにしてるのぉ…?」

そう言いながら下を見たとき、彼女は「わっ」と驚いた。

「ふくがたくさんある!」

跳ねるように飛び起きて、服を見回す。

「ルシラはどれがいいですか?」

「え?」

「これ全部、ルシラの服ですよ」

「え、ええ!? ほんと!?」

「ええ。ルシラも女の子ですから、お洒落には気を使わないと」

「え、え〜…? え〜…? どうしようかな…どうしようかな!?」

驚きですっかり目が覚めてしまったのか、ルシラは並べられた服の前で右往左往する。

「下着は流石に古着というわけにはいきませんから、後で買ってきますから楽しみにね、ルシラ」

「う、うん! ありがとう!」

飛び跳ね、嬉しさを全身で表現するルシラに、サラは我慢できなくなったのか抱きついている。

「先に朝ごはん食べてくるわ」

このままだと…いや確実にダインの寝室でルシラが着替えそうだったので、ダインは察して部屋を後にする。

「だいんにもえらんでほしいよ!?」

後ろからルシラの声がするが、サラが止めた。

「とびきりお洒落をしてダイン坊ちゃまを驚かせましょう。一目惚れするほどにね?」

「え、え〜? するかなぁ…するかな?」

「しますよ。ダイン坊ちゃまは女の子が大好きですから」

妙なことを吹き込むなよ…。

心の中で突っ込みつつ、彼は洗面所へと向かった。



いつもの通学路を歩いていると、前方に見慣れた後ろ姿を二つ見つけた。

「珍しい組み合わせだな」黒とシルバー、それぞれのロングヘアーに向かって声をかける。

「ほえ?」という声と共に振り返ったのは、やはりシンシアだった。

「あ、だ、ダインさん、おはようございます!」

こちらに気付いたティエリアが頭を下げてくる。

ダインも「おはよう」と返しながら周囲を見回す。

「ニーニアはいないんだな」

最近は登校時間を合わせようとしていたはずだが、彼女の姿はどこにもない。

「ニーニアちゃんね、ついさっき後ろから来てそのまま学校まで走っていっちゃったよ」

と、シンシア。

「かなり慌ててらしたようなのですが…」

ティエリアは困惑したように言う。

「忘れ物でしょうか」

ダインは「う〜ん」と腕を組む。

「だったら、普通その日のうちに取りに帰るよな」

ニーニアの行動を推理するダインに、その通りだとシンシアが頷いた。

「忘れてた宿題があって、急いで登校してすぐに済ませちゃおうとしてるんじゃないかな」

確かにその線が濃厚だが、そもそもニーニアが何かを忘れるなんて珍しい。

「知識学は滅茶苦茶得意じゃんか、あいつ。宿題ごとき忘れるもんかね」

「そりゃ機械じゃないんだから忘れることもあるよ」シンシアが否定した。

「前の日に印象的な出来事があったりしたときは、他のこと忘れっぽくなっちゃうもんだし」と続ける。

そのときダインは一瞬顔を赤くさせてしまう。

前日、ニーニアに触手で襲い掛かってしまったのを思い出したからなのは言うまでもない。

「まぁそうだな」

すぐに顔の赤みを引っ込め、彼女たちと同じ歩幅で歩き出した。

僅かな動揺でも彼女たちに気取られてしまいそうだった彼は、多少強引に話題を変えた。

「そういや先輩と一緒に登校すんのって、入学式以来だな」

「あ、そういえば…そうですね」

生徒会長は、行事があるなしに関わらず早めの登校を義務付けられている。

他の生徒たちと同じ時間に登校というのは、彼女にとってもかなり久々のことではないだろうか。

「いまはもう、違うので」

まだ職務を後輩に任せた後ろめたさはあるのだろう。彼女の笑顔はぎこちない。

「ようやく学生らしい生活が始まったってところだな」

ダインは明るく言った。

「先輩はそれでいいんだよ。申し訳なく思う必要はない」

シンシアも大きく頷いている。

「今週末は一緒に遊ぶ約束してますし、思いっきり羽目を外しちゃいましょう!」

意外な言葉に、「へぇ、どこ行くんだ?」とダインが興味を引かれたまま尋ねる。

「約束しただけでどこ行くかはまだ決めてないんだ」

とりあえず約束だけを取り付けたらしい。

「あ、ダイン君も一緒に行かない? 今週のお休みって何か用事あるかな?」

「俺も特に用事はないが…」

そのとき、彼は前日にサラから言われていたことを思い出す。

「なぁ、行き先決まってないんなら一つ提案があるんだけど」

そう言うと、シンシアもティエリアも興味が湧いた目でこちらを見てきた。

「そんな大した場所じゃないが」と前もって伝え、「良かったら俺んとこ来ないか?」と続けた。

「え、ダイン君のお家?」

「ええ!?」

ティエリアがシンシア以上の反応を見せる。

固まる彼女を差し置いて、シンシアが遠慮がちに言ってきた。「いいの?」

「何がだ?」

「ダイン君のお家…そういうの、嫌がりそうだと思ってたんだけど」

最初、ダインはシンシア達に種族を隠し接していた。

そのことから、彼はプライベートはあまり公に出来ない奴だというイメージを持たれていたのだろう。

「別にお前等には全部ばれちまってるし、見られて困るようなもんもないしなぁ」

ダインは笑いながら言った。

ヴァンプ族のさらなる特徴を詳しく説明するとサラも言っていたし、ニーニアだけでなく彼女たちにも来てくれて損はない。

それにシンシアは種族関連の知識が広い。もしかしたらルシラの種族なり何なりが分かるかもしれない。

「良かったら、でいいんだ。無理にとは言わないよ」

興味があるなら、と付け加えたところで、ティエリアが未だに固まったままだったことに気付く。

「い…いい、良いのでしょうか。わ、私のような者が行っても…」

急におどおどし始めた。

「お、お友達のお家に伺わせていただくなんてこと、これまでなかったので…」

そういえば彼女はダインが初めての友達だった。

学校内での付き合いはこれまでにあったかも知れないが、プライベートで誰かと会うということはしてこなかったらしい。

「そ、粗相のないようにしないと…あ、お、伯母様からご友人宅にお邪魔する際の作法を習いませんと…」

ぶつぶつ呟きだした彼女に、ダインが「そんな堅苦しくしなくていい」と笑いながら突っ込む。

「先輩はオッケーっぽいし、シンシアはどうだ?」

「もちろん行くよ!」

彼女は大きく頷いてくれた。

「あ、じゃあニーニアちゃんも誘おうよ」

元からそのつもりだったダインは、「ああ」と返事をする。



教室には、ニーニアがすでに自分の席に着席しているのが見えた。

「あ、来たわねダイン」

ニーニアのところに行こうとしたところで、ディエルに呼び止められる。

「おお、ディエル」

ディエルは昨日、ずっと気を失ったままだったんだ。

「大丈夫だったのか」

彼女の容態を伺うが、特におかしなところはない。

体のどこにも絆創膏や傷跡がないのを見てホッとしていると、「平気平気」と手を振って見せてきた。

「衝撃で気を失ってただけだから。情けない話だけどね」

戦闘が得意で普段から鍛えてるディエルだけに、ずっと気を失っていたというのは汚点でしかないようだ。

「傷も浅かったし回復魔法で済んだわ。これも情けない話だけど」

悔しさを滲ませる彼女だが、「とにかく何事もなくて良かったよ」とダインが笑いかける。

「確かにバグは解決したし良かったんだけど、万々歳ってわけでもないんだけどね」

その後が大変だったという彼女に、ダインは自分の席に誘導しつつ続きを促す。

「ほんとに軽い回復魔法だけで済む傷だったのに、気を失った私を見てお父様がすぐに病院手配させたの。目を開けるとお母様もいて泣きそうな顔で見てたし、その日はずっと病室から出してもらえなかったし、本当は今日休まされるところだったのよ?」

身振り手振りで昨夜の大変さを訴えるディエルに、ダインはまた笑ってしまった。

「愛されてるなぁ」

「笑い事じゃないわよ」

ディエルはなおも続ける。

「大丈夫だってことを何とか説得して無事登校できたは良いけど、さっき途中でクラフト先生その他に出くわして昨日のこと質問攻めよ。どうしてテープ張られているのにラビリンスに侵入したか、どうやって下層までいけたか、そのとき何を見て、どうやってバグを解決したか。途中で私気を失ってたから何も覚えてないっていうのに」

ダインは再び笑い出す。「そりゃ災難だったな」

「いや他人事じゃないでしょ」

ディエルが真面目な顔のまま突っ込んできた。

「あなた昨日、詳しいことは明日話すって先生たちに言ったんでしょ?」

「ああ、そういや言ったな」

ふいにディエルは声を潜める。「昼休み、私とあなた…それにあいつを加えて、校長室に来るように、だって」

まぁそうだろうな、というのがダインの正直な気持ちだ。

ダングレスのレプリカを倒し、バグの根本を直せたのは良い。

しかし進入禁止のバリアを破ってラビリンスに侵入し、危険を顧みず最下層付近まで潜り、壁の一部(一部ではない)を破壊した。

結果だけを見れば、俺たちは学校に損害を与えるようなことしかしてないんだ。説明義務があるのは当然だろう。何らかの罰則も予想される。

「まったく面倒よね…行かなきゃ良かったわ」

そう言うディエルだが、その表情に後悔の念はない。

「ま、なるようになるだけだ。面倒なのは同意だがな」

ダインも言ったところで、いつの間にかシンシアがニーニアを連れて近くまで来ていたことに気がついた。

「お、おはよう、だ、ダイン君…」

普段以上に顔が赤い。ダインも一瞬動揺してしまったが、どうにか気持ちを落ち着け彼女に笑いかけた。

「ニーニアも大丈夫そうだな」

「う、うん。ダイン君のおかげで…」

「俺は何もしてねぇよ」

手を振ってから、彼は真面目な顔になり彼女に頭を下げた。

「ごめんな? ニーニアも大変だったろ」

「う、ううん! そんな…そんなことないよ、全然」

彼女は大きく首を左右に振った。

「や、役に立てて、嬉しかったから…」

「だったらよかった」

謝るのではなく「ありがとな」と言葉を変えると、真っ赤なままだったニーニアもようやく笑顔になる。

「しかし今日はなんでまた早めに登校したんだ?」

今朝彼女が慌てていたらしいことを尋ねるが、どういうわけかニーニアはより一層顔を赤くさせてしまう。

「え、と…そ、それ、は…えと…」

なかなか答えを言ってくれない彼女に、ダイン含めシンシアもディエルも不思議そうな顔をする。

言葉を探す彼女は、しきりにダインの机を見ていた。

「ん?」

机に何かあるのだろうかと見てみたが、特に変化はない。

いや、机に刻まれた傷の形や位置が微妙に違う。椅子の形も昨日とは少し変わっているような気がする。これは自分の机ではない。

ニーニアはなおも恥ずかしそうな顔をしている…そこで、ダインはピンと来た。

ニーニアだ。早めに登校した彼女が、クラスメイトがいないうちにダインと自分の机を入れ替えたのだ。

推測でしかないが、昨日の出来事を考えれば彼女の行動も動機も容易に分かる。

「あ〜、と…ご、ごめんな、マジで…」

色々な意味を込め、またニーニアに頭を下げてしまう。

彼の反応から自分が何をしていたか悟られたと知ったのだろう。彼女は赤いまま首を振り、それきり俯いたままになってしまった。

ニーニアの様子と、ディエルとの会話。

始終蚊帳の外だったのはシンシアだ。

「…まっっったく話が見えないよ…」

もう我慢できないとばかりに言ってきた。

「ダイン君何の話してるの? バグって? 解決って? ニーニアちゃんが赤いのはどうして? 役に立ったって?」

困ったような顔のまま詰め寄ってくる。

「何があったの? 何をしたの? も〜ダイン君、私の知らないところで色々しすぎだよ!」

ついには怒られてしまった。

「ま、まぁまぁ。追々説明するからさ、もうちょっと待っててくれ」

「ほんとだよ? 絶対だからね?」

「ああ」と頷いているところで、ディエルは「大変そうね」と笑っている。

「この子達への説明はあなたに任せるわ」

誰かがディエルを呼んだ声がし、彼女は椅子から立ち上がる。

「じゃあ頑張ってね」

ダインの肩をぽんと叩き、別のグループへ歩いていった。

ダインは思わず、その背中を眺めてしまう。

「ダイン君?」

何か考えているように見えたのか、シンシアが不思議そうに尋ねてくる。

「いや」首を振るダインだが、彼には思うところがあった。

━━やっぱあいつから吸えてないな…

初対面のときから、ディエルは自分に対しかなりフランクに接してきていた。

色々冗談を言い合える仲になり昼食も一緒のときが多くなってきたが、それでも吸魔はできなかった。

吸魔は信頼関係がトリガーだ。それができないということは、お互い信頼関係が成り立ってないということになる。

気にすることじゃないと言うのは分かる。ディエルにはディエルなりの考え方があるし、信頼関係と友人関係は別に捉えているタイプなのかもしれない。

しかし、どうにも誰にでも笑顔を向けるディエルは、内面に何かしらの闇を抱えているような気がしてならなかった。



「良く分からんが、ラビリンスが使えるようになったぞ」

教室に入ってきたクラフトが、二時間目の座学を始める前にそう言ってきた。

「今度こそ安全面は確認された。思う存分レベルアップに勤しめ。来月には下克祭が控えていることだしな」

その彼の言葉に、教室中が沸き立つ。

中には立ち上がってガッツポーズまでしてる奴もいる。なかなかのイベントらしいが、ダインには聞きなれない単語だった。

「下克祭ってなんだ…?」

クラスメイト達がざわつく中、ダインは正面にいたシンシアにこっそりと尋ねる。

「あれ、ダイン君知らないの?」

振り向く彼女に頷いてみせると、シンシアは丁寧に説明してくれた。

下克祭とは、実技テストを兼ねた中規模の恒例イベントらしい。

舞台は主にラビリンスで行われ、ラビリンス内でモンスターを倒し、その倒した数によってポイントが加算されていく。

ポイントは稼げば稼ぐほど内申点も上がり、中間、期末テストにも響く割と重要な点数のようで、高得点を稼ぎ、優秀な成績を収めた者にはクラス昇進も可能になるようだ。

逆に成績が悪かった奴には降格もあるそうで、下克とはそこから来ているらしい。

シンシアから一通り説明を受けたダインは、「はー」と息を吐きながら背中を後ろに倒す。

「それでクラスが沸き立ってんのか」

「面白いイベントだとは思うけどね」

退魔師を目指すシンシアにはうってつけのイベントだろうに、彼女は盛り上がりもせず小さく笑うだけだ。

「私はノマクラスのままでいいから、あまりやる気が起こらないな〜」

そういえばシンシアは自ら望んでこのノマクラスにやってきたんだ。

「私もそうねぇ」

隣で会話を聞いていたディエルも肩をすくめている。

「昇格点とったとしてもここに残るつもりだし、他のやる気がある子達の邪魔できないからねぇ」

ディエルこそ一番乗り気になるイベントであるはずだが、昇格がメイン目的である下克祭では相性が悪い。

「どれだけモンスター倒してもポイント加算されないようにできないかしら」

「それこそ他の奴らの邪魔してるじゃん」

そうディエルと話しているところで、教壇から「あーダイン」と通る声でクラフトに呼ばれた。

「先に言っておくが、お前は参加できんからな」

思わず背もたれから離れ、先生を真っ直ぐに見てしまう。

「へ」というダインに、先生は「どうしてかは分かるんじゃないか?」と続けた。

「ついでに言うとディエルもな」

沸き立ったクラスは急に静かになり、彼らの視線が一斉にこちらに注がれる。

「え…な、何かしたの?」

クラス中の疑問をシンシアが代弁してきた。ニーニアの心配そうな視線も感じる。

「いや…まぁ、色々と、な」

詳細を話せないダインはそう言うしかない。

「そ、そうね。色々ね」

ディエルはずっと気を失っていて、情けなさからなのかクラスメイトに話すつもりはないらしい。

しかしラフィンがうまいこと事実を変え説明してくれたようだ。でなければ、ラビリンスの一部破壊という一番重い罪がダイン一人に圧し掛かっていたはずなのだから。

「まぁバグの解決に貢献したようだから謹慎にはならないようだが…あまり目立つことはするなよ?」

やや真剣な表情で注意されたが、昨日はああするしかなかったダインは「はぁ」としか言えない。

「で、下克祭に出場できない代わりにお前等には裏方の仕事をしてもらうことになった。放課後、生徒指導室に行け。詳細はそこで話す」

もう一度「はぁ」と言うダイン。ディエルは明らかにめんどくさそうな表情をしていた。







「んぁ〜! やっと終わった…!!」

校長室から出た瞬間、ディエルは大きく伸びをする。

「こら、だらけるの早い!」

ダインを挟んで反対側にいたラフィンが即座に注意してきた。

昨日の状況説明が、いまようやく終わったところだった。

といっても率先して説明していたのはラフィンで、ダインもディエルも彼女の隣にいただけだ。

先生方からの質問攻めに表情一つ変えず丁寧に答え、真実は異なるものの全て理にかなった内容だったようで異論を唱える人はいなかった。

最後には非を認め全員で「すみませんでした」と頭を下げ、下された処罰はラビリンスの当面の利用禁止という軽いもの。

バグの解決に尽力したことを褒められ、たったいま解放してもらった次第だ。

「やっとご飯食べれる…! エレザ達待ってるから先に行くわね〜」

極度の空腹だったらしいディエルは、ダイン達に手を振りつつ開いていた廊下の窓から外に飛び出していく。

「ちょっ、こら! 窓からの不必要な飛び出しは校則違反でしょ!」

そんなラフィンの指摘にもディエルは「あはは」と笑うだけで、そのまま別棟へ飛んで行ってしまった。

「もう…!」

悔しそうに表情を歪めるラフィンに、ダインが「まぁまぁ」と落ち着かせる。

「今回は大目に見てやれよ。過程はあれだけど、良い事したんだしさ」

そう言うと、彼女は「はぁ」と息を吐く。

「あいつはほんと見たままのデビ族よ。欲望に忠実で、面白いことに顔突っ込んでくるし、茶化すし絡んでくるし」

「そこが良いとことは思うけどな」

「どこがよ」

ぷりぷりと怒ったラフィンに、どうにか怒りを静めてもらおうと話題を変える。

「説明上手だったな」

「え?」

「みんな納得してたみたいだ。おかげでこれ以上追求されることはなさそうだ」

バグの原因はダングレス。

ダイン達で協力し倒したものの、その反動で壁の一部を破損してしまった。

あの後先生連中が現場まで行き状況を確認したらしいが、ラフィンの説明に過不足はないと判断してくれたようで、思ったより早くに解放してくれたんだ。

「悪かったな」

笑顔と共にそう言うと、ラフィンはふいと彼から視線を逸らす。

「別に…そもそも私から頼んだことだし…」

視線は逸らされたまま、彼女の歩みが遅くなっていく。

「…ねぇ」

やや間を置いて、完全に足を止めたラフィンが口を開いた。

ダインは「ん?」と顔を向けるが、彼女から続く言葉が出てこない。

腕を組んではいるが視線は赤い絨毯に向けられたままで、どこか気まずそうな表情だ。

「その…」一度こちらに視線を向けたが、すぐに下に戻される。

何か言いたいことがあるんだろうかと思っていたら、意を決したように顔を上げた。

「話したいことがあるん、だけど…その…ほ、放課後、いい…かしら?」

いつの間にやら顔を赤くさせていたことに疑問が沸いたダインだが、放課後には別件があったことを思い出し「あ〜」と声を出す。

「悪い、放課後はなんか生徒指導室に行かなきゃなんねぇらしくてさ」

「知ってる」ラフィンは言い、「裏方の説明会でしょ? 私も同じだから」と続ける。

「それが終わってからで良いから」

「ああ、それなら」

特に断ることもなかったダインが頷くと、彼女はどこかホッとした様子で歩き出した。

「じゃ、じゃあ…またね」

そう言い残し、ギガクラスのある教室へ歩いていく。

「う〜ん…?」

今度はダインも腕を組み、ラフィンの背中を見送りながら考え込んでしまう。

どことなく、ラフィンの雰囲気が変わったように見えたのは気のせいだろうか。



昼食時、いつもの場所。

ダインの目の前には、弁当箱が四つほど並んでいる。

どれも手が込んだもので美味しそうだが、それらは全て昨日のお返しだとシンシア達がダインのために作ってきたものだった。

「さすがに多くねぇか…?」

お返しはありがたい。しかし事前に何も聞いてなかったので自分の分も作ってきてある。

「育ち盛りの男の子だからいけるよ〜」

ダインの普段の食べっぷりを見ていたシンシアが言う。

ニーニアは「残して良いから」と言い、ティエリアも「ご無理なさらず…」とダインの胃袋を心配しているようだ。

弁当を四人前だなんて明らかに多いが、しかしシンシアの言うとおりダインは食べ盛りでもある。

「まぁこんぐらいならいけそうだ。うまそうだしさ」

ディエルは別グループで昼食を取っているらしいが、あいつがいたら狂喜乱舞してただろう。

そう思いながら差し出された弁当を食べていった。

どの弁当も見た目以上に美味しくて、どんどん箸が進む。

口の中一杯に頬張っており、その様子を見ただけで感想は聞かなくても分かった彼女たちは、笑顔になって彼の喉が詰まらないよう飲み物を差し出してきた。

「それでダイン君、そろそろ説明して欲しいよ。昨日、何があったか」

ずっと聞きたいことを我慢していたシンシアが、食べながらで良いから、と付け加え言ってきた。

「ラビリンスのバグを解決したってどういうこと?」

慌てて口の中の物を飲み込み、ティエリアが反応を示す。「わ、私も気になっていました!」

自分のクラスではそのことで持ちきりだったと彼女は続けた。

「封鎖前、何人かのギガクラスの方々が深層まで行ったのですが酷い有様で逃げ帰ってきたと聞きました。そのような状況の中なのに、ノマクラスであるダインさん、ディエルさんのお二人とラフィンさんだけで最下層付近まで潜りバグを解決したのは、どうやっても考えられないことだと」

思い当たる節のあったニーニアも反応する。

「あ、も、もしかして昨日のあの地震って、ラビリンスの地下で起こったこと…?」

ティエリアが「そういえば」と声を出す。「学校に残っていた方々が、口々にすごい揺れだったとお聞きしました」

シンシアも思い出したのか頷いた。「あ、私も聞いた。煙もすごい昇ってたって」

ラビリンスのバグ解決の出来事は、早くも学校中で話題になっていたようだ。昨日はずっとばたばたしていたので、そこまで大きなことになっていたとは思わなかったダインは何から話そうかと頭の中を整理する。

「かいつまんで説明するよ」

周りに誰もいないことを確認し、彼女たちならば真実を打ち明けても良いと思った彼は簡単に昨日の出来事を説明した。

ラフィンに依頼されバグ解決のためにラビリンスに潜入したこと。途中でディエルが助けに入り、協力して最下層を目指していたところでダングレスが現れたこと。

割とピンチだったが、ダインが攻撃したことによりどうにか敵を倒し、地震はそのときに生じたもの。

「…はー…」

ダインから一通り真相を打ち明けられたシンシアは、驚いた様子のまま息を吐く。

「だ、ダングレス…ですか…確かに噂に聞いたことはありましたが…」

驚愕する余りか、ティエリアの弁当を食べる手はすっかり止まってしまっている。

「私の周りの方々の推測では、ギガクラスであるラフィンさんと元メガクラスだったディエルさんのお二人による功績だろうと言われておりましたが、直接解決したのはやはりダインさんなのですね」

どこか嬉しそうに言ってくるが、ダインは「いや」と首を振った。

「功績云々で言えばあいつ等が一番活躍したと思うよ。俺は投げてただけだったし。最後にちょっと手を貸しただけだ」

「あ、そういえば私のときもダイン君投げてただけだったよね」

思い出したようにシンシアが言う。

「昨日はちゃんと攻撃したんだ?」

「ああ。実を言うと攻撃は禁止されててさ」

ダインは声を潜め、彼女たちだけにヴァンプ族のさらなる特性を打ち明ける。

「魔力を使った特別な攻撃をすると、枯渇状態っつう妙な症状が出て、補給しないままでいるともっと酷い症状の吸魔衝動っつーのに駆られてさ」

それまで驚愕し固まったままだったニーニアが「あ!」と声を上げた。

「そ、それであの時…!」

「そう」

ダインが頷くが、何の話か分からないシンシアとティエリアが不思議そうに見てくる。

「え、何? 吸魔衝動って…」

「あ〜、まぁちょっと言いにくいんだけどさ、吸魔方法って肌と肌で触れる以外にもあったんだよ」

さらに詳細を聞きたがっている2人に、彼は小さく「空間を越えて触手が伸びる」と言った。

触手、という単語自体シンシアにもティエリアにも聞きなれないものだったのだろう。2人はしばし固まり、そのままシンシアが「しょ、触手…?」と声を出す。

「触手って…あの触手? あの、沢山の管みたいなものがあって、うねうね動いてる」

触手を出したのはダインだが、気を失っていたので実際はどんな形だったのか、体のどこから出たのかは分からない。

体験者であるニーニアの方を見ると、彼女は真っ赤なまま小さく頷いていた。

「く、空間を飛び越えて、ということは、ダインさんは別の場所に?」

ティエリアの質問に、ダインが頷く。

「ああ。気を失ってたんだ。直前に頭に思い浮かんでいた人物が対象者になるって説明受けてたから、すぐにニーニアに連絡したんだけどな」

「そ…そう、なの、ですね…」意外すぎる内容にティエリアは驚きを隠せない。「しょ、触手…ですか…」と、最も引っかかっていた単語を呟いた。

「な、なんかエッチだね」

シンシアがストレートな感想を言う。2人はニーニアと同じぐらい赤面している。恐らく触手に絡まれている場面を想像してしまっているのだろう。

「つ、つまり吸魔衝動っていうのは、その触手に魔法力が吸われるっていうこと、なのかな?」

「まぁそう、だな。枯渇状態になって補給したくても周りに誰もいなかったとか、限定されてるとは思うけど」

何分自分も初めてのことなので未だに戸惑っている、と正直に伝えると、シンシア達はより顔を赤くし黙りこんでしまう。

触手に絡まれ、魔法力を吸い取られる。

想像するだけでも卑猥でしかない光景に、シンシアが「や…やっぱりエッチだね…」と言ってきた。

ティエリアも、実際体験したニーニアも赤い表情で俯いたままで、辺りは妙な空気に包まれる。

気まずさを感じたダインは、それを振り払うように「あ、あ〜、でな、ここからが肝心なことなんだけど」とやや声を大きくし、彼女たちの顔を上げさせた。

「さっきも言った通り、触手は俺の思い浮かんだ人物に伸びていっちまうらしいんだ。そこに俺の意識は絡まないようで、勝手に思い浮かんじまうのが厄介なところでさ」

ダインの言わんとしていることを察したシンシアが声を上げた。

「つまりニーニアちゃんだけじゃなくて、私やティエリア先輩にもその触手が伸びてくる可能性があるっていうこと…?」

ダインは「そうだ」と頷く。

「先輩にはまだちゃんと説明してなかったかもしれないけど、吸魔できるのは信頼関係が成り立っていることが前提だ。吸魔衝動の対象者は、お互い近しい間柄だと思っている相手に飛んでいっちまう」

「あ、あはは。私たち友達だもんね」

シンシアはどこか嬉しそうに笑う。

「ち、近しい間柄…近しい…」

ティエリアは赤い顔のままそう何度も呟いていた。

「自分では極力そうならないようにしている。でも今後絶対同じことが起こらないとは言いきれない。何かの拍子に吸魔衝動に駆られ、シンシアか先輩か、はたまたまたニーニアに触手がどのタイミングで、どんな状況の中伸びるか分かったもんじゃない」

ダインの言うことは最もで、シンシア達は相変わらず赤面しつつも、真剣な表情で彼の説明を聞いている。

「だからその対策を練るためにも、今週末はうちに来て欲しいんだ。ヴァンプ族の特性について俺より詳しい奴がいるからさ」

「な、なるほど。今朝私たちを誘ったのはそういう意味だったんだね」

シンシアが納得したように言う。

「え? そ、そんな話してたんだ」

初耳だったニーニアは意外そうな顔をしていた。

「もちろんニーニアも来て欲しい。何か用事とかあるか?」

「そ、それは大丈夫だよ、うん…。だ、ダイン君のお家、かぁ…」

ニーニアの顔がまた赤くなっていく。

触手の餌食になった彼女には別件で説明しなければならないことがあるが、それは家に来たときサラが説明してくれるだろう。

「待ち合わせ場所や時間はまた改めて決めようぜ。対策もそうだけど、単純に遊ぼうぜって意味もあるからさ」

「うん!」

シンシアはすっかり笑顔だ。

「あ! ふ、服…ちゃんとした服を選びませんと…!」

気が早まったのか、ティエリアが手帳を開き準備するものをメモしていってる。

「な、何か持っていった方がいいよね?」

ニーニアもはやる気持ちを抑えつつ、手書きの郷土料理レシピを開きリストを漁っている。

「手ぶらで良いよ。家の奴がもてなしてくれるだろうし」

ダインは思わず笑ってしまった。

触手の話を聞いたのに、気持ち悪がらず普段どおりでいてくれたことが純粋に嬉しかったのだ。

「んなことより早く食べよう。また時間なくなってきたぞ」

ダインの台詞でようやく食事中だったことを思い出し、彼女たちは慌てたように弁当を食べ進めていく。

ダインはティエリアとニーニアでおかず談義で盛り上がっていたが、シンシアは触手という単語がずっと頭から離れないでいたのだろう。

口を動かしながらも何やら考え込んでいた彼女は、「もっと特訓が必要だね」と言い出した。

「特訓って?」ダインが尋ねる。

「もちろん、吸魔の特訓だよ。これまで以上にダイン君からしてもらって、一刻も早く感覚に慣れないと」

確かに、触手による吸魔がいつどこで起こるか分からない以上、いつでも対応できるよう平常心を保つことが先決だ。

「ダイン君部、強化特訓期間に突入だよ」

ニーニアも大きく頷く。しかしダイン部について何も知らされてないティエリアは顔に疑問符を浮かべている。

「ダインさん部…ですか?」

「あ、説明しますね」

シンシアは彼女にダイン部の設立理念を簡単に説明した。

あらかた内容を把握したティエリアは「なるほど」と納得した様子だ。

「もっともっとダイン君から吸ってもらわないと。じゃないと慣れるものも慣れないよ」

「まぁそう、だな…当事者の俺がお願いできる立場じゃないけど…」

四つあった弁当を全て平らげシンシア達に弁当箱を返しているところで、「あ、あの」とティエリアがダインを真っ直ぐに見てきた。

「あの…わ、私も、参加しても良いでしょうか」

「ん?」

「私はもう普通の学生なので放課後時間はありますし、どの部活動にも属してませんし」

早口で言う辺り、必死さが伝わる。

「いや…」

「大歓迎ですよ!」

ダインが返事する前にシンシアが言った。

「うちの部は、特訓だけじゃなくてお楽しみも色々あるんです!」

「お楽しみ、ですか?」

「はい! 特訓もそうですがお菓子や飲み物持ち寄っておしゃべりしたりとか」

笑顔のシンシアは、むしろお菓子とおしゃべりが目的だと言いたげだ。

「ダイン君がほとんど毎日お菓子作ってきてくれてたんです。私もニーニアちゃんも作ってくるのが当たり前になって、どれも美味しくて楽しくて」

ティエリアは目を輝かせるかと思いきや、「お菓子、ですか…」と何故か表情を少し暗くさせた。

「校内には、昼食以外の飲食物の持ち込みは禁止されているのですが…」

「あ」という顔をするシンシア。ニーニアも言葉を詰まらせている。

2人はようやく、相手が規律を守り生徒の模範となる元生徒会長だということを思い出したようだ。

「そ、そのぉ…」言い訳を考えるシンシアとニーニアを見て、ティエリアはくすっと笑う。

「冗談です。もう私は生徒会長ではないので。生徒の方々の模範とならなくてもよくなりました」

先輩が冗談を言うとは珍しい。それほど、内心ダイン部が楽しそうに思えていたのだろう。

「多少は悪い子になってもいいってことだな」

笑いながらダインが言うと、ティエリアは笑顔のまま「はい!」と頷いた。

「も、も〜、急に生徒会長感を出すのはずるいですよ〜」

「ふふ、すみません」

「いいです!」

速攻で許したシンシアは、歓迎の意味も込めてかティエリアに抱きついた。

反対側からニーニアも抱きつき、挟まれたティエリアはくすぐったそうにまた笑っている。

緩い空気に包まれたが、「でも良いのか?」2年生である彼女の立場を考え、ダインは懸念を示した。

「ダイン部っつっても内々で勝手に作った同好会みたいなもんだし、届出もしてないから進級には何の影響も出ないぞ?」

「構いません」ティエリアは即座に言った。

「どこの部にも属するつもりはありませんでした。みなさん眩しがられて部活動に集中できないと思っていたので」

確かに先輩はいついかなるときも眩しい。彼女に抱きついたシンシアもニーニアも目をぎゅっと閉じている。

向上意欲のあるクラブなら、ゴッド族というブランド力は喉から手が出るほど欲しいだろう。しかし妬みや嫉みといった、余計なトラブルを生む種でもある。

これまでティエリアはそういったことを沢山見聞きしてきた。だから何よりも迷惑を掛けたくない彼女は、様々なところから勧誘を受けているだろうが全て断ってきたのだ。

「ですが、このような私を受け入れてくださるダインさん達がお作りになられた部ならば、私はいられる…いえ、属したいと思いました」

この学校は3年制だ。2年生ともなればそろそろ進路を視野に入れなければならないはずだが、少なくとも先輩は進級や進路に部活動の要素を組み込むつもりはないらしい。

彼女のことだから何も考えてないことはないんだろうが、進路云々は別問題として、ダイン達とは繋がりを持っていたいのだろう。

「駄目…でしょうか?」

不意に不安げな顔でダインを見つめてくる。

「先輩にも触手の影響がないとは言えないからな」

そう言って笑いかけると、彼女は嬉しそうな顔で「ありがとうございます!」と頭を下げてきた。

「あ、じゃ、じゃあ、早速今日とかどうかな?」

仲間が増えて嬉しいのだろう、やや興奮した面持ちのニーニアが提案してきた。

確かに早く慣れてもらうためには、できるだけ数をこなす必要がある。

ダインはニーニアと同意見であったが、今日は具合が悪い。

「下克祭の打ち合わせで放課後生徒指導室に行かなきゃなんねぇからなぁ」

今朝クラフトに言われていたことを思い出したニーニアは、残念そうに「そうだったね」と呟いた。

「私たちだけでも、特訓メニューとか作ってみたらどうかな?」

シンシアが提案するが、今度はティエリアが申し訳なさそうな顔をする。

「実は私も放課後は生徒指導室に行く運びになっておりまして…」

「そうなのか?」

生徒会長でなくなったはずなのに。そんな彼の疑問を予感して、彼女は答えた。

「ラフィンさんとの引継ぎはまだ終わってませんので。恒例行事の手筈など、イベントの度にラフィンさんに説明するようにと指示がありました」

ティエリアは、不本意ながらも生徒会長職を一年間やりきったのだ。

この学校は他校と同じく色々と行事がある。進行の仕方や注意事項など、ティエリアは一通り体験したはずだ。

イレギュラーな出来事や気をつけるべき点など、実体験に基づく説明は確かにイベント毎にした方がいいだろう。

「終わるの待ってようか?」

シンシアは言うが、「いつ終わるか分からないから」とダインは首を振る。

「う〜ん、ほんと最近忙しいよね、ダイン君」

確かに彼女の言うとおり、ここ最近ダインは放課後が忙しい。

主にラフィンに呼びつけられていることが多かったのだが、それ以外にもクラス委員として担任のクラフトにもよく仕事を回されていた。

日誌の作成にプリントの配布。HRの進行も任されたことがある。

「学校っつーのは、授業聞いてりゃいいだけだと思ってたんだけどな」

眉を寄せ、困った笑顔でダインが言う。

お茶を飲んでいたシンシアもティエリアも、同じような顔で笑っていた。

「ニーニアも今日は待ってくれなくて良いからな?」

ニーニアの考え込む表情から放課後の行動が読めていたダインは、そう釘をさす。

「昨日みたいなことにはもうならないと思うけど、念のためにな?」

ダインの心配もニーニアには分かっていたので、彼女は赤い表情のまま「うん」と頷いていた。

「ダイン君、今日はずっとニーニアちゃんのこと見てたよね」

午前中、ダインとニーニアとのやりとりを見ていたシンシアがおもむろに言う。

ダインはうろたえもせず「まぁ」と頭を掻いた。

「昨日のあんな姿見たらな」

机に突っ伏し、ぐったりとしたニーニア。

腕一本動かせないほど力が抜けていた状態で、全身が震えっぱなしだった。

あれから一日過ぎているが、まだあの時の感覚が残っているかもしれない。どこかで予期せぬ症状が出てしまうかもしれない。

そんな心配もあり、ダインは授業中でも頻繁にニーニアのことを気遣っていた。

「そりゃ心配もするよ」正直に告白するダイン。彼に対し、シンシアも正直に「羨ましいよ」と呟いた。

「どんな感じだったのかな?」

赤いままでいたニーニアに、シンシアが尋ねだす。

「吸われた時の状況、思い出せる?」

「え? え、えと…」

ニーニアの顔がまたさらに赤くなる。

思い出すだけでも恥ずかしそうにしているということは、あまり公言できるような状況ではなかったのだろう。

「い、いや、それは聞かないほうが良いんじゃ…」

ダインはすかさず言ったが、シンシアは「必要な情報だと思う」と反論してきた。

「突然来ることなんだったら、びっくりしちゃうよ? せめて体験談だけでも聞いて知識つけておいた方が良いんじゃないかな」

吸魔衝動は予告もなくいきなりくる。知識があれば、その突然のことに驚きはするだろうが恐怖したりうろたえることはないはず。

シンシアの言葉はまさに正論だった。それにダイン自身当時のニーニアの状況がどんなものだったのか、詳細をまだ聞いてない。

「知っているのと知らないのとじゃ構え方も変わってくるよ」

彼女の言うとおりだ。納得できる部分しかなかったダインは、素直にニーニアが話し出してくれるのを待つ。

しかし昼休みの時間が残り僅かしかない。ニーニアもそれは分かっていたらしく、「え、とね…」と恥ずかしさを堪えぽつぽつと昨日の出来事を話してくれた。

教室で、ダインの机に座り彼の帰りを待っていると、その机から突然透明な管のようなものが現れた。

いくつも生えていたそれは、見た目に反して人肌に近い感触だった。

温もりもあり、触れた瞬間に体に絡みつき動けなくなったのだ。

そして管の先端が口を開けるように開き、自分の体に吸い付いてきた。

透明な管から透けて見える、光る液体。魔力が視覚化したもので、それが吸い上げられているのだと驚いていた間に、みるみる力が抜けていき思考が奪われていった。

次第に頭がボーっとなっていき、指先の力すら入れられなくなり、それでも触手の触感はダインに似たものなのは分かっていて、まるで彼に抱かれながら優しく力を奪われているようだった。

「そ、それで…いつの間にか気を失っていて、ダイン君の駆けつけてくる足音で意識が戻ってきてね…」

そこまで話したニーニアは、思い出したせいなのか昨日の感触がリアルに蘇ってきたようで、体を軽く震わせている。

顔は真っ赤なままで惚けたような表情だ。

触手による吸魔の詳細を知ったシンシアとティエリアは、始終驚いた顔をしている。

「ど…どこに吸い付かれたの?」

シンシアはいまやニーニアと同じぐらい真っ赤にしつつ、質問を続ける。どことなく呼吸が荒っぽいのは気のせいだろうか。

「せ、制服の上から…お腹とか、鎖骨の辺りとかで…服の上からも吸い取れるみたいだった…よ」

ニーニアがとても言えないような、恥ずかしい箇所ではない。そのことに、ダインは内心ホッとした。

「す、すごいです、ね…」

ティエリアも真っ赤なまま言ってくる。

「見た目は私たちと同じ人型ですのに、触手を出せるとは…」

触手を伸ばしニーニアから魔力を奪い取ったのは確かにダインだ。

触手の根元がダインであるはずだから、体のどこからか出現したはずなのだが、如何せん気を失っていたので分からない。

「た、確かに大変ですよね」

と、ティエリアが続けていった。

「大勢の方がいる中で、そのようなことになったら、と思いますと…」

彼女の心配は、ダインも全く同感だった。

「そうなんだよな…マジで…」

腕を組み空を見上げる彼は、シンシア達以上に深刻そうな顔だ。

吸魔衝動は生理現象に近い。とは言え、それが他者に迷惑がかかるのなら極力避けたいと思うのが普通だろう。

「一番安心な方法は、信頼関係の喪失…みんなとの友達をやめることになるんだが…」

極論を言うダインに、シンシアが即座に反応した。

「何言ってるの。できるはずないよ」

いきなり真顔になったので、余計な言葉だったとダインはハッとする。

「近しい間柄、です」

ティエリアも真剣な様子で訴えてきた。

「私も」とニーニアもダインの台詞を否定する。

「ダイン君から触手の話を聞いたとき、嬉しかったから」

「そう、か?」

「うん。必要としてくれて、それに応えることが出来て…信頼の上に出来たことだから、だから嬉しかった」

そういった後、恥ずかしい台詞だと思ったのかまた顔を赤くさせていった。

「羨ましいなぁ」

シンシアは言葉どおり羨ましそうな表情だ。

「私も襲って欲しいなぁ」

「ばっ…! ご、誤解受けそうなこと言うなよ」

突っ込むダインだが、ティエリアも乗ってきた。

「あの、私も…」

「先輩もかよ…」

確かに友達をやめるというのは言いすぎた。しかしこのままで良いはずはない。

吸魔は相手にとって負担でしかないという認識でいたダインだからこそ、ここまで思い悩んでいるのだ。

「無理やり魔法力奪ってるみたいで、俺としては申し訳なさでいっぱいになるんだよ。あんなことそう何度も起こしていいもんじゃない」

きっぱりと言い放つ彼に、シンシアが笑いかけてくる。

「私たちは気にしないって言ってるのに。ダイン君は相変わらず優しいね」

思いがけない台詞に、ダインの顔にさっと赤みが差す。

「ダイン君が優しいから、周りもみんな優しい人ばかりなのかな?」

ニーニアとティエリアが何度も頷いているのが見える。

ダインは気恥ずかしさから反論の言葉を探すが、口を開いた瞬間にチャイムが鳴り響く。

会話を切り上げ教室に戻ろうとしたところで、「ダイン君」とまたシンシアが名前を呼んできた。

「例えまた同じことが起きたとしても、私は…ううん、私たちは全然苦に思わないからね」

女3人の視線がダインに向けられる。彼女たちは一様に真剣な顔だ。

これだけは言いたかったのか、教室に戻ろうとした直前にシンシアは続けて言った。

「嬉しいことだから、だから申し訳なさから友達止めたほうが良いかもとか、絶対に思わないで」







「じゃあ今日はこれまで」

クラフトの声と共に、その日の授業は終了した。

日直の挨拶で解散となりクラスメイトが次々に教室を出て行く。

「あーダイン、ディエル、お前等はちゃんと生徒指導室に行けよ」

念を押され、そのままクラフトも教室を出て行った。

「はー、面倒ねぇ」

ため息を吐きつつディエルが立ち上がる。

「一応の謝罪はしてペナルティも受けたんだし、それで良いんじゃないの」

彼女の言いたい事も分かる。規則を破ったのは事実だが、そこまで重いことはしてないつもりなのだから。

「ま、ちゃっちゃと終わらせようぜ」

よくよく考えればディエルまでラビリンスの使用禁止処分を受ける必要もないのだろうが、校長先生直々の判断だ。従うしかない。

「言われたことやってりゃすぐだろ」

「仕方ないわねぇ」

面倒と言いつつも、昨日のことはそれほど後悔してるようには見えない。

彼女の人の良さに内心謝罪の気持ちを込めつつ、ダインも椅子から立ち上がる。

「じゃあ私たちは帰ろっか」

シンシアは、カバンを手にやってきたニーニアにそう声をかける。

「あ…うん」

彼女が僅かな間を置いて頷いたのを見ただけで、ダインは悟った。

昨日は学校に用事があると嘘をついてまでダインの帰りを待っていたのだ。

昼間はちゃんと帰ると約束したはずだが、ニーニアのことだからまた途中で戻ってくる可能性も捨てきれない。

帰るところまでしっかり見ていてくれ。

そう思いを込めてシンシアにこっそりと「頼む」と耳打ちすると、察しの良いシンシアが「おっけー」という指サインで返してきた。

「さ、帰ろう、ニーニアちゃん」

「う、うん」

「あれ? 筆箱と知識学の教科書机に入れっぱなしだよ? 今日もらった宿題で使うものだよね?」

「え? あ、え、えと…」

「ほら、ちゃんと持って帰らないと。あ、そうだ、今日はニーニアちゃんのお家にお邪魔するね! 一緒に宿題しようよ!」

矢継ぎ早に言われ、戸惑いっぱなしのニーニアはついにシンシアに手をつかまれ引っ張られていった。

「わ、わわ…! し、シンシアちゃん…! ま、待って…!」

そんな声を最後に、2人の姿は教室から見えなくなる。

「そういえば、あの子…放課後教室に残って誰かを待ってるの何度か目撃したことあるんだけど…」

教室には誰もいなくなり、窓を閉めながらディエルが言う。「あなたを待ってたの?」

「そうみたいだな。遅くなりそうなときは先に帰ってくれって毎回言ってるんだが」

「今日ももしかして宿題でもしながら待つつもりだったとか?」

ディエルの推察に「じゃないか?」とダインが言うと、彼女はくすくすと笑い出した。

「愛されてるわねぇダイン。羨ましいわ」

「友達運についてはある方だと思うよ」

「いいわねぇ」

「まぁお前ほどじゃないがな」

ディエルの周囲には常に誰かがいるのを思い出し、ダインは言った。

気さくで誰にでも話しかける性格の彼女だから、もうノマクラスのほとんどはディエルの友達なのではないだろうか。

メガクラスでも異性も同性も関係なく友達がいたそうだし、休憩時間の度に未だに元クラスメイトが遊びに来たりしている。

ディエルなら本当に冗談抜きで友達百人は目指せそうだ。

「友達…友達ねぇ…」

ディエルはそのまま窓の外を眺めている。

「どこから友達って言うのかしらね…」

その横顔に僅かに翳りの色が浮かんだのはそう言った後だ。

ダインが口を開こうとしたが、すぐさま表情をいつもの懐っこい笑顔に戻した彼女は「早く行きましょ」と教室を出て行こうとする。

沸き起こった疑問を飲み込み、ダインも彼女の後をついていった。



狭いはずの生徒指導室にはそうそうたるメンバーが揃っていた。

上座に教頭先生、隣に体育教師、クラフト含む数名の教員。

元生徒会会長のティエリアに、現生徒会会長のラフィン。そしてギガクラスからハイクラスまでの実行委員10名ほどが、中央の机を囲むようにぐるりと並べられている。

いかにもこれから重要な会議でも始めようかという空気だったが、下克祭はモンスターを倒してポイントを稼ぐだけというシンプルなものなので、ルール説明は簡単で注意事項も特にない。

進行の仕方とそれぞれの役割が書かれたプリントを配られただけで、すぐさま解散となった。

「や〜、お疲れダイン!」

こんなに早く終わると思ってなかったようで、機嫌を良くしたディエルは笑顔でダインの肩を叩き、知り合いらしい他の実行委員と共に廊下を走っていく。

「ちょ…待ちなさいよ!」

ダインの隣から誰かが飛び出し声をかけるものの、聞こえなかったようでディエルの背中が曲がり角で消えた。

「もう、何よあいつ。相変わらずそそっかしいんだから」

声をかけたのはラフィンだった。腕を組んだ相変わらずのポーズで呆れたような表情をしている。

「伝言があるなら追いかけてこようか?」

そう言うが、ラフィンは「もういいわ」と手を振った。

「そこまでの用じゃないから。それより割り当てられた作業をちゃんと理解してるのか疑問なんだけど」

長くなると身構えていたディエルだったので、指導室に入室した瞬間から眠そうにしていたのをラフィンは見ていたようだ。

「理解も何も、俺らの作業が一番簡単だったじゃん」

ダインはもらったプリントを開く。

一番下の項目にダインとディエルの名前があり、役割の欄に『監視係』という文字が書かれてあった。

「別室のモニター室で状況の確認だろ? こんなの理解するまでもねぇじゃん」

地味な内容でいかにも罰則っぽいものだったが、モニターを見るだけという単純作業だったのである意味で楽だ。

「まぁこれで分からないようだったら、初等部以前の問題になるわよね…」

「それより」周りの人が減ってきたことを確認し、ラフィンはこそっと言ってきた。

「待ってるから」

そのまま再び歩き出し、自分の教室へ戻っていく。

「話…ねぇ…」

ラフィンからどんな話をされるのかと予想していたら、「ダインさん」と後ろから誰かに名前を呼ばれた。

やってきたのはティエリアだった。ラフィンへの説明方法を他の先生方と相談していま終わったらしい。

「ダインさんは、この後どうされますか?」

「ああ、この後は…」

ダインが言いきる前に、「あ…あのっ!」とティエリアが声を張り上げる。

「あ、あの、よ、よろしければ…一緒に帰る、という、のは…」

俯いたまま、みるみる顔が赤くなっていく。恥ずかしいことを言っていると思ったのだろうか。

「俺もできればそうしたいところなんだけど」

ダインは笑いながら彼女の頭に手を置いた。

「悪い、この後まだ用事があってさ」

「あ、そ、そうなのですね…」

赤い表情から一転し、やや落ち込んだ顔になっていく。

友達と一緒に帰る、というのもティエリアの夢の一つだったらしい。

「今度一緒に帰ろう。シンシア達と一緒にさ。ダイン部もやらないとな」

そういうと、今度は満面の笑みを浮かべ大きく「はい!」と頷いた。

ぶんぶんと子供のように手を振りながら、上への階段を駆け上がっていく。

「可愛いんだよなぁ…」

ころころと表情を変えるティエリアに、ダインはまた笑ってしまいながら自分の教室を目指した。



教室に戻りカバンを取ろうと自分の机を見たとき、そこに小さな包み紙があったことに気がついた。

包み紙の下にはさらに小さなメモが挟まれている。

『良かったら食べてください』という文字は、明らかにニーニアの字だった。

包み紙の中はクッキー。

シンシアに連れ去られそうになったが、クッキーのことを思い出しこれだけでも届けたかったのだろう。

ニーニアのことを気遣うあまり、今日はほとんどニーニアの世話を受けず、反対にダインが世話をしていた。

クッキーは、世話をさせてもらえなかったニーニアのせめてもの抵抗なのだろう。

「どこまで世話好きなんだよあいつは…」

ダインは小さく笑いながら椅子にかける。

ニーニアに感謝の念を抱きつつ、その数個あったクッキーを一度に頬張った。

クールシナモンの香りとチョコの苦み、砂糖の甘さを感じる。

ニーニアの優しさが伝わってくるような味わいで、そのままごくりと飲み込んだ。

包み紙をポケットに突っ込み、生徒会室に行こうとしたのだが、教室のドア越しに人影が見えたところで動きが止まる。

思わぬ人物に気づいたダインは、「あれ?」と声を出してしまう。

顔を覗かせてきたのは、これから落ち合う予定であったはずのラフィンだった。

「向こうで待ってるんじゃなかったのかよ」

ダインの姿を確認した彼女は、そのまますごすごと教室の中に入ってくる。

「もうここでいいわ。生徒会室ってちょっと目立つ場所にあるし、声も響くから」

思い当たる節のあったダインは「それもそうか」と納得した様子で、持っていたカバンを机の上に置き椅子に座りなおす。

ノマクラスの教室は校舎の一番奥まった場所にある。目立たない場所で放課後には人通りも皆無に近いので、落ち着いて話をするには最適の場所だろう。

「でもいいのか? ギガクラスともあろうお方がノマクラスの教室に足を踏み入れるなんてさ」

冗談っぽくダインが言う。

「それも生徒会長様がさ」

ラフィンは少しムッとした表情になり、反論した。

「生徒会長がノマクラスの教室に入っちゃいけないなんて規則はないわよ」

「そりゃそうだ」

ダインは笑いながら彼女に前の席を勧める。

遠慮がちに席に腰を下ろすラフィンだが、ふと顔を上げ周囲を見回した。

「何か甘い匂いがするわね…」

「ああ、ニーニアがさ、クッキー持ってきてくれてたんだよ」

包み紙を彼女に見せる。

「ニーニア…?」考え込むような仕草の後、「ああ、あのリステン家の」すぐに思い出し言った。

「それより駄目じゃない。校内に昼食以外の飲食物の持ち込みは」

昼間、ティエリアから聞いた台詞そのものを言ってきたことに、ダインは思わず笑い声を上げてしまう。

「何よ」

「いや」

くく…と笑いを堪えつつ、彼は笑顔のまま続けた。

「さすが生徒会長様だなって。いや、規則や規律が大好きなエンジェ族だからか?」

ラフィンの性格を読み取って言うダインだが、気に障る部分があったのかラフィンがまた不機嫌そうな顔になる。

「馬鹿にした言い方ね」

「そんなつもりで言ったんじゃない」

ダインは笑いをどうにか引っ込める。

「ラフィンみたいなエンジェ族がいるからこそ、世の中うまく回ってるんだと思うよ。規則は疎まれがちだが、必要なことだしそれを守り続けるのも大変だ。取り締まる側は嫌われ役になんなきゃなんねぇしさ。お前はよくやってると思うよ」

褒めたつもりで言ったのだが、彼女の不機嫌そうな表情は変わらない。

「別に、嫌われ役になってるつもりはないわよ…気付けばそうなってるだけ」

そういう彼女はどことなく寂しげで、そのときダインが思い出したのは、いつかラフィン本人が言っていた『他人との接し方が分からない』と喚いていた場面だ。

どう話したら楽しくなるか知らない。他人と笑い合ったこともない。

不器用な奴なんだな…やっぱり。

そうダインが確信を持っているところで、ラフィンはハッとしたように下げていた顔を上げた。

「そ、そういうこと話しに来たんじゃないの」

「はは」とまたダインは笑ってしまう。

「そうだな。それで話ってなんだ?」

柔らかい表情のままラフィンを見つめる。

彼女はまた俯いてしまい、沈黙してしまった。

数秒間の静寂が続き、「…あの…」と口を開く。

「昨日のこと、なんだけど…」

「ああ」

「あの…あ、あ…」

詰まらせるように「あ」と言った後、いまや顔を真っ赤にした彼女が言ったのは、

「あ…あり、がとう…助けて、くれて…」

という、お礼の言葉だった。

「…ん?」

今度はダインの方がやや間を置いて声を出してしまう。

まさかプライドの塊であるラフィンの口からお礼が飛び出すとは思ってなかったのだ。

きょとんとした彼は、そのすぐ後に笑い声を上げる。

「何だよ、それをわざわざ言いに来たのか?」

あれだけもったいぶっておきながら、と言い加えるが、彼女はいつになく真剣だ。

「きょ、協力をお願いしたのは私なんだもの。お礼ぐらい、言うのが当然だと思ったの」

どうもラフィンには義理堅い面もあったようだ。

外面だけだとプライドが高く、ディエルが言っているような高飛車エンジェ族にしか見えなかったんだが、やはり読みどおり内面は違うらしい。

「気にするな」ダインは笑いながら手を振った。

「あれが外に出てきそうだったら、お前に頼まれなくてもやってただろうしさ」

「そ、そう…そうね…」

「あ、もしかしてさっきディエルを呼び止めたのって、あいつにもお礼を言うつもりだったのか?」

隣のディエルの席にはカバンがない。さっさと帰ってしまったらしい。

「え? え、えぇ、まぁ…癪だけど、一応あいつにも助けてもらったし…癪だけど」

本当に癪だったから二回も言ったのだろう。

ダインがにやにやしているのに気付いたラフィンは、慌てて取り繕うように強がった。

「ま、まぁあいつが来なくても何とかなってたけどね。余計なことして首突っ込んだから、巻き添えで罰受けたのよって言ってやるつもりだった」

「ほら見たことかってね」そう言う彼女は内面がすけすけで、ダインの笑いは止まらない。

「生徒会長らしくない発言だな」

「いいわよもう」

ブロンドの髪をかき上げ、乱れを整える。

「ここにはあなたしかいないし。色々見られたあなたの前で今更聖人ぶるのもバカらしいし」

足を組みだし息を吐いている。少しずつ、彼女の本性が出てきたようだ。

「そっか」

面白い奴だな。

そう思いながら、ダインも背もたれにもたれかかる。

彼女に興味が湧いた彼は、そのまま疑問をぶつけた。

「どうして生徒会長なんかなろうと思ったんだよ? 楽しいもんでもないだろ」

生徒会長の仕事内容を簡単にサラから聞いたが、雑用やアンケートの実施と集計ばかりで一つも楽しそうじゃなかった。

「ウェルト家の長女だから」

ラフィンは真面目な顔のままそう答えた。

「家柄の威厳を保つためにも、生徒会長職には就くべきだと思っていたの」

動機が半分予想通りだったダインは、「おいおい」と困ったものを見るような目で彼女を見つめる。

「お家の事情でこの学校を巻き込んだのかよ」

「そういうんじゃ…」

すぐに反論しようとしたが、これまでの自分の行動を振り返ったのか勢いが弱まっていく。

「いえ、そうなるの…かしら…。で、でもティエリア先輩嫌がっていたし、ちょうどいいかなって思って…」

当時の気持ちを吐露する。どこでその情報を掴んだのかは分からないが、彼女もティエリアの気持ちを知っていたらしい。

ラフィンの本心を知ったダインは、驚きつつも「いや、意地悪だったな」と詫びた。

「生徒会長なんざやりたい奴がやればいい。さっきも言ったけど、お前は良くやってると思うよ」

ティエリアから業務内容の説明を真剣に聞いていたという話は本当だし、言われたとおりの事をきちっとこなし、校則も守っている。

校内の見回り、修繕箇所の発見と報告に生徒の悩み相談、生徒間トラブルの解決、風紀委員に混じり朝の身だしなみチェック。

ちゃんとできるか不安もあっただろうに、それを表に出すことなくラフィンは粛々と業務をこなし、そんなに日付は経ってないはずなのに生徒達から多数の支持を得た。

ラビリンスのバグ解決も生徒の安全を優先したいがためのものだったし、モンスターの溢れるあの中に危険を顧みず飛び込んだことも、今後数週間は生徒間で語り継がれることだろう。

「ラフィンはちゃんとした生徒会長だ」

「べ、別にあなたに言われなくても…」

若干嬉しそうな顔をした彼女だが、すぐに表情を硬いものへと変える。

「あの…それで、なんだけど…」

まだ話は終わってなかったらしい。

また俯き言葉を探しているラフィンだったが、首を振って顔を上げたときには真剣なものに戻っていた。

「ダイン。あなたは、ヒューマ族じゃないのよね」

やや間を差しこみ、遠慮がちに言ってくる。

ラフィンの脳裏では、昨日の“あの瞬間”が未だに鮮明に残っていた。

「ヴァンプ族…って、言うんでしょ?」

ダングレスを一撃で消し去った、彼の姿。

「そこまで調べついてたのか」

今更隠すこともないと思ったダインは顔を縦に振る。

ラフィンは一瞬、悲痛に満ちた表情を浮かべた。

「昨日のあの一件までは半信半疑だった。だってヴァンプ族は…」

『もう大丈夫だ』そう言って笑いかけてくる、彼の顔。

ラフィンの中で何度も蘇り、“あの瞬間”と何度も重ね合わせてしまう。

重なって蘇ってしまう。疑惑の霧が徐々に晴れ、正解が見えてきた瞬間、鼓動が高まってくる。胸の傷跡がうずく。それが真実だと訴えかけるように。

「…ダイン。正直に答えて欲しい」

傷跡のある部分を押さえ、そのまま射抜くような視線をダインの目に向けた。

「何だ?」と何も分かってなさそうな…いや、分かっていながらあえてとぼけているようにも見える彼に、質問を投げかける。

「あなた、昔…あのラビリンスに行ったこと、ない?」

「ん?」

「ラビリンスが完成して一般公開されて、でもまだシステムに不備があって、バグが出て…昨日と同じように強いモンスターが出てきて…そこで襲われそうになっていた女の子を、助けてない?」

一息に話すものの、彼からは返事がない。

「私と同じぐらいの年齢だったのに、一撃でモンスターを倒して…強かった。その強さに一瞬で憧れを抱いた。この学校を目指すきっかけにもなった」

ダインは静かに聞いている。困った表情をしているようにも見えるが、これまでの想いが噴出したラフィンはもはや止められない。

「入学してすぐ、校長室に行って校長先生に無理を言って当時の入場者記録を漁った。名前と種族が羅列してあっただけで誰がどの顔なのかは分からなかったけれど、あれほどの強さを持っている種族はヒューマ族でもエンジェ族でもないのは分かっていたわ。ゴッド族は入場記録がなかったし、ドワ族でもエル族でもなくて…」

自信がなくなってきたのか、ラフィンは視線を下げていく。

語尾も弱くなってきたが、また顔を上げ続けて言った。

「名前と種族が沢山ある中、二つ…たった二箇所だけ、見慣れない種族が記載されていた。名前は完全に掠れて読めなかったけど、種族だけは分かったの。名前の掠れ具合から親子だと思しきもので、そのどちらも…種族がヴァンプ族だった」

ラフィンの表情に、もう迷いの色はない。

確信を内側に秘めつつ、彼女はかつての恩人に問いかけた。

「正直に答えて。あれは、ダインなの?」

一切ぶれることなく真っ直ぐに彼を見る目は、真剣そのもの。

学校に入学してまでダインのことを調べようとした。

その事実を聞かされたいま、ダインにもはやとぼけるという選択肢は残されていない。

彼は「ふぅ」とため息を吐き、観念したような笑顔を浮かべた。

「幻滅しただろ? その憧れの奴が、落ちこぼれとされるノマクラスにいるなんて。しかも魔力がほぼないときたもんだ」

自嘲気味に言い、ラフィンが導き出した答えを認める。

「魔法が主体の現代じゃ、俺らは社会のはみ出し者なんだよ。そういう意味じゃ、お前に色々言われたのもその通りな部分もあって…」

「そんなことない!」

ラフィンが声を張り上げ、ダインの台詞を遮る。

「魔力がどうとかなんて、関係ない。新米一年生の生徒会長だから、バカにされないようにああやって振舞っていただけで…それ以外に意図なんてなかった」

「でもそれも自分の都合ね」と、弱々しくうなだれる。あれほど探し回っていた恩人に、ずっと失礼を働いていた。そのことに気付いた彼女は、後悔の念しかない。

「私の態度で、気分を悪くしたと思う。今更だけど、あの時は本当に…」

謝ろうとしたラフィンに向け、ダインは「いや」と手のひらを見せ制止させた。

「俺は気にしてないよ。もっとひどいこと散々言われてきてたんだし」

「でも…」食い下がる彼女に、ダインがまた笑いかける。

「お前はそのままで良いんだよ。確かに初めこそきつい奴だなって思ってたけど、内面はそうでもないって分かったからさ。今更謝らなくていいし、謝るようなことでもない。過去の出来事だってそうだ。必要以上に恩義を感じなくて良い」

長いこと話し続けていたのか、窓の外はいつの間にか赤くなっている。

眉間にしわを寄せ申し訳なさそうにしているラフィンも夕焼け色に染まっており、そんな彼女に向け続けて言った。

「大した怪我もなく、こうして元気にいられたって知れただけで十分だ。恩があるとするのなら、それで十分返せたよ。良かったって思えるのが一番良い」

優しく笑いかけるダインだが、ふいに彼も申し訳なさそうな顔になる。

「ただ、あの時の傷跡がまだ残ってたっていうのはちょっとショックだったよ。もうちょっと早く駆けつけていれば、そんな傷跡できないで済んだのにさ」

後悔する彼に向け、ラフィンは「い、いえ」と首を振る。

「わざと残してるものだから…回復魔法使えば消えるんだけど、あのときの思い出残しておきたかったから…」

だからお父様が回復しようとしたのも拒否した、と続けた。

なかなか重たい奴だと正直ダインは思ったが、しかしそれもラフィンの良さなのだろう。

「ま、昔は昔だ。今を大切にしよう。お互い、今までどおりにな?」

無理をして変える必要はない。それで良いじゃないかというダインの言葉に、ラフィンは頷くしかない。

「ダインがそう言うなら…」

「ああ」

ダインは再び窓の外を見る。

夕焼けから夜空の切れ間が覗いていたので、「さて」とカバンを持ち椅子から立ち上がった。

「そろそろ帰るわ。お前もそうした方が良いんじゃねぇか? 門限あるんだろ?」

「あ…え、ええ、そうね」

「なんなら途中まで一緒に…いや、ノマクラスの俺と一緒にいるの見られたらまずいか」

「べ、別にまずくはないけど…でも、従者待たせてるだろうから…」

確かに校門前に数人の人影がある。

転移魔法で一発で帰れるだろうに、わざわざ従者をよこすとは。

「さすが金持ちだなぁ」

悪びれなく言い、「じゃあ」と彼女に手を振って教室を出ようとする。

「あ…」

その声にどこか寂しそうな響きが含まれているのに気付き、彼は振り向いた。

ラフィンはまだ椅子に座ったままだ。こちらを見る目の中に、不安げな感情が伝わってくる。

今日の彼女は、これまでのラフィンとは全く違って見える。態度から口調から、何から何まで。

恐らく、いま教室で不安そうにこちらを見ているラフィンこそ、本当の彼女なのだろう。

「なぁラフィン。お節介を一つ言ってもいいか?」

そんな彼女に向け、彼は笑顔を崩さず話しかける。

「え…な、何かしら?」

改めてこちらに体を向ける彼女に、ダインが話したのは持論だった。

「由緒正しい家柄に生まれてさ、色々我慢してることとかあると思う。威厳とか気品とか、そういうしがらみのせいで気を張ってるんだろうなってのも分かったけど、少しぐらい気を抜いてもいいんじゃねぇかな」

「気を…抜く?」

「ああ。いまみたいに素直なラフィンは、俺は好きだぞ? いきなり素直になれって言ってるわけじゃないし、それが素で楽なんだったらいいんだけど、いまの素直なお前だったら友達の一人や二人、簡単にできるんじゃねぇかな。そうなるとこの学校生活も少しは楽しくなるかもよ?」

ラフィンから返事はない。ダインはそのまま続けた。

「ウェルト家っつーブランドを守りたい気持ちは分からないでもないし、田舎出の一個人の意見でしかないからあれなんだけど、自分のしたいようにするのも良いんじゃねぇかなって。内面は良い奴なんだし」

とそこまで言って、家のことにまで口出ししていることに気付いた彼は謝った。

「マジで余計なお世話だったな。忘れてくれ」

そう言ってまた笑いかけ、今度こそ教室を出て行く。

ラフィンはそのまま、しばらく夕暮れの教室の中に佇んでいた。







「ほう…ニーニア様だけでなく、シンシア様にティエリア様もおいでになると?」

遊びに来る人が増えることを伝えると、サラはどこか愉快そうな顔をした。

「シンシア様はヒューマ族、ティエリア様はゴッド族。そして全員が女性、と」

就寝前の紅茶を飲むダインを見るサラの顔は、どことなくにやついている。

「なるほどなるほど。これほど女性のみのご友人が増えるとは、ダイン坊ちゃまはなかなかの…」

「女たらしじゃねぇからな」

サラの台詞を予感して、ダインが先手を打った。

「普通の友達だ。吸魔衝動の餌食になる可能性があるから、対策のために呼んだんだよ」

至って真面目なことだと告げるが、サラのにやついた顔は治まらない。

ダインの膝ではルシラがいて、知恵の輪で遊んでいる。カチャカチャという金属音がリビングに響き、あまりに集中しているためかダイン達の会話が聞こえないようだ。

「何事も対策は大事だろ。ヴァンプ族の知識もつけといて欲しいしさ」

そこまで言って、サラもようやく表情をいつもの真顔に戻す。

「確かに、あれは急に出てしまいますからね。標的になる方の都合など完全に無視して出現してしまいますから、毎回驚かれてしまうんですよね」

経験談なのか聞いた話なのか、少し憂鬱そうにしている。

「まぁでも、良かったじゃないですか。触手の話を聞いても引かれなかったのは」

普通は引かれるし、人によっては拒絶反応を起こしてしまうとサラ。

確かにそれは良かった。吸魔衝動の詳細を聞いても笑顔はそのままで、恥ずかしそうにはしていたが普段どおりに接してくれた。

「理解のある方々です。ますます会ってみたくなりましたよ」

早くも楽しみにしだす彼女は、さらなる要求をしてきた。

「できれば、エンジェ族のラフィン様もお越しいただきたいものです」

「いや、あいつは超がつくお嬢様だから無理だろ。ずっと忙しそうにしてるし」

「ですが恩人であるダイン坊ちゃまの頼みとあらば駆けつけてくれるはずでしょう」

数時間前の出来事を聞いたから、サラはそんなことを言ってるのだろうと思った。

しかしそうではない。彼女は始めから全てお見通しだったのだ。

ダインは過去ラフィンと会ったことがある。教室でラフィンと語り合ったことをサラに伝えたら、彼女は呆れたような顔でこう言ったのだ。

『やっと思い出しましたか』

“あの事件”の後、ラフィンの父からジーグに正式なお礼の書簡が届いたらしい。

サラはその書簡を読んだから事の顛末を知っており、覚えていたらしいのだが、ジーグもサラも書簡を読んでそれで終結させていた。

詳細を聞いてなかったダインはそのまま忘れてしまい、ラフィンは忙しくする父に質問することが出来ず、ずっと悶々としていたのだろう。

結果としてダインもラフィンも互いのことに気付かず、ダインが種族を偽って入学したものだから余計にややこしくなった。

運良くラフィンが気付いてくれたから関係が改善されたものの、ずっと仲違いしていたままだった可能性もある。

「相変わらず悪い奴だよお前は。教えてくれりゃいいのにさ」

膨れたように言うダインに、サラは肩をすくめてみせた。

「教えたところでどうなるというわけでもないでしょう。超お嬢様のラフィン様に向かって、昔助けた者なんだけど、とでも仰るつもりで?」

彼女の言うことはその通りで、ダインは言葉を詰まらせる。

「過程はどうあれ、お互い思い出せたのですからそれで良いじゃないですか」

サラがまた口の端を吊り上げ、怪しげな笑みを浮かべる。

「超お嬢様とお知り合いになれた…これはものすごいことですよ。ここからヴァンプ族の発展にどう繋がるのか」

今度はダインが呆れた顔で首を振る。

「んな打算的な付き合いをするつもりはねぇよ」

恩がどうのは、もう終わったことだと彼は言った。

「なるようになるだけだ。期待するだけ無駄だぞ」

「まぁそうですけどね」

サラの表情がまた素に戻る。

「入学式の前夜にもお伝えしましたが、ダイン坊ちゃまはそのままで良いですよ。そのままでいたからこそ、結果としてこれほどのご友人が増えたのですから」

「運が良かっただけとは思うがな」

「わっ」

未だに知恵の輪で遊んでいるルシラの手が別の知恵の輪にぶつかり、下に落ちそうになる。

すぐにダインがそれを掴み取り、机の上に置いた。

「ありがとう!」

満面の笑みでお礼を言ってくる彼女の頭を撫でつつ、前を見る。

知恵の輪は一つや二つだけではない。広い机一杯に広がっていた。

50はくだらないそれは全て上級者向けのものだが、そのほとんどの知恵の輪は外されている。

「しかし多種族ですね」

全てルシラの手によって外された知恵の輪を、サラが再び繋ぎ合わせながら面白そうに呟いた。

「村の外に出る機会があまりなく、出会いも少なかった私にとって、他の種族との交流はかなり貴重です。どのような方々なのか楽しみです」

注意が逸れたらしく、ルシラがようやくダイン達の会話に反応を見せる。

「ん? だれかくるのー?」

「友達だよ」

ルシラの小さな頭を撫で続けながらダインが答えた。

「ともだち? だいんの?」

「ああ。良い奴らだから、ルシラとも友達になれるかもな?」

「へぇーー!!」

途端にルシラの目が輝きだす。

再び前を向き、鼻歌混じりに知恵の輪外しを再開した。

「ああ…なるほど」

ダインとルシラの会話を聞き、彼の考えが読み取れたサラが相槌を打つ。

「ルシラはまだ謎が多い。ご友人の方々ならば、この子に関して何か分かる方がいらっしゃるかも、という訳ですか」

「そういうことだ」

ダインは頷いてみせる。

「特に退魔師を目指してるシンシアは種族関係に詳しいらしいから、ある程度期待はできそうだ」

「そうですか…ふむ…お越しいただくのが今週末のお休み、ですよね」

何やら考え込むサラを見て、ふとあることを思い出したダインが尋ねる。

「そういや、親父とお袋はいつごろ帰ってくるんだ?」

「同じ日だったと思いますよ」

「あれ、そうなのか」

「ええ。ルシラのことを気にしてらしたようですし、早めにお仕事を切り上げ帰ってこられるそうです」

「そうか…一気に人が増えるな」

「ふえる?」

またルシラが反応し、こちらを見上げてくる。

「ルシラ。今週は色々と忙しいかもしれないぞ?」

「え?」

「撫でられまくったり、抱きつかれたり大変かもな」

「えー?」

沢山の人に囲まれ抱きつかれるのを想像したのか、ルシラがころころと笑う。

あまりに可愛らしい笑顔だったので、ダインはとうとう我慢できず彼女を抱きしめてしまった。

そのままくすぐってしまう。ルシラはダインの腕の中でずっと笑い転げていた。





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