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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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一節、混沌の歴史

世界が誕生しまだ間もない頃とされている、イシュタル歴230年。

見た目から寿命から、何から何まで違う種族間の諍いが絶えない戦乱の時代。

エンジェ族とデビ族がいままさに激しくぶつかり合おうとした瞬間、それは訪れた。

相次ぐ魔法の応酬によって茜色に染められた空が割れ、その切れ間から人とも魔物ともつかない巨大な影が出現する。

自らを『混沌の神レギオス』と名乗ったその存在は、下界で争いを繰り返す全ての種族に向けて言い放った。

「矮小で愚かな者共よ。我は絶望と怨恨の螺旋により生まれ出でし者。世界の摂理に従い、現世をさらなる絶望と破滅へ導いてくれよう」

七つのドラゴンと千の兵、そして万の魔物を操るレギオスは、まさに混沌の神と呼ぶにふさわしい存在だった。

知力に長け精霊魔法を使えるエル族は数千人と殺められ、高位な武具を作り戦争を生き抜いてきたドワ族は数万の命を一度に奪われた。

聖力が高く防衛力に優れていたはずのエンジェ族は、魔法の効かない魔物達に何百と狩られ、攻撃魔法が得意で戦闘力の高いデビ族も半数近くまで減らされた。

適応力の高さと団結力の強いヒューマ族に至っては、数十万人もの命が魔物とドラゴンによって蹂躙された。

レギオスが現れ数日で空は尽きない炎で染め上がり、数ヵ月後には大地は魔物で埋め尽くされ、さらに一年後には全ての水が毒に冒された。


もはや地獄と化し全ての種族が破滅への一途を辿っていた、そのとき。

イシュタル歴233年、7の月。

全ての人々が絶望に暮れる中、黒く染め上がっていた空から一筋の光が漏れ、その中から一人の人物が舞い降りた。

自らを『天上神エレンディア』と名乗った彼女は、一角で身を寄せ合い死を待つ彼らに向かって言った。

「まだ諦めるときではありません。あなた方は十分に苦しみました。悲しみの連鎖はここで断ち切りましょう」

ゴッド族が振るう魔法は凄まじいものがあった。

押し寄せる魔物の群れを片手で制し、その手を横へ薙いだ瞬間魔物の群れは蒸発するように消えた。

ドラゴンですら打ち破れないほどの強力なバリアを張り、そこを拠点とし難を逃れた全ての種族を集めた。

その中で勇敢な若者を募り、名乗り出た彼らにエレンディアは特別な武器を授ける。


ヒューマ族にはどのような強固な鎧も打ち破る剣を。

エル族には確実に急所を射る弓を。

ドワ族には振るだけで周囲の武具が強化される斧を。

エンジェ族には触れただけで魔物が浄化される槍を。

デビ族にはドラゴンの猛攻すら弾き、生命ごと刈り取る大鎌を。

フェアリ族には歌の魔法をより強固にし、周囲の士気を上げる笛を。


彼らの絆と力をより強固なものにする導きの杖を手に、エレンディアは混沌の時代を終わらすべく反撃の狼煙を上げた。

老人や女子供は震えているだけだったが、勇敢な彼らに触発され同じく猛追の手を緩めない魔物達に抵抗を開始した。

徐々にではあるが確実に魔物の数は減っていき、数年。

ついに残す敵はレギオスとその七つのドラゴンのみになった。

そしてイシュタル歴240年、5の月。

六人の勇者とエレンディアは最後の力を振り絞り、そのドラゴンとレギオスを地中奥深くに封印することに成功した。

万の魔法陣に囲まれ、いままさに封印される間際にレギオスは叫ぶ。

「忌々しき勇者どもめ、これで終わりと思うなよ。我は常に復活の時を伺っている。七つの竜が目覚めし時、貴様らの時代は終わりを告げるであろう」

その言葉を最後にレギオスは封印され、混沌の時代は終わりを告げた。

イシュタル歴が終わり、エイレン歴350年。

その間にも種族間の争いは再び巻き起こってしまうが、昔ほどの混乱はない。

天上神エレンディアが種族を超えた絆を結んだおかげで、種族間の争いはすぐに収まるようになり、人々は彼女に感謝の念を抱き、当時の出来事をこう記すことにした。


『エレンディア創世記』







「…以上が、世間で誰もが知っているお話ですね」

黒のショートヘアをしたメイド服の若い女は、タイトルに『エレンディア創生物語』と書かれていた分厚い本をぱたりと閉じる。

「記憶していただけましたでしょうか」

そう声をかけた先には、椅子の背もたれを正面にし、やや行儀悪そうに話を聞いていた青年がいた。

「いや、記憶したっつーか…」

その青年の表情は少し困惑している。

彼女に持たされていた同じ本を閉じ、飽き飽きとした表情のまま言った。

「何度も読み聞かせられた話なんだけど」

彼らの周囲は本棚で埋め尽くされ、中央にあるテーブルにも何冊もの蔵書が積み上げられている。

「書斎に来いっつーから来たんだけど、また同じ物語聞かされるとは思わなかったぞ」

テーブルの上に並べられた本は、一般的なマナー講座や種族ごとのルールブック、言語辞典とまとまりがない。

「ダイン坊ちゃまはこれまでご両親の都合で集団生活をしたことがない身。明日から他種族が通う学校にお世話になるのですから、改めて一般常識を叩き込んだ方がいいと思いまして」

「いや、さすがにもう腹いっぱいだっての。ここ数ヶ月毎日こんなこと教えられてきたんじゃ、頭爆発しちまうって」

ダインと呼ばれた青年の傍には小物の置時計があり、短針が午後10時を指している。

「常識はもう十分学んだ。種族ごとの特徴だって、これまで親父たちに世界各国連れまわされたから今更覚えることもないしさ」

「もう十分だろ」そう言うダインを見る女の目は冷たい。諭すような口調で反論した。

「ダイン坊ちゃま、明日ダイン坊ちゃまが通う学校は他とは比べ物にならないほどの名門校なのです。全ての学校の中で最も歴史があり、格式高く、一説には先ほどの物語に関連が…」

「あーはいはい、政治家の息子や金持ちの子供しか通えない超エリート学校なんだろ。それも何度も聞いたって」

「それだけではございません。エリートと言われている通りそれ相応の実力がないと入学すら難しいところで、出身校がその学校というだけで将来はもう約束されたも同然なほどの…」

「だからそれも聞いたっての。実力至上主義で、学力や体力とは別に、魔法力のみを最重要視したところなんだろ」

「その通りでございます」

ダインが覚えていることに安堵したのか、女は臨時教育はそれまでにしてテーブルの上に散らかっていた本を棚に戻していく。

積み上げられた本の一番下に、ダインが明日から通う予定である学校のパンフレットがあった。

「セブンリンクス魔法学校、ね…」

ダインはそのパンフレットを開き、学校の教育方針や教職員の顔ぶれを眺め、改めて沸き起こってきた疑問を女…カールセン家のメイドでありダインの教育係でもある、サラ・シーハスにぶつけた。

「何でこんなところに俺が通えるんだよ? いや、通わせたんだよ?」

「と、言いますと?」

「いや、サラも言った通りこの学校は魔法力至上主義だ」

「そこだけではなく他の学校でも魔法力は重要視されてますよ。魔法というものは何かにつけ便利ですからね。生活する上で使わない日はないでしょうし、お仕事でも魔法を使えることが前提になっている。魔法力が高いというのはそれだけで地位や世間認識も高いものになる世の中です」

「ああ。知ってる。散々見てきた。だからどうして俺がそんなとこに行かなきゃなんねぇのかが疑問なんだよ」

「どういうことでしょう?」

本当に分からないといった様子で、本の片づけを終えたサラがダインに体を向ける。

その態度が少しとぼけたように映ったダインは、小さくため息を吐きながら言った。

「俺、魔法使えないんだけど」

「存じております」

即答してきたことにダインは文句を言おうとしたが、真顔のままサラは続けた。

「ついでに言うと私も使えません。まぁ私たちだけではなく、我々の種族が、ですけれどね」

「…で、どうして魔力の薄い俺が、魔法力至上主義のセブンリンクスに?」

「さぁ、その辺りのことは旦那様と奥様がお決めになられたことですので、私にはさっぱり」

分からないというサラの表情は真顔のままで、感情を感じられない。

能面のようなサラはかつては鋼鉄の女と誰かから言われたこともあるが、長い付き合いであるダインにはその瞳の奥に僅かな感情の流れがあることを感覚で悟っていた。

「親父もお袋も今日は隣国に出張だから聞けるのがお前しかいないんだよ」

「と言われましても、私は何も聞いておりませんし…まぁ大方の予想はついてますが」

「何だ?」

「ダイン坊ちゃまも最近の記事で目にしたことはございますでしょう」

サラはそう言いながら、新聞のみをまとめた段ボール箱の中から一枚の記事を取り、ダインに寄こしてきた。

ヒューマ族が統治するこのオブリビア大陸の最近の出来事が書かれており、サラが指し示す箇所には小さくこう書かれてあった。

『生態系保全課、絶滅危惧種の保護へ』

その小さなタイトルの横にさらに小さな字で、絶滅の恐れがある種族の名前が連ねられている。

その中の一つを、サラは指し示した。

「ヴァンプ族…我々の種族ですね」

ヴァンプ族。それは同じ大陸に住む者でも知っている者は限られているほどの希少種だった。

オブリビア大陸は肥沃な土地でヒューマ族のみならず様々な種族が暮らしているが、ヴァンプ族はその広大な土地の僅かな一区域の中で村を構え、細々と生活している。

人口は百にも満たず、生活は決して楽ではない。

魔法力の高さが就職にまで影響する現代において、魔力の極端に低い彼らヴァンプ一族はその流れに乗れず、年々減少の一途を辿っていた。

とは言え、彼らにも彼らなりのプライドがある。

ダインの父でありこのエレイン村の長でもあるジーグ・カールセンは、ヴァンプ族が絶滅危惧種として指摘され保護へ乗り出したという記事に、最初はかなり憤っていた。

「魔法が使えないだけで劣等種のレッテルを貼られた挙句、憐れみとばかりに保護活動の記事ですからね。旦那様にとっては馬鹿にされっぱなしのように思えたのでしょう」

「…つまり、何か? 俺をセブンリンクスに放り込んだのは、そこで実力を見せつけ馬鹿にする奴らを見返せってことなのか?」

「ということではないでしょうか。確証はないですが、最近の旦那様は『解せぬ』と口癖のように仰られてましたから」

確かにサラの言うとおり、父であるジーグはヴァンプ族としてのプライドは高い方だ。

村だけではなくヴァンプ一族の長としてのプライドもあるのだろう。

その父の気持ちは分かるが、ダインはまたごちる。

「そこでなんで息子の俺を使うんだよ…魔法が使えないんだったら実力を見せ付けるも何もねぇじゃん…」

「そこはほら、魔力が低い代わりに我々には腕っ節の強さがあります。それを見せればいいのです」

「んな脳筋みたいなことしたくねぇんだけど…」

「我々にとっての魔法がこの強さだと知らしめれば良いのです。山の一つや二つ、消し飛ばせばさすがに馬鹿にはできないでしょう」

傍から聞けば冗談めいたサラの台詞だが、ヴァンプ族の強さは世間一般の強さというものの範疇を超えている。

腕一本で巨木を引き抜き、叩いただけで巨大な岩石は粉々に砕ける。

鍛えれば鍛えるほど、際限なく力がついていくヴァンプ族。

その肉体は未だ謎に包まれている部分が多い。研究対象にされてもおかしくはなかったが、希少種な上に人口も少ないので、誰からの注目も浴びなかったのが実情だ。

つまり山の一つや二つ、というのは本当だった。

「と言いますより、試験官の方に魔法だと説明し見ていただいたのが、ダイン坊ちゃまが山々を消し飛ばす映像だったので。それでお受験をパスできた次第でございます」

「あー…まためんどくせぇ事実聞いちまったよ…」

ダインは思わず頭をかく。

「人力で火を起こすのを魔法だと言い張ったり、地面を割ってこれも魔法だと言い張れってことなのかよ…」

「傍から見れば滑稽なことこの上ないですね。現場を見ればさすがの私も笑いを堪えきれそうにないです」

「見返すも何も、ヴァンプ族の地位が落ちていく一方になるんじゃねぇかよ…」

「ああ、そうでした。一つ重要なことをお伝えしなければなりませんでした」

サラは今思い出したかのようにぽんと手を叩く。

「入学申請書の種族の欄にはヒューマ族と書いておきましたので、学校生活の中ではヒューマ族としてお過ごしになってください」

「ちょっと待て」

ダインはすかさず止めた。

「ヴァンプ族のプライド云々言っといて種族偽れってのはどういうことだ?」

「先ほど言いましたではありませんか。ヴァンプ族は劣等種のレッテルを貼られていると。ヴァンプ族のことを知っている方が学園の中にいないとは限りませんし、円満に学校生活を送れるようにと配慮した次第です。幸いにも我々ヴァンプ族とヒューマ族との外見上の違いはほぼございませんし。これは奥様のご提案ですね」

…つまり、馬鹿にする奴らを見返せという父の意見と、息子が何事もなく過ごせるようにと配慮した母の意見がぶつかったということなのだろう。

両親はエレイン村の特産品を売り込むために、ずっと世界各国を奔走して忙しそうにしている。

ダインを何故セブンリンクスに通わせることにしたのか、その忙しさが理由かは分からないが母であるシエスタ・カールセンに相談しなかったのだろう。

「…俺はどうすればいいと思う?」

今後の学校生活の展望が見えてこないダインは、藁にもすがる思いで世話係のサラに尋ねる。

「ダイン坊ちゃまがされたいようにしていただければ」

空になったティーカップをトレイに乗せ、サラは言う。

「大胆な旦那様と慎重な奥様の教育により、ダイン坊ちゃまは何事もそつなくこなすようになられました。そのままをお貫きになさればいいのです。長の息子ということに驕りはなく、村の仕事をよく手伝ったり子供たちの世話をしたり、ダイン坊ちゃまに対する村の方々の評判も上々。性格や人付き合いという点においては、なんら問題はございません。そこに関しては私も安心しきっているのですから」

ダインは思わず驚いたようにサラを見る。

彼女がこうして彼を褒めるのは滅多になかったためだ。

その視線からダインの考えていることが伝わったのか、取り繕うようにサラは言う。

「まぁ、口の悪さと犯罪を犯しそうな人相だけは残念極まりないですが」

「おい」

「もう夜も遅いですしそろそろお開きにしましょう」

サラは勝手に話を打ち切り、椅子を片付けていく。

「大丈夫なのかよ…」

不安しかないダイン。

サラはまた何か伝えることを思い出したようで、「ああ」と彼に顔を向ける。

「学校より、ダイン坊ちゃまの所属するクラスがどこになるのかご連絡を受けていました」

「クラス…?」

ダインも椅子から立ち上がりつつ、パンフレットを再び開く。

教育方針の最後辺りに、生徒の意識向上のため実力に応じた階級制度が導入されているという一文があった。

「一番上から、ギガ、メガ、ハイ、とあるのですが…おめでとうございます」

「なんだ、一番上のギガか? めんどくせぇ…」

「いえ、そこはご安心を。ダイン坊ちゃまが所属するクラスは…」

サラの口元がにやりと歪む。

半笑いの口から出た台詞は、

「落ちこぼれの吹き溜まりと噂されるノマクラスです」

不安がるダインをさらに追い込むものだった。







セブンリンクス魔法学校は、オブリビア大陸を統治する首都ルインザレクからやや離れたところにある。

迷いの森とキリア山の間に挟まれるようにして建造されており、学校全体に防犯のため薄いバリアのようなものが張られている。

遠くからでもその存在は確認できるほどの大きさで、そこへ至るまでの一本道をダインは足取り重く歩いていた。

「はぁ…」

真新しく新調された黒を基調にした制服は、転移魔法で次々に通学路に現れた学生たちが起こす風によってなびいている。

「何だって俺がこんな魔法学校に通わなきゃなんねぇんだよ…」

同じくダインの周囲で通学している生徒たちは、これから始まる学校生活に目を輝かせている者や、ダインと同じくやっていけるのか不安そうに歩いている者もいる。

二、三人で楽しげに登校しているのは先輩連中なのだろう。男子ならネクタイ、女子ならリボンの色が違う。

耳がやけに長かったり身長が極端に低かったり、身体的に特徴のある生徒もかなりいる。

種族問わず、魔法力の高い者ならば誰であろうと受け入れる。

大昔に種族間戦争があった名残は今もある中で、そんな方針を打ち出しているのはセブンリンクスとヒューマ族が統治するこのオブリビア大陸ぐらいだろう。

「ヒューマ族ねぇ…」

思わぬ間違いを起こしてしまわないためなのか、生徒手帳を開き熱心に校則を読む新入生とは別に、ダインはサラが纏め上げてくれたヒューマ族の特徴に関するメモを読んでいた。

「人口が多く、扱う魔法は聖力を用いたもの…特筆すべき特徴はないが、人にもよるが勉強熱心で努力家。たたき上げの精神を持っている…」

才能を努力で得るタイプが多く、偏見は余りなく性格も温和なものが多い。そのため種族間の付き合いも良好。

そこまで読んで、ダインはメモをポケットに突っ込んだ。

ヒューマ族のことはこれまでにも何度か接したことがあるし、特に目新しい情報はない。

知りたいのは魔法学校の中で自分がどう授業や試験を切り抜けていくかだ。それもヴァンプ族だとばれない方法で。

「金もらってもおかしくないレベルのミッションだよな、これ…」

せめて所作だけでも真似すべきだろうか。

そう思い再び周囲を見回したとき、誰もいなくなっていたことに気付く。

通学路が逸れてしまったのかと思ったがそうではない。メモに注視するあまり足が進まなかったのだ。

魔法で動く小型の通信機…携帯を取り出し時間を確認する。入学式までそう時間はない。

「少し急ぐか…」

足を速めようとしたとき、通学路の脇にあるベンチに一人の女生徒が座り込んでいるのが見えた。

黒のロングヘアーをした彼女は、手提げカバンを抱くようにしたままどこか惚けたような表情で空を眺めている。

天然系か何かだろうかとそのまま通り過ぎようとしたが、リボンの色が自分と同じだったのに気付き足を止めた。

「どっか気分でも悪いのか?」

同じ新入生だ。入学式の時間が差し迫ってきている。急がなくて良いのかと声をかけてみた。

「え…」

その視線がダインを捉え、次に言われたことを理解し始め腕時計に顔を向ける。

「う、うわ! ほんとだ!!」

今更気付いたようで、大慌てでベンチから立ち上がった。

「あ、ありがとうござ…」

畏まろうとしたところで、彼女もダインのネクタイの色に気付き言葉遣いを改める。

「あ、あなたも私と同じ?」

「ああ。今日からあの学校にな」

「じゃあ急ごうよ!」

「いや、まだ走るような時間じゃない」

慌てる女生徒を落ち着かせ、同じ新入生のよしみとして一緒に登校することにした。

歩幅を彼女に合わせ、並んで歩く。

「で、何でまたこんな初登校の日にベンチで黄昏てたんだ?」

「あ、え〜とね、あの有名な学校でうまくやっていけるかなぁって」

「俺と一緒か」

同じ悩みを抱えていたことに、ダインは小さく笑う。

「由緒正しいとか格式高いとか、事前情報が堅すぎて身構えまくっちまうよな」

やれやれとしながら言うと、ダインより若干背の小さい彼女はころころと笑った。

「あはは。そうそう。学校生活の楽しさよりも、これからどんな厳しい授業が待ってるんだろうって考えちゃってたよ」

「ま、なるようにしかならないって考えた方が楽になれると思うぜ。言われたことをやってりゃ大丈夫だろ」

「そうだね」

笑い合ってから、その女生徒は言った。

「シンシア・エーテライトだよ」

「ん?」

「私の名前」

「おお、そうなのか。俺はダインだ。ダイン・カールセンな」

名乗りあったところで、シンシアはさらに笑顔になる。

「ダイン君も私と同じヒューマ族だよね? この辺に住んでるとしたらどこの学校を出て…」

シンシアが質問しきる前に、背後から声がした。

「ちょっとそこのお二人さん、どいてくれないかい!?」

振り向くと、長い髪を後ろでまとめた、長身の男がこちらに走ってきていた。

ネクタイの色はダイン達と違い青色で、先輩なのだろう。

彼の背後からは5、6人ほどはいるのだろうか、その先輩と同じ学年と思しき女生徒達が追いかけているようだ。

「ユーテリア様〜! 私と一緒に登校しましょうよー!」

「私、今日は私とー!」

男と、その男以外見えてない女連中がさらにこちらへ近づいてくる。

「うわっと!?」

シンシアもダインも、それぞれステップを踏んでその場を離れた。

「すまないね!」

先輩は通り抜けざまにダイン達に笑顔で詫びながら、校舎へ一目散に駆けていく。

その後を女生徒連中も追いかけていった。

「…はー、すごい人もいるんだねぇ」

シンシアは感嘆したような声を出す。

「エル族だったな、あの人」

「ほえ、そうだった?」

「ああ。耳が長かった」

エル族は総じて外見偏差値が高い。

美的感覚の同じ人型の種族ならば、その容姿に虜になってしまう奴も多いはずだ。

実際、ユーテリアと呼ばれていた先ほどの先輩は、切れ長の目鼻をしていて優男のようだった。

「由緒正しいブンリンクスの生徒の中にも俗物っぽいのはいるんだな」

イケメンを追い掛け回す先輩女生徒連中を揶揄して言うと、シンシアは「そうだね」と可笑しそうに笑った。

「うわぁっ!?」

そのとき、前の方から悲鳴に似た声が聞こえた。

見ると、一人の小さな女生徒が膝を地面についているのが見える。

その向こうには先ほどの女たち。どうやら女の子を弾き飛ばしてしまったらしい。

「あ、大丈夫!?」

シンシアは慌ててその女生徒の元まで駆け寄る。

茶色のロングヘアーの先をヘアゴムでまとめた彼女も、胸元にあるリボンの色はダイン達と同じ白だ。

「あー、膝擦りむいちゃってるよ、もぉ…」

そのまま走り去っていった先輩連中に憤りながら、シンシアは女の子を立たせる。

落ちていた彼女のカバンをダインが拾い上げていると、怪我をしていた箇所にシンシアが手を当てていた。

彼女の口から何かの呪文のようなものが呟かれ、その瞬間シンシアの手が青白く光りだす。

見る見るうちに膝の傷口が塞がれていき、血の跡すら消えた。

「あ、ありがとうございます…」

「あはは。私も同じ新入生だから、普通でいいよ〜」

笑顔で話しかけるシンシアだが、ダインは別の反応を見せる。「おわっ、光魔法か!」

「へ? そうだけど…」

「いやー、滅多に見れないもんだから…」

「滅多に?」

不思議がるシンシアに、ダインははっとする。

「あ、い、いや、回復系統の魔法はあんま使ったことなくてさ」

種族を隠す必要があったことを思い出し、そんな苦しい言い訳をした。

「そうなんだ。あんまり怪我とかしたことなかったの?」

「ああ。幸いなことにな」

「ふーん?」

シンシアの表情を見る限り、特に疑ってはいなさそうだ。

ダインは安堵し、すぐに話題を逸らすために小さな女生徒に話を振った。

「それよりも本当に大丈夫か? 他に痛いところとかないか?」

「あ…う、うん、大丈夫…」

「先輩なのに入学式当日の後輩に怪我させるってひでぇもんだよな」

「う、ううん、ぼーっとしてた私が悪いから…」

「それでもだよ」

カバンに付着した砂埃を払い、女の子に返す。

その際、カバンのチャックに小さな動物のキーホルダーがぶら下がっているのに気付いた。

「わ、何それ! 小さくて可愛いね」

同じくキーホルダーに気付いたシンシアが言う。

「ミニモンシリーズのプチコンコンかな?」

「う、うん」

「可愛いなー。触ってもいい?」

「うん」

シンシアはその人形に触れる。

毛量が多く見るからにもふもふしてそうなそれは、手触りも見た目通りらしく心地良さそうな声を出した。

「はー、いいなぁこれ。ずっと触ってたいよー」

「あ、えと、毛の調整に時間かかったけど、上手に出来たと思う」

「…え? まさかこれ作ったの?」

「そうだけど…」

「す、すごいね! 売られてるものだとばかり」

「お、お店にあるのを見て、可愛かったから…」

つまり一目見ただけでほぼ同じものを作り上げてしまったのだろう。

「ああ、ドワ族なのか」

女の子の身長が子供並に小さい。それがドワ族の特徴だと思い出したダイン。

「う、うん。あなた達は…」

「ヒューマ族だよ! シンシア・エーテライト。よろしくね?」

「俺はダイン・カールセンってんだ」

「わ、私は…えと…ど、ドワ族の、ニーニア・リステン…」

自分に自信が無いのか、対人恐怖症なのか、彼女から発せられる声は小さい。

それでもどうにか話そうとしているのは、ダイン達が自分が作った人形を褒めてくれたからだった。

初めての土地で初めての学校へ通うことになり、心を落ち着けるためにと自分の自信作を持ってきていたニーニアは、他の作品も見てもらおうとカバンに手をかけるが、その前にシンシアが大きく驚いていた。

「リステン…? リステンって、まさかあのリステン?」

「え、と…ど、どのリステンかは分からないけど、多分、そう…」

「えーーー! すごい、すごいよ!」

シンシアはしきりにすごいすごいと言っているが、状況を飲み込めないダインには何がすごいのか分からなかった。

「ダイン君知らないの?」

「あー、ちょっと前まで親にいろんな国連れられてたからさ」

どう説明すればダインは分かってくれるのか。

分かりやすい例が思いついたシンシアは言った。

「ダイン君、携帯式の魔力通信機って持ってる?」

「携帯のことか? 魔法で動くタイプの奴なら持ってるぞ」

「それを発明したのがリステン工房。ニーニアちゃんがいるところだよ」

「マジか!?」

ダインも驚いたようにニーニアを見る。

彼女はどこか恥ずかしそうに俯いていた。

「他にもザ・ツールシリーズを開発したり癒しアイテムを発明したり、武器防具だけじゃない色んな生活必需品を作ってるところなんだよ」

「お、お父さんたちがすごいだけで、私は普通だから…」

見た目以上に縮こまっていくニーニア。

昔から言われ続けていたことだからか、恐縮する一方のようだ。

あまりこの話題は続けない方が良いと思ったダインは話を変える。

「ちなみに、二人は自分がどこのクラスか知ってるのか?」

その質問に真っ先に答えてくれたのはシンシアだ。「私はハイクラスだよ」

「ハイの5組だったかな」

「ああ、やっぱそうか」

「やっぱ?」

「いや、見た目だけの感想だけど、魔法得意そうに見えたから」

感じたことをそのまま言ったつもりだが、シンシアは何故か少し残念そうな顔をする。

「そう見えるかぁ、やっぱり…う〜ん、もっと分かりやすい武器とか持ってた方がいいのかな…」

いきなり武器とか言い出したことに疑問を感じるダイン。

「武器って…」

「私、お家は剣の道場やっててね、退魔師っていうのを目指してるんだけど…」

「あ…え、エーテライト。思い出した」

突然ニーニアが声を出す。

「すごい退魔師の人がいるって、私のところでも聞いたことがある」

「それ、多分お姉ちゃんだね」

シンシアは少し遠い目をした。

「巷では大退魔師って言われたりしてるよ。世界各国を渡り歩いて、接触禁止種のモンスターを倒したりしてる。リィン・エーテライトって聞いたことない?」

リィン。確かにどこかで聞いたことがある。

「最近じゃアニメ化までされちゃったらしいんだけど」

「ああ、あれか。って滅茶苦茶すげぇじゃねぇか」

「うん…」

すごいと言ったのに、シンシアの表情は晴れない。

「お父さんは今も大陸最強の剣士だって有名だし、あの二人の背中にはいつまでも追いつけそうにないよ…」

どこか物憂げに話すシンシア。その表情から、現在までに様々な苦悩や葛藤があっただろうことは読み取れた。

「わ、私も似たようなものだから…身内がすごいと大変だね…」

「うん、本当に…」

入学式が始まってもないのに落ち込む二人に、ダインは元気付けようと口を開いた。

「その遺伝子は確実に二人の中にあるんだから大丈夫だろ」

「そう、かなぁ」

「俺なんかそういうのないしさ。ただ村長の息子ってだけだし」

自分のことを引き合いに出したが、それがまずかった。

「え、ダイン君村の出なんだ?」

「ああ、まぁ」

「どこの村なの?」

シンシアが食いついてきてしまった。出身を聞かれると確実にばれる。

「あーっとな、あ〜、え〜とここからちょっと遠いところにある村で…」

どう嘘をつこうか考えていると、いつの間にか校門前まで差し掛かっていたことに気がついた。

「って、着いたみたいだぞ」

そのダインの台詞で、シンシアとニーニアは顔を前に向ける。

学校の全容を見ようとしたようだが、視界いっぱいに校舎が広がって分からない。

二人は同じ動きで正面から顔を上に向けていき、首がまっすぐになったところで学校の大きさを把握し、「ふわぁ…」と感嘆の声を上げた。

「お…おっきいねぇ…!」

シンシアが言うと、目を大きくさせたままのニーニアもこくりと頷く。

遠目から城のようだと思っていたが、近くで見てもやっぱり城のようにしか見えない。

大地にがっしりと居を構える校舎の上部には、まるで木が枝分かれしたかのように円柱状の屋根が伸びている。

窓は無数にあり、その中で生徒達が慌しそうに行き来しているのが見えた。

巨人専用かと思うほどの大きな門はところどころが黒ずんでおり、外壁の汚れ具合からも相当年季の入ったものだというのが分かる。

「ここがセブンリンクスか…確かに魔法学校っぽいな」

「私が先週まで通ってた学校より数十倍も大きい…こ、こんなところに、毎日通うなんて…」

ニーニアは震え上がっている。

「の、ノマクラスなのに…大丈夫なのかな、ほ、本当に…」

「おお、ニーニアもノマなのか」

そうダインが言うと、ニーニアは「え」と驚いた顔をこちらに向ける。

「もって…だ、ダイン君も?」

「ああ。ノマクラスは確か一組しかないんだろ? 同じクラスじゃん。よろしくな」

「あ…」

不安一杯だったニーニアの顔に、徐々に喜びの色が広がっていく。

「う、うん!」

ダインとはたった今知り合ったばかりだが、その知り合いがいるのといないのとでは大違いだ。

ニーニアは小さな体を弾ませ、ダインに大きく頭を下げた。「よ、よろしくね!」

「えーいいなぁ」

反対にシンシアは不満げな声を上げる。

「いや良くはねぇだろ。ノマクラスは落ちこぼれなんだろ?」

「それでも羨ましいよ。どうせなら一緒が良かったなぁ」

「実力主義なんだからそこはしょうがないだろ」

校門前で立ち止まり、三人で話しているときだった。

「ご…ごにゅ…ごにゅがく、お、おめ…おめでとござ…」

ぶつぶつ喋っている声が背後から聞こえる。

誰だろうとダインが振り向く前に、何かが背中にぶつかった。

「ひゃわぁっ!?」

ぶつかった人物は心底驚いたような声を出す。

振り向くと、そこには全身から不思議な光を放った、ニーニアと同じぐらい背の低い女生徒がいた。

長い銀髪をした彼女は、ぶつかってしまったダインを見上げ顔を青くさせる。

「す、すすすすすみません!! ま、前を見てなくて…!!」

ひどく恐縮した様子だ。

遅れ気味だった他の生徒達は、足早に校門から校舎に向かいつつも何事かとこちらを見ていっている。

「ほ、本当に申し訳ありません! ど、どこかお怪我などは…!」

「いや、軽かったから怪我とか全然…」

恐縮し続ける彼女のリボンは青。

どうも先輩だったようだが、その手には何かのメモのようなものが握られている。

そのメモを、周りが見えなくなるほど熱心に読み込んでいたようだ。

「ど、どのようにお詫びをしたら…えぇと、えぇと…」

ダインが大丈夫だと言っているにも関わらず、彼女はあたふたと一人で慌てている。

「マジで大丈夫だから。落ち着いて」

軽くパニックを起こしているようだったので、背を屈め彼女の目をジッと見つめた。

「あ…あ…は、はい…はい…」

しばらくして、ようやく彼女は落ち着きを取り戻す。

「す、すみません、本当に…きょ、今日は、い、いえ、数ヶ月前から、ずっと緊張していまして…」

「緊張ですか?」

不思議そうにシンシアが尋ねる。

「あ、あの、今日、今日は、入学式があるので…」

「ああ、あるっすね。というか俺らがその新入生っすけど」

「えっ…あ、ああ! そうなのですか!?」

ダイン達の色を見る余裕もなかったようで、彼女は今更驚いている。

いちいち大きくリアクションしてくれることにダインは小さく笑い、続きを促した。

「あの、そ、その、その入学式で、私がスピーチをすることになっていまして…」

「へぇ? 司会か何かなんすか?」

「い、いえ、う、器じゃないのですけど…本当に、器じゃないのですけど、せ、生徒会長なので…私…」

「え、ええ!? そうなんですか?」

今度はシンシアが驚いていた。

ニーニアも目を丸くさせている。

「で、ですので、まず始めに私が新入生の皆さんにスピーチをしなければならなくて…そのことを聞いてから、これまでずっと緊張して…うぅ…」

先輩は今にも泣きそうになっている。

なだめたいところだったが、新入生であるダイン達にはかける言葉が見つからない。

「それでずっとスピーチのメモ見てたんすね…よくそんななのに生徒会長なりましたね」

「ち、違います。私から望んだわけではなくて…」先輩は大きく首を振った。

「む、昔から、魔法力の高い生徒が生徒会長を務める慣わしらしくて…それで、私が…」

それはつまり、先輩の魔法力が学校の中で一番高いということなのだろう。

「す、すごいです、ね…」

遠慮がちにニーニアが言う。

見るからに気弱そうでおどおどしたその先輩に、そこまでの聖力が備わっているように見えない。

「す、すごくはないです。恐らく、私がゴッド族というだけで選任されたはずですし…」

「ご…ゴッド族…ッッ!!!」

突然シンシアが後ずさる。

ニーニアも同じ動きをしていた。

「こ、こんなところでお会いできるなんて…そういえばやけにキラキラしているなと思っていました」

そのシンシアの台詞の通り、先輩の全身は常に眩しく光り輝いている。

体内に収まりきれないほどの聖力が溢れ出し、常にバリアのように本人を保護している。

ゴッド族に関する本を読んだとき、そんな風なことが書かれてあったことをダインは思い出した。

「ど、どうすれば良いのでしょうか…」

先輩はまたおどおどしだす。再び緊張してきた様子で、シンシア達の反応を気にする余裕もないようだ。

「う、う〜ん、俺からは新入生だし、しっかりしてくれよとしか…」

「そ、そうですよね、すみません…」

「ちょっと邪魔なんだけど」

突然ダイン達の背後からやけに尖った声がした。

「ん?」と振り向くと、そこには長身でブロンドの髪をした、背中に羽を広げた女がこちらを睨むようにして立っている。

「校門の真ん中に固まって何がしたいの?」

「ああ、いや、悪い」

ダイン達はそそくさと校門の端に移動する。

白のリボンをしたエンジェ族であろうその女は、そのまま立ち去らずダイン達を見回した。

そして最後にダインを見て、「ふん」と鼻を鳴らす。

「由緒ある学校だと聞いていたんだけれど、ここも地に落ちたものね。こんな男が入学できるなんて」

何故だかそんな悪態をつかれた。

「魔力も何も感じない。どんな手を使って入学したのか知らないけれど、こんなのがいるだけでこの学校の品位が落ちるだけだと思うけど」

身なりや顔つきを見ただけで、その女はいいとこのお嬢様だというのが分かる。

「おーおー、テンプレみてぇな高飛車お嬢様キャラだなお前」

理不尽に攻め立てられたことに対し、ダインは些かむっとする。

「お前って誰に言ってるのよ。私が誰だか知らないの?」

「知らねぇ」

「末端の出ねあなた。田舎者はこれだから」

「おいおい何だよ」

ダインが一歩踏み込もうとしたとき、横から先輩が割り込んできた。

「け、ケンカはいけません!」

生徒会長として、先輩として、精一杯の勇気を振り絞ったのだろう。

仲裁に入ったのに、彼女は目をぎゅっと閉じている。

「にゅ、入学式が近いのですから、は、早く行きましょう!」

「何よあな…」

女は先輩にも噛み付こうとしたようだが、リボンの色と全身が光っていることに気付くと、すぐにばつの悪そうな顔になる。

「…ふん」

そのまま何も言わず、ダインをもう一度睨みつけてから校舎の方へ歩いていった。

「こ…怖い人だったねぇ…」

ダインとエンジェ族の女のやりとりにこれまでずっと息を詰まらせていたのか、シンシアがようやく口を開く。

ニーニアはまだ怯えているようだ。

「ここはどっかの社長の息子やえらいさんの娘が通うようなところだ。さっきみたいなプライドの塊のような奴ばっかいると考えた方がいいだろうな」

「だろ?」と先輩に顔を向けるが、先輩は仲裁に入った格好のまま固まっている。

スピーチの緊張に仲裁の恐怖。ダブルパンチで頭が処理しきれなくなったようだ。

「あ〜…ごめん、先輩…」

その一端を担ったダインは、もはや謝るしかなかった。







サラから事前に説明を受けていた通り、入学式は極めて形式的なものだった。

始めに口が見えないほどの白髭を生やした校長先生の挨拶に始まり、学校の成り立ち、その歴史、OBによる卒業後の話。

どれも輝かしいものであり、話を聞いている新入生の半数以上は長話なのに後半にいくにつれ目を輝かせている。

そして教育方針とその目的を聞かされ、最後に現生徒会長による新入生に向けたスピーチが始まった。

遠目から分かるほどに全身を硬くさせた、先ほどまで話していた先輩が壇上に上がる。

ドワ族ほどの小さな背丈に周囲の新入生から「子供か?」という声が出たが、体が光っていることからゴッド族だと気付いたようで、途端に驚きのそれへと変わっていく。

先輩がマイクの前に立つ。

スピーチの内容は緊張でやはり覚えきれなかったようで、がさがさとメモを開く音がする。

「ご、ごご、ご入学、お、おおお、おめでとう…ござい、ます」

それから先輩の新入生へ向けたエールが始まるが、時折言葉に詰まったり、何度も言い直ししたりしている。

その姿に周囲の新入生から笑ったり「可愛い」という声が漏れ聞こえてくるが、先輩の心理状態が分かっていたダインには可哀想なものにしか映らなかった。

先輩にとっては地獄であろうスピーチが続き、それもようやく終わりそうだ。

「お、お聞きいただき、あ、ありがとうございました。と、共に、この学校生活、高めあっていきましょう」

そこで先輩の話が終わったようで、壇上の脇に並ぶ先生方から拍手が起こる。

それにつられるように在校生と新入生に拍手が連鎖し、先輩は一礼して壇上を降りようとする。

サラから聞いていた通りの入学式だ。

この後はそれぞれのクラスに移動して、自分の席を確認してからすぐに帰れるらしい。

ダインは早くも帰ってからの用事を組み立てていた…が、普通の入学式ではありえないことが起こった。

「よろしいでしょうか」

突然、新入生側の一団の中からそんな声が上がる。

誰かがまっすぐに片手を挙げているのが見え、まばらになっていた拍手が完全に止んだ。

「え、と…」動揺する先輩は先生方に顔を向けるが、困惑したまま再びマイクの前まで戻り、声を出す。

「な、何でしょうか?」

先輩が言ったところで、手を挙げていた人物が立ち上がる。見覚えのある長い金髪。

それは、先ほどまでダインと口論していた人物。エンジェ族の女生徒だった。

女は周囲の不思議そうな視線をものともせず、高らかに言う。

「お初にお目にかかります。私、かつて天上神エレンディア様に仕えていたとされるウェルト家の長女、ラフィン・ウェルトと申します」

そこで周囲がざわつき始める。

口々に「ウェルト」という声が聞こえる。かなりの有名な名前なのだろう。

そのざわつきをも無視し、壇上の先輩をまっすぐに見つめていた女は続ける。

「由緒あるセブンリンクス魔法学校の、それも入学式という華々しい場でこのようなことを申し上げるのは不躾だということは重々承知しております。ですがこの学園のため、ひいては先生方のために提案させていただきます」

ラフィンと名乗る女は、その場に居合わせた全てに伝わるよう、声を上げた。

「私が生徒会長を務めさせていただいてもよろしいでしょうか」

一瞬、体育館内は水を打ったように静まり返る。

そして先ほどよりもさらに大きなざわめきが起こった。

在校生と先生方を含め、600人超。

それも全てがエリートで、魔法のスペシャリスト。

将来は政治家や、一国を動かすような重要人物が出てくるであろう生徒たちの前で、しかもその中で最も聖力を持つゴッド族の生徒会長に向かって、入学したばかりのラフィンは下克上に等しいことを言っている。

ありえないことだった。

壇上に並ぶ先生方は困惑の色を浮かべ、その下にいる先輩方は疑念の表情をラフィンに向けたり、面白がったりしている。

壇上の先輩も、そんなイレギュラーな出来事に困惑しているようだった。

立場的にも年齢的にも上のはずなので、馬鹿なことを言うなと押さえ込むのは容易なはずだ。年上は敬い、先輩には従うものだというのは種族問わずあるはずだ。

実際先生方の中にはそうしろと促している人もいる。

別の先生が飛び出しマイクを取ろうとしたようだが、その前に生徒会長の先輩は備え付けられたマイクを手にし、こう言った。

「あ…で、では、よ、よろしくお願い…します」

何よりも形式を重んじ、由緒あるセブンリンクス魔法学校。

創立数千年来にきて、入学式の当日に生徒会長の交代劇というありえないことが始まろうとしていた。





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