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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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一章 シンシアとマリア (2)

 鼻を押さえて彼女は盛り上がった心を一旦鎮めることにした。いきなりあのドアを開けるのは、ほんの少し、いや、ほんのちょびっとだけ怖い。本当にちょびっと。


 短絡的になるのではない。まずは自己啓発の本を探して自分を高める。そのために読書をしようと決める。


 これは逃げたのではない、戦略的撤退をしたのだと自分に言い訳していると、いつも通り、青白い手が何本も生え、食器を片付けはじめた。彼、いや彼女、いやそれらは数年で食器片付けに慣れたのか、その手際は非常に良い。


 初めて見た時はこれぞファンタジー、と驚きと好奇心で興味深く観察した。そしてこの青白い手と握手してみたり、ハイタッチしてみたり、じゃんけんに反応するか試してみたりと異文化交流で打ち解け、今ではありがとうと手を振る仲にまでになった。無数の手達もそれに答えて振り返してくれる。とてもフレンドリー。


 手達が食器を外に片付けるのを見送った後、本を探しに行くため、彼女は部屋の中央に立つと、右手を前に突き出し、起動。と呟く。


 彼女の周囲が円を描くように青く発光し、絨毯の上に複雑な文字列で構成された魔方陣が彼女を中心として浮かび上がる。音もなくその魔方陣はくるくると高速で回り、次第に視線がゆっくりと下降する。


 これはエレベーターのようなものらしい。前世のように機械で制御して人を運ぶのではなく、魔法で動く。仕組みは不明だが、部屋の中に景観も損なうことなく、場所も取らず、かつ簡単にエレベーターを作ってしまう異世界は凄いなぁ、と他人事のように考えた。


 数秒をかけて下の階に到着した。そこは自室よりもさらに薄暗く、図書館というよりは、書庫と形容すべき場所だ。彼女が立つ位置を中心としてクモの巣のように放射状に、狭い間隔で本棚が大量に並べられている。その果てには、本棚が円を描くように壁に沿って並べられていて、この書庫を俯瞰して見れば部屋の輪郭は綺麗な丸になるだろう。


 本棚は一つひとつが二十段あるのに対して、脚立もなければ専用の移動式階段もない。普通であれば、実用性皆無の本棚だ。


 この本棚の不思議な点は読みたい本に人差し指を向けて照準を合わせると、その本がうっすらと発光し、本のタイトルが指の近くに浮かび上がる。それを確認してから人差し指をくいっ、と曲げると本が自動的にゆっくりと彼女に向かい、手元まで移動する。非常に楽だ。高い位置にある本のタイトルも楽々確認出来るので、本棚が高くても苦にならない。


 問題、というより謎なのは、本を直接取り出せない。本を掴もうとしてもまるで壁に触っているように本の取っ掛かりを掴めない。ここの書架に納められている書物は魔法でしか取り出せない仕組みらしい。


 絵本から小説、実用書、歴史書、果ては魔術書や呪術書など本の種類は豊富だ。彼女がこの世界の文字を覚えたのも、この書庫に寄るところが大きい。幼い子ども向けの本から、学校で使われていそうな教材へ段階的に文字を学べた。


 言葉の発音について学ぶ時は先生がいた。会話の先生でなく、あくまで発音の先生。発音の仕方が分からない文字があれば、それに訊けば解決する。最近はもう、それのお世話になっていないが、一時期は毎日のようにお世話になっていた。


 今の彼女はやや上昇志向。久々に先生に教えてもらうため、来て。と呟いた。


 その声を聞きつけ、絨毯が敷いてある床が黒く、昏く、歪む。そして、何人という顔がひとまとめになった、顔の塊とも呼べる異形が、苦痛にまみれた表情を伴って歪みから生まれ、そのままぷかぷかと浮かんだ。


 その顔達の性別は一人として不明であり、個体差のようなものはなかった。まず間違いなく生きている人間ではない。


 子どもが見たら泣き叫ぶおぞましい異形だ。彼女は初見時、もしかしたら萌え成分があるのではと、まじまじと観察。萌え成分は見出だせなかったが、悪意や害意が感じられなかったので色々と交流を試しているうちに発音の先生になっていた。


 ちなみに彼女はこの異形を、内心で勝手にカオタチと名付けている。


 早速カオタチ先生に教えてもらうため、人差し指を適当に滑らせ、適当なタイトルを引き寄せてカオタチ先生に本の背を指差す。


「マリョクタイケイノナリタチトソノコウサツ」

「ジュジュツシニヨルカイジュヤクセイセイホウホウ」

「キキカイカイアンコクタイリクノナゾ」


 ふむふむー、と彼女は頷く。カオタチ先生はこのように文字を指差せば発音をしてくれる。意味は教えてくれない。


 この書庫とカオタチ先生によって彼女はこの世界の言語を、会話が可能な段階まで習得した。ただ、ヒアリングだけは少々不安が残る。


 ありがとう、とカオタチ先生に手を振ると、そのまま床に沈み、消えた。必要最低限の仕事以外はしないタイプなのだろう。


 彼女は書庫に訪れた本題に入る。自己啓発の本を探すため、片っ端から指を滑らす。


『3日で覚える! 目指せ! 楽器職人!』

『フルプレートのススメ』

『ドラゴンスレイヤー・バッケルの冒険』


 本はジャンル毎に分類されておらず、目的の本を探すのには時間がかかるが、書庫の荘厳な雰囲気にも関わらず俗な本もあって面白い。お金を稼ぐ方法を確立するために何かのハウツー本を読むのも有意義かもしれない。


 それはさておき、指を滑らすが、目当ての本、自己啓発をテーマにしたものが見当たらない。異世界ではその手の本はあんまりないのかなぁ、と諦めかけた時、そのタイトルが目に飛び込んだ。


『モテない男必読! 女の子を会話で楽しませる100の方法! ~今日からキミも、勇者級のモテ男へ~』


 きっっっっっったああぁぁぁ!!


 本来の目的であるテーマはどこかへ投げ捨て、その本を引き寄せる。異世界でもモテる技術はある! あるのだ! だって人間だもの!


 これぞ今、求めていたもの!


 これが今、必要なもの!


 本を高く高く掲げてその場でくるくると全力で回転した。


 そう、自分を変えるのだ。今世ではコミュニケーション能力を上げたいぞぉ!


 見た目は悪くても会話力があれば女の子を楽しませることができるはずだ。彼女のように見た目で女の子をビビらせてしまうタイプの生きる道はここしかない。


 歓びの回転をし過ぎて少し気分が悪くなったが、意気揚々と上の部屋に戻った。

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