序章2 つき姫の塔 (3)
馬車に揺られて平坦な道を進むこと数時間。ついに、それは姿を現した。
憑き姫の塔。怖い話として語り継がれている悪魔憑きの姫が封印されている塔。
空を切り裂くように直立しているその建物は禍々しいまでの黒色をしていた。それは元からその色なのか、放ち続けられている呪詛によって黒ずんでしまったのか、判別はつけられない。ただ、じっと見ていると気分が急速に悪くなる。マリアはすぐに目を反らした。
馬車はさらに塔に近づく。驚くことに、塔の入り口付近には何件か民家があった。そう言えば現地で泊まれる場所がある、という話を思い出す。
馬車が止まり、御者は決して無理はするんじゃないぞと呟き、近くにあった厩舎へ馬を連れていった。
マリアはゆっくりと塔の入り口を目指す。地面がやけに、平らだった。小石が一つとしてなく歩きやすい。辺りを観察すると、民家以外、木々も、草も、花もない、乾いた大地。空気も乾いていて、喉が渇く。まるで、ここは、今亡き国の跡地のようで、もしかしたらここは。
塔の入り口前に着く。甲冑で身を固めた2人の兵士が直立不動で槍を持っていた。マリアが近づいても微動だにしない。まるで置物のようだ。
どうしたものか、塔の入口付近でうろうろしていると、メイド服を着た恰幅の良い女性が民家から顔を出した。丸メガネをかけた女性で、体格とは裏腹に軽やかな足取りでマリアに向かった。
「テメェが今回配膳する奴か? まぁ、見てくれはクリアだが……」
女性は聞き取りにくい音量で呟く。それから丸メガネをくいっ、と神経質そうに動かし、親指で民家を指差し大声を上げた。
「とりあえず着替えな。特注のメイド服だから雑に扱うなよ! 着方は分かるな? テメェの荷物は家の中に適当に転がしておけ! 誰も盗らねぇから心配すんな! グズグズするなよ! 主様の昼御飯は近いからな!!」
言われるがままに民家に入り、メイド服に着替えた。濃紺のロングスカートに控えめなフリル。上品な作りで肌触りも良かった。今まで来ていた地味なワンピースとは比べ物にならないくらい華やかになった。馬子にも衣装、という言葉が浮かんだ。
姿見の前でメイドカチューシャをいじりながら部屋を見渡す。外見は普通の民家だったが、部屋の中身は半分以上が厨房だった。先程のメイドさんの家なのだろうか。
この部屋には違和感がある。なんだろう、とその原因を探ろうとしたところで丸メガネのメイドさんは慌ただしくマリアの姿を確認した。
「ん! ん! 大丈夫そうだな! 全く、もっと早く来いよ! それじゃとっとと料理を運べ! 朝御飯の空き皿も持ってこいよ!」
「あ、あのぅ……アネットさん、という方が先に配膳する手筈になっているのですが……」
「ああん!? そいつは今どこにいんだよ! いねぇだろ!? だったらテメェが運ぶんだよ!」
「は、はひ!?」
恐ろしい形相で詰め寄られ、マリアはコクコクと頷いた。それを見て満足したのか、メイドさんはサービスワゴンに料理を慎重に載せて、何度も何度も料理の外見を確認し、蓋をした。
「いいか? 絶対にこのワゴンを倒すんじゃねぇぞ!?」
「き、気をつけます……」
「オラ、これがこの塔の鍵だ。全部で6個だ。使い方は対応する魔法陣に対応するカードを近づけるだけだ。色分けされてるからガキでもできるな。扉の反対側からは自動的に開くから配膳の帰りはこれらの鍵は必要ねぇぞ。よし、行け!」
カードの束をサービスワゴンの一番上に置き、民家を出たところで、アネットが取り巻きの男達を伴って仁王立ちしていた。
「ア~ラ、抜け駆け? これだから田舎の芋娘って信用ならないのよねぇ。アンタ達もそう思うわよねぇ!?」
「はい! アネット様の言う通りです!」
アネットはピンヒールをコツコツと大きく鳴らしてマリアに近づき、強く手で押し出した。それによってマリアは身体のバランスを崩したが、なんとか踏みとどまった。
「ウフフ。これを7日間運ぶだけで金貨10枚! ボロいわぁ。田舎のクエストも捨てたもんじゃないわぁ」
「おい、そこの露出狂。メイド服着ろ。これは命令だ」
「ごめんなさいねぇ、アタシ、下女の服はお断りなのぉ。そ、れ、に、依頼書には服装の指定はなかったわよぉ?」
「チッ! クソが! ならとっとと運べ!」
「言われなくても金貨のために運ぶわよぉ。アンタ達、ここでちょっと待ってなさい」
「はい! アネット様!」
アネットが塔の門扉に描かれていた魔方陣にカードをあてがうと、扉は自動的に開いた。そしてワゴンを雑に押しながら塔に消えて入った。
「クソが、クソが! 主様の目に毒の格好で行きやがって! くたばれ、クソがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、あのー……私は、どうしたら……」
「ああん!? 少しだけ待機しとけ! 今のクソがすぐに戻ってくる可能性は高いからな。俺様は保険でもう一食分皿に盛る」
パワフルなメイドさんは肩をいからし、大股で家屋に戻っていった。取り巻きの男の人達は気まずそうにそっぽを向いていた。
待機をするにも、座れるような場所はなく、この服で地べたに座るのは憚れた。メイドさんに怒られるのは火を見るよりか明らかだ。視界に入る部分で自分の身だしなみを確認していると。
「いやあああああああああああああ!」
身体全体を楽器にしたような金切り声が、塔の扉が開くと共に耳につんざく。何事だと音の発信源を見ると、先程の余裕の笑顔が消失し、涙や鼻水を垂れ流したアネットがピンヒールが壊れることも厭わず全力疾走でどこかへと行ってしまった。男達もその後を追いかけて消え、静寂だけが残った。塔の前の兵士達は、この騒ぎでも石像のように反応を示さない。
「チッ、分かっていたことだったがやっぱりクソだったか。あの調子じゃあ、ワゴンはひっくり返したか。チッ! 後で掃除しねぇとな。リターン!」
彼女が右手を上げて軽く手を振ると、突如として幾何学的模様の魔方陣が展開され、次の瞬間には先程アネットが持っていった鍵束が現れた。魔法の知識に疎いマリアは心底驚き、ついその手元にある鍵束を凝視してしまった。
「あん? この鍵は1つしかねぇんだから俺様の手元に戻せなきゃ、盗む奴とか、今みたいに塔の内部に置いて逃げる奴が出た時に困るだろ。オラ、受け取れ」
鍵束は再び震えるマリアの手元に収まった。ついさっきよりも、その鍵束は何故か重かった。アネットが泣き叫ぶ光景がよみがえる。自分よりも修羅場をくぐり抜けてるであろう強者が、知らない場所で迷子になって号泣している子どものようだった。
自分はただの町娘で、危険とは無縁の平穏な日々を送ってきた。そんな自分が、この塔を上り切ることができるのだろうか。
塔に入る前から、無理だ、と思ってしまった。
「震えてんじゃねぇか。テメェの目を見れば金が目的でなく、その先、金がねぇと叶えられねぇ願いがあることくらいはわかるがよ、どうする? 止めとくか?」
その声音は、彼女と出会ってから一番優しかった。マリアは頭を振って、無理やり勇気を湧き上がらせる。何のためにここへ来たのか、それを思い出す。
「いえ、運びます。私は……。私は! 母を絶対に助けるんです!! 無力で何の取り柄もない私ですけど! ここで逃げたら後悔するから!」
「よし。その決意を鈍らせるんじゃねぇぞ。テメェ程の決意を持ってんなら主様の御前まで行けるかもしれねぇ」
メイドさんは再びワゴンを転がし、マリアの前まで持ってきた。
「主様のテーブルまで運べそうになければ最悪ワゴンから全部降ろして床におけ。主様は俺様と違って寛大だからそれでも怒りはしない。本当はテーブルまで運んでもらうのが理想だが、できたやつがいねぇからな、そこまでの高望みはしねぇ」
「はい……!」
「よし! 行け!」
マリアはワゴンの持ち手を固く握りしめて、一歩を踏み出した。