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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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三章 新月 (7)

 レイさんとバッケルさんから衝撃の事実と呪いの詳細を聞いた翌朝。夜深くまで会話をした影響で、マリアに起こされるまで夢の中を漂っていた。何だか懐かしい風景を見ていた気がするけれど、もう、夢の内容を思い出せない。


 眠気を気合いで吹き飛ばし、身支度を整えて外出の準備をした。今日も男の子擬態だ。早速、魔族の痕跡を探そう。危険領域を見極めて、それに踏み込まないよう、なるべく慎重に。


 家を出て、見上げる。広い大空は厚い雲に覆われていて、太陽は姿を隠していた。微風が頬を撫でる。雨の匂いはまだしない。日中、天気がこのまま変わらないことを祈った。


「マリア、リリ。わたし、ちょっと出かけてくるね。二人は好きなことをして大丈夫」

「……あの、シンシア様」


 マリアはいつもの、ひだまりみたいな笑顔を陰らせ、俯く。メイド服のエプロンを強く握りしめていた。冷たい風が前髪を揺らす。金色の合間に見えたその顔は、今にも雨が降りそうで、それを認識した瞬間、視界が歪んだ。


 シンシアは動転した。世界から音がなくなり、色がなくなり、身体の感覚さえ失う。足元が揺れているような錯覚に陥る。ぐらぐらと揺れる視界の中で、かろうじて口を開いた。


「あの、えと、その、マリア……? 具合が、悪い、の……?」

「あっ! その、ごめんなさい! ちょっと寝つきが悪くて! 寝不足で頭が働いていませんでした! マリアは元気です!」


 頬を両手で叩き、すぐさまシンシアを照らす笑顔になった。それを機に世界は元に戻ったけれど、何かが足りてなくて、それが何か分からなくて、いくら探しても見つけられない。焦った思考では考えても焦点を結ばず、空転し続ける。


「シンシア様、私、本日はお店のお手伝いをします。マリアが必要になった時は、いつでも声をかけてくださいね?」

「あ……」


 逃げるように翻った背中へ、無様に手を伸ばして、届かなくて、空を切る。その距離は少しずつ離れ、やがて、ひだまりは姿を消した。


 今すぐ店に戻ってマリアに何か言うべきだろうか? でも、何を話す? 話せるのか? 何故か、今、マリアの顔を見るのがとても怖い。目を合わせる自信がない。それに、もしまた背を向けられたら……。


 わたしは、何かを見落としている?


 わたしは、進む道を間違えている?


 ……足りない頭では、いくら考えても答えは出ない。けれど、呪いの問題は絶対に解決しないといけないはずだ。それは間違いないはずだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。この道は正しい……はずだ。


 店に背を向けた。鼻の奥がツンとして痛い。こみ上げてくるそれを無理やり抑えて、前を向く。


 リリは何も言及することなく、シンシアの目前で両膝をついた。少しだけ、顔を見るのを躊躇った。メガネ越しの無表情な顔は何を考えているのか、全く読めない。

  

「シンシア様、左手、出して?」


 言われるがままに左手を差し出した。彼女はシンシアの左手の甲に指を当て、そのまま青白く光る線で、大きな丸を一つ描いた。その中に、縦線を二本、横線を一本、追加した。それは鳥居にも門にも見えた。軌跡は青白い光を帯びていて、オーロラのようにたなびく。


 しばらくすると、その印のようなものは手の甲に染み込むように消えた。左手には何一つ違和感はない。理解が追い付かず、呆然とする。


「これで安心ねぇ」

「? えと、これは?」

「おまじない」


 彼女にしては珍しく、機嫌が良さそうに屈託なく笑った。人差し指を空に向け、くるくると振って言葉を続ける。


「シンシア様は、シンシア様の信じる道を進めば良いと思うわ。どの道を選んでも、どんな結果になっても、必ず前には進むからねぇ」


 地面で汚れた膝を払おうともせず立ち上がった。シンシアに背を向けて、大聖堂方面を見据えた。


「私はしばらく、別行動をとるわぁ。気になることもあるからね。店には戻らないけど、心配しなくて大丈夫よぅ」


 ひらひらと手を振って、存在を消すように町中へと溶けていった。シンシア一人だけが、ぽつんと店前の道に取り残される。


「どの道を、選んでも……」


 シンシアは一度だけマリアの家に振り返り、だけど今は直視できなくて、振り切るように前へと進んだ。この道がマリアの笑顔に続いていると信じて。


 まずは町の入口近くのバザーへと足を運んだ。朝でも多種多様な人々で賑わい、喧騒が混ざりあって言葉の海になっている。彼らに直接話しかける度胸はなかったので、耳を傾け、必要な情報のみを抽出して集める。


 昨日の正体不明の何者かについての話がほとんどだ。死神の話題は驚くほどに少なくなっている。噂の移り変わりが早いのだろうか。ただ、魔族、という単語は一度も聞かない。


 有益な情報も全くない。耳に入るのはシンシアの知る内容と同レベルで、新たに追加された情報はない。精々、馬車の荷台から何かが出てきた時、検問のおじさんが驚きのあまり腰を痛めた情報ぐらいだ。


 途中、何度もマリアの泣きそうな表情が頭をよぎり、集中力が霧散する。その度に今は情報収集をしなくては、と気合いを入れ直す。


 この町で潜伏するのに最適な場所はどこだろうか? 儀式をするのに都合が良い場所はどこだろうか? ……どの場所も最適に見えてしまうのだから、疑い出したら、きりがない。


 魔族の核心に迫るためには、もう少し情報を集めて的を絞らないと難しいかもしれない。バッケルさん達ですら尻尾を掴めないのだから、シンシアが闇雲に探したところで見つかる道理はない。


 何かそれらしい建物がないか眺めているうちに住宅街に移動していた。視野が狭まっていて、区画が変わっていることに全く気づかなかった。


 意味もなくうろうろしていると、とび色の髪を逆立てた、見知った少年とばったり会った。


「おっ、シン!! 何してんだ?」


 グレンは腕を組んで仁王立ちになった。……魔族を探してます、とは正直に言えない。混乱を招くだけだ。誤魔化そう。


「昨日の件について調べてて……」

「お? それなら丁度いいかもだぜ? 俺、今からパーティーのとこ行って、作戦会議しようと思ってたんだ! それにシンも参加しないか?」


 それは渡りに船だった。無策で闇雲に捜索しても時間の無駄だ。まずは何でも良いから情報を集めよう。そこから魔族に繋がる情報を得られるかもしれない。グレンに頷いて、是非参加させて欲しいと伝えた。


 こっちだ、ついてこい。と言われるままに背中を追いかけていると、商店街に戻ってきた。ワインの絵が描かれた看板の前で歩を止めて、ここだぜ、と呟いてから入店した。


 店内は濃いブドウの匂いが漂っていた。壁際には高級そうなワインボトルが、棚に綺麗に陳列されている。所々に木樽が積まれていた。ワイン専門店なのだろうか。


「いらっしゃいま……ってグレンか」


 カウンターで頬杖をついて、退屈そうにしていた若い男性がつまらなそうに呟いた。線の細い体躯に不健康そうな顔つき。グレンより年上だが、成人には達していない青年だ。黒色の髪をオールバックにしていた。


「ようエリック! 会議しようぜ会議! 昨日の正体不明についてな!」

「ま、来るとは思っていたよ。僕たち冒険者としては見過ごせない案件だからね。その前に一つ。後ろの少年は誰だい? 見かけない顔だけど」

「俺の友達だ! こいつも会議に参加していいか? 悪い奴じゃねえ。俺が保証するぜ!」


 エリックと呼ばれた少年は頬杖をついたまま、シンシアを審査するように目を向けてきた。しかし、そこには真偽を絶対に暴いてみせる、といった使命感や情熱はあまり感じられない。

 

「……ふむ。ま、大丈夫だろう。こっちだ」


 黒髪を手でかき上げ、抑揚のない声で呟き、立ち上がる。棚のワインボトルを拭いていた中年の男性にぼそぼそと呟き、そのままカウンターの後ろにあった部屋に向かった。彼の言葉通りに、その背中を追いかけた。


 部屋に入室すると、仕事で使っているような作業場と、下り階段が見えた。エリックは燭台に乗せたろうそくを暖炉の火に近づけて、火を移した。それを持って階段を降りたので、グレンと一緒についていく。


 地下室は暗く、少し肌寒い。ろうそくの火を頼りにして見渡すと、この店が建っている土地と同程度の空間が広がっていた。


 多くの木樽が規則正しく横倒しに並んでいる。店内と同じような匂いに、少しだけ埃っぽい匂いも混ざっていた。これは全部、ワインの樽だろうか?


 地下室の一番奥まで到達すると、先頭の少年は立ち止まり、床に燭台を置いた。それを合図にしたように、グレンは口を開く。


「エリック、ハロルドは?」

「彼はいつも通り、すぐに来るさ……。ところで、自己紹介がまだだったね。はじめまして。僕はエリック。酒屋見習い兼、Fランクの冒険者さ。パーティー『黎明の光』のリーダーを一応、務めているよ」


 エリックは大袈裟に両手を広げ、フッ、と笑った。彼の後ろにいる影が、ろうそくの火の揺らぎに合わせて生きているように蠢動している。


 黎明の光。意味は良く分からなかったが、なんとなく格好良い響きだった。そして、エリックも、Fランク冒険者。しゃべり方やしぐさが大物の雰囲気を醸し出していたので、その事実に驚いた。


「はじめまして。わたしは、シン。えっと、冒険者じゃなくて、その、何にも所属してない」

「ふむ。旅人、かな。まぁ、旅をする理由なんて色々あるからね」


 会話の途中で、どたどたと大きな足音が地下室に響いた。誰かが急ぎ足で階段を降りてきている。エリックが大きくため息を吐いた。


「うおおおお! エリックぅ! おいらがいなくて寂しかったか!? 今来たぞ!」


 息を切らせながら野太い声を上げたのは、お腹が少し出っ張った、ガタイの良い少年だった。エリックに近い年齢で、ブロンドの髪を七三に分けている。頬にあるそばかすが印象深い。


「ハロルド、君。男同士で、その感じ出すの、止めてくれるかい? 幼なじみとはいえ、背筋が凍りそうだよ。僕は女の子が大好きなんだ」

「ひでぇ!? って、このちっこいの誰?」

「はじめまして、わたしはシン」

「えっと……はじめまして……。おいらはハロルド。エリックの唯一無二の親友さ!」

「君。否定はしないけれど、自己紹介で僕を巻き込むのは止めてくれるかい? 鳥肌が立ちそうだよ。僕は普通に女の子が大好きなんだ」

「それはおいらもだよ!! べ、別に、エリックのことなんて親友としか思ってないんだからな! 勘違いするなよ!」

「……君。いや、これ以上繰り返すのは危険だな……」


 リズム良く会話が進む。慣れ親んだ間柄なのは一目瞭然だった。お互い無遠慮で、容赦がない。そして何よりも、楽しそうに会話をしている。それがシンシアとマリアに重なって、比較してしてまい、羨ましくて、心がざわめく。


「さてさて、パーティー全員揃ったね。ああ、シン君。僕、ハロルド、グレンの三人で黎明の光は構成されているんだ。ま、うだつが上がらない、しがないパーティーだよ」


 エリックはニヒルに笑って、まるで演劇役者のような振る舞いで木樽に腰を降ろした。座るために用意した、中身の入っていない樽なのかもしれない。


「さて、会議を、始めようか?」

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