三章 新月 (6)
急いで家に戻ると、マリアとリリはリビングでお茶を飲みながら談笑していた。平和な一幕。ありふれた日常。シンシアは安堵し、大きく息を吐き出した。
町の噂について、何か耳にしていないか二人に訊いてみる。昼食後は家で寛いでいたらしく、何も耳にしていないようだ。
シンシアもひとまず椅子に座る。じんわりと疲労感が滲み出て、椅子と一体化したように動けなくなる。マリアが淹れてくれたお茶を飲み、身体を休めた。流れる時間に身を任せていると、鐘が鳴った。
正体不明の何者かに襲撃されることもなく閉店し、マリアとレイさんはキッチンに並んで夕飯の準備をはじめた。目の前にはバッケルさんが座っている。昨日のような威圧感はなく、話しかけやすかった。
「バッケルさん。正体不明の何かが、町中に入った噂、聞きましたか?」
「ああ、営業中にお客さんから聞いた。全く、死神といい、物騒な話だ」
マリアに聞こえないように、声を潜めて会話を続ける。ここからが、本題だ。
「それは、レイさんにかけられた呪いと、関係が、あるのでしょうか?」
「それは……」
バッケルさんも同じように声を潜めてくれた。マリアをちらっと見る。それだけで、意図が伝わった。
「……マリアが眠ってからリビングに来てくれ。そこで三人で話そう」
夕食は穏やかに終わり、今日最後の鐘と共に、就寝した。
夜中。マリアを起こさないようにベッドからそっと抜け出した。リリは薄い上掛けを一枚羽織り、部屋の壁に寄っ掛かって目を瞑っていた。これは本人の希望で、横になって眠る方が難しいらしい。
部屋を出ると明かりのない、暗い廊下だった。窓から差し込む月光を頼りに、短い廊下を音を立てずに歩き、壁に手をついて階段をそっと降りる。
シンシアは夕飯の後、会話の糸口と流れを考え、完璧に練り上げた。その場でのアドリブは難易度が高い。そして、グレンの件で反省した。伝えるべきことは、きちんと言葉にする。沈黙はあらぬ方向に誤解されてしまうから。
脳内で練り上げた会話をシミュレーションしてみる。
『お二人は本に出てくる、あの有名な人達なんですよねっ!』
『はははー! シンシアさんは冗談が上手いなぁ!』
『うふふー! 本当ね! マジウケるー!』
『ところで呪いの件なんですけどぉ』
まるで流水のように滑らかな会話だ。一部の隙も見当たらない。小粋なジョークで場を温めてから、本題に入る。バッケルさんとレイさんが物語の名前と一致しているからこそ使える技。
書庫で見つけた『ドラゴンスレイヤー・バッケルの冒険』に『聖女レイの巡礼記』だ。内容はどちらも王道の冒険物で、完成度が高く、さくさくと読めて面白かった。きっと広く普及している物語なのだろう。
この会話の問題点を挙げるとすれば、自分のセリフを本番できちんと言えるかどうかだ。緊張で噛むかもしれないし、少し違った言い回しをしてしまうかもしれない。
計画を脳内で反復してから、リビングに入室する。夕飯の時は、皆の笑顔と壁に掛けられたランタンの火が部屋を明るくしていた。しかし、今はテーブル付近にだけ、頼りないろうそくの光が揺らめいていている。
わずかな光に照らされてる二人はこれから戦にでも赴くような、真剣な表情で椅子に座っている。昼間や食事の時に見せていた優しげな顔はかげり、別人とさえ思わせた。
「こんばんは、シンシアさん。……あら? 髪をおろしているのは初めて見たけれど、素敵ね。可愛いわ。……銀色の髪に、赤い瞳、ね」
挨拶を返そうとして、だけど喉が張り付いたように声が出なかった。気づかれないように深呼吸し、手に滲む汗を寝巻きで拭ってから、もう一度発声する。今度は、上手くいった。
促されるままに椅子に座り、二人と向かい合った。ろうそくの光が届かない部屋の隅は暗く、このテーブル付近だけが、世界から切り離されてしまったと錯覚した。
「……さて。何から話したものか……」
シンシアはテーブルの下で両手を強く握りしめた。最初が肝心だ。これからの話題は非常に重い。まずは場の緊張をほぐし、話しやすい空気を作るのだ。練り上げた会話を計画通りに進めるんだ。
「……二人は、すごいお方、です。ドラゴンスレイヤーに、聖女、なんですから」
二人の顔に緊張が走った。場が一気に冷える。シンシアは焦る。何か順序を間違えたか?
「……ただ者ではないと思っていたが、そんな古い情報を知っているとは……勢力争いの関係者か?」
「そんな風には見えないけれど……」
予定していた返答と違い、頭が真っ白になった。あれ? 笑いが起きない? もしかして盛大に滑った? 勢力争いって何?
「……シンシアさんのご存知の通り、私は教会勢力の聖女、だったわ。だけどね、今はもう加担してないの。元、聖女よ」
「俺はレイの護衛をしていた。当時は一応教会の勢力だったな。レイが教会から抜けたから俺も抜けたが」
「???」
「それで、シンシアさんは魔族……はないか。勇者か教会の勢力に属しているのか? それなら目的はなんだ?」
話についていけないのに矢継ぎ早に質問され、何も言えなくなる。しかし、ここで黙っていると、また変な誤解を与える。ジョークは不発に終わってしまったけれど、伝えるべきことはきちんと伝えよう。
「わ、わたしは、えと、どこの勢力でもありません! 目的? は……レイさんを呪った何者かを調べて、可能ならそれを取り除くことです!」
「なんだと……?」
「あら……?」
二人は顔を見合わせる。長年寄り添っている者が可能な、目での会話。意志疎通が終わったのか、レイさんが姿勢を正して口を開く。
「……ちなみに、魔王や勇者、教会のことはどう思ってるの?」
「えと、正直、全く興味ないです」
二人の言う勢力というものに、微塵も興味が湧かない。勇者だとか、魔王だとか、それは別の物語で、この世界の主人公がメインのお話だ。シンシアは自分の身の回りことで精一杯で、けれど、それで良い。
「……ところで、俺達の昔のことをなんでシンシアさんは知っていたんだ? その情報はあまり出回ってないはずなんだが……」
「えと、本で、知りました」
「……………………」
本のタイトルを伝えると、二人は同時に頭を抱えた。ろうそくの火で照された瞳は虚ろで、生気がなかった。闇堕ちしかけていた。
「何故、黒歴史がまだある……?」
「全部回収したはずよね……? あっても王立図書館ぐらいのはず……」
同時に咳払いをして、瞳に輝きを取り戻す。深く追及するのは止めよう。
「ねぇ、あなた。シンシアさんになら呪いについて話しても大丈夫じゃないかしら? 命の恩人、というのもあるけれど、悪い子には見えないわ」
「そう、だな。……うむ。レイが信用するなら、異論はない」
バッケルさんは肩を竦めた。それを機に二人の表情が幾分か柔らかくなった。……想定していた会話とかけ離れた結果になってしまった……。
さて、とバッケルさんは仕切り直した。
「話が大きく逸れたな。本題の呪いについて話そう。まずは結論からだ。レイを呪ったのは十中八九、魔王軍の奴らだ。恐らくだが、幹部が主導になっているだろう」
「ええ。魔族の呪術師を10体も使い捨てにするような奴なんてアレしかいないわ」
「あの、魔族10体、というのは?」
「私にかけられた呪いが魔族10体分の呪いだったの。元が付くけどこれでも聖女だから、呪いの深みはある程度分かるわ。弱い呪いなら自力で防げるけれど……強力な呪いに対応できるかと言われると、無理ね」
どこか自嘲したように笑った。こんな表情もするのかと驚いた。マリアの前では決して見せない表情なのだろう。
「呪いは対象の距離が離れれば離れるほど弱くなる性質から、この町の人目のつかない場所で呪詛を使ったことはほぼ間違いない。だが、居場所が雲のように全く掴めん。奴は魔族らしい化物のような外見をしているから、潜伏は難しいはずなのだが……」
「どうしてかしら……。もうこの町からいなくなったとか? 前提を間違えてるとか?」
「その可能性も十分に考えられるが……。呪いの痕跡が見つからんのが腑に落ちん。儀式場が必ずどこかにあるはずだ。呪いは間違いなく発動した。痕跡は必ず残る」
「……呪詛の、儀式? 生贄、供物?」
ロザリーから聞いた単語が頭に浮かび、うわ言のように呟いた。
「ああ、そうだ。それらを用意するのは簡単ではないはずだし、儀式が行われればレイが察知できる」
「……前回は全く察知できなかったけどね。衰えたのかしら……」
「その、まずは、どこに潜伏しているか、あるいは儀式の痕跡を見つけるべきでしょうか?」
「そうだな。町の中と外壁近くは粗方捜索したのだが……まだ見てない場所があるのかもしれん」
ヒントなしで捜索するとなると、時間がかかりそうだ。一つ、懸念が浮かぶ。
「その、呪いが再び発動する可能性は、ありますか?」
「現状はまだ、低いかもしれない、といった曖昧なところだ。術者の問題があるだろうしな」
「術者の問題、ですか? その、呪術は、才能がなくても使えるって、聞きました」
「ああ。その通りだ。しかし、適性が高い奴と低い奴では効果が大きく変わる。呪術を使っても、適性が低い奴では相手の身体を少しダルくすることくらいしかできないだろうな」
だが、と一拍あけて。
「適性が高い奴が呪術を使うと話が大きく変わる。呪いを強くすることが出来るからな。それこそ、相手をじわじわと弱らせ、死に至らしめることすら可能だ。可能だが、相手を呪殺するつもりで力を使えば、反動で術者は間違いなく命を落とすだろうな」
「それが……レイさんにかかっていた、強力な呪い……10の命を使った、呪い……」
「そうよ。勢力争いから降りた元聖女相手にこれは異常よね。私が聖女じゃなかったら即死だったかもしれないわ」
「……確実にレイを呪殺したかったのだろう。……そして、それだけの適性を持つ魔族は簡単には集められないはずだ。だから奴がまだ潜伏していたとしても、すぐには動けないはずだ」
まとめると、すぐに呪われる可能性は低いが、魔族が潜伏している可能性は十分にあり得る。しかし場所は不明。長い時間放置していると、呪術師が集まり、強力な呪いが再び発動してしまう可能性もある。
……シンシアが出来る範囲は潜伏場所を見つけて、それを二人に報告することまでだろうか。
「わたしは、明日から町の中を捜索して、情報を可能な限り、集めてみます」
「……ありがとう。俺達は店の営業もあるし、気軽には動けない。かと言って、町民には協力を仰げない。混乱を招くだけだからな。信じてもらえるかどうかも分からんしな」
「ええ。シンシアさんが調べてくれるのなら、これ以上心強いことはないわ。けれど、気をつけてね? 正体不明の何かが、町中にいるかもしれないし……」
「その正体不明は、魔族……と、関係あるのでしょうか?」
「……すまん。それについては断定できん。奴らは痕跡を残すほど、迂闊ではないだろうしなぁ。別件の可能性も考えられる。注意してくれ」
「分かりました。念のため、両方調べてみます」
明日から早速行動を開始しよう。早く解決して、平穏を取り戻して、何の憂いもなくマリアと町中を歩きたい。
「……何から何まで、本当にありがとう。シンシアさん、困った時は何時でも言ってね。力になるわ」
「ああ。俺もだ。……シンシアさんのお陰で、少し、肩の荷が軽くなりそうだ」
「そ、その。全力を尽くしますが、結果が伴わない可能性の方が……きっと、高い、です」
「大丈夫よ、シンシアさん。本来は私達で解決しなくてはならないことを、してくれるんだから。どんな結果になっても、感謝しかないもの」
「ああ。それから、無理に奴らを討伐しようとは考えないでくれ。それは俺達の方が適任だろうからな。腐ってもドラゴンスレイヤーに聖女だ。遅れは取らん」
ドラゴンなんてもう何年も狩ってないけどな、と豪快に笑った。
「はい、その時は、お願いします」
シンシアは戦闘能力が皆無だ。二人に任せてしまった方が最適だろう。
方針は決まった。今出来る、最大限のことをしよう。




