三章 新月 (5)
「よし! 早速強くなるために鍛えようぜ!」
グレンはバタバタと目の前の民家に入り、すぐさま戻ってくると、短い木の棒を二本持っていた。角材の角にやすりをかけ、丸くしたような形状をしている。殺傷性は抑えられているが、この棒で殴られると間違いなく痛い。嫌な予感がして、恐る恐る訊ねる。
「えと、グレン? どうして木の棒なんて……」
「決まってるぜ! 修行だ! 模擬戦やろうぜ!」
「わたし、武術? 剣術? 何にも知らない……」
「そんなん俺もだぜ! 剣術習うのはお金かかるしな……。大丈夫だって、シンの場合、護衛騎士見習いになれば、先輩から教えてもらえると思うぞ」
木の棒を押し付けられるように渡される。思いの外、軽かった。ツルツルとした手触りで、ささくれなどはない。大人が稽古として扱うにはお粗末なので、子どもの稽古用に作られたものかもしれない。
「よし! 子ども広場に行くぞ! こっちだぜ!」
グレンは気勢をあげて弾丸のように走り出した。一拍遅れてその背中を追いかける。民家の間にある狭い路地を駆け抜けた。また走るのか、と憂鬱になったが、長く走ることもなく目的地に着いた。
そこはひらけた、誰もないない一面の更地だった。遊具のような物はなにもなく、雑草がぽつぽつと生えていて、手入れなどはされていない。更地の周りに民家は少なく、比率としては林の方が多い。公園のような所なのだろうか。
早くこっちに来い、と言われるまま広場の中央に向かう。グレンと向かい合う形になり、目測で五歩分くらい離れている。まるで決闘だ。
「よーし! はじめるぞ、シン! 鍛えて、鍛えて、最強の冒険者になるぞー! 我が剣は、レティさんのために!」
木の棒を天へと勢い良く真っ直ぐに掲げて、表明した。グレンの方がよっぽど騎士らしい。どうしたら良いか分からず、取り敢えず真似してみた。何だか恥ずかしい。
グレンはステップを踏むように身体を揺らし、木の棒を右手で構え、左手は遊ばせた。盾を持って戦うことを想定しているのだろうか。達人ならばそこに隙があるのか、ないのか分析するのだろうけど、シンシアには何一つとして分からない。戦闘態勢に入ったのだろうか。
ただ突っ立っているのも危ないので、シンシアは想像のみで剣道の構えを再現する。両手で木の棒を掴み、グレンに向けてやや傾ける。右足を半歩分前に踏み出して、攻撃に備えた。恐怖と、高揚と、好奇心で動悸が激しくなる。
「へへっ! シンの構え、なんとなく格好良いな! 雰囲気、出てるぜ!」
「そ、そう?」
「ああ! さ! はじめようぜ!」
グレンは素早い身のこなしで瞬く間に距離を詰めより、左手が後ろになるよう身体を捻った。木の棒をいつでも振れるような構えだ。右側から攻撃が来る!? 軌道を大雑把に読み、木の棒が十字に交差するように防御した。瞬間的に目を瞑った。
次の瞬間、何が起きたのかシンシアは咄嗟には分からなかった。木の棒がぶつかり合い、乾いた音が聞こえたと思ったら、自分の手から木の棒がなくなっていた。遅れて、落下音。カラカラと転がる音。
「…………アレ? シン、手が滑っちまったか?」
「…………えと、うん」
「…………ま、まぁ! 仕切り直してだな!」
転がっていった木の棒をそそくさと拾い、もう一度お互い間合いを取った。木の棒を一回目よりも強く握りしめた。せめて打ち合えるぐらいはしないと……。
そして何度も繰り返される、木の棒の跳躍。弧を描いて舞う木の棒。羽根が生えたように飛ぶ木の棒。シンシアは木の棒の自由を解放する先駆けとなったのだ。
「シン………………」
「うう……弱くてごめんね……」
結果は、ぼろぼろだった。まともに打ち合えない。グレンの練習相手にすらならなかった。
この広場にはベンチらしきものもなく、どこにも休む場所がない。疲労困憊でその場に座った。ひっそりと転がっていた小石が当たり、少しだけ痛い。
「気にするな! だからこそ、今鍛えてるんだろ? ここから強くなりゃいいんだよ!」
項垂れていると鐘が鳴った。一際大きな音が大聖堂方面から。その後に違う方面からも同じ音が鳴る。ふと太陽の位置を確認すると、真上に近い。マリアの家に戻らなければ。
「よし! 昼飯食ったらさらに修行だ! シン! 一緒に強くなるぞ!」
グレンは爽やかな笑顔で木の棒を掲げた。……これ以上は駄目だ。きっと、グレンの足を引っ張る。
自分の意志を表に出すのは怖かったが、午後は修行をしないようにグレンに頼み込んだ。強くなりたい気持ちも確かにあったけれど、身体がついてきてくれない。
「そうか……。それだったらさ、この後は修行せずに、普通に遊ぼうぜ!」
「……えっと、いいの?」
グレンは握っていた木の棒で肩をトントンと叩き、屈託なく笑った。そこにシンシアを非難する色はない。
「いいんだ! 俺も、ちと焦り過ぎてたかもだしな! 当然、レティさんのことを諦めるわけじゃないぜ!」
「うん。ありがとう、グレン」
「おう! 気にすんなって! 昼飯食ったらこの広場に集合な!」
マリアの家に戻り、お昼ご飯をいただいて、マリアとリリに午後は広場で遊ぶことを伝えた。今までの引きこもり生活に比べると正反対な自分が信じられなかった。これもシンシアの心を救ってくれたマリアのお陰だ。自分が変わりはじめていると自覚した。
広場に戻ると、初めて見る子ども達が四人いた。幼く、シンシアよりも身長が低い。皆服装が似たり寄ったりで、髪の長さもほぼ同じぐらいだ。性差の特徴は見当たらない。
グレンは子ども達に囲まれていた。一人の子がシンシアに気づくと、声を上げて指をさす。全員の視線が飛んできた。幼子特有の、好奇心に満ちた瞳。
「グレンにーちゃん! このひと、だあれ?」
「シンだ! 俺のダチだ!」
「ダチー?」
「そうだぜ! おっし! 皆で遊ぶか!」
「えっ!? グレンにーちゃん、しゅぎょーしなくていいの? いつもはあそんでくれないのに……」
「ああ! 今日は修行、やらね! たまには遊ぶぜ!」
午後は先程の稽古と違って危険なものではなく、ボールを蹴ったり、当てっこ、鬼ごっこなど、子どもらしい遊びだった。シンシアにとってはどれもこれも知識でしか知らない遊びだったので、新鮮で、楽しかった。
……違う景色で流れる子どもの遊びは、遠くから見ることしかできなかったから。
ふと、視線を感じ、広場の外に意識を向けると、林の間から黒いフードとマントに包まれた何者かがこちらの様子を窺っていた。
異様だった。その小柄なシルエットは見るからに怪しい格好なのだが、薄暗い林に溶け込み、目立たない。陽炎のように存在がゆらゆらと揺れていた。
そして、その立つ位置は、薄れた記憶にある、自分自身。
「グレン」
「んあ?」
「? あれ? ……ごめん、なんでもない」
少し目を離すと、消えていた。見間違いだったのだろうか? 顔はフードに隠れて見えなかったが、何だか寂しげな感情を拾った。それは、知っている。触れることのできないものに対する、羨望だ。
あれは、いや……あの子は、シンシアと同じ……。
それに気を取られていると、痩身の男性が焦りの表情を浮かべながら駆け足で近寄ってきた。鎧などは着用していない、普通の町民だ。
「グレン! 何か、変わったことはなかったか!?」
「ん? 変わったこと? なんもねーぞ、親父」
「そうか……。それなら、良かった」
「いきなりなんなんだ?」
グレンが親父と呼んだその人は、神経質そうにキョロキョロと周りを見渡し、シンシアを見つけると、眉を潜めて不審げな眼差しを向けた。
「グレン、この見たことのない子は……」
「俺のダチのシンだ!」
見たことのない子どもが自分の息子と一緒にいれば不審がるのは当然だろう。ここは旅人用のカードの出番だ。オーバーオールのポケットを漁り、それをグレンの父に見せると、あからさまに態度を変えた。
「おお。すまないな、キミ。グレン、なかなか聡い友達じゃないか」
「へへっ!」
「ふむ。……実はな、私も又聞きでしかないのだが、馬車の荷台から、何かが飛び出して、町に入ったらしいんだ」
「あ!? 何かって……何だよ。それ、大丈夫なのかよ!?」
「分からん……。ギルドはそれの捜索クエストを出したらしいが……人が足りないって聞いたな……」
何事も起きなければ良いのだが、と結んだ。
ギルドが警戒する死神。荷台から飛び出した正体不明の何か。そして、何者からか呪われたレイさん。どれも情報が少ない。不明瞭な点が多すぎる。
見えない不穏に鳥肌が立った。…………この町に、何が起きている? 何かが、起きようとしている? マリア達は大丈夫だろうか?
「グレン、ごめんね。わたし、戻る」
「ああ、その方が良いぜ。……俺も冒険者として、少し調べてみるか……?」
「私はあの子達を送り届けてくるが……グレン、あんまり無理はするなよ」
シンシアは全員に会釈してから踵を返し、マリアの家に向かって全力で走った。
夕方が、迫っていた。




