三章 新月 (2)
「は、初めまして。シンシア、です」
マリアの主として、両親への挨拶は第一印象が重要だ。この世界では使い慣れていない敬語を脳の倉庫から引っ張り出し、なるべく丁寧に一礼をする。激しい緊張感で両の手のひらが汗ばんでいる。頬が熱い。マリアとリリはシンシアの行動を尊重してくれたのか、背後で控えてくれている。
「あら、これはご丁寧に。マリアの母の、レイよ」
レイさんは気品と落ち着きのある微笑をたたえた。母親とは思えない程に若々しく、町中ですれ違えば間違いなく、きれいなお姉さんカテゴリーに入る。華奢な女性で、ブロンドの髪と優しい顔つきがマリアと重なった。マリアは間違いなく母親の血を色濃く受け継いでいる。胸も。
「…………バッケルだ」
妻とは対照的にバッケルさんの体格は、この町ですれ違った人々の誰よりも大きい。服の上からでも鍛えあげられた筋肉が盛り上がっている。髭の似合う偉丈夫で、短く刈っている茶色い髪が猛者感を滲み出している。
バッケルさんにレイさん。……記憶に引っ掛かる名前だが、今は掘り下げてる場合ではない。目の前のことに集中だ。
「それにしても……随分と幼……若いのね」
「あっ、はい……じゅ、じゅ、10歳ぐらいだと、お、思います……」
「あら。マリアとは4歳差なのね。ふんふん。なるほど。全然許容範……」
「うおっほん!」
大きな咳払いに全員の視線がバッケルさんに移った。その表情はとても厳めしく、威圧感でシンシアは内心冷や汗が止まらない。隠れる場所が欲しい。
「積もる話もあるだろうが、そろそろ夕刻。店仕舞いをしてからゆっくりと、じっくりと話そうではないか。なぁ? シンシア君?」
口元は笑っているが、目は笑っていなかった。バッケルさんの威圧感がますます膨れ上がる。もしかして、いや、間違いなく、歓迎されていないのだろうか?
その時、鐘の音がどこからか厳かに鳴り響く。ゆっくりと間延びした音だが、いつまでも耳に残る。反響が切ない。その音が小さくなると、そのまま心がどこかへ拐われそうになる。それは、薄れた思い出の底にある、夕方になると流れる放送を想起させた。
「あら? もう晩の鐘が聞こえたわね。マリアはお客様達を一階のリビングに案内して? 店じまいをしてくるわ」
店の奥に向かう間、バッケルさんは腕を組み、鋭い視線を送ってきた。どうにかして彼と和解しなくては……今後のことに関わりそうだ。しかし、何故バッケルさんの怒りの琴線に触れたのだろうか。最初の挨拶で何か気に障ることをしてしまったのだろうか? 礼儀作法に誤りがあった?
案内された部屋へ入る前に靴を脱ごうとして、マリアに止められた。この家は全域土足らしい。文化の違いを感じる。
一階の住居部分は広い一部屋で構成されていて、壁際に暖炉が鎮座していた。真ん中にテーブルや椅子が置かれている。余計な物は少なめの、さっぱりとした内装だ。
隅にはキッチンが備えられていた。大きなかまどのようなものがあり、その下には空洞がある。中には薪があった。
どれも新鮮で興味深く部屋のあちこちを見ていると、マリアは壺を近くに置き、かまどの下で何かの作業をしていた。質問してみると、種火を使って火を起こし、紅茶を用意してくれるようだ。
最近覚えた火の魔術が役に立つのではと閃いたが、余計なことをして引っ掻き回しても嫌なので、静かに待つことにした。隣に座っているリリを見てみると、目を瞑り、置物のようにピクリとも動かない。彼女も疲れたのかもしれない。
マリアが木製のコップを二人分机に置き、シンシアの後ろに控えた。定位置だ。一口飲んでみると、細かい種類は分からないが紅茶だった。自分で淹れたものよりも断然美味しい。マリアにお礼を伝えてからもう一口、ゆっくりとすする。
温かさが身体に循環して、一息つく。
両親への挨拶も大事だが、本題を忘れてはならない。レイさんが呪われた理由を調査するのだ。今一度気を張り直す。
ただ、この件はマリアに内緒で調べたい。あなたのために頑張ってます、とアピールするようで、それが無性に嫌だった。それに、結果を出せない可能性だってある。
紅茶の湯気を目で追っていると、レイさんとバッケルさんがリビングに入室した。
「あらあら。それじゃあ、今夜のお夕飯はごちそうにしましょうか? マリア、手伝ってくれるかしら?」
「ふん。俺は、いつも通りで一向に構わんのだがな? なぁ、シンシア君?」
「あっ、はい……」
バッケルさんが対面にどっしりと座った。鋭い眼光が肌を這うようで、生きた心地がしない。マリアとレイさんが台所で夕飯の準備をしているのを眺めて気を紛らわそうとすると、咳払いが必ず邪魔した。気まずい空間に耐えられず、胃がきりきりと痛む。
結局俯いて長い間そわそわしてると、いつの間にか夕飯がテーブルに広がっていた。
木製の大きな皿に、焦げ目がついたたくさんのソーセージ、ケーキのように大きい円形のチーズ、黒くない、小麦色のパンに色とりどりのサラダ、しっかりと焼かれたお肉の切り身などがのせられていた。芳しい香りが鼻腔をくずくる。お腹が早くよこせと抗議を上げた。
「……随分と、豪勢だと、思わないかね? シンシア君?」
「は、はぁ……」
「これだけの料理は、お祝いの場でもなかなか出ないだろうな。そう思わないかね? シンシア君?」
「は、はい……」
「あなた……少し黙ってくれるかしら?」
「お父さん、さっきから何なんですか? 鬱陶しいです」
「ぐっ……! しかし、だな」
「命の恩人にそんな態度で接するなんて私達が許しません。感謝の気持ちとしてこれくらいのもてなしは、当然じゃない?」
「……むぅ。確かに、それは、そうだが……」
「まぁ、あなたの気持ちもほんの少しは分かるけど、それとこれは、別の話じゃない? それを混同するのは大人として、男として、みっともないわ」
バッケルさんは瞼を強く瞑って眉間に皺を寄せ、唸った。それから、頭を振って大きく息を吐いた。
「シンシア君。レイの命を救ってくれてありがとう。君がくれた薬がなければ……。礼を言う」
「私も。本当にありがとうね」
「シンシア様。家族一同、お礼を申し上げます」
全員が立ち上がり、佇まいを直して深く頭を下げる。
「あ、頭を、上げてください。あのその……」
言葉が出ない。こんな時は、なんて言えばいいんだ? 当然のことをしたまで? マリアの笑顔がみたかった? 何を言ってもキザになりそうで、言葉が出なかった。
「だ、だが! それと、マリアの件は別物だ!! いくら恩人だからって、メイドにするなど! け、けしからん! けしからんぞ!」
「お母さん? お父さんには内緒にするって……」
「ごめんね! この人の追及がうるさくって! レイ、うっかり!」
なるほど、バッケルさんは最初からシンシアがマリアの主と知っていたから辛辣な態度だったのだ。可愛い娘が得体のしれない奴のメイドになったのが許せないのは当然だ。シンシアが同じ立場なら絶対許せない。相手を力の限りグーパンするかもしれない。威圧するだけで済ませてくれたバッケルさんは懐が深い。
ならば、シンシアが安全で、素行に問題ない主として認めてもらえれば、態度を軟化してもらえるかもしれない。まずはほんの少しでも信用を勝ち取る必要がありそうだ。情報収集はその後の方が円滑だろう。
ドタバタと賑やかな食事は始まった。家族の会話には参加できる気がしないので、黙っていることにした。マリアが時折話題を振ってくれるが、うん、としか返せない。
結局、シンシアとリリは黙々と料理を食べた。どれも美味しく、一つひとつの料理に賛辞を送りたかった。言えるタイミングはなかったけれど。
食事の途中から、睡魔に襲われた。意識が途切れとぎれになる。頭が一定のリズムで船を漕ぐ。
眠い……。ふわふわとして、気持ち良い。
「シンシア様はお疲れですので、私の部屋に案内してきますね?」
「部屋にッ! 案内ッ! だとッ!? それはマリアの部屋かッ!?」
「はい……今、言いましたけど?」
「ならぬッ! それはッ! 断固反対するぞッ! その辺にでも寝かせておけ!」
「…………さっきから本当になんなんですか? シンシア様にこれ以上きつく当たるなら、もう口利きません」
「んなッ!? そ、それは……バッケル、困る……だ、だが! 男と女が一緒の部屋は……」
「? シンシア様は女の子ですよ?」
「えっ、うっ、おっ、な、なんだとおおおおぉぉぉ!?」
なんだか騒がしい。しかし、頭にフィルターがかけられたように物事を考えられない。もう、限界だ。
マリアの手に引かれて歩く。ベッドに上がる。靴を脱いだ。
パジャマはマリアが着せてくれた。ぶかぶか。甘い匂いがする。
幸せな心地で眠りに落ちた。




