三章 新月 (1)
「そろそろタラクの町が見えるわよ」
まだ浅い夕方、ダニエルの指に視線をつられて大きな丘を見上げると、土で汚れている壁が目に入った。外壁、だろうか。長く続く壁は高さがまばらで、統一感がない。でこぼこしている。何度も壁を補強して、継ぎはぎになってしまったようにも見える。
今は町から少し離れた所に立っているが、壁の内側にある大きな建物の尖頭が飛び抜けているのが確認できた。その先端には何かの飾りがついている。細部までは見えない。なんとなく、その建物は教会に思えた。
外壁の一ヶ所に門が構えられていた。二人の兵士が直立不動で門番をしている。王宮などで勤めていそうな兵士ではなく、皮の鎧を着た自警団のような兵士だ。
「それじゃ、シンシアちゃん、アタシ達はこれで。流石にこの服装では町に入れないからねぇ、貴女達の後から町に入るとするわ。縁があれば、また会いましょ? なんとなく、また会う予感がするケド」
「うん。ありがとう。その時は、よろしくね?」
ダニエル達と別れた。見た目はただの盗賊だったが、気の良い人達だった。ただ、シンシアは当然の如く未成年なので、お酒の店は行けそうにない。再会できるとしたら町中で偶然会うくらいか。
もう一度町方面を見ると、町の入口まで舗装された道が続いていた。道の端には色鮮やかな花達が自らの力で咲き誇っている。目的地が視界に入っているお陰でそれを愛でる余裕も生まれ、門に着くまでの道を楽しむ。
何の花なのだろうと疑問を抱きつつ、けど解答は求めずに進み、タラクの町の入口前に到着した。遠くでは外壁のスケールがいまいち把握できなかったが、近くで見上げるとその高さに圧倒される。通常の手段でこの外壁を乗り越えるのは至難だ。
門の様子をうかがうと、一台の馬車が門を潜り抜け、町中へと進んでいた。外壁の大きさに比べて門の入口は小さく、馬車二台すれ違うのは難しい横幅で、高さも荷台に対して隙間が少ない。
シンシア達は馬車が完全に町中に消えてから歩き出した。見張りの人に横目でじろじろと見られながら門を通る。その途中で、禿頭のおじさんが門の横に設けられている窓口から顔を出し、声を上げた。
「止まれ。お前たちは……って、マリアちゃんか。君、最近外出多いねぇ。一応住民用のカード見せてね」
「あはは……。はい、こちらです。いつもお疲れ様です」
「はいはい。確認したよ。そんで、そっちの人達は?」
「はい、私の友人です」
「友達、ね。一応質問するけど、交易とかの目的ではないよね? 悪いね、おじさん、その大きな鞄が気になっちゃって」
「旅の荷物です。中身の確認をお願いします」
「はいよ。お前達、仕事だ!」
窓口の隣から見張りと同じような服装の二人が慌ただしく扉を開けて、手慣れたようにリリが背負っていた鞄の中身を改めた。
「どう? ん、問題なし? それじゃあ、旅人二人分、銅貨6枚ね」
……町に入るのに、お金がかかる? お金を一切所持していないことに今更ながら気付き、冷や汗が流れた。呆然としていると、マリアはごく自然に小さな袋から硬貨を取り出し、おじさんに渡した。
「銅貨6枚です。確認してください」
「はいはい……うん、間違いなく。ちょっと待ってな」
おじさんが一旦引っ込んだので、マリアに頭を何度も下げた。無知で短慮だった自分が恥ずかしくて穴があったら入りたい。
「マリア、お金、ごめんね? 後で、なんとか……稼いで、返すから……」
「シンシア様。大丈夫です! 気にしないでください!」
屈託のない笑顔で手をぱたぱたと振るマリアを見て、シンシアは決心した。後で絶対にお金を返そう。
引きこもっている間は家の人が従者に給料を払っているものだと勝手に思っていたが、実際は黒い塔しかない辺鄙な場所だった。
では、給料は? 払われていない可能性があまりにも高い。今のままでは従者に給料を払わないどころか寄生する底辺の主だ。それだけは返上したい。
「ほい。旅人用のカードだよ。なくしたり、盗られたりしないようにね」
おじさんからカードを手渡される。それをためつすがめつ眺めた。シンシアの手ぐらいの大きさだ。材質は紙ではない。金属? それにしては、重さを感じない。
「んーとね? ぼく? これがあれば、各所で正式に門を通過した旅人の証明に……んー……これがあれば、ぼく、あんぜんなひとだよーって、おみせのひとにつたわるんだ。だから、なくしちゃだめだよ?」
カードをなくしてしまうと町中での行動が大幅に制限されてしまうということだろうか。しっかりとおじさんに頷き返した。
いよいよ町だ。この世界で初めての町。どんな所なのだろうと期待と不安が半分ずつ混ざった心境で、町に向かって足を踏み出す。
そして、門の先には、夕焼け色の町並みが広がっていた。
一番最初に視界に飛び込んできたのが、左右に立ち並ぶ賑やかな露店。りんご、レモン、オレンジ、桃など、シンシアでも知っている果物。みずみずしく、鮮やかな色合いの野菜。香ばしそうなパン。豪華絢爛だが、どこか胡散臭いアクセサリーなどが並べられている。
甘い匂いがシンシアの鼻に届いた。柑橘系の爽やかな香り。その次は香ばしい香り。祭りの屋台の匂いのようだ。毎回違う匂いが漂う。
町民の顔はみんな明るく活気がある。やる気に満ち満ちている。それだけで、ここが良い町なのだろうと思えた。シンシアもこの空気に触れるだけで、楽しい気分になる。
シンシアは、初めて知る。人だけではない。町も、生きている。豊かな表情がある。
町に入ってからは先頭をマリアに任せることにした。マリアは一旦、自分の家に向かうことを提案したので、それに頷いた。
マリアの後ろを追いかけながらも、露店には興味深い物がたくさんあり、目があちこちに移る。特に気になったのは用途が全く分からない、謎の物体だ。あれは後でじっくりと調べよう。
人々の会話にも耳を傾けてみる。一番多く聞く話題は『死神のツヴァイ』についてだ。恐ろしい魔物だよ、大丈夫かねぇ、と噂をしているが、そこにどこか他人事のニュアンスが混じっている。当事者でなければ危機感を抱けないのはシンシアも同じだ。結局、噂話に過ぎない。
服装に視点を合わせると、皆似たり寄ったりの地味な服装だった。奇抜な着こなしは見受けられない。これが今の流行りなのだろうか? ……可愛いミニスカートやニーソックスはないのだろうか? 興味は尽きない。
あちこち視線を飛ばしていると、露店が少なくなり、大きな広場に出た。いつの間にか人々の声が減っている。マリアはここを大聖堂前の広場と説明した。
中央には大きな噴水が設置されており、それを鑑賞している男女のペアが数組、ベンチに座っていた。デートスポットの一つなのかもしれない。
何より目を惹いたのが巨大な教会、いや、聖堂だ。町の外からも少し見えていたが、この大聖堂だけはこの町で飛び抜けて高く、大きい。今は夕日を背に受けて、大聖堂の大きな影がシンシアを飲み込み、暗く、恐ろしい印象を抱いた。
建物の意匠も荘厳で、中身も気になった。後でぜひ見学したい。関係者以外でも入れるのだろうか?
そのまま大聖堂を左手に見ながら歩くと、大きな通りに出た。露店が並んでいた場所に比べると静かで上品だ。馬車が通る道を挟むようにして様々な店が立ち並ぶ。ここは、商店街なのか。
店にかけられている看板には、薬、武器、衣服、蝋燭などの絵が描かれていて、迷うことなく、一目で店の種類が分かる。
道は石畳で整備されていて歩きやすい。店の外観と道が見事にマッチしていて、そこに夕焼けが添えられて景観の魅力を高めている。絵や写真に残したい景観だ。
「シンシア様、着きました。ここが私の家です」
その言葉で町全体から一つの店へと意識を変える。マリアの家は商店街の一角に構えられていた。外観は立ち並ぶ店と同じで、レンガや木材などで建てられている。
入口は大きく開かれていて、外からでも店内を確認できた。様々な家具や、小さな道具、可愛らしいアクセサリー、おしゃれな蝋燭など。商品の種類に境界がない。何でも屋、または雑貨屋に類するのだろうか。
マリアに案内されて店内に入る。お香のような、頭がスッキリとする匂いに包まれていた。
「いらっしゃいませー。ってあれ? マリアじゃない?」
「何! マリアだとッ!?」
店のカウンターで作業をしていた二人の男女が勢い良く入口に近寄る。
この二人が、マリアの両親。
この町に来た、目的。




