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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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断章 死神

 ソレは、暗闇の中で覚醒した。


 完全なる闇。身体を動かしてみるが、何かに阻害されて自由には動けない。しかし、その何かは硬い物質ではなく、とても柔らかい。触ってみると、ほろほろと崩れる。力を込めて腕を動かせば押し退けられた。


 何も考えずに無我夢中でその物質を掻いた。本能的に上空へ向かって、掻く、掻く、掻く。暗闇が嫌だった。早く光に包まれたかった。怖いではないか。暗闇は死の象徴。睡眠すら、自我を手放すようで極力避けた程に、暗闇は怖い。


 うっすらと光が見えた。ソレは喜んだ。光は、生きていなければ感じることができない、生の象徴。


 そして、掻く手が空を切った。辿り着いたのだ。死の空間を潜り抜けられたのだ。急いで縁を掴み、這い上がった。


 月が見えた。煌々とソレを妖しく照らしていた。それが欲しくて、月に手を伸ばした。高みから自分を見下ろす月が昔から好きだった。恍惚に溺れて、それに気付くのが数瞬も遅れた。


 自分の腕が、手が、骨、に、なっ、て、いる?


 愕然。あまりの衝撃に、全身の力が抜けて尻餅をついた。自分の身体が視界に入ってしまった。全身が、骨。白い、骨。


 悲鳴を、上げられなかった。声が出ない。声帯がないのか? 泣きたくなった。涙が出ない。目がないから? 見えるのに!


 とにかく状況を把握するために、周りを見渡した。誰もいない、寂れた共同墓地。墓は不規則に立っていて、整備もされていない。


 大きな建物はどこにも見当たらない。都市や街ではなく、田舎の土地だろうか。


 何故、自分はここにいるのか、記憶を漁ろうとして、異変は起こる。


 自分と同じような存在が、次から次へと墓前の土から這い出ている! 全身骨の化物だ! 大量の骨!


 恐怖した。相棒が欲しい。相棒? それは? 分からない。記憶が混濁している。骨になる前の自分がどこを探しても見当たらない。自分は誰だ! 私!? 僕!? ワタクシ!? 俺!?


 きらりと。


 何かが輝いた。そこに目を向けると、相棒がいた。全ての記憶が薄れていても、何故かこれが相棒だとハッキリと確信した。


 美しい装飾で飾られたツヴァイヘンダー。長い刀身と尋常ではない重量を持つ相棒。いつから相棒だったのかは忘却の彼方だが、それでも柄を、骨となった両手で掴む。違和感はない。手に馴染む感触。


 骨達は全員一斉に自分目掛けて、ゆっくりと近づいてくる。なんなんだ! こっちに来るな!


 自身を軸に相棒を風車のように回転させ、骨共を斬り飛ばす。不気味な乾いた音を立てて崩れてゆく骨達。回した勢いを殺せず、たたらを踏み、体勢を崩す。以前の自分では考えられない失態。以前の自分? それは誰?


 斬る、斬る、斬る、斬る。しかし、斬っても、何事もなかったように骨は復活する。化物だ。いつまで相棒との踊りを繰り返せばこの化物達は終わってくれるのか。


 疲労感がないからか、時の流れが曖昧だ。一時ほど経過したようにも感じるし、一日経過したようにも感じる。


 時間感覚を超越した死の舞踏会も、終わりを迎える。


 朝日が差し込んだのだ。それは不死だった骨達を蹂躙し、焼き尽くす。骨達が瞬く間に灰になって、消えていく。


 ああ。自分も、同じように消えてしまうのだろうか。死にたくない。まだ、やり残したことが……あったのだろうか……。記憶が、どこにもない自分では、それすら、判断できない。


 太陽の光がソレを包み込み。灰に。


 ……ならなかった。


 狼狽する。他の骨達は一体残らず召された。何故、自分だけ生き残っている?


 答えがでないまま、相棒のツヴァイヘンダーを引き摺って歩き出し、どこへ? どこかへ歩き出した。深く考えて行動に移したのではない。思考に靄がかかっている。


 墓地から離れると、小さな集落が見えた。人々は既に家屋から出ていて、家畜の世話や作物の水やりなど、日々の生活を営んでいる。小さな子ども達は元気一杯に走り回っていた。


 ああ。羨ましい。羨ましい。羨ましい。


 人の姿を、肉体を持っていて、羨ましい!


 欲しい! 肉を、肉を! よこ……。


 咄嗟に頭を振る。本能的な欲求を意識して抑える。どうやら、人を襲いたくなる衝動が芽生えはじめているようだ。自分を失った後は、自我を失うのだろうか。


 ならば、先程の骨達は……何故自分を襲った? 骨の自分を? 肉体などないのに?


 だとすれば。骨が人間を襲うのは、肉体目当てではなく、自我を持つ魂? 憶測に過ぎない。止めよう。肉が欲しい。


 思考がバラバラだ。自分をしっかりと保て。本能に呑み込まれるな。


 人々の声が聞こえる。騒ぎ立てている。うるさい。静かにして欲しい。


 くわを持った農夫が、自分を指差している。恐ろしい形相だ。化物でも見てしまったかのような顔ではないか。


 ば、け、も、の、が、い、る、ぞ。


 化物ならもう太陽の光で召された。自分は違う。だって、自我がある。生きている。だから、そう呼ばないで。自分は、ただ。


 農具を持った男達に囲まれた。鋭い殺気。どうして。そんなものを、自分に向ける?


 背後から何かで斬られた。痛い。痛い? なんで? 骨なのに?


 よろめいた体勢を整えるために相棒を杖代わりに地面に突き刺す。一斉に男達が農具を上段に構え、勢い良く振り下ろそうとしている。


 死にたくない。


 だから、これは、自己防衛で、仕方なく。


 本当は、こんなこと、したくない。


 相棒を、一回転させた。




 歩いた。当てもなく。目的地もなく。


 どこに行っても恐怖され、化物として扱われ、襲われる。いつしか、人を斬ることに躊躇いを覚えなくなっていた。


 人を斬る度、相棒が血に染まった。相棒に対する罪悪感はいつしか薄れた。今ではもう刀身は赤い。綺麗な輝きも失われた。


 最近、誰か忘れたが、自分を襲ってきたそいつから黒いフード付きマントを奪い、それを着用して全身を隠してみた。骨の部分は全て隠せたと思うが、喋れない自分では、人の集まる町などで生活することはできないだろう。無意味な行動だ。


 結局、何をしても独りだ。同じ存在も、同じ悩みを抱える者など、どこにもいないのだろう。


 疲れない身体の筈なのに、もう疲れた。いっそのこと……殺された方が、この苦しみから解放されて、幸せなのかもしれない。


 だけど、殺されたくない。死にたくない。無様に、生に縋りつく。終わりにしたくない。


 だから、夢見て歩く。


 自分を見ても、恐怖を抱かず、受け入れてくれる人に会える瞬間を。口を利けなくても、気にせず接してくれる人に会える瞬間を。自分を、認めてくれる人に会える瞬間を。


 そんな奇跡、起きる筈もないのに。

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