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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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間章 そうあい・そのいち (2)

 お風呂イベント。それは親密な関係を築いた者でなければまずお目にかかることはない、強イベント。何故なら、お風呂では一糸も纏わず生まれたての姿で過ごすからだ。同性なら、多少はイベント発生のハードルが下がる。


 そして、シンシアは女だ。マリアも女。そこに、反発する磁気はなく、むしろ引き合うエヌ極とエス極。くっつくまである。


 つまり、何の警戒もされずガン見できるのだ!


 お風呂きたぁ! ビバお風呂ぉ! おっふろぉ! おっふろぉ!


 期待にまな板を膨らますシンシア。鼻息が荒くならないようにこっそりと深呼吸、表面上は安定を取り戻す。


 シンシアの下心など一切疑っていない、穢れなき無垢なるマリアの笑顔。ああ。こんな、半ば不意討ちをする形で、珠玉のような肌を観賞できるなんて。


『さっきはつい、わたしも喜んでしまいましたが、本当に良いのですか? そこに一欠片の罪悪感もないのですか?』


 天使シンシアが聖書を携えて高潔に叫ぶ。

 

『おうおうおう! マリアとかいう金髪ちっぱいエンジェルの肌をタダ見だぞ!? ここで征かなければいつ征くのか!』


 悪魔シンシアが下劣に叫ぶ。


「うん。お風呂、一緒に入ろ?」

「はい!」


 現実のシンシアがさらりと答える。天使シンシアは爆砕し、悪魔シンシアが鼻血を出しながら勝利の雄叫びを上げた。


 さぁ。


 征こう! 新世界へ!





「シンシア様、かゆいところはないですか?」

「……うん」


 どうしてこうなった。


 今のシンシアはすっぽんぽんだ。生まれたての姿だ。強いて言えば、今は全身が泡で包まれている。では、当のマリアは。


 普通にメイド服を着ていた。


 無情。ああ。あまりにも無常。


 現実は髪や身体をマリアの手で洗ってもらうだけだった。同性の主人とメイドの関係なら、今のようなシチュエーションは珍しくないのかもしれない。


 シンシアはお風呂と聞いて真っ先に肌色を思い浮かべた自分にうちひしがれていた。自分は、汚い。この汚れは、たくさん手で擦っても落ちない汚れだ。こんなご主人でごめんね、マリア……。


 悪魔シンシアが床を拳で叩きつけながら泣きじゃくり、天使シンシアが無表情で聖書を開いて何か難しいことを説いている。現実のシンシアは浴室の壁を眺めて黄昏ている。


 肌を拝むことは叶わなかったが、垢擦りという無粋なものではなく、マリアの優しい手で身体の隅々まで洗われるのは、それはそれで幸せで大満足だった。


 これでいいじゃないか。わたしは、これで、悔いはないよ……。それ以上を望むなんて、はしたない……。十分最高のお風呂イベントだった……。


 マリアに身体を委ね、無我の境地で洗い終わるのを待つことにした。


 だが。


 それは。


 シンシアに取り憑いた妄執。簡単には、浄化されない。一度の頓挫ぐらいでは、くたばらない。


 胡乱な目を鈍く光らせてゾンビのように立ち上がる悪魔シンシア。天使シンシアが聖書を落としてたじろぐ。あなた……まだ、何か、企んでいる、のですか? と。


 悪魔シンシアは前傾姿勢の構えで手をわきわきとさせた。なんという、悪魔的で変態的なポーズ。とてもではないが、マリアには見せられない。その悪魔は声を枯らして叫ぶ。


『まだ終わっちゃいねぇぇぇ!!』

『なんとも諦めの悪い奴です……!』

『ほら、最初の頃はマリア、部屋の中でも靴履いてたろ? でも、わたしが部屋では靴脱いでる、って言ったらマリアも脱ぐようになったろ? わたしの生活スタイルに合わせてくれたんだ』

『はぁ。それが……?』

『お風呂ではメイドさんも服を脱ぐものと言ってしまえばいい! 言ったもん勝ちだ!! そうすれば、今日だけ、じゃないっ! これからも! お風呂では! どうだっ!? わくわくしてこないかね!?』


 目から、鱗。天使シンシアは、そう言いたげな表情をしてから、聖書を拾う。そして、慣れた手つきでそのページを開き、呟いた。


『それは、とてもエロスです』


 熱い手のひら返しからの全会一致。誰も反論をしなかった。可決されたその行動に正義を見出だした現実のシンシアは勇気が湧いた。

 

 脱げと! 言うんだ! わたし!


「ぬ……」

「ぬ?」

「ぬれない? メイド服。大丈夫?」

「優しいシンシア様、マリアは、濡らさないよう気をつけますね?」


『はぁ~!? なに土壇場でチキッてるんすか!? あなたにはエロスの心はないんすか!?』

『ありえねぇ! ありえねぇよぉおぉぉお! 桃源郷はすぐそこだろ~!? はよ!』


 天使シンシアと悪魔シンシアが同時に現実シンシアを辛辣になじった。罵詈雑言がひどい。悪魔は分かるけど天使お前。こんなの天使じゃない。堕天使シンシアだ。


 現実シンシアは思考をシャットダウンし、脳の内部抗争を強制的に調停した。争いは、いつだって、むなしい……。


 マリアは浴槽からお湯を桶で掬い、シンシアに付いた泡を流す。浴室にある魔方陣を使えばシャワーを出せるが、この魔方陣を扱えるのがシンシアだけなので今回は浴槽にお湯を貯める時にか使用していない。どうせなら味気ないシャワーよりマリアに流して欲しい。


 泡を全て流し終えたら魔方陣からお湯を少し足して、お湯につかる。


 お風呂は、素晴らしい。この包まれるような温かさが、シンシアの下心すら溶かしてしまう。うん。マリアの肌を観賞するのは、まだ早い……。冷静に考えると心の準備ができてない……。


「ふいー……」

「シンシア様、お湯加減はいかがですか?」

「最高……」

「ふふっ。シンシア様、とってもリラックスしてます」


 マリアは結局、袖を捲っただけで、肌の露出は控えめでシンシアの世話を完遂した。


 ふと、浴槽の傍らで立っていたマリアと目が合った。しばらく見つめあう。シンシアは、マリアだけは目を合わせることができるようになった。少しだけ成長した。


 マリアからぷいっ、と目を反らした。にらめっこに勝ったぞ! と心の中で無駄に気勢を上げた。


 風呂場で蒸し暑いのか、マリアの顔は赤い。ぱたぱたと手で顔を扇いでいるのがその証拠だ。


 しばらく無言の空間でぼーっとし、程よく身体が温まったところで立ち上がる。マリアが暑い中でずっと立っているのに、長風呂は悪い気がした。


「……シンシア様、あったまり、ましたか?」

「ほかほか」


 マリアにしては珍しくそっぽを向いたままで歯切れも悪い。裸の主人をずっと視界に入れているのも変な話かもしれないし、そんなものか。


 お風呂から上がってベッドでだらだらしているとマリアは退室した。ここ数日の習慣通りなら、今日はもう戻ってこないだろう。シンシアとしても後は寝るだけだ。


 さて、とシンシアは呟き、部屋の片隅にあるピッチャーから水をコップに注ぎ、椅子に座ってからゆっくりと飲む。


 そして、部屋の扉を見つめる。 


 あの先。部屋の外。家の外。外の世界。まだ見ぬ世界。


 手は少しだけ震えるけれど。


 明日、行こう。


 大丈夫。今のシンシアには、心の支えがあるから。大丈夫。大丈夫。

 

 一つ頷いて、ベッドに行こうとして、ノックの音が聞こえた。シンシアは返事をする。


 その扉が開く。


 純白の、ワンピースみたいな服を着たマリアが、枕を持っていた。


「どうしたの?」

「失礼します。その……えへ。マリア、来ちゃいました」


 顔を枕で隠して一礼をした。金色の髪が揺れて、ランタンの光が反射して煌めく。純白の服は外で歩くには頼りない布地で、それはおそらく、パジャマなのだろう。金色と白色に彩られた幻想的な光景に、シンシアは心を奪われた。


「なんだか、今日は、ずっと側にいたいんです。一緒に寝ても、良い……ですか?」

「……うん」

 

 部屋に入り、扉を閉めた。失礼します、と小さく呟いてからマリアはベッドに上がった。


 背中合わせになって布団に入る。密着している。背中からマリアの鼓動が伝わる。


「起きてる?」

「はい」

「わたし、明日、外に行く」

「シンシア様」


 勇気を出して、マリアへ振り向く。


 マリアもシンシアに振り向いた。


 言葉はいらない。


 勇気を出して、マリアの手を握る。


 笑顔で握り返してくれた。


 この先に待ち受けるのは、きっと、良いことばかりじゃない。悪いこともたくさん経験するだろう。


 それでも、マリアと一緒なら、どこまでも行けるはずだ。


 手をつないだまま、眠りに落ちた。

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