一章 シンシアとマリア (11)
「シンシア様……!」
「だが……いつ目が覚めるかわからねぇ……」
マリアの後ろから、メイドさんが絨毯に座る音が聞こえた。
「テメェ……いや、マリア、か。主様に対するその忠誠心を見込んで、同志として、話がある。だが、俺様の方を見るな。そのままでいいから……長くなるかもしれねぇが、話を聞け。相づちはいらねぇ。俺様は会話が苦手なんだ。一方的に話す。説明が下手でクソかもしれねぇが……聞いて、欲しい……」
「俺様は、いや、俺様と外にいる甲冑野郎共は、ニンゲンじゃねぇ。別の種族だ。甲冑野郎2人と俺様は幼なじみでな……いや、それはどうでもいいか」
「主様と初めて会ったのは、まだ主様が赤子の頃だ。古い知人が、このままではこの子は、実の親に殺されてしまう、とかなんとか言って押しつけてきやがった。すやすやと眠りこけてるニンゲンの赤子を押しつけられて、俺様達3人共ブチギレしてなぁ。俺様達がその赤子を殺してやろうかと思ったよ」
「んでもよ、知人からの頼みだから、仕方ねぇ、親から殺されねぇならなんでもいいだろ、と思って誰も使ってねぇ放置されてた塔に赤子をしまった。ニンゲンの従者も何人かいたからな。そこにそれら全員ぶち込めばそれでおしまいだ。……そのつもりだった」
「……それから、色々あってなぁ。ま、端的に言えば俺様も甲冑野郎共も、主様が可愛くてしょうがなくなったんだわ。それで、主様に仕えることを決めた」
「俺様達は主様に仕えることができて満足……いや、自己満足してたんだが、その一方で、主様にはニンゲンの従者も友人もいなかった。いや、従者はいなくなってしまった、か」
「俺様達が主様の友人になることは、難しい。生態も思考も違う。正直俺様は、ニンゲンのことが、よくわからねぇからな」
「……主様は幼い。だからやっぱりニンゲンの友達でもいた方が良いだろうと思って、その取っ掛かりとして、ギルドとやらで配膳の仕事を依頼した。主様にニンゲンを会わせるためだ」
「……依頼を出したのはいいが、主様は異形に好かれる体質でな。この塔に多くの異形が主様を慕って集まっている。それらが主様を護ろうとしてるのか、依頼を受けて来たニンゲン共を脅すから帰っちまう。全然上手くいかなかったな。金額を吊り上げてもダメだった。最近はもうニンゲンだったら誰でも良いくらいの心境になってたぜ」
「……そんな時、マリアが来た。お前は異形の恐怖に耐えた。まぁ、異形の恐怖に耐えた奴は他にもいたが」
「でもな……主様と会話し、その心を動かすことができたのは、マリア、お前が初めてなんだよ」
「すげぇよな」
「俺様達が数年かけても、いや、これから何十年かけてもできなかったことを」
「マリアはたったの6日で、しやがった」
「……すげぇよ、羨ましいよ」
「だから、主様の従者として、友人として、主様の一番近くにいてやって欲しい。……やっぱり、同じ種族がいいんだよ、側にいるのは。細かな心境も、分かち合えるだろうし、生活も合わせられるしな」
「主様には、たくさんの苦労をかけちまったと思ってる。足りねぇ頭で考えて、考えて。どうしたら主様の為になるのか。でもやっぱり」
「……わかんねぇだわ。戦いに明け暮れてた俺様達じゃ、どうすれば主様の心を支えられるのか、主様の為になるのか、わかんねぇだわ……俺様の、クソが……クソが……」
「……それだけだ。俺様は、戻る。主様のことは、頼んだぞ、同志」
メイドさんは静かに、音もなく、退出した。自分の呼吸の音さえも聞こえてきそうな無音が場を支配する。
「シンシア、様」
そっとその頬に触れてみた。柔らかな頬。微かな熱。もっと暖めてあげたくて、息苦しくならないようにそっと抱きしめる。
閉鎖された、窓すらない静寂の部屋が、誰も寄せ付けない堅牢な塔が、シンシア様の命を護ろうとして、だけど、自由や可能性を奪ったのだろうか。
それは、とても優しくて、だけど、とても残酷だ。
たくさんの他人と心を通わせてシンシア様に笑顔をもたらそうとして、だけど、それらはシンシア様の前で恐怖し、逃げ出し、それで幼い心は傷つき、表情を出すのが苦手な子になってしまったのだろうか。
それは、とても優しくて、だけど、とても冷たい。
「私は、ずっと、側にいます。いさせてください」
マリアはシンシア様に布団を被せた。ベッドの近くに小さな椅子を置き、少しだけ座りにくかったが、そこに腰を降ろす。
シンシア様の右手を両手で包み込む。とても小さな手。でも、マリアと母を救ってくれた偉大な手。
「……シンシア様。早く起きて、声を聞かせてください。あなたのマリアは、ずっと、待っています」
光も差さない暗闇の中でずっとひとりぼっちだった女の子。でも、これからは、どうか、そこに私も置いてください。
シンシア様のいる所が私の在るべき場所です。例えそこが灼熱の大地でも、極寒の氷河でも、一条の光も差さない暗闇でも。
どこにでもお供いたします。この命が続く限り、お仕えいたします。
「お目覚めになるまで、シンシア様が退屈しないようにお話ししますね? 私の住む町なんですけど……」
次の日も。
「シンシア様、今日はとても良い天気です。鳥のさえずりとかは聞こえませんけど……心地よい風は吹いています」
「シンシア様の部屋のお掃除はバッチリですよっ! 埃一つない……は言い過ぎですけど、ピカピカです!」
「シンシア様! シンシア様! 聞いてください!」
次の日も。
「シンシア様、ふと疑問に思ったのですけど、メイドさんのメガネって、多分、度が入ってないですよね?」
「シンシア様、私、夕日ってなんとなく苦手なんです。夜の前の寂しさが、怖いんです。そんな時は、シンシア様の手、握ってても良いですか?」
「シンシア様。私、この塔を往復してる間に相当足腰鍛えられました! 今なら塔の入口からここまで全力疾走で……ごめんなさい、虚勢張りました」
……次の日も。
「シンシア様! どうしましょう! 掃除をし過ぎてこの部屋、明るくなっちゃいました! もう薄暗くなんてないです! 確認してみてください!」
「シンシア様!」
シンシア様は母を救ってくれたけど。
だけど、私は、救ってくれないのでしょうか?
「シンシア……様……」
わがままだってわかってる。でも。
「私……あなたの声が、聞きたいです……」
もう何日も聞いていない。大切なひとの声。
「私……あなたに会いたいです……」
こんなに近くにいるのに、遠い。
「私……あなたに、まだ……」
ぴくりと。
「えっ……?」
握っていた小さな手が、動く。ゆっくりとまぶたが開き、赤い月が見えた。
「マ……リア、さん……?」
小さな唇を一生懸命動かして。
「はい! はい! マリアです! 私の声が聞こえますか!?」
「うん……」
弱々しくも、だけどしっかりと頷いて。
「シンシア様……!」
「マリア、さん。お母さんの、呪い、解けた?」
「はい……! 全て、シンシア様の、お、おか、うええええぇぇぇぇぇん!!」
私の名前を呼んでくれた。
私を見つけてくれた。
私は、あふれだすこの想いをたくさん伝えていきたい。
シンシア様とマリアの新しい日々が、はじまる。