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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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一章 シンシアとマリア (10)

 マリアは日が暮れる前にタラクの町に到着した。何の準備もせず慌てて戻ったため、借りていたメイド服のままだ。塔に向かう時と同様に、町へ戻る時も同じ御者のおじいさんに運んでもらった。マリアが町に戻る、と御者に伝えた時、諸手を挙げて喜んでいたのが印象的だった。


 自宅に戻ると、父はカンカンに怒っていた。父に内緒でギルドの仕事を受けたのだから、仕方ない。マリアはそれを話し半分で受け流し、父にシンシア様が精製してくれた薬を見せた。


 マリアには一見しただけではその薬の効能や価値は判別できないが、父はそれを見るなり怒りが霧散し、滝のような涙を流した。これでレイは助かるぞ、と叫んだ。


 早速母にその薬を一滴残らず飲ませた。蒼白の顔で息苦しそうにしていた母の身体から黒い靄が吹き出し、おぞましい顔が複数、塊になった異形が形成されたが、断末魔のような奇声を上げて、そのまま消滅した。


 それからしばらくすると、母の容態は安定し、安らかな寝息を立てるようになった。健康的な血色に戻り、命の危機は見るからに脱した。


 町医者に診てもらうと、もう命の危険はないと太鼓判を押してもらった。そしてその夜、母は目覚め、マリアも、父も、母も、家族揃って涙した。


 それから数日は母の生活復帰の補佐をして、母は少しずつ以前の力強さを取り戻した。元々活発な人だったので快復も早かった。


 マリアはそれを見て、もう大丈夫だと安心し、家を出る準備をはじめた。


 今度は、お金に関係なくシンシア様に仕えたい。側にいたい。私のこと受け入れて貰えるかな。受け入れて貰えるよう、頑張ろう!


 その意志は固く、両親に止められても実家を離れるつもりだった。


 そう言えば向こうの民家にも荷物置きっぱなしだったなと、ふと思い出していると、母が自室の前で空っぽの瓶を手に持ってマリアに訊ねた。


「ねぇ、マリア。この薬……どうやって手に入れたのかしら?」

「私の大切な人が作ってくれました!」

「た、大切な人……? 作るって、いや、そんなまさか……。私、魔族10体分くらいの呪いがあったのだけれど……」

「?」

「ま、まぁいいわ。それで、貴方は何の準備をしてるのかしら?」

「えと、その。お引っ越し、でしょうか? あの、お母さん、私、主様の側にいたいんです。だから……その」

「引っ越しねぇ。その、主様というのが、貴方の大切な人ってことかしら?」

「はい! とっても大切な人です!」

「ふぅん……。そういうこと、ね。……貴方はもう14だし、貴方のしたいことは、貴方が決めなさい。私もそのくらいの歳には家を出てたしね。あ、だけどお父さんには内緒にしときなさい? 私が言っておいてあげるから」

「ありがとうございます! それでは、一刻も早く戻りたいので、明日出発します!」

「戻りたい、ね。分かったわ。たまにはこっちにも帰ってらっしゃい」

「はい!」


 その日の昼、ギルドに向かった。受付嬢のレティさんに塔の民家に忘れ物をしてしまったので、回収しに行きたい、と方便を使い、明日の早朝に塔行きの馬車の手配を頼めないか尋ねてみた。


「それがね、マリアちゃん……そのクエスト、なくなっちゃって、憑き姫の塔行きの御者もお役御免になっちゃったのよ」

「…………え?」

「あたしも良く分からないんだけど、依頼がギルド本部から取り下げられたのよ。依頼主が、もう必要ないって理由で」

「どういうことじゃ!」


 怒気を纏った、御者のおじいさんが大きな足音を立ててギルドに入ってきた。その眼は暗く、初めて会った時とは別人のようだった。


「何故このボロ儲……この崇高にして偉大な仕事がなくなっておるんじゃ!? まだ誰も7日間完遂しておらんじゃろ!? そこのお嬢さんだって6日目で帰った!」

「……知らないわよ。あたしに訊かないでくれるかしら? 問い合わせをするなら依頼主にしてくれる? その依頼主、あたしは知らないけれど」

「使えんヤツめッ! ならば直接塔で直談判するまでッ!」

「あの! 私もついでに運んで貰えませんか?」

「勝手にしろ!」

「レティさん、失礼します!」

「あ……!? ちょっとマリアちゃん!?」


 御者のおじいさんの後を追って、荷台に乗り込み、すぐさま塔へ向かった。予定よりも一日早い出発になってしまったが、母に家を出る話をしておいて良かった。勝手な娘でごめんなさい。


 数時間馬車に揺られ、夕日に照らされた黒い塔が見えてきた。たった数日離れただけなのに、懐かしさを覚える。


 厩舎の近くに止まった。マリアは荷台から降り、荷物を持って数日前まで借りていた部屋に向かった。


 荷物を床に置くと、鞄にしまっていたメイド服に着替えた。姿見で自分の姿を確認。まだブーツは履いていない。シンシア様の生活様式を真似た。


 外に出て、シンシア様の夕飯と鍵を貰いにメイドさんの民家に向かうと、男女の諍いが聞こえた。丸メガネをかけたメイドさんと、御者のおじいさんだ。


「お主ッ! 何故依頼を取り下げたッ!」

「もうテメェに話す必要はねぇな」

「今すぐ依頼をもう一度ギルドに出すんじゃ! お主の大事な姫様に友達を作りたいんじゃろ!? なら早く出せッ! わしがそれに協力してやろうと言ってんじゃ!」

「……黙れ、ニンゲン。消し炭にされたくなければ、とっとと失せろッ!」


 メイドさんの右手から灼熱の炎球が顕現した。それはまるで小さな太陽のように眩しく、そして熱い。辺りの温度が一気に上がり、汗が吹き出る。


「ひああああああああぁあぁぁぁ!!」


 御者は一目散に逃げ出し、あっという間に馬車で遠くに行ってしまった。マリアはそれを横目で眺めてから、メイドさんに声をかける。


「あの……」

「ああ、テメェか」

「その、母は無事に快復しました!」

「そうか。そりゃ良かったな」


 依頼書の疑問があったが、それは気にしないことにした。マリアはもう、お金で仕えるわけではないのだから。


 数日前と同じく、早速夕飯をワゴンで運ぼうとして、そのワゴンも、料理も準備されてないことに気がついた。


「シンシア様に料理を配膳したいのですが、どこにありますか?」


 メイドさんは塔の上、シンシア様の部屋がある付近を見つめまま、微動だにしない。


「……主様は、まだ目を覚ましていない」

「え? お昼寝でも、されたのでしょうか?」


 それならばシンシア様が起きた時間に合わせよう。それまではこれからお世話になる自室の整理を。


 視界が大きく揺れた。遅れて、マリアは胸ぐらを掴まれたことに気づく。


「ちげぇよ! 禁呪の影響に決まってるんだろ!?」

「え……? シンシア様は……だって……元気で……親和性が……高くて」

「主様は……主様はなぁ!! テメェに心配かけまいと……! クソが!」


 マリアは過去の光景、禁呪を使用しているシンシア様の姿が鮮明に甦った。そうだ、あの時、あの尋常ではない、悪夢のような光景。それを見て、どうして元気だと、思った?


「わりぃな……ただの、八つ当たりだ。禁呪を決断したのも、テメェに知られないようにしたのも主様の意志だ。テメェはなんにも悪くねぇ」


 マリアは胸ぐらを解放されても、未だ現実を取り戻せない。


 あの時から、シンシア様が空元気をしていた時から、マリアは現実から目を反らし続けていた。仕えることだけを夢見て、夢にすがり、それを考えないように。無意識に。


「か、鍵を! 鍵を貸してください!」


 メイドさんから鍵を受け取り、甲冑の2人に会釈する余裕もなく塔の扉を開けた。


 私は否定したかった。私は認めたくなかった。私は受け入れられなかった。だから、シンシア様の空元気を盲信した。盲目になった。


 上る。走る。上る。扉が開く時間が惜しい。一秒でも早く、速く、はやく!! 部屋に、部屋に!


 シンシア様の部屋に土足のまま入り込んで、ベッドを目指す。そこには。


 綺麗な寝顔。それはまるで。


 完成された、美術品。


「あ……」


 シンシア様は安らかに瞳を閉じていた。息苦しそうな様子はない。顔は相変わらずきれいな白肌だが、そこに熱は、ない。


 生命を感じられない。今のシンシア様は人形と説明されても、そこに違和感も覚えず納得してしまうだろう。


 確かめるのが、怖かった。呼吸の有無を知ることが。心臓の鼓動に触れることが。確定させる勇気が湧かない。まだ、夢を見ていたかった。


 背後から足音が聞こえた。


「亡くなっては、いねぇよ。魔力が急激に減ったことによる昏睡状態だ。断罪の花嫁達が聖術で的確な処置をしていなければ……。それは、想像したくねぇな」


 マリアはメイドさんの話が耳に入ると、慌ててシンシア様の胸に手を、耳を当てた。


 トクン。


 トクン。


 シンシア様の、音。生命の鼓動。静かに、小さな歩幅でゆっくりと歩くように。だけど、しっかりと奏でていた。


 生きている。……生きている!!


 生きていて、くれた……!

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