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月姫は笑わない  作者: 雨雪雫
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一章 シンシアとマリア (5)

 主様に配膳する仕事を開始してから4日目。マリアは塔の近くにある民家で起床した。朝日が窓から差し込み、今日の天気は悪くないことを予感させた。


 二階にあるこの部屋は簡易ベッドにメイド服をしまうクローゼット、姿見と質素だが、部屋は新築のようにぴかぴかで虫も湧かず快適だ。


 外観はごく普通の民家なのに、驚くことに個人で使える浴室が備えられている。マリアの町では大衆浴場が普通で、個人で浴室を持っているのは一部の上流階級だけだ。

 

 丸メガネのメイドさんが不思議な魔法で常時お湯を沸かしていて、自分でお湯を運ぶなら自由に使って良いと許可をもらった。桶でお湯を浴槽まで運び、夢のような個室お風呂を満喫した。


 お湯を片手間に沸かし続けていることにも驚いた。マリアが友人から聞いた話では、大衆浴場は専属の魔術師が交代制で、お湯を沸かし続ける魔法を複数人で使い続ける。しかしメイドさんは一人で難なくお湯を維持している。


 ちなみにこの大衆浴場での仕事は重労働の割には賃金が安く、魔術師にとっては就きたくない仕事上位に君臨しているらしい。


 嫌われる仕事なのかもしれないが、魔術の素養が微塵もないマリアにとっては羨ましい話だった。いくら賃金が安くとも仕事の選択肢が増えるのだから。


 姿見の前でメイド服に着替え、身だしなみをしっかりと確認する。今の自分の仕事はここにある。しっかりと働いて、お金を稼いで、母親を呪いから助けたい。だから……お金のために……主様の部屋へ……。


 不意に、心がチクリとした。


「……」


 それは無視する。動けなくなってしまうから。母親の命が最優先だから、知らないふりをする。


 民家から出て、黒い塔を見上げる。初日のような禍々しさや恐怖はどこにもなく、むしろ寂しさを感じさせる。それはきっと、主様の心に触れたから。


「おい、テメェ、起きたか」

「おはようございます!」


 塔を眺めているとメイドさんが昨日と変わらず不機嫌そうに民家から顔を出した。彼女が右手に持つ皿にはこれまでと同じく、お米を丸く握った料理が沢山盛られていた。

 

「さっさと朝飯喰え。主様のメニューには俺様厳選、最高の食材をふんだんに使用してるが、テメェらニンゲン共の飯なぞこれで十分だろ」

「?」

「ひどい言われようじゃな……」


 マリアがメイドさんの言葉に違和感を覚えていると、御者のおじいさんが厩舎から歩いてきた。相変わらずのしわがれた声。マリアが視線を送ると、手を怠そうに挙げた。


「それで、お嬢さん? 今日も続けるかの?」

「はい」

「……無理せんでもいいんじゃよ? 体調悪くなってるじゃろ? 馬車はいつでも動かせるし、今からタラクの町に戻っても良いぞ?」

「いえ、まだ戻りません」

「そ、そうかの? 戻りたくなったらいつでも言うんじゃぞ!! 命を大事にするんじゃぞ!」


 料理をメイドさんから受け取ると、そのままそそくさと厩舎へ戻って行った。一日を経る度に挙動不審が増している。その理由に大体の見当がつくが、無視することにした。


「オラ、とっとと飯喰って歯磨きしていつでも主様に謁見できる準備整えろや! 粗相をすんじゃねぇぞ!!」

「はい!」


 朝食を慌ただしく終え、身だしなみの最終確認も済ませる。朝食が乗ったワゴンと鍵を受け取り、甲冑さん二人組に会釈してさっそく塔を上る。


 塔内は相変わらず薄暗いが、恐怖心を煽るような怪奇現象も起きなければ身体が重いなんてこともない。螺旋状の坂道という構造の関係で運ぶワゴンが少々重いぐらいか。


 そう。何も怖くないのだ。初日の夜、料理を運ぶ時はまだ不気味さの残梓が散見されたが、今ではそれらは全て払拭され、むしろ上ることに喜びを覚える。早く主様の顔が見たい。


 そんな余裕どこにもないはずなのに、楽しんでいる自分がいる。


 こんな時でなければ、と思う。こんな時でなければ、どうなんだ? とも思う。不思議な感情。


 それらは全て棚に上げ、主様の部屋に向かう。最後の扉を解錠して、その先には、一面の暗闇が。


 なかった。主様の部屋前の廊下が見えるだけ。


 マリアは主様の部屋をノックし、返事を待つ。もう4日目で慣れつつある景色。


 主様の返事を聞き、扉を開ける。朝でも薄暗い部屋。壁にかけられているランタンが頼りなく部屋を照らす。


 主様は小さな机の前で、小さな椅子に座って上目使いでマリアをちらちらと見ていた。その姿が小動物のようで、きゅんとする。


「失礼します、主様。朝食の配膳に参りました」

「うん、ありがとう」


 早速部屋に入ろうとして、すぐに足を止めた。屈んでブーツの紐をほどき、靴を脱ぐ。


 昨日、主様にどうして裸足なのかそれとなく伺ってみると、部屋内で靴を履くのは落ち着かないらしい。優しい主様はマリアには靴を履いたままで大丈夫、と気を遣ってくれた。


 しかし、主様が裸足でこの部屋を過ごしているのに、期間限定ではあるが、配膳係である自分がその習慣を無視するなどできようはずもない。


 ワゴンの車輪部分が汚れているかもしれないので玄関前に置き、皿を手で持って小さなテーブルに配膳する。今日の献立も……正直、謎だった。見たことのない食材や料理で、マリアの知識を総動員しても何一つとして引っ掛からない。


 料理を並べ終え、主様の背後に待機する。主様はちらちらとマリアに視線を送り、小さな声でありがとう、と呟いた。本日の主様もかわいい。


 マリアは主様の背後からその綺麗な銀髪に見惚れる。さらさらとして、一度は触ってみたい欲求が高まる。あくまで参考として! それ以外の理由はない!


 ゆっくりとした食事を終え、手を合わせて主様はお祈りをする。そして椅子ごとマリアに身体を向けて、一生懸命に何かを話そうとモジモジしている。その姿に我慢が限界を迎えた。

 

「主様って、かわいいですよね!」

「へ?」

「私、私、初めて主様を見た時、月に住まうお姫様みたいって思いました! 女神様でも通用しますね! ほんっっっとーにきれいでかわいいです!」


 主様はそっぽを向いて、無表情で黙っている。でも、その頬が赤く、照れているだけだと丸分かりだった。新雪のような柔肌だからこそ分かりやすいと言うべきか。


 そこからは中身のない雑談。主様はあまり多く喋らないので、マリアが一方的に話すことが多いが、主様は全部真剣に聞いてくれる。


 マリアは逢って数日しか経っていないのに、この小さな主様に惹かれていた。


 もっと主様のことが知りたいと、もっと主様のそばにいたいと、欲が生まれた。もっと、心の距離を近づけたくて、どうしても、それが知りたくて。


「あの、私、その、主様のお名前を、知りたい、です」


 一歩、主様の心に踏み出した。

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