歌丸師匠と「つる」
「つる」という古典落語がある。
鶴がなぜ「つる」という名前になったかという理由を知ったかぶりの人が話す。それを聞いた人が、自分も知ったかぶりで同じように話そうとするが、うまく覚えられなくて失敗するというこっけい話である。短い話で、名人しか話せない大ネタというものではない。軽めの落語である。
2011年3月11日。
東日本大震災が起きた時、全てのテレビは通常番組を中止して地震関連のニュースになった。CMですら普通のCMは流れず、金子みすずの詩の朗読のようなものに変わった。
それでも何日かするとだいぶ落ち着いてきて、テレビも少しずつ通常の番組が流れるようになってきた。こんな時に一番困るのがお笑いタレントだと聞いたことがある。
彼らはおかしいことを言って人を笑わすのが仕事である。しかしこんなに多くの人が災害に会って苦しんでいる時、ふざけた話をすれば
「不謹慎だ」
と思われてしまう。しかしずっと悲しい顔をしていたら、お笑いタレントとしての存在意義が無くなってしまう。
そんな状況の時、震災の何日か後に「笑点」は再開して放送されることになった。「笑点」は看板の大喜利の前に、短い時間だがお笑い芸人が登場する。若手の芸人が登場することが多い。その日、大震災からの番組再開の時は、その最初のお笑いの時間は歌丸師匠の落語から始まった。
最初に歌丸師匠が
「こういう時は、それぞれが自分のできることをやるのが良いのです。私は落語家なので落語をやります」
そう言って「つる」を語り始めた。
おそらく日本中が沈んでいた後のあの一発目の時間、歌丸師匠以外にあそこで話せる芸人はいなかったのではないだろうか。一歩間違えると
「こんな時に不真面目だ」
と、逆に聞いている人に不快感を与えてしまう。
そしてその普通の落語「つる」を聞いた時、
ああ、こうやってだんだん普通の生活に戻っていくのか。私も何かすごく無理をするのではなく、まず自分ができる普通のことをやっていこう、と思った。
そして「つる」をきっかけとして、少しだけ日本に笑いが戻ってきた。
あれから7年。歌丸師匠が他界された。
日本には今、どれだけ笑いが戻っているのだろう。