第7話「失った記憶を思い出すリスク②」
摩耶さんにつれられ、目的地に到着した。少し豪華な雰囲気のフレンチレストランだ。
摩耶さんがウェイターに何か話すと、ウェイターは「かしこまりました」と返し、その後奥の方の席へ案内された。
こういう雰囲気のレストランに来たのは初めてだ。少し緊張しながら席に座ると、摩耶さんも向いの席に座ってメニュー表を俺に渡してきた。
「好きなものを頼むと良い。なに、遠慮はいらないよ」
摩耶さんの言葉に俺は「あ、はい」と返し、メニュー表を見る。……見慣れない料理名ばかりだし、俺からしてみれば充分高いお値段だった。一番安いのが1500円って……。
俺はとりあえず一番安い『マグレ・ドゥ・カナール』という料理を頼むことにした。
注文も終わり、摩耶さんと世間話をしている間に料理が運ばれてきた。
『マグレ・ドゥ・カナール』というのは、どうやら簡単に言えば『鴨の胸肉のロースト』の事だったらしい。見た目もきれいですごく美味しそうだ。流石フレンチ、と言ったところか。
そんな事を考えながら、俺は摩耶さんが注文した料理の方を見る。あれは……貝、なのか?
「あの、摩耶さんが注文したそれは一体……?」
俺がそう聞くと、摩耶さんは「ああ」と口を開いた。
「これは『エスカルゴ』だよ。弓本さんは、実物をみたのは初めてかい?」
「『エスカルゴ』……名前は聞いた事ありますが、実物は初めてです」
摩耶さんの言葉に俺がそう返すと、摩耶さんは「そうか」と返した。
「……あの、ところで『エスカルゴ』ってなんですか? 貝の仲間とか?」
ますます気になって、俺がそう聞くと、摩耶さんは「んー……」と少し考える仕草を見せた。もしかして聞かない方が良かっただろうか? そんな事を考えていると、しばらくして摩耶さんが再び口を開いた。
「……『エスカルゴ』っていうのはね、日本で言うと……『カタツムリ』なんだよ」
「『カタツムリ』!? 『カタツムリ』って、あの!?」
摩耶さんの言葉に俺が驚愕しながらそう返すと、摩耶さんは「ああ」と頷き、そのまま慣れた手つきで『エスカルゴ』を食べ始めた。いつも食べているのだろうか。そう考えながら、俺も運ばれてきた料理に手をつけた。流石高級店というだけあって、その味は格別なものだった。
「さて」
俺も摩耶さんも食事がある程度終わったところで、摩耶さんがフォークを置きながら口を開いた。
「そろそろ本題に入ろうか。君のその『睡眠不足』の原因を教えてもらおうか?」
摩耶さんからの問いに、俺は「はい」と返事をした。
「実は……『春日井龍之介』さんの事で、ちょっと」
「春日井さん? 彼に何か酷い事でも言われたのか?」
「酷い事、ではないのですが。……あの人と会ったのはこの島で初めてのはずなのですが、彼は俺と『ここじゃないどこかで会った事がある』って言うんです。それで、ずっとモヤモヤしてて」
そこまで話した所で、摩耶さんが「成程」と口を開いた。
「この島には何かしらの記憶を失くした者達がたくさんいる。もしかしたら、君が事故に遭い、当時の記憶を失ってしまったと同時に『春日井龍之介さんに関する記憶も失くしてしまった』のかもしれない」
「……やっぱり、摩耶さんもそう思いますか」
摩耶さんの言葉に俺がそう返すと、摩耶さんは「ありえるとすれば、だがな」と補足した。
「……思い出した方が良いですよね、春日井さんの事も」
俺がそう呟くように言うと、摩耶さんは「ふむ」と少し考えるような仕草を見せて一言、言った。
「そうだな……。だが、焦る必要はないと思う」
「……えっ?」
摩耶さんの言葉に俺がそう聞き返すと、摩耶さんは「というか」と再び口を開いた。
「焦って思い出そうとしても逆に危険なだけだよ、弓本さん」
「危険……?」
俺がそう聞き返すと、摩耶さんは「ああ」と頷き、続けて言った。
「失った記憶が『楽しかった記憶』や『嬉しかった記憶』だったらまだ安心な方だ。その人にとって『幸せな記憶』だったのだからな。……だが、それがもし『不幸な記憶』だったら」
「『不幸な記憶』……? 例えば、どういう?」
「そうだな、例えば……」
俺からの質問に、摩耶さんはそう言いながら少し考えるような仕草を見せた。
答えにくい質問だっただろうか。そう思っていると、「ああ」と摩耶さんが再び口を開いた。
「例えば、『その人に激しく暴力を振るわれていた』とか」
「『暴力』……!?」
摩耶さんの言葉に俺が驚きながらそう聞き返すと、摩耶さんは「例えばの話だ」と補足した。
「だが、本当にそうだとしたら尚更、焦って思い出そうとするのは危険だ。その人にとってそれが『受け入れがたい記憶』だとしたら、思い出そうとしたその時に精神が崩壊してしまうかもしれないという『リスク』がある」
「『リスク』……」
「ああ。最悪の場合……『自殺してしまう』可能性だってある」
「『自殺』……ですか」
摩耶さんの言葉にそう返すと、摩耶さんは「あくまで可能性だがな」と補足した。
だが、確かにありえない話ではないと思う。この島の住民が失った記憶全てがそうではないとしても、人によっては『思い出したくない程酷い記憶』もあるわけで。そう考えると、無理矢理思い出そうとしても辛いだけだ。失った記憶を思い出すには、あまりに『リスク』が大きすぎる。
「だから、今はまだ無理に思い出す必要はない。なに、そのうち何かのきっかけで思い出す事もあるだろうさ」
摩耶さんはそう言って微笑んだ。
「あの、今日はありがとうございました」
レストランを出てから俺がそうお辞儀をすると、摩耶さんは「気にしなくていい」と返した。
「私もそうだが、この島の住民はお節介な人が多くてね。私もこの島に来たての頃は当時の住民が何かと気にかけてくれたものだよ」
摩耶さんの言葉に、俺は「そうみたいですね」と返した。
摩耶さんと別れた後、俺は摩耶さんと話した内容に関して考えながら帰った。
『失った記憶を思い出すリスク』。それが大きければ大きいほど、危険度は増していく。
……じゃあ、俺の失った記憶を思い出すには、どれだけの『リスク』があるのだろうか。
(……なんだか、まだまだ分からない事ばかりだな)
そう思いながら、俺は溜息を吐いた。
今はまだ、思い出す時ではないのかもしれない。事故当時の記憶も、春日井さんに関する記憶も。
俺は、そう思い込む事にした。
【第8話に続く】