第6話「春日井龍之介という男」①
少し肌寒さを感じるようになったような気がする秋の始め。
今現在、喫茶店『laurier』には妙な静けさが漂っていた。じっとしているのもなんとなく気まずくて、俺はとりあえず先程退店したお客様が使っていた食器を洗い始めた。
今現在、この喫茶店にいるのは食器洗いを始めた俺、と。
「……」
カウンター席に座ってコーヒーを飲んでいる、『春日井龍之介』さんの2人だけだった。
―遡ること数十分前。
俺はいつものように接客をこなしていた。幸い、今はお客様が少ない時間帯だ。
久留実は学校の後にローカルアイドルとしての仕事があるらしい。……なかなか頑張るな、あの子も。そんな事を考えていた、その時だった。
「あっ、しまった」
そんなマスターの声が聞こえた。
「マスター? どうかしたんですか?」
俺がマスターの方を向いてそう聞くと、マスターは「うーん……」と少し考えた後、再び口を開いた。
「洋輝君、ちょっと店番をお願いしてもいいかい?」
突然のマスターからのお願いに、俺は思わず「えっ」と返した。その後辺りを見回す。幸いお客様は減りつつある。今の時間帯なら俺でも対応できそうだ。そう判断した俺は再びマスターの方を見て口を開いた。
「良いですけど……どうしたんですか突然?」
俺のその問いに、マスターは「いやね」と返した。
「実は回覧板をおきくさんのところにまわすのを忘れていたんだよ。一応ドアにメモ書きを残して出かけるからお客様が入ることはないと思うけど……。すぐ戻ってくるから、それまで頼めるかい?」
マスターのその言葉に俺が「大丈夫です」と返すと、マスターは「よかった」とホッとした様子で返した。
その後、マスターはメモ書きと回覧板を持ってドアの方に向かうと、再び俺の方を見て言った。
「それじゃ、頼んだよ」
その後、マスターは喫茶店を後にした。
―そして、今に至るのである。
他のお客様がいる時はそっちの方の対応をしていた為特に気にしていなかったが、いざ春日井さんと2人になると、何を話せばいいのか分からなくなる。無理に話そうとしなくてもいいとは思うが、俺の性格上こういった静けさは正直あまり好きではない。
食器を洗い終わり、ふと顔をあげ春日井さんを見る。春日井さんはコーヒーを飲みながら何かを読んでいるようだった。……小説、だろうか?
思わず春日井さんをじっと見つめていると、ふと、初めて春日井さんに会った時の言葉を思い出してしまった。
『あんた、どっかで一度俺に会うた事あったりせえへんよな?』
会った事はないはずなのだが、改めてこうしてじっと見ていると、確かにどこかで会った事があるような気がしてくる。ただの気の所為なのかもしれないが。
そんな事を考えながら、俺が首を傾げていると。
「……なあ」
春日井さんの声が聞こえてきた。その声に俺がハッとすると、いつの間にか春日井さんが少し呆れ気味にこちらの方を見ていた。
「さっきからなんやねん? 人ん顔じっと見て」
「あっ、いや、えっと……」
春日井さんからの問いに、俺は必死に言い訳を探す。その時、ふと春日井さんの手元にあった小説に目がいった。これだ、と思い、俺は再び口を開く。
「あの、それ、何読んでるのかなーって思って……すみません、じっと見ちゃって」
俺がそう言うと、春日井さんは一つ溜息をついた。
「そんなんでじっと見る事あらへんやろ」
「そう、ですよね、すみません……」
春日井さんからの言葉に、俺はそう頭を下げる。流石に言い訳にしては少し厳しすぎたか。
そんな事を考えていると、再び春日井さんの声が聞こえてきた。
「……『グリム童話』」
「……え?」
【「春日井龍之介という男」②へ続く】