プロローグ
とある夏の日に、俺は事故に遭ったらしい。
知り合いから聞いた話だと、軽自動車に乗っていた俺が大型トラックと正面衝突し、頭部を強く打ったとの事。その事故を目撃していたらしいその知り合いは、俺が死んでしまったんじゃないかと思うほどひどかったと言っていた。
暫く色んな人からその事故に関して色々聞かれたが、俺はそのどれにも答える事が出来なかった。何故か、というのは、勘の良い人ならもう察している事だろう。
そう。俺は、『その事故の事を覚えていない』のである。
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「おーい、兄ちゃん! もうじき島が見えるぞー!」
男性のその大きな声に、俺は目が覚める。どうやら船の上で寝ていたらしい。
一つ背伸びをしてから、俺は前方を見つめる。確かに、そこに島らしきものが薄らと見えてきた。思ったより広い島ではなさそうだ。だが、何処か不思議な雰囲気が漂っている。
そんな事を考えていると、再び男性の声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、あの島に移住すんだろ?」
声の主は、この船を運転する操縦士だ。男性からの問いに、俺は「ええ」と返した。
記憶淵村。島全体が村となっているが、何故か地図には記されていないというその村に、俺は移住する事になった。
元々は都内に住んでいたのだが、覚えてもいない事故の事で根掘り葉掘り聞かれるのが苦痛になり、移住を決めた。半ば『逃げ』みたいなものだ。
俺の返答に、男性は「そうかそうか!」と豪快そうな笑顔で返した。
「んなら、兄ちゃんも何か『思い出せない過去』ってもんがあんだなぁ! そうだろ!」
「えっ? 『も』って、どういう事ですか?」
男性の言葉に俺がそう返すと、男性は「いやなあー」と続けた。
「あの島に住むもんは、みーんな、何かしら『思い出せない過去』ってもんがあんだよ。俺ァここ数十年ずっとあの島と本土を行き来してんだけどよぉ、皆そうだった。中には、生まれた時の事から今までの事をぜーんぶ忘れちまった、なんて奴もいるくれぇだ!」
「そう、なんですか」
男性の話に、俺はそう返した。否、返すしかなかった。
あの島には、俺と似たような境遇の人達がいっぱいいるのか。……否、俺と一緒にされても困るだろうか。
俺が覚えていないのは、あの事故の事だけ。俺みたいに一部の記憶だけがない、っていう人もいるんだろうか。
男性は続けた。
「あーそうそうそれとな! あの島、島のあちこちに『ワスレナグサ』が生えてんだ!」
「『ワスレナグサ』……?」
「おうよ! それが時期になって一斉に咲くとなあ、すげぇ綺麗でよ! んで、あの島には別名……まあ、あだ名みてぇなもんだな。それがつけられた。そのあだ名ってのが、『勿忘草島』だ」
「『勿忘草島』……」
俺が聞き返すようにそう呟くと、男性は「おう!」と返事をした。
『ワスレナグサ』。名前は聞いた事がある。ただ、如何せん植物に関しては無知同然な俺には、どんな花なのかは見当がつかなかった。
だが、島一面に生えたその花が一斉に咲く姿を想像すると、成程、確かに綺麗な気がする。……どんな花かは知らないから、完全に想像でしかないのだが。
と、男性が「おっと」と前方を見ながら言った。
「そろそろ着くみてえだな。そんじゃ兄ちゃん、『勿忘草島』での生活を楽しめよ!」
その言葉に、俺は「はい」と返事をしながら前方を見なおした。
『勿忘草島』での、俺の新たな生活が、今、始まろうとしていた。
【第1話に続く】




