クリスマスツリー(斉藤一明さんへのクリスマスプレゼント)
今年の秋は東京で日下部さんに会うことが出来た。会った場所は野球場という、珍しいシチュエーションだったのだけれど。これにはちょっとした訳があった。
日下部さんはソフトボールのクラブチームで監督をしているとのことで、奇しくも連盟の秋季大会の真最中だったのだ。私が東京に行く旨を共通の趣味であるサイトで書き込みをしたところ、当日が準決勝でその前の週に勝ったら試合があるので会えないということだった。私は勝って欲しい気持と、負けてほしい気持との葛藤で彼からの報告を待っていた。そして、試合当日に彼から連絡があった。
『残念ながらと言うべきか、試合は勝ちました。来週の準決勝進出が決まりました…』
そうか…。勝ちましたか…。残念です…。そう思いながら続きを読んでみると…。
『齋藤さん、試合観戦に来ます?』
そう綴られていた。そうか!その手があった。私は勇んで日下部さんに返事をした。
『いいですね!駐車場があれば是非』
私は水無月さんや風富さんにも声をかけて日下部さんに会うのを楽しみにしていた。あいにく、風富さんは都合が合わず、ご一緒することが出来なかったけれど、水無月さんとは野球場で落ち合うことが出来た。
思えば去年のクリスマス…。
ひょんなことから補導された少年を預かることになった。そこへ日下部さんが少年の母親を連れてやって来たのだ。彼は偶然を装っていたけれど、あれは確実に全てを知っていてやったことなのだと私は思っている。本当に魔法使いのような人だった。それ以来、あの少年は良く私のところへやって来るようになった。母親とも顔見知りになり、良くお店に来てと誘われる。私は酒が飲めないからといつも断るのだけれど、悪びれることなく、息子が世話になっているからと、たまに店で残ったものなどを差し入れなどを持ってきてくれる。
今年も二人分のローストチキンを注文して少年が尋ねてくるのを待っていた。
「齋藤さん!」
少年がやって来た。今日は一人ではなかった。
「今日くらいはこの子と一緒に過ごそうと思ってね」
母親はそう言って、頭を下げた。
「それは良かった!ちょっと待っていてくれるかな」
私は知り合いの肉屋に電話をして頼んでいたローストチキンを持って寄こさせた。
「これは私からのクリスマスプレゼントだよ」
少年はチラッと母親の顔を見た。母親が頷くと、少年は嬉しそうにローストチキンの包みを受け取った。
「ありがとう。これは僕からのクリスマスプレゼントだよ」
少年が手渡してくれたのは手作りのオーナメントだった。学童教室で作ったものだと言う。
「ほー、これは良く出来ているね。自分の家のツリーに飾った方がいいんじゃないかな?」
すると、少年は俯いてくぐもった声で呟いた。
「うちにはクリスマスツリーが無いから…」
「私ひとりの稼ぎじゃ、まだそこまで贅沢は出来なくて…」
母親も申し訳なさそうに少年の頭をなでている。こりゃ、悪いことを聞いてしまったかな…。そう思った時だった。
「メリークリスマス!」
そう言って、一人の男が入ってきた。手にはクリスマスツリーを抱えている。
「な…」
「齋藤さん、ご無沙汰です」
「日下部さん!どこから湧いて出たんだ」
「失礼だなあ。誕生日にお祝いの言葉をいただいたから、そのお礼に来たんじゃないですか」
呆気に取られている二人をよそにまったく空気を読めない風に日下部さんは振る舞う。
「これ、クリスマスプレゼントです」
そう言って、抱えていたクリスマスツリーを置く。飾り付け用のオーナメントや電飾も揃っている。
「あれっ!」
私の家には既に飾り付けられたツリーがあるのを見て日下部さんは言った。
「なんだ!齋藤さんのところにはもう、立派なツリーがありますね」
まったくもって、白々しい。
「じゃあ、このツリーのセットはどうしようかな…。東京まで持って帰るわけにもいかないし…。申し訳ないけど、ここに置いて行きますから、あとは好きなようにしてください」
そう言って日下部さんは出て行った。
「日下部さん!」
私は慌ててあとを追ったのだが、日下部さんの姿はもうどこにも見当たらなかった。
「あの…。齋藤さん、今の人…」
「覚えていましたか?」
「はい。去年のクリスマスの日に酔っ払ってうちの店で大騒ぎした人じゃ…」
「そう!そして、あなたをここへ連れて来てくれた…。せっかくだから、これ貰ってくれませんか?」
「いいんですか?」
「もちろん!回りくどい言い方をしていましたが、彼は最初からそうするつもりだったはずですから」
「なんだか不思議な人ですね」
「まったくです」
「ねえ、あの人はサンタクロースだよ」
ふと、少年が呟いた。
「あるいは…。いや、きっとそうですね。これ、重たそうだから、私がお宅まで持って行きますよ」
私はクリスマスツリーを抱えて少年と母親を送って行った。
「齋藤さん、なんだかお父さんみたい」
道すがら少年が言う。
「バカなことを言わないのよ。齋藤さん、どうもすみません」
「いいんですよ。私も満更ではないですから。でも、お父さんと言うよりはおじいちゃんと言った方がしっくりくるかも知れません」
二人の住む家は二階建ての古いアパートだった。私はクリスマスツリーを入り口に置いた。
「それじゃあ、私はこれで」
そう言って背を向けた時だった。母親が私の腕を掴んで引きとめた。
「どうしましたか…」
振り向いた瞬間、彼女は私の頬にキスをした。私は一瞬、固まってしまった。
「メリークリスマス!齋藤さん、どうもありがとうございました」
いやいや、日下部さんのおかげで年甲斐もなくドキドキさせてもらった。彼はやっぱり魔法使いに違いない。さっきもきっと、箒に乗って飛んで行ったんだろう。
私が駐車場で待っていると、水無月さんはプロペラつきの車で颯爽と登場した。
「水無月です。こんにちは」
なんとも爽やかな好成年だ。
私たちが野球場にいくと、日下部さんは既にベンチの中に居た。
『今回はベストメンバーが揃わないのでいい試合をお見せできないかも知れません』
そう言っていた日下部さんの言葉通り、彼のチームは苦戦していた。些細なミスが重なって1-7で最終回を迎えた。相手チームのピッチャーはそれほど速い球を投げているわけでもなかったけれど、どうやら手元で微妙に変化する癖のある球を投げているようだった。
「もう、遠慮しなくてもいいんだから、取り返していこう!」
必死に檄を飛ばす日下部さん。けれど、打席に立ったバッターは中途半端なスイングで内野フライを打ち上げた。ベンチに戻ってくる時にはうなだれた様子が一目瞭然だった。
「そんな態度をするんじゃない!堂々と戻って来い」
彼が叫ぶ。そして、続くバッターにも声を掛けた。
「ホームランでもいいよ」
その言葉に日下部さんの人柄が窺えた。その後、相次いで日下部さんのチームのバッターは凡退して試合が終わった。
私たちがクラブハウスで待っていると、試合を終えた日下部さんが来てくれた。
「今日は魔法を使わなかったんですね」
私がそう言うと、日下部さんは舌を出してこう言った。
「ここではボクも普通の人間ですから」
そして、少しの間、会話をした後、彼はチームメイトの元へ戻って行った。
一人で歩く帰り道は心なしか風が冷たく感じられた。けれど、心の中は温かい。幸せそうな母子の姿が見られて本当に良かった。先ほどの思いもよらないキスの感触がまだ残っている。彼は今頃、どの辺りを飛んでいるのだろう…。