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いたいけな恋

作者: belgdol

 少女の胸は高鳴っていた。

 ふわふわの艶やかな金髪に、柔らかなふっくらとした薔薇色の頬。

 何よりも少女が嬉しかった、五歳児らしいちんちくりんでぽってりした健康な身体。

 ふんだんに細かいレースの飾りとふりるで飾られた青と白のドレスに包んだソレを少女に齎してくれた人。

 竜殺しの聖人と名高きその人、ジョージ・カンバスが隣室で父と話しているから。

 少女は幼い恋をしたのだ。


 生まれた頃から真綿で首を絞めるように体を冒していた病……もしかしたら虚弱な体質だったのかもしれない。

 それを信仰の力によって周囲の人に恐れられていた岩山の悪竜を討ち取り、その肉を健やかな人々に。

 血は病を防ぐ祝福したワインに変わり、貴族が挙って飲み干した。

 竜の鱗は王に捧げられ国を守る盾となり。

 角は彼の信仰の証として教会の聖堂に収められる。

 そんな中から、特に病が重く、父が公爵だった少女に王命によって竜の心臓が与えられたのだ。


 何時も見る世界は四角い枠の中の狭い世界で、時たま領地の見回りなどで巡った土地の話をしてくれる両親のような経験はできない。

 ほの暗いそんな諦めに心は常に重りを乗せられていて、沈み行く一方だったのに。

 聖ジョージは心に翼を与え、世界を広げた。

 幼い少女なら、そんな人が家族以外に現れれば好意を親愛や恋と混ぜ合わせて判別が付かなくなって、コレは恋だと信じても仕方ないだろう。

 ともかく、恋した人と会うために精一杯のお洒落をした少女カテリーナは、黒檀製の枠に美しい薔薇の彫り物が控えめに添えられた、柔らかなクッションのソファに座って。

 凛と立った先代公爵とソレに寄り添う祖母の姿絵や、細くとも花瓶の底を四足の台で支えられ華やかな花の競演を見せる花瓶の乗った白く彩られた上等の棚。

 濃く重厚感を感じさせる紅いカーテンが脇に纏められた大きな磨りガラスの窓や飾り用の鎧に獣の剥製が配された部屋の中で意中の人が現れるのを待っていたのだ。

 普段は入ると鎧や剥製が怖いと少女に感じさせる部屋も、今は少女になんの恐怖も与えられなかった。

 恋する少女は強いのだ。


 いつしか、胸躍らせるカテリーナの耳にこつこつと軽いドアのノック音が入る。

 それは愛する二人を祝福する教会の鐘のようにカテリーナへ聞こえ、甘ったるく高い幼い少女のやや舌足らずな声で応えを返す。


「入るよカテリーナ」

「はい、お父さま!」

「さ、入りってくだされ聖ジョージ殿」

「失礼致します」


 父である公爵に誘われて室内に入ったジョージは、清貧を旨とする教会の中にあっても、神の敵と戦う神殿騎士という位置付けからか。

 カテリーナの父の威厳のある顔とは異なる趣きながら、広い屋敷の庭に置かれた岩のような硬さを感じさせる。

 所謂厳つい男だった。

 けっして美男子とはいえないその容貌も、いやむしろ父に似通った厳かな顔だからこそだろうか。

 カテリーナには非常に魅力的な顔に映った。


「ああ!ようこそいらしてくださいましたセントジョージさま!わたくし、カテリーナと申します」

「お召しありがとうございます。話に聞くやせ細ったお姿ではなく、お元気そうなお姿を拝見できて光栄です」

「まぁ、ジョージ様にあえてうれしいのはわたくしのほうです!だって、わたくしのやまいをいやしてくだすった、たいせつなかたですもの」


 神殿騎士の清廉を示す鮮やかな白の詰襟制服に包んだ大柄な体躯を、ピシリピシリと規則正しく動かし礼をしたジョージに、カテリーナがソファから立ち上がって歩み寄り、そっとズボンを引いた。

 それを見て父の公爵は僅かに笑みを浮かべてから、愛しい娘に優しく言った。


「聖ジョージ殿から大事なお話があるそうだからね。きちんと聞くんだよエカテリーナ」

「はい、お父さま」

「それでは私は失礼致します。聖ジョージ殿、どうかお手柔らかに」

「はい、心得ております」


 シンプルな白の上下のジョージと対照的に、金糸銀糸で飾られた、ミドルグリーンとワインレッドで飾られた華やかな衣装の公爵は退出し、若い……一人は幼いといえる……二人が残された。

 そうなるとカテリーナのほうはすっかり恋する乙女の胸の高鳴りに支配され。

 うっとりと自分よりずっと高い所にあるジョージの顔を見つめる。

 実を言えば、父にはもうおねだりしてジョージにお婿さんになってくれるようにお願いしてもらってあるのだ。

 だから当然、ジョージが片膝をつき、自分の目線までその四角い顔を近づけた時、カテリーナは父が自分を可愛がるような優しい言葉がもらえるのだと思っていた。


「申し訳ありませんカテリーナ嬢。私は半ば俗世にある神殿騎士とはいえ、僧籍である身。婚約のお話は謹んでお断りさせていただきます」

「ふぇ?」

「私の身は神に捧げられたもの、どうかご理解を」

「えっと、あの。はずかしいのですけど、なにをおっしゃっているのかがわからなくて……」


 自分の好意を袖にされたことも、ジョージの言葉遣いが難解だったのか、理解できなかったカテリーナは小さく首を傾げる。

 その目は純粋な疑問に満ちていて、涙も浮かばず、眉が八の字に下がっているだけだった。


「……カテリーナ嬢。私は貴方のお婿さんにはなれませんということです。私はただの騎士ではなく、神官なのです。神官は結婚を許されておりません」

「えっと、あの、お、おむこさん。だめですの?」

「はい。ダメです」

「ふぇ……ふあぁぁっ……うああぁぁぁぁぁぁん!やー!やー!おむこさんないのやー!」


 平易な言葉でジョージの気持ちを伝えられて、言葉の内容を正しく理解してしまったカテリーナは泣き叫んだ。

 泣き叫び、ぐいぐいと制服の腕の部分をひっぱるカテリーナにジョージは何もしない。

 彼としては何が出来ようか、と言う所だろう。

 どのように取り繕おうとも自らはこのいたいけな少女の気持ちに応えることは出来ず、木石のごとき暮らしをしてきたので気の利いた慰めの言葉も浮かばない。

 そもそも、最初から彼女を恋愛対象としてみていなかった彼が、無責任に新しい恋を探してみては、などというなど。

 無神経なのではないかと考えたが故に、彼は嫌々と自分の腕に抱きついて泣き、白い布に涙の染みを作る少女の好きなようにさせた。

 一秒一刻と過ぎるうちにも、正しい対応は優しい言葉を掛けることなのではないのか?いや、それは父である公爵にお任せするのが自分の分という物ではないかと悩みながら。


「やですの、ジョージさまがおむこさんになってくださらないとやーですの」

「申し訳ありません。大切な神様との約束なのです」

「ふぐっ、わたくしより、かみさまがたいせつですの?」

「……そうなりますね」

「わぁぁあ!いじわる!いじわるですわ!かみさま、ジョージさまをわたくしにくださいまし!」


 ドレスをねだるように、リボンをねだるように、それまで病身ゆえに甘やかされて、通らない我侭は体に障ることだけだった少女にとっては普通だったおねだり。

 しかしそれはジョージには通じなかった。


「そのように願われても神は答えてくださいません。神はただ高くにあり、時に人に試練を与え信仰を量る。そういったものなのです」


 言い聞かせるジョージの目の前で、精一杯のおしとやかさも忘れて、ぐずぐずと鼻水を啜りながら涙を流すカテリーナ。

 彼女はかんしゃくに任せて神を貶す。


「わたくし、かみさまきらいです!ジョージさまとけっこんさせてくれないかみさまなんてきらい、きらいっ」

「神はそんな貴方でも許してくださいますよ。その証拠にカテリーナ嬢、貴方の健康はこの先も損なわれないでしょう」

「……うそよ。わたくしだって自分のことがきらいなかたはきらいだもの。二番目のお兄さまはいつもいじわるだからきらい」

「神は信仰を試しますが、信じないものを罰する事もありません。お優しいお方ですから」

「ほんとうですの?」

「ええ、ですがどうか、嫌うのは神様ではなく、貴方の気持ちに応えない私でお願いします」

「そんな、でも、むりですわ!だって、ジョージさまはだいすきですもの!」


 身を離しまなじりに残る涙でふるふると瞳を震わせながらかぶりを振るカテリーナだが、ジョージは続ける。


「いえ、どんな理由があろうと愛の告白を断る決断を下すのは断った本人。責任も当然、その人にあります」

「そんな……」

「ですから、どうか憎らしいと思うならば神ではなく。この私でお願いします」

「……ジョージさまもいじわるですわ。きらい」

「心を乱してしまい申し訳ありませんでした。それでは失礼致します。お元気で、カテリーナ嬢」


 とうとうジョージに背を向けて、毛足の長い絨毯の上に体育すわりで座り込んで背中を丸めてしまったカテリーナに別れを告げて。

 ジョージはカテリーナの返答を聞くことなく、屋敷を後にした。

 残されたカテリーナに、入るよ、といつも優しい父の声が掛けられ、そっと抱き上げられる。


「お、お父さま……ジョージさまはおむこさんだめって……」

「そうか、辛いだろうねカテリーナ」

「いや、いや、ジョージさまじゃないだんなさまなんてかんがえられないの」

「そんなに思いつめる事は無いよ。カテリーナは若くて、元気になったばかりだ。他にも一杯色んな男の人とであるさ」

「やっ」

「よしよし……一先ずは顔を洗って、お茶を飲んでお菓子でも摘んで元気になろうな。誰か、誰か暖かい洗顔用の湯を!紅茶と菓子もだ!」

「おかし……」


 幼いカテリーナはお菓子と聞くだけで気持ちが上向きになるのか、ちらりと俯いていた顔を上げて父を見上げる。

 それに笑顔で答えた父は、あやすようにカテリーナの体を揺さぶる。

 ゆりかごのように腕を動かして。


 こうして、小さなお嬢様の初恋は終わった。

 カテリーナがそれなりに大きくなるまでは、確かにこの経験は陰を落としていたようだが思春期になり、年相応の少年に恋をすれば、それも過去になったかのように思えた。

 ただ、神殿に連なる異性に対する少しの苦手意識は残ってしまったが。

 そんな彼女も、大人になり夫を向かえ、子育んで風の噂にジョージが生涯を独りで過ごして神の御許に召されたと聞いたときには、ああ本当にあの方は私とは住む世界が違ったのだと思い知り……一筋の涙をシルクのハンケチで拭って。

 文字通り過去の思い出を拭い去ったのだそうな。

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