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『~の言い分』 シリーズ

王位を奪った王弟の言い分

作者: 橘 珠水

 私はここローザラント王国の第二王子クラウスとして生を受け、このほど兄王を廃して王位に就いた。

 兄王のこれまでの度重なる失態と、私の軍人としての実績もあり、臣下の誰一人として表だって批判をする者はいない。

 それでも、私が簒奪者であることには代わりはない。事に及んで、多少なりとも犠牲者は出た。私に出来ることは、彼らの尊い犠牲に報いるような良き王になることだ。

 なぜ、私が武力を持って王である兄を排除しなければならなかったのか。この国の内情を知る者ならよく分かっているに違いない。

 けれども、兄王は決して無能ではなかった。だた、王としては純粋過ぎたのだ。

 もし、兄王がもう少しずる賢い男であれば。あの人が婚約者でなければ。そして、兄王があの女と出会わなければ。何か一つでも要素が欠けていたら、兄王は今もこの玉座で、穏やかな笑みを浮かべていただろう。

 国王となった私には、己の非道を悔いる時間も、離宮で死の床にある兄を見舞う暇もない。傾いた国を立て直す為、強き王となるべく全力を注いでいる。

 それでも、こうなる前に何とかできなかったのか、という思いが胸を過ることはある。

 それは、兄への懺悔の気持ちでもある。

 私は、断ち難いあの人への思いを、どうしても諦めることができなかった。

 結局のところ、私は自分の欲望の為に、兄を陥れた酷い男なのだ。


 私があの人、エリザベートと初めて会ったのは、私と彼女が六歳の頃だった。

 生まれて間もなく王太子の許嫁と定められていた彼女が、初めて王宮を訪れた時だった。

 漆黒の髪、やや吊り上がった大きな目、強い光を湛えた菫色の瞳、真紅の薔薇の花弁のような唇、ぬけるように白い肌、そして年齢上に大人びた雰囲気。

 完璧な礼儀作法を身につけ、初めての王宮訪問でそれを披露する彼女に、私は呆気にとられてしまった。

 対照的に、これが初対面ではない兄アレクシスは、苦笑を浮かべていた。

 全く子供らしくない、それこそ教科書の中から出てきたような模範的人物のようなエリザベート。

 誰とも当たり障りのない素晴らしい社交辞令を交わす彼女。けれど、彼女を見ていて私はすぐに気付いてしまった。彼女にとって、婚約者である兄アレクシスは特別な存在なのだ、と。

 何故だか、それが無償に苦しくて、泣きたくなるような気持ちがした。

 あれほど完璧な女性に心から慕われるだなんて、兄は何という幸せな人だろう。

 ところが、兄はそうは思っていなかったようだ。

 お人形のように綺麗で何でも卒なくこなすいい子だけれど、完璧すぎてつまらないと。

 そういうものなのですか、と話を合わせながら、私は内心、兄に対して憤りを感じていた。

 将来王となる兄に相応しい女性になろうと努力しているだろう彼女に対して、余りにも失礼な評価ではないか、と。

 けれど、私は第二王子という立場だ。例え実の兄とはいえ、不仲となってしまえばこちらの身が危うい。

 私は彼女の為に兄に反論することも出来ず、グッと不満を飲み込んだ。

 そんな自分が情けなかったが、どうすることもできなかった。

 せめて、自分は彼女にとって良き理解者となってあげよう、とその時私は心に決めたのだった。


 年齢が同じこともあり、私とエリザベートはすぐに仲良くなった。

 誰にでも明るく、当たり障りなく接する彼女だったが、私には時々本音らしきものを零してくれることもあった。

 自分は王妃として相応しい女性になれるだろうか。

 アレクシス様と良き夫婦となれるだろうか。

 この国の為に何か役立つことはできるだろうか。

 彼女はどこまでも一本筋の通った、意志の強い女性だった。たまに聞く弱音もそんな話ばかりだったから、私としては物足りなさも感じていたが。

 時々、兄は勉学や鍛錬、公務を言い訳に王宮に来た彼女と会うのを避けたり、彼女の実家ウィルンスト公爵家への訪問を先延ばしにしたりすることがあった。兄にとっては、それらは公務と同じ、与えられた義務でしかなかったのだ。

 そんな時、私は決まって兄の代わりを買って出た。

 私がエリザベートのご機嫌伺いをしておきますから。

 兄へ助け舟を出す振りをして、本音は違っていた。

 彼女の傍にいたい、彼女を見ていたい。そんな自分の欲望を果たすためだった。

 そして、あわよくば、彼女の気持ちを自分へ向けたかった。あれほどの努力を傾けられるほどの情熱を、自分へ向けて欲しかった。

 けれど、彼女は一途だった。彼女にとって、あくまで私は愛しいアレクシス様の弟君でしかなかった。

 それならばそれでいい。私は、兄と結婚し王妃となったエリザベートを護れるだけの力を持った男になろう。

 そう決心したのが十二歳の時。それから間もなく私は軍属となるべく騎士団に入団した。


 何か不測の事態が起こって、実現しなければいいのに。

 そんな私の愚かな願いは叶えられることなく、エリザベートは兄の花嫁となった。

 あれほど美しい人間を、私はこれまで見たことがなかった。煌びやかな宝石と豪奢なドレスに身を包みながら、彼女はまるで女神のように神々しく輝いていた。

 誰よりも祝福していると満面の笑みを浮かべて見守りながら、私は襲いくる胸の痛みに耐え続けていた。

 これまで、私は騎士として鍛錬を重ね、大軍を率いる兵法を身につけ、各所に人脈を広げつつ力をつけてきた。どれも、決して楽なことではなかった。けれど、それもエリザベートの力になる為だと思えば辛くはなかった。

 けれど、王妃となるべく重ねられた彼女の努力は報われても、私の努力が本当の意味で報われることは決してない。

 兄の花嫁となった彼女を見つめながら、私は改めてその事実を突きつけられ、衝撃を受けた。

 これまでに見たこともないほど幸せな笑みを浮かべている彼女とは違い、義務的な愛想笑いを浮かべている兄。

 その時気付いたのだ。胸に吹き荒れるこの強い感情が、彼女への恋慕だけではなく、兄への憎しみであることに。


 父王が病に倒れ、やがて崩御し、兄が王となってから、王宮の雰囲気が変化していった。

 後宮に迎えられた大勢の側室たち。王の寵愛を受けようとその親である貴族たちが暗躍し、殺伐とした緊張感に包まれるようになっていた。

 兄は決して無能な人ではなかったが、王としては優柔不断で非情さに欠けていたように思う。

 王宮は貴族たちの権力争いの場となり、足の引っ張り合いから政務が滞ることも起きるようになった。

 そんな事態を憂慮する廷臣達が、私の元へ相談にやってくることも度々だった。そんな彼らの口から、あの女の名を聞くことが次第に多くなった。

 ソフィアという名の元男爵令嬢。落ちぶれた貴族家から何らかの伝手で後宮入りしたというその女は、今では兄の寵愛を一身に受けているという。

 エリザベートはどう思っているのだろう。

 真っ先にそれが気になった。

 王妃となった彼女は、自分の元を滅多に訪れない王に寂しさを感じながらも、気丈に振る舞っていた。政務に慣れ、余裕が出来れば、ゆったりと夫婦として過ごせる時間を持てるだろう、と。

 けれど、そんな健気なエリザベートをほったらかしにして、兄はそのソフィアという女に入れ揚げているというのだ。

 王に取り入って権力を握ろうとするには、その女の実家の力は余りに弱かった。故に、王の寵愛が大きくなれば大きくなるほど、その女は後宮での立場を悪くし、悪質な虐めは酷くなる一方のようだった。

 そんなことは、私にとってどうでもいいことだった。王の寵愛を受ける寵姫が、他の側室に妬まれ攻撃されることは世の常のようなものだからだ。

 けれど、看過できなかったのは、その虐めが王妃であるエリザベートの指示の元、公然と行われている、という噂が実しやかに流れていたからだ。

 彼女がそんなことをする人ではないことを、私はよく知っている。当然、兄もそう思っていると信じていた。

 ところが、そうではなかった。

 兄はエリザベートに苦言を呈し、関わり合いを否定した彼女にあからさまな嫌悪感を表した。

 更に、王妃という慣れない立場で奮闘する余り体調を崩した彼女を気遣うどころか、離宮での静養を勧めたという。

 離宮へ移るということは、実質王宮の表舞台からの追放を意味していた。

 これはあんまりだ、と私は兄の元へ駆けつけた。

 彼女がこれまで兄に対してどれほど尽くしてきたか。そして、実家の公爵家の反応を含め、今彼女を排除すればどれほど危険か。それを切々と説いた。

 兄は顔を顰めてそれを聞いていたが、やがて吐き捨てるように答えた。

 他の廷臣からも、エリザベートでなければ王妃という大役は務まらないと諭された。ウィルンスト公爵家を敵に回すことも避けなければならない。しかし、私はソフィアを愛している。だからこそ、彼女に害をなすエリザベートを許すことはできない……。

 ソフィアという女に心を奪われた兄は、あれほど献身的なエリザベートの努力さえ受け入れられず、彼女の完璧な人となりさえ歪めて見てしまようになっていた。

 幾度かその女に会ったことはあったが、エリザベートとは全く逆のタイプの女だった。見た目は美しく華やかさがある一方で儚げにも見える、男の庇護欲を掻きたてる女。だが、知識も教養も礼儀作法も十分ではない、中身の薄い女であることは話してみればすぐに分かった。

 エリザベートがこんな女に兄を奪われるなんて。

 兄に絶望する一方で、私の中で期待が膨らんできた。

 いつか、エリザベートが兄への献身的な愛を捧げる虚しさに気付き、心から彼女を想う自分の方を向いてくれるようになるかも知れないと。

 やがて、国王夫妻の不仲説は日を追う毎に真実味を増し、傍目から見てもそれは明らかとなってきた。私にとって、それは願ってもない状況だった。

 けれど、困ったことに、事態は深刻さを増し、エリザベートの身に危険が迫るようになってきた。

 彼女の毒見薬だった侍女が三人立て続けに亡くなった時、私はもう、これ以上事態を看過することはできなかった。

 このままでは、私は本当に大切なものを無くしてしまう。

 自分の身を滅ぼすのを覚悟で、私はエリザベートに告げた。

 このまま兄王が心を改めないなら、自分はこの国を護るために実力行使に出る。その時は、あなたに傍にいて欲しい、と。

 兄に密告される可能性もあった。けれど、私は彼女を信じた。

 聡明な彼女であれば、このままではこの国も自分の身も危ういことを冷静に判断してくれると。

 そして、すでに彼女の気持ちが兄から離れていることも、私は薄々感づいていた。

 彼女が愛していたのは、この国を、民を慈しみ護る王である兄。彼女を王妃として認め、深い信頼の上に温かな家族を築いてくれる王。

 一人の女に溺れ、国を傾け、彼女をないがしろにする男など、もうとっくの昔に見限っているはずだ。

 私の予想は当たっていた。

 数日後、彼女は私への協力を申し出てくれた。

 後宮の情勢にもこれまで以上に介入し、信頼できる側室の実家との協力を取り付けてくれた。

 味方である彼女は本当に頼もしかったが、敵に回せばこれほど恐ろしいものはない。そう改めて再認識することになった。

 やがて、巧妙かつ穏便に兄と離婚を成立させた彼女は、実家の公爵家へ帰った。それが、決行の合図だった。

 ようやく邪魔な王妃を追い払った王と寵姫。満面の笑みを浮かべて喜びに浸る彼らの顔が一変して蒼白になるのを見て、私は胸のすく思いだった。

 エリザベートにもぜひ見せてやりたかった。けれど、きっと彼女はそれを見て溜飲を下げるような低俗な女性ではない。

 そう思うと、私は昂ぶった感情を抑えることができたのだった。


 クーデターの事後処理と新王政立ち上げの激務に追われていた私は、ようやく時間を見つけて離宮へと向かっていた。

 王宮の中とは思えないうらぶれた一角。そこへ追われた者は、二度と華やかな表舞台へは帰れないと言われる鉄格子のない牢獄。

 その一室のベッドに横たわった兄は、すでに魂が抜けかかったような顔をしていた。

 その兄へ、私は最後の復讐をしに来たのだ。

 兄に詫びたいという思いもあったが、詫びたところで何になるだろう。兄に詫びれば、自分が間違っていたと認めるようなものだ。今更、それは許されない。

 それよりも、兄を断罪したいという気持ちが日に日に強くなっていた。兄に残された時間が少ないと分かったからには、どうしても自分の犯した過ちの大きさに気付いて欲しかったのだ。

「兄上。エリザベートが私の妻となってくれることを了承してくれましたよ」

 私は知っていた。

 王位を追われた兄が、臥せるようになってから、自分のこれまでの行いを悔いていたことを。

 共に離宮へ追われたあの女は、兄を見限り、私の忠臣に媚びを売って自分だけでもここから出ようと目論んでいた。当然、それは兄の耳にも入っているはずだ。

 兄は目を見開いて、愕然とした表情を浮かべた。

「私は彼女に、彼女が本当に欲しかったものを与えます。あなたが彼女から奪ったもの全てを」

 戦慄く乾いた唇からは、何の言葉も発せられなかった。

 ただ、その口から絶望の嗚咽が漏れるのを聞いて、私は踵を返した。


 ……本当は、まだ彼女の了承なんてもらってはいない。

 それどころか、まだ求婚もしていない。

 兄が生きているうちは、どんなに言葉を尽くして伝えても、彼女が私の気持ちに応えてくれることはないだろうから。

 後宮を解散し、功のあった貴族家出身の側室は私の信頼の厚い貴族家へ降嫁させる。そして王宮の混乱を収束し、準備万端整え、満を持して彼女に告げるのだ。

 ずっとあなたを愛していました。生涯、わたしの傍にいてください、と。


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