タイセツナヒト、モノ、コト
何が「大切」なのと聞かれたら
きっとアルコールに似た目眩のようなものなのかもしれない
空に浮かぶお月様に手を伸ばすのと同じくらい
君に手を伸ばして
届かなくて
届かなくて
ほんの少しの魔法で
届いてしまった夢見の終わりに
僕は見つけてしまったんだ
きっと浮かんでは沈んでしまう
「大切」な人はいて
イツデモ
だから追いかけて永遠を冷凍保存にしたくて
「大切」な物を探し回って
オモイデニ
でもそれはそのうち忘れていて、消去してしまうから
「大切」な事を
ワスレタクナイ
溢れる音
積み上げていく文字の羅列
僕達の交信方法はその程度で
なんて陳腐な表現方法で交尾をかわすのかと
かたこと言葉のC言語
進化も退化も無くきっとこれからも変わらず
僕たち、傷は増やしていくだろうけど
それでも出会えた一瞬は確かの真実、現実、完全なる事実
「これからもよろしく」
と少し照れて笑いながら、二人で光り輝く星を見上げながら
朝焼けに気付く
きっと幻想と仮想の中での
「大切」な人かもしれないけど
タイセツデ
元々他人な僕らが、遺伝子の組み合わせも違うのに
「大切」な物、一緒に夢中になって探し回って泥だらけで
ミツタケタクテ
ほんの小さな甘い言葉とか淡い音に似たり寄ったりなのに
「大切」な事をその手と手で包み込んだだけで
シアワセダナンテ
何が大切なんだろ?どうして大切なんだろ?どうして大切にしたいと思うんだろう?切るほどの痛みで?そこまでしてどうして手を伸ばしたのかも今でも分からないのに?星の数ほども人はいるのに?どうして君だったんだろうとか?どうしてすれ違った人の一人がこんなに優しい言葉をかけてくれるのか?とか、きっとそのすれ違いの一人がもっと他の人に同情じゃない優しいメッセージをボトルにいれて海に流してくれたら、きっともっと世界は優しい言葉と音で溢れるのに。ねぇ君もそう思うだろ?僕もそう思うんだ。「大切」は幻想で仮想で夢想で思いこみなのかもしれないけど、僕たちの感情はきっと思いこみじゃないから。今は真実現実、完全なる事実。僕らの歴史だよ。
今「大切」と
声を出して言えることが
こんなに「大切」だったなんて
過去詩より。これね、結構リアルです。うん、相方さんが退院して、過去に相方さんと想いを交わした時の詩を読み直す。結局タイセツナコトは変わらないのです。そして「タイセツなヒト」にむけては、やはり言葉を重ねないと。行動で示さないと。結局はそういう事ですね。「わかったくれているはず」うん、それこそ幻想なんです。
僕らは所詮、他人で分かり合う事には努力が必要なんです。
と結婚して60年と、朗らかに語る職場のお客さんの話を聞いて思ったりもします。世の中色々な幻想、酸いも甘いもあるけれど。
「タイセツなコト」に言葉と行動で。まだまだ不十分なんです。特に愛情が絡むとエゴになりやすいもんね。




