第18話 改造
ふくよかな腹をツナギに収めた中年男性。彼はマリーゴールドに居たプレイヤー達に「おやじさん」や「おやっさん」と呼ばれ、親しまれていたNPCだ。いかにも頑固な整備士といった風体の彼であるが、親しまれていたのには理由がある。
以前の大規模戦の時、彼は私のF-5に無理やりJATOと呼ばれるロケットを装着して空へと上げてくれた。通常であれば私が所持していた機体では装備出来ないのだが、ゲームシステム側の存在と言ってもいい彼が言った言葉は「くっつきゃイイ」だったのだ。
そういう適当な所が何故かあるキャラなのだが、そこがプレイヤー達には受けていた。
「そんな事もないってどういう事なの?」
「元々だな、このグリペンには2次元推力偏向ノズルを付ける案があったんだ」
「え、そうなの?」
「ああ、計画の初期も初期の頃の話だが……こいつの先代、ビゲンにスラストリバーサーが付いているのは知ってるよな?」
スラストリバーサーとは、逆噴射装置の事だ。逆噴射と言っても、エンジンを逆に回して前から排気が出たりするような物ではない。
ジェット機の逆噴射装置は、エンジンの排気を塞ぐような形で衝立のような物を置き、そこに当たった排気が前に反射する事で逆向きの推力を得る構造になっている。
ビゲンの場合はなかなか豪快な仕組みだ。ノズルの中にある壁を動かして、エンジンノズルに蓋をしてしまう。すると垂直尾翼の付け根辺りにあるスリットから排気が逆流して、前に流れるようになるのだ。
ただ、普通の戦闘機にはこういった機構は存在しない。運用上の理由から短距離離着陸を求められた故に、ビゲンには必要だったのだ。
「当初の予定では、グリペンもそれを踏襲するような形での設計だった。ビゲンでは単なる蓋だった部分を、もっと自由に動かして推力偏向をするイメージだな」
「でも、なんで付けなかったんですか? それがあったらすぐ止まれるし、今よりもっとギュンギュン動ける凄い飛行機だったんじゃ……」
お、ナオが食い付いた。
フランカーともやり合ってるし、スラストベクタリングの威力は身を持って経験しているしね。
「ビゲンはデカかったから逆噴射をしてでも機体を止めたかったんだが、グリペンは元から小型機として設計されてるんだ。車輪のブレーキだけで充分な制動が出来た事が1つだな。もう1つの理由としては、逆噴射装置を付けると機体が1トンも重くなるという点だ。折角軽い機体を作ったのに、それじゃあ意味が無い」
なるほど。
初期型のグリペンの重さは約6.6トンだ。そこまでエンジン推力があるわけでも無いのに、それが一気に1トンも増えたらなぁ。
「カナードでの制御も出来るし、推力偏向が出来なくても問題無いっていう判断だろう」
「それじゃ、やっぱりコレ要らないじゃないの」
やっぱメーカーさんは色々試した上で結論を出してるんだと思う。少しのミスが命の危険に繋がる軍用機なら、尚更だろう。
「まぁ、そう焦るなって。嬢ちゃんから見て、グリペンの弱点ってなんだ?」
うーん、難しい質問だなぁ。
「そうね……あくまでも私が乗っている、E型ベースのシーグリペンについてだけど」
C型より燃料の搭載量は増えているし、空母での運用をしているので航続距離が気になった事は無い。エンジンが強化されてスーパークルーズは出来るし、ハードポイントも増えている。
降着装置の強化で少し重量が増えているのはマイナスポイントだ。また、ハードポイントが増えた事と燃料量が増えたという事も、結果的には重量増に繋がっている。
その代わりにエンジン推力が強化されて約10トンになってはいるが、これに関してはあればあっただけイイという見方も出来る。
ステルス性能が無いのが唯一の欠点と言っていいぐらい、小型機としてこいつの性能は高い次元でまとまっていると言えるだろう。
「妥当な回答だな。だが、空戦はスペック表を突き合わせてやるもんじゃない。そうだろ? 嬢ちゃん的には、乗ってる時の感じはどうなんだ?」
「そうねぇ……低空で300kt以下だったりした時に、もうちょっとGが掛けられればとは思うわね」
「わたしは20,000ftぐらいとか飛んでる時にも、もうちょっと早く曲がれたらなーって思いますね」
ああ、それはナオにも同意するわ。
グリペンの得意なシチュエーションは、低中高度での中速度域なように感じる。その辺りだとフルにGを掛けて旋回が出来るからだ。
私の言う領域だと、掛かって4G~5Gちょっと。酷いブラックアウトはしないので戦いやすくて良いのだが、ここぞという時に使える手段はあった方が良いのは間違いないだろう。
ナオの言う条件だと、今度はGは掛かっても機首の向きが変わる前にブラックアウトしてしまう。その前に向きたい方向に向けていたら、身体の回復を待つ間に攻撃に移れる。
「うん、具体的で良い答えだ。それなら、あれで何とか出来るかも知れねぇ。スラストリバーサーは要らねぇだろ?」
「そうね、必要には思えないかな」
「……よし、ちっと待ってろ。ハンガーに嬢ちゃん達の機体を出しといてくれな!」
おやじさんは私達にそう告げると、走って下層へと向かって行ってしまった。
「あ、ちょっと……」
「あー、行っちゃった。フィオナちゃん、どうする?」
「仕方ないから、彼の言う通りハンガーにグリペンを出してお茶にでもしましょうか。マリーさんは先に食堂に行ってて下さい」
「おっけー、それじゃ後でねー」
そうしてナオと一旦ハンガーへと向かった後、食堂に行って時間を潰したのだった。
***
「B.E.L.L.S、3機共にシステムオールクリア。巡航プロセス正常稼働中」
「全機ウェイポイント13を通過、14へ向かいます」
「うむ、今回も順調じゃないか」
「はい。P.G.S.Sを通じてのデータ収集もほぼ終わりました。B.E.L.L.S単独での、初の革命軍主導による実戦運用となりますね」
オペレーター達を見るチャールズとアンドリューの顔に、笑みが溢れる。
既に地上と海上で運用する兵器の無人化ソリューションは軌道に乗り始めていたが、航空機についてだけは調整に時間が掛かっており遅延が発生していたのだ。
人間より安価で、人間より高性能。それは、彼らが高みを目指すが故の物であった。
「これでクライアントへ、より安定したサービスが提供出来るようになるだろうね」
チャールズは満足そうな顔をして、紫煙を燻らせた。
ここは禁煙であるのだが、ヘビースモーカーである彼がよく来るためにその制限はもうあって無い様な物になってしまっている。
しかし勿論、それに不服を唱える人間など居なかった。
今回は偵察が主であるので複雑なオペレーションは無い。そのまま順調に行くかと思われた作戦であった。
しかし、不確定要素という物は何処にでも顔を出す。
「……未確認機が空域へ接近しています」
「なんだと?」
1人のオペレーターの報告に反応したアンドリューが聞く。
「詳細は分かるか?」
「中型機のようです。このままではB.E.L.L.Sと進路が交錯します」
「MADとIADはどうしている。向こうからのレスポンスは?」
「既に発信済みですが、反応ありません」
アンドリューとオペレーターのやり取りを聞いたチャールズは、腕を組んで考え込んだ。
クライアントから指定されたこの空域は、民間機の航路が重なっている場所でもある。短距離便が飛んでいてもおかしくはない。
チャールズは、この段階で今までの努力を水の泡に帰す事は避けたいと思っていた。
「仕方ない、こちらのルートを変更しろ。念の為にROEの変更も……」
「待って下さい」
B.E.L.L.Sの交戦規定を上書きする指示を出そうとしたチャールズを、アンドリューが止める。
「トルコ側の電子戦機という可能性もあります。もしそうなら、ここで無闇にレベル3以上の通信はするべきではありません」
「ふむ……」
考えにくい事ではあるが、敵側の電子戦機がもし通信を傍受してそれを解析出来たならば、それはそのままこのシステムの崩壊へと繋がる。
各種指示や状況のモニタリングについては、有人機を無人機化する際にコクピットブロックへ置かれたモジュールが、指向性アンテナを通信衛星へ向ける事で行なっている。
但し、こちらからB.E.L.L.Sへ指示を出す際、衛星からの電波は広い範囲をカバーしないといけない為に指向性を持たせる事が出来ない。指向性を持たせてしまうと、いちいち指示毎に衛星の姿勢制御を行う必要があるので、広範囲へ部隊が展開した際に効率が悪くなる。
その為、通常の作戦行動中は自立行動が主となっていた。
暗号化の手段としては考えうる最高のものを用意してはいるが、必要の無いリスクは犯さないでいる事が望ましい。
「もう一度確認する。接近している機種は分かるか?」
「今回出撃しているB.E.L.L.Sは、モスボールから復帰させたF-104Gに搭載されていますので……」
「くっ、オンボロめ」
アンドリューが毒づく。
こういう時に限って必要な機材が無いのは、金の無いクライアントとの仕事ではよくあることだ。
おまけに中型機という点がアンドリューに迷いを生んでいた。トルコにはボーイング737 AEW&Cという早期警戒管制機があるからだ。高価値目標であるAEW&Cであれば、見逃す事は出来ない。
「不明機、レーダー範囲内に入りました」
「B.E.L.L.S、マスターアーム解除。不明機へ向かいます」
「サイドワインダーのシーカーオープンプロセスが予約されました」
「現在のROEはどうなっている?」
「IFFに反応がない場合は、そのまま交戦します。現在の距離は38マイル、攻撃開始は20マイルです」
「アンドリュー君、帰還命令は出せないのかね?」
チャールズの言葉に、アンドリューは首を振った。
「今回の出撃は、先方の作戦にも組み込まれているのです。もし不明機が737 AEW&Cであれば、それを見逃すのは先方にとって不利益です。何かしらのペナルティを言ってくる可能性もあるでしょう。逆に、民間機であったならば手を出す訳にいきません。撃墜しようものなら、国際的に非難されるのは必至です」
もう考えている時間は無い。
しかし彼等が手にしている情報量は余りにも少なかった。
「全機をP.G.S.Sに移行する事は出来んのかね?」
「マスターアームが解除されている状態では不可能です」
再び首を振るアンドリュー。
そうしながらも、彼は最善の答えを求めて考えていた。
「……距離、35マイル」
オペレーターの短い報告が響いた後、口を開いたのはチャールズだった。
「近くで稼働中のB.E.L.L.S搭載機は?」
「不明機の北西40マイルに、ミラージュ2000-5が1機居ます」
「……よし、今すぐP.G.S.Sを起動させろ。彼女を使う」
***
2時間程して、私達をハンガーへと呼ぶアナウンスが入る。
すぐにその指定場所へと向かうと、おやじさんがニヤけながら立っていた。
「おう、待たせて済まなかったな。本当は1時間程で終わらせるつもりだったんだが、ちょいと閃いちまってよ」
AIって閃く事が出来るんだろうか……。
「とりあえず、こいつを見てくれ」
そう言っておやじさんは私達3人を、ハンガーに鎮座するグリペンの後方へと案内した。
普段はあまり飾り気の無いその後ろ姿であるのだが、しかし、目の前にある機体はエンジン後部のボリューム感が少しだけ増えており、今までコンバージェンス・ダイバージェンス・ノズルがあった場所には3枚の板が取り付けられていた。
コンバージェンス・ダイバージェンス・ノズルというのは、エンジン出力によってノズルの径が大きくなったり小さくなったりするアレだ。今の戦闘機には大体取り付けられている機構で、スロットルを上げていくと段々と細くなっていき、アフターバーナーが点火されると逆に最大まで大きくなる。
で、そのノズルの代わりに付いている3枚の細長い6角形をした板。これが推力偏向機構だろう。
「パドル式にしたんだ」
「そうだ。フランカーみたいな仕組みだと、コンダイ機構と偏向機構でどうしても重量がかさんじまうからな。これならコンダイノズルと推力偏向ノズルの両方の仕組みを1つで賄える」
過去に、NASAの実験機でX-31という機体があった。まさにそれは推力偏向パドルの実験機なのだが、それを踏襲していると言っても良い作りになっているようだった。
「少しばかりの重量増はあるが、ノズルの収縮に使うアクチュエーターも無くなっているから……そうだな、200kg増ぐらいか」
「意外と軽いんですね」
「殆どがグラファイトとカーボンだからな」
成る程、そりゃいい。
ただ、X-31がエンジンの上方と左右の下側面にパドルを配置していたのに対して、これはそれを上下にひっくり返した配置となっている。
油圧の来ていない最下部のパドルは、地面に向かって頭を垂れていた。
「このパドルの配置には理由が?」
「お。いいとこに気が付くな、嬢ちゃんは!」
私の言葉を聞くと、実に嬉しそうな表情をしてコクピットへと入るおやじさん。
「思い付いたってのは、ここの事なんだ」
おやじさんは言いながら、グリペンに内蔵されたAPUを起動した。それによって油圧がかかり、各動翼が水平を取ろうと動き出す。後付けされた推力偏向パドルも同様だ。また、それと同時に垂直尾翼の下にあるハッチのような物が開き出した。
エアブレーキだ。しかし通常は真横に開く筈のそれはアクチュエーターの取り付け角度が変えられており、少し斜め下に向かって開いていく。
更に驚いた事に、エアブレーキが開ききると今度は推力偏向パドルが動き始めたのだ。
全てのパドルが外側に開いたその様は、まるで開花したチューリップのようだった。
「これは……」
「ほぁー」
「どうだ、驚いたか」
コクピットから降りてきて私達の横に再び立ったおやじさんは、悪戯な笑みを浮かべていた。
「X-31と同じ形で取り付けても良かったんだが、それだとパドルの1枚は垂直尾翼に隠れちまうだろ? この角度なら全パドルに満遍なく空気が当たるし、標準装備のエアブレーキも角度をずらしてパドルに重ならないようにした。X-31より大きな減速効果が期待出来るぞ」
ほほう。
「俺はこっちの付け方の方が昔から良いと思ってたんだ。プラスのピッチ方向に排気が強く曲がるからな」
……昔?
「通常のエアブレーキだけを展開する事は?」
「勿論、出来る。スロットルに付いてるブレーキのボタンが1つ増えていて、そっちには【EMERGENCY】って書いてあるからな。パドルブレーキを使いたければそれを押すだけだ。使うタイミングは……ま、釈迦に説法かね」
「緊急用、よね」
急減速が出来るという点は、強力な武器になる。敵に後ろを取られた時に容易にオーバーシュートを狙う事も出来るだろう。しかし、引き替えに速度を失うと言うことは大きなリスクを生む行為でもあるのだ。
推力偏向を利用したマニューバも、一時の機動性を得ると同時に大きく速度を失う危険性を持っている。
本当に奥の手として使うのがベストだろう。これは想像以上に考える事が多くなりそうだ。
「でも、なんかこう言うのってワクワクしますね! それじゃ早速……」
「ちょっと待った、嬢ちゃん」
コクピットへ駆け出しかけたナオを、おやじさんは引き留めた。
待ったをかけられたナオは、不思議そうな顔を浮かべている。
「俺ぁ、機体は造ったがな。このままじゃこいつは海へドボンだろうよ」
「へ? なんで?」
「なんでってオメー、アビオニクスがまだ出来てないんだから当然だろう?」
「ちょっと待った、まさか私達にそれをプログラミングしろとか言うんじゃ……」
「ええーっ!?」
おやじさんの言ってる事はこうだ。「こいつはまだハリボテだ」と。
現代戦闘機は電子制御の塊である。操縦桿に入力された操作は、一度コンピューターが操縦者の意図を解釈した上で、動翼に伝えられて機体が動く。推力偏向装置なんてそれこそそういった技術の結晶であるので、そこを調整して初めて機体が完成するのだろう。
確かに、確かにそれは分かる。分かるのだが……。
「なんなのよ本当、このゲームは……」
思わず、愚痴がこぼれた。そこまでリアル志向でなくてもいいんじゃないのか。
しかし、文句を言った所でもう機体が出来てしまっているのでやるしかないのだ。テストパイロットだろうがなんだろうが、やってやろうじゃないの。
そう心を決めた所で突然、目の前に赤い縁取りのウィンドウ表示される。
それは、空気を読まないスクランブルミッションの召集だった。
「……なんなのよ、もう!」