第13話 伏兵
スケィシ……あ、噛んだ。
スコィテシガパ湾を微速で航行していたローズマリーは、一気に出力を上げて脱出を計った。
超長距離からの砲撃は続いているが、始まってすぐの頃から比べると少し間隔が長くなっているようだ。それをチャンスと見たマリーは切り返しの間隔を長く取りながら蛇行を続け、湾の出口へと舳先を向けている。
『ごめんね、もうちょっと待ってね』
マリーからの艦内放送が入る。発艦の為に進路を安定させることが出来ない事についての謝罪だろう。
「こちらはいつでも上がれますから、気にしないで下さい」
『ありがと! 一旦、湾の左側へ向かって。もしかしたら陸に身を隠せるかも』
そうNPCへ指示を出すと、ローズマリーはゆっくりと右に傾きながら回頭を始めた。
「どんぶらこー、どんぶらこー」
「フィオナさん、この距離で大砲の弾って飛んでくるもんなんですか?」
「その疑問はもっともね。ズムウォルトが装備する普通の火薬式の砲だったら、こんな所まで飛ばすのは無理。きっとレールガンよ」
ズムウォルトは艦内の動力を全て電気で賄っている。推進器ですら、従来のディーゼルやガスタービン等ではなくモーターなのだ。その為に大きな発電能力を持ち、レールガンのような大電力を消費するものの運用が可能になっている。
「ただ射程も驚異なんだけど、私達にとって怖いのはその弾速ね」
「え、空のも狙えるんですか?」
「この距離だというのにかなり正確に着弾してきているから、精度は相当ありそう。何より、マッハ7で弾が飛んでくるのよ? 真っ直ぐ飛んでたら当てられる可能性は高いと思う」
自分で言っておいてなんだが、ちょっと萎えてきた。こんな相手には、ミサイルを撃ってさっさと逃げるのが吉だ。
「って事で、状況が落ち着いたらすぐ上がりましょ。で、一気に高度を上げたらさっさと全弾ぶっ放して帰るわよ!」
「「はーい」」
ついでに全員が同時にエレベーターから上がれるように、2人へ指示を出す。ベルの機体の所有権は自分になっていてその辺の自由が利かないので、彼女をその場に残して私とナオは一旦機体を仕舞い、少し離れた別のエレベーター前まで行ってから再び機体を出した。
灰色の機体と同色で塗られたKEPD350は、既に内側のパイロンへとぶら下がっている。胴体は角張っており、まるで先端が尖った羊羹のようだ。それ以外の装備は重量の関係で、翼端のIRIS-Tだけである。
コクピットに乗り込み、いつもの手順でエンジン始動。コンプレッサーが唸りを上げ始め、回転が安定し始めたところで火を入れる。APUが外れると機体が牽引車に引かれ始め、エレベーター上で静止した。
キャノピーが閉まりきると外からの騒音がこもって聞こえ、幾分静かに感じられた。しかしそれも、各種警告の動作テスト音によって上書きされる。
『ママ、こっちはいいよー!』
『フェザー3も大丈夫でーす』
ヘルメット内に2人の声が響く。起動したMFD上では、早くもGPSを捕捉したNAV画面が自機の位置を示していた。岸から5kmの洋上、南に突き出た半島の陰になる場所だ。
『砲撃が止んだわ。フェザー隊を上げて!』
マリーの声で、機体がデッキへ向かって上昇を始める。左後方を見るとおやじさんが親指を上げていたので、私もそれに倣って返答を返した。
頭上に空が広がっていく。ほんの少しの雲が浮いているだけで、いつものように天候は良好だった。
エレベーターが上がりきるとすぐ、再び牽引車が動き出す。既に3番カタパルトにはベルの機体がセットされ、離陸の時を待っていた。
『準備出来てるのは……オッケー、今回はフェザー4から上げるわね。3と1はそのまま待機』
『3、了解ですー』
「1、こちらも了解。各機、合流はいいからすぐにズーム上昇に入って」
動翼の動作確認の為に周囲を見回していると、ベルの後ろでは甲板がせり上がっていた。そして機体の背後から青白い炎が見えるのと同時、グリペンは一瞬だけ姿勢を低くしてから空へと飛び出していく。
それに続いて、ナオの機体も轟音を立て始める。一瞬だけ、自分が物凄い勢いで後退したような錯覚に捕らえられるが、そんな事を思っている内に彼女は空へと旅立っていた。
先程から無線には、慌ただしいNPCのやり取りが聞こえっぱなしだ。翻訳機能を切ってそれをヒアリング教材にする暇は当然の様に無く、こちらにもシュートサインが出された。
グリペンは、ホーネットの様に気の利いた取っ手がキャノピーの枠に付いていたりはしないのが辛い。座席に深く座り直し、精一杯の抵抗をする姿勢を付けた。
クルーの合図にハンドサインを返し、先行者達と同様にしてスロットルを一番前へと叩き込む。
後は、加速度に耐えるだけだ。
蒸気圧が解放されて鈍い音が響き、私は紙飛行機の様に空中へ放り投げられた。
***
ローズマリーのCDC。マリーは乱立するモニターを眺めながら難しい表情を浮かべていた。フェザー隊の機影は既にレーダーで捕らえられており、戦術マップへと表示されている。
「……おかしい」
いつものように、誰に聞かせるのでもない呟きが漏れる。というのも、案の定彼女は今の状況に違和感を持っているのだった。
艦艇に装備されているレーダーの探知距離を考える際に、スペックの数字をそのまま鵜呑みにしてはいけない。これは敵の目を欺く為に嘘の情報を公表しているという話ではなくて、もっと物理的な話である。
電波というものは直進をする性質がある。地面が水平であればいいのだが、しかし地球は丸いのだ。つまり真っ直ぐ飛んでいく電波は、段々と地面と遠ざかっていく事になる。
その結果、水平線より向こうにある物体は艦上のレーダーでは探知出来ない。こちらと向こうの大きさを考慮に入れて考えると、水平線越しに見通せる距離は大体50kmぐらいか。ズムウォルトのステルス性能を考慮に入れると、レーダーで探知出来る距離はもっと短くなるだろう。
しかし現在地からスロキス島までを考えても、まだ100kmはある。ミッションの説明にあった海域までだと、直線距離で180km以上だ。
別の可能性を考えるマリー。
「上空には何か飛んでる?」
「いえ、探知範囲にはこちらの物以外は何も」
NPCからの報告が、上空にいる観測機の存在を否定する。
もっとも、ゲーム的に考えるならばこちらの存在が強制的に探知されるイベント戦闘という事も考えられる……がしかし、このLazward onlineにおいてはそんな物があるとは彼女には思えなかった。
「GPSは使えても、偵察衛星なんてものは無いのがこのゲームだし……」
腕を組んで考える彼女の顔を、色とりどりなモニター類の光が照らし出す。かなり整った顔つきである彼女だが、それも眉間に寄る皺のせいで台無しだった。
「レーダーのノイズフィルターを調整出来る? そうね……小鳥ぐらいの大きさでお願い」
「やってみます」
NPCの返答があってから少しの後、レーダーモニターの表示が大きく変わった。画面を埋め尽くすようにして、あちらこちらに点滅を繰り返す光点が現れたのだ。
「……ここから、クラッターと思われるもの、また1秒以下の反応を除去」
その言葉を受けて、再び画面に変化が現れた。半島と島の沿岸域にまばらに表示される光点。これで大分その数は減った。
「高度200フィート以下、速度100ノット以下の物を除去」
更に付け加えた検索条件によって、一気に光点の数が減る。
「こういうのは私の仕事じゃないんだけどなぁ……」
イーグルヘッドでも居てくれれば良かったのに。
現状はソロ活動をしているようなものなので、愚痴をこぼすのも無為だと思い直すマリー。
「艦長、除去しました……が、これは……」
マリーの見立てでは、フィルターに掛かった反応は全て消去されて人工物と思わしき物だけが表示されるはずだった。
しかし彼女の予想に反して、画面に表示されている反応は1つも無い。
再度、腕を組んで考え込むマリー。
そうしている間にも時間は過ぎていき、ローズマリーからそう遠くない場所で高度を取っていたフェザー隊から連絡が入る。
『こちらフェザー1、目標高度までもうすぐです』
「ローズマリー了解、たどり着けたらすぐに……」
『フィオナさん、レーダーアラートですっ!』
『ママっ、狙われてるよ!』
『この距離ならまだ対空ミサイルの範囲外よ。一気にインメルマンで高度を……』
『方向が違います! 後ろ、なんか小さくてのっぺりした三角のものから排煙が!』
『うそっ、サイドワインダー!? 全機ブレイク!』
まさか、とその報告にマリーは目を開いた。
念の為、F-22であっても捉えられるように条件を付けたつもりだったが、それでも捕捉出来ない敵機。
間違いなく、ステルス機だ。とはいえ、普通であればRCSが大きくなる側面や背面を見せた時にレーダーに映る筈だ。いくらコーティングしても、キャノピー内の乱反射が全く無くなる訳でも無い。
「機体サイズが小さくて、のっぺり……まさか、無人機?」
X-47B、もしくはタラニス、はたまたnEUROn。あるいはそれらをもっと実用的に改造し、自衛用の短射程AAMを積めるようにした機体だろうか。
発射されたミサイルは戦術マップ上に突然現れた。それはあっという間にフェザー隊の所まで飛んでいき、
『……きゃ! ああもう、被弾したわ! 海水浴だけは避けてやる!』
分からない事だらけであり、反省点すらもマリーはまだ思い付かない。
確実に言える事はフィオナが被弾して撃墜されたという事と、意外と彼女は可愛い悲鳴をあげると言う事だった。
***
「あーもう!」
ヤケクソ気味にして、脱ぎ捨てた自分のヘルメットを蹴飛ばす。それは意外と堅く、また運悪く足先の外側に当たってしまって、私はやり場のない気持ちに小指の痛みをプラスする事となった。
蹴飛ばされたヘルメットは射出座席へ向かって飛んでいき、硬質で甲高い音を奏でた。
スロキス島。
このゲーム内において、ほぼマップの中央に位置する小島だ。被弾後、どうしてもこのゲーム内で体が濡れる不快感を避けたかった私は、敵艦が陣取る場所の正面へと機体を向けたのだった。
だって、あれログアウトした後にお漏らししたかと錯覚するんだもん。
敵からの追撃は無かったものの、推力をほぼ喪失した状態で浅い進入角を取る事は不可能だった為、島の上まで来た段階でグリペンは捨てた。きっと、海岸線の近くで粉々になっているに違いない。
「ああ、青い空が憎たらしいわ……」
残してきた2人はきっと大丈夫だ。伏兵の存在もこれでバレた事だし、どちらかが私を墜とした機体を返り討ちにしてるだろう。あわよくばそのまま高度を取り直してKEPD350を発射しているかも知れない。
ベルに関しては元から規格外の性能だったが、ナオもよくあそこまで上手くなったもんだと思う。
きっと、大丈夫だ。
「周り見てる余裕があるんだもんね。後ろ、か……」
ま、私の教え方が良かったんだな。そういう事にしておこう。
伏兵については大方、ズムウォルトからのデータリンクを使ってこちらに近付いてきたのだろう。
ん? そうなるとどこから飛んできたんだろうか。艦載機だったら、近くに空母がいる事も考えられる。しかし空母がいたのなら流石にレーダーで捉えられているだろう。ローズマリーのように。
「スロキス島か。大規模戦の時、向こうの人達がここに集結してるっていう情報が流れたっけ」
しかし今は休戦期間である為、ここはどこの陣営にも所属していない場所となるのだろう。
サバイバルキットに入っていた地図をおもむろに広げてみる。その島の形に既視感を覚えていると、
「あー、ここね。ジャック達と低空飛行で進入して、空港を空爆した所だわ」
大規模戦も後半に入った頃、島の南から北に向かって谷をくぐり抜けていった事を思い出した。
そういえばベルの初実戦投入もここだった筈だ。
「そう。そして、僕達が君達に墜された場所でもある」
がさりと背後で茂みが揺れる音がして、とっさに太股のレッグホルスターへと手を伸ばす。
音のした方へ振り向くと、そこには男がこちらへ銃を向けて立っていた。迷彩服にタクティカルベスト、そして顔を覆うバラクラバ。ぱっと見は、いかにも地上の人間という出で立ちの男だった。
体勢的に今から慌てて銃を抜いても先に撃たれるだけだと察し、ホルスターへ触れようとしていた手は素直に頭の上へあげた。
「ようこそ、スロキス島へ。君がフィオナちゃん、でいいのかな?」
***
『敵機撃墜! マリーさん、フィオナさんの位置は分かりますか!?』
フェザー1を襲った機体を撃墜したという報告が、ナオから入る。
フィオナ機は被弾報告の後、そのまま島へと向かっていってその姿を消した。キャラクターの生死は不明ではあるが、機体がある程度の距離を飛んだ事からすぐにリスポーンする様には思えない。不謹慎ではあるが、ゲーム的に考えるならば面倒臭い事になっていると言える。
「とりあえず墜落地点は把握しているわ。一旦、今は退いて体勢を立て直しましょう」
出来ればすぐに救援のヘリを向かわせたい所ではあるが、現在ヴァルキリー隊は別の所を拠点にして活動している。戦闘機以外を保有していた仲間達に声を掛けるには、少し時間が掛かるだろう。
『……わかりました。荷物だけは放り投げておきますね。ベルちゃん?』
『はーい』
2人に帰投の指示を出してから、マリーはメニューにあるフレンドリストを開いた。
ヘリが使える友人のキャラネームは、まだ暗転したままだった。