第9話 ラプター
「ふぅ……」
頭からVRインターフェースを脱ぐと、自分にあてがわれた個室から退出をした。ゲームは1日1時間という誰かの文句ではないが、ラズオンカフェでの利用時間が1回に付き1時間だからだ。
同様にして隣の個室から出てきた英里と合流し、私達は一息吐こうと適当な席を探す。
ここの構造は簡単に言うと、個室エリアと観戦エリアに分かれている。観戦エリアは、入ってすぐに見た大型モニターがある一角だ。モニターの周りにはカフェと言うだけあっていくつも席が用意してあり、途中で飲み物を準備しつつその片隅に私達は腰を落ち着けたのだった。
「どう、少しは慣れた?」
「んー、どうもあの浮遊感が慣れないわー。内臓が浮く感じ?」
「最初はそうでしょうね。何をするにしても身体が動かされるから」
そう言いながら、飲み放題メニューにあったコーラフロートへと口を付ける。んーっ、アイスんまい。セルフだけど飲み放題なのは最高だわ。
「まだちょっと、ラッティングに出るのは怖いなぁ」
「今度、模擬戦やらない? やっぱ慣れるには実践が一番よ」
幸い、私以外にもいい手本となりそうな人間が2人いるのだし。
そう言うと、英里は自分のアイスコーヒーをコースターの上に置きながら、
「それなら、フィオも今度お兄ちゃん達と一緒に地上でラッティングしようよ。あの銃、傷1つないんだもん。1回も撃ってないでしょ?」
「う、ばれたか」
NPCから入手した銃はどのような経緯での入手であっても、拾った時点から耐久度が計算され始める。なので、私のM4はまだ新品その物なのだった。幸か不幸か、単純にそういう機会に恵まれなかっただけではあるのだが。
そんな会話をしていると、大型モニターの周囲で歓声が上がり始める。次の対戦の募集が始まったようだ。モニターに映る、今回の指定機体はラプターであった。これは、どんな戦いになるか見物だ。
興味をそそられ食い入るようにモニターを見ていると、英里から声がかかった。
「フィオ、行ってきていいよ。やりたいんでしょ?」
そう言われると行きたい気持ちがあるのは確かだ。ノーリスクで最新鋭機を試せる、又と無いチャンスである。
しかし、英里を放置して行くのも気が引けるのだが……。
「ほら、私が応援してあげるから。ほれほれ!」
席から立ち上がって、英里は私の背中をぐいと押す。なので、私はそう言ってくれた彼女の好意を素直に受け取る事にした。
「ありがと、それじゃちょっと行ってくるわね」
彼女にお礼を言い、私は再び個室へと向かったのだった。
***
「ま、このぐらいはお礼しないとね。折角付き合ってくれてるんだし」
フィオナを見送った英里は再び席に座ると、自分のアイスコーヒーを啜った。それをコースターへと置くと、大型モニターへと視線を送る。
モニターには、次々と参戦の決まったアカウントの情報が表示されていった。
「おい、この名前にこのエンブレムって……」
「マジ? 本人?」
「羽根付きってこんなところにも来るのかよ」
ざわざわと観客達が騒ぎ出す。画面の文字までは見えないのだが、きっとフィオナの情報が表示されたのだろうと、英里は思った。
ゲーム内で彼女が有名である事は聞いてはいたが、実際にこうして噂を耳にするとまた変な実感が沸いてくるものだ。
英里はそれを聞き流しながら、1人で苦笑いを浮かべてしまっていたのだが。
「おい、同じエンブレムのがもう1人いるぞ?」
「え、羽根付きが2人?」
「なんだこれ、バグか? 騙りか? いや、こいつの名前も聞き覚えがあるぞ」
その観衆の言葉に、英里は耳を疑った。慌てて彼女は席を立ち、大型モニターへと駆け寄る。しかし既にプロフィールの表示時間は終わっており、画面には各プレイヤーの位置情報だけが表示されていた。
画面は大きく3分割されている。左側2/3は、現在フォーカスされているプレイヤー機体を外部から映し出した映像。右側1/3の上半分には線で描かれた戦場のマップが表示されており、そこには各プレイヤー機の位置を示す点がリアルタイムで蠢いていた。その下半分には各プレイヤーの行動ログが流れていく。誰が、何をしたという文章形式だ。
そこから英里はフィオナの状況を探ろうとするが、プレイヤーの一覧は跡形もなく消え去り、画面上には部屋番号のみが表示されていた。フィオナがどこの部屋を使っているのか、英里には分からない。彼女はこの戦況の行く末を見守るしかなかった。
戦闘開始の合図。
画面の地図上では、ランダム配置された機体達が徐々に動き始める。しかしランダムとはいえ、機体同士の最低距離は決まっている。これは、すぐに戦闘終了とならないようにする為の配慮だ。まだ1機もミサイルを発射しない事から、かなりの距離が置かれているのであろうと英里は想像する。
状況が変化し始めたのは、そこから1分が過ぎた時だった。
【5、12を捕捉】
短いログメッセージが流れると該当個所の地図に印が現れ、画面左側にはそれぞれの機体が映し出された。
地図上の点からは、機首の方向を示す線が短く延びている。12番機の機首は画面の上方向を向いており、5番機は12番機の右側面から襲いかかる形になっていた。
その場でくるりと12番機は向きを変え、5番機と正対する。
「お、こいつ逃げねーな。やる気満々じゃん」
「いや、そうじゃない。逃げるために機体を敵の正面へ向かせたんだろう」
「なんだそれ?」
「正面が一番、RCSが低いからな」
「でもお互いにフェイズドアレイレーダーがあるんだし、どこまで効果があるかね?」
周囲でそんな会話が繰り広げられるが、勿論航空機事情に詳しくない英里にはちんぷんかんぷんである。
そうしていると、次第に各所で戦闘が発生し始めた。戦場は地図の中央付近で形成されつつあるようだ。
今回の戦いでは、戦闘空域の真ん中に大きな島がある洋上が舞台である。島は起伏に乏しいようで、地図上の等高線も数が少ない。それ故、大きな目印になる島の上空に皆は集まりだしている。
しかし、そんな空気を読まないで地図の端を飛ぶ点が2つあった。それぞれの距離は、地図の左端と右端といった様にかなり遠い。自動制御される中継用のカメラは、そんな2機を無視するように各所の戦いを映し出していった。
【9、7へFOX2】【8、11を捕捉】【12、9を撃墜】【8、ミサイルを回避】【13、12を撃墜】【23、15へFOX3】【16、17を撃墜】【25、ミサイルを回避】【25、2と18を撃墜】【16、8を撃墜】【11、FOX4】
目が追い付かない程の早さで流れる戦闘ログ。そして次々と表示される撃墜の文字。
画面左のモニター上でも、肉食獣達が断末魔を上げながらその命を散らしていく。激しくベイパーを出しながら旋回するラプター。対抗手段としてチャフとフレアを同時にばら撒くも、最後まで騙されなかったミサイルがその機体へと喰い付く。機体は2つに割れ、断面から炎と黒煙を上げながら力無く海へと吸い込まれていった。
すぐに画面は切り替わり、先程ミサイルを放ったプレイヤーが今度は20mm弾によって穴を穿たれていく。機体の中心からエンジンノズルへと向かって火の手が上がり、力無く錐揉みをしながら落下していった。
そんな光景が繰り返されるが、リスポーンは行えないルールの為に次第とその交戦頻度は落ちていく。
空に浮かぶ鳥達の数は減り、収束へと向かう戦い。
開始から10分弱、残りの機数は――5機。
***
『あーくそ! 撃たれた!』
【16、5を撃墜】
淡々と視界の隅に流れるログを流し見ながら、
「いやー、これは良いわ……」
つい、独り言をこぼす。
周囲に敵影が無かった事を良い事に、私は購入前の試乗とばかりに色々な機動を試していた。急上昇からのハーフループ、そこからシャンデルに入りつつバレルロールへと移行。両手、両足を激しく動かすと、それに対して機体は即座に反応を返してきた。
正直、乗る前まではステルス機と言う物に機動力を期待していなかった。どうしても空力的に不利な物であり、コンピューター制御で無理矢理飛ばしているという印象があったからだ。
しかし、実際に飛ばしてみたらそれは完全に誤りだったという事を思い知った。機敏なロール、ピッチ角への反応、有り余るほどの推力。それらは確かにコンピューターが介在すればこその性能だろう。だが、目の当たりにしたその絶対的な能力に対して、自分が掛けていた色眼鏡はもう捨て去らざるを得ない。
「なんていうストレスフリー。好きな時に加速が出来て、どこまでも曲がっていくわ……」
ほんと、何でこんな機体を墜とせたのか不思議で仕方が無い。いや、乗っていた人を馬鹿にする訳では無いのだけれども。
現在の設定時刻は午後2時を過ぎたという所だろうか。ほぼリアルの時間と同じだ。真夏の高い太陽は、まだその身を沈める動きを見せない。偏光バイザーのおかげでそこまで眩しさは感じないが、それでも少しMFDが見辛い。手の平で少し陰を作りながら、私はパネルを操作し始めた。
おっと、そんな事をやっていたらついに誰かから捕捉されたようだ。コクピット左のMFDが切り替わり、レーダー波を受信した方角を教えてくる。しかし旋回中だった機体をその方角に向けて水平に戻した所で警告音が変化した。敵機からのロックが外れ、レーダー波の照射状態が変わった為だろう。
つまり、今の私は「見られていない」と言う事だ。
ついでにIRSTを起動。すると敵の位置を示すコンテナがHUD上に表示された。これ、結構な距離あると思うんだけど……。
「データリンク無しでも、ここまで把握出来るのね」
うーん、欲しい。これは欲しい。IRSTで距離まで分かれば文句は無いんだけどな。流石にそれは高望みしすぎか。
さて、IRSTに表示される距離であると言う事から考えて、敵はそんな遠い位置にいる訳では無いようだ。先程反応を見せたRWRも今は沈黙している。私に捕捉されるのを恐れてレーダーをオフにしたのだろう。
ここから先の戦いは、私にとって未体験のゾーンだ。想像力をフルに働かせて戦ってみるとしようか。
先程からHUD上に表示されているコンテナは、その表示領域の右端から中央のウィスキーマークへと向かって徐々に移動をしている。近付いているのか遠ざかっているのかは分からないが、私の進路を横切る形になっているのは間違いない。
私はミリタリー位置へと左手を押し込み、そのまま少し状況を伺う事にした。流石、スーパークルーズ能力と言う所だろうか。非武装のグリペンよりは遅いが、着実にHUDへと映し出される対気流速度は上がっていく。
後ろを振り向き翼端を見るが、不用意な飛行機雲は出ていないようだ。
ゆっくり左のラダーペダルを踏み込んで、IRSTの捉える敵機を正面に誘導しながら攻撃のチャンスを伺う。
F-22の武装は、全て兵装庫へと納められている。これは機銃であっても例外では無い。つまりミサイルは穴の中に納められ、常時蓋がされているのだった。サイドワインダーの発射準備を行うと、シーカーに敵を"見させる"為にその蓋が開いてミサイル本体が露出される。そうなると今まで滑らかだった機体表面に凹凸が出来、それがレーダー波を意図しない方向へと反射させてしまうのだ。それでは折角のステルス性が損なわれてしまう。
まだ、サイドワインダーのシーカーは起動させない。
最初に敵機を捕捉してから、1分が過ぎようとしている。
敵が近寄って来てくれているのがベストだ。だが、それは賭けでもある。もしもこちらから離れる方向であったら、単に燃料の無駄遣いになってしまうのだが……果たして。
HUD上のコンテナ内に、黒い豆粒が見えてきた。
目視距離、賭けに勝った!
即座にレーダーを起動させ、同時にサイドワインダーを選択した。ものの1秒も掛からずにウェポンベイはその覆いを解放。すると機体から斜め前方へと向けられたシーカーは、AESAレーダーから送られた情報を元にしてその視界を敵機へと向けた。甲高いブザー音がコクピットに響く。
『マジかよ、後ろ!?』
オープン回線に敵の叫びが響いた。ウェポンリリース、FOX2!
『ああ、くっそぉ!』
今回は単独での戦いなので、発射コールは心の中だけで叫ぶ。コクピット右後方の下部から、ミサイルの推進材が薄い白煙を上げながら敵機へと向かっていった。即座にレーダーを切り、進路を敵機へと向け続ける。
この距離ならば、着弾まで10秒も掛からないだろう。しかし、その間にもやるべき事は沢山ある。攻勢に出たこの隙を誰かが狙っているかも知れない。呑気に敵機の爆発エフェクトを見ている時間は無いのだ。
【14、1を撃墜】
その考えをあざ笑うかのようにRWRから警告音が響き始めたのは、MFDをそれに切り替えようとサイドボタンへ手を伸ばしたその瞬間だった。上下左右に首を振り、敵影を探す。
いない……まさか、BVR? しかしどこを探してもミサイルのような白煙は見えないし、飛行機雲も無い。
まさか!
死角に気付き、バイザー越しに太陽を見る。瞳孔の収縮が再現されて徐々に周囲の景色が暗くなるが、それに伴って光源に重なるシルエットが見え始めた。
『なぁ。俺、前に言ったよな? こう言う時はな……』
即座に機体を半回転させ、スプリットSでダイブの体勢に入る。
ミサイル警報装置であるAN/AAR-56が、ミサイルの排炎から放出される紫外線を捉えて警告を発したのは、それと同時だった。
『こうするんだ!』