第8話 ラズオンカフェ
空という大きな遊び場へと解き放たれた猛獣が2匹。実に楽しそうに見えるのだが、その内実は外から見た様子とは違っていた。
『おねえちゃん、こっちだよー!』
『くっ……!』
先程から、ナオは防戦一方である。しかし彼女が本気を出している事は、時折漏れる苦しそうな声から明らかだ。
大規模戦での経験を得て、ナオの実力はジャックから見ても驚く程に上がっている。以前にマリーゴールドで行った模擬戦ではジャックからの不意打ちであっけなく幕を下ろした事もあったが、今の彼女にはそれも通用しないだろう。機体を捻り、それを容易に避わす様子が想像出来る。
ナオもその腕に自信を付けており、それが一層彼女に積極的な行動を取らせる一因になっていた。模擬戦が始まる前、ナオはベルに「負けて泣かないでねー」なんて軽口を叩いていたし、実際に以前のベル相手であったならそれは現実の物になっていたのかも知れない。
しかし今、ベルはそんな彼女をまた手玉に取っているのだ。まるで猫が獲物に対して、生かさず殺さずにじゃれつくように。
私の傍らで寝転がっていたジャックも、次第にその様子を食い入るように見つめ始めていた。既に体は起き上がっており、胡座をかいて上空へと顔を向けている。
「こりゃぁ……眠気が醒めちまったわ」
「でも、考えてみれば私達が1対1でベルに勝った事って無かったわよね?」
「そりゃそうだけど、前より更に機動が鋭くなってんぞ。お、ナオが良いポジションからシザースに入ったな。普通ならすぐに……」
攻撃ポジションを取れる。私もその様子を見ながら、同じ事を考えていた。
ナオはベルのほぼ後ろを取った状態からシザースに入ったのだ。彼女ならきっちりと相手の旋回のパターンを読み、ガンレンジへと入れるだろう。
だが。
『な……っ! 消えた!?』
ナオには、まさにそう見えたのだろう。外から見ていた私には、何が起こったのか丸見えではあったのだが。
ベルはわざと一定のパターンの旋回を繰り返していた。そうして油断を誘った所でリズムを変え、早い切り返しを行ったのだ。更にナオの死角へと入った瞬間、また別の方向へと切り返しを行ったのでナオは目標を見失ってしまった。
彼女はそのまま旋回を続け、目標の捜索へと入る。しかし、それが失策だった。ベルをオーバーシュートしたような格好になっており、しかもベルの方が高度を取っていたのだ。
そこからは、ベルの独壇場だった。すぐにナオは彼女に背後を取られてしまい、ゲームセットを告げられる。
『ばーん! おねえちゃんの負けー』
『えっ、うそ!?』
ナオの後ろにへばりつきながら、ベルはバレルロールをする。しかし通常のバレルロールとは違い、機首はぴったりとナオの方向へと向けられていた。どう考えても、ベクタードノズルが付いているとしか思えない動きだ。まさか、彼女自身がFCSへ介入しながら飛んでいるとでも言うのだろうか。
「前に、ベルは連携に弱いって言ったわよね?」
「ああ」
「あれ、取り消すわ。ここまでくると、流石に2人でやっても勝てなさそう」
「同感だ。人型インターフェースが実装されたとは言っても、あれにはGの影響が無いんだろうな。純粋に、目の前の敵を倒す為だけに生まれた存在。そんな風に、俺には見えるぜ」
「あの幼い言動が、逆に怖いわね」
戦場に出せばきっと、彼女はあのノリで武器を使用するのだろう。無垢な殺意、向けられる方からしたらたまった物ではないと背筋が冷たくなった。
「さて、これからの方針だが……どうする?」
「どうしようかしらね」
「あれだけ飛べる事が分かったんだ。今までと変わりが無いって考えてもいいんじゃないか? ラッティングだけじゃ飽きちまうだろうよ」
「そうね。とりあえず、今夜あたりミーティングしましょうか」
「だな。それじゃ、俺は先に落ちるわ。ナオに宜しく言っておいてくれ」
よっこらしょと声を上げながら、その場にジャックは立った。
「ええ、お疲れ様。また明日」
「おう」
そうして彼の姿は、エフェクトと共にそこから消え去った。
それから間もなく、ナオとベルは滑走路に着陸。ベルに負けて落ち込むナオを慰めながら、本日のプレイは終了となったのだった。
***
遅くまで起きていたせいで、起床すると既に外は太陽が結構な高さまで昇っていた。我ながら、ぐっすりと眠り込んだもんだ。
まだ重い瞼を擦りながら時間を確認すると、時計は午前の10時を回っていた。普段であれば大遅刻も良いところな時間だが、夏休み初日と言う事で頭は既に自堕落モードへと入っている。
着ているタンクトップを適当に脱ぎ捨てながら携帯を見ると、1通のメールが入っている事に気が付いた。
差出人は英里だった。
【フィオー、暇だよー。どっか行こうよー】
文面はそれだけ。これじゃ、リアルでの話なのかゲームでの話なのか、さっぱりわからないじゃないか。いつもの事なのだけれども。
適当に「オン、オフどっちなのよ」と、その真意を確かめる為の返信をする。そのまま朝食を取ろうと1階へと降りた私は、ある違和感に気が付いた。
そう言えば、母の気配がしない。
まぁ、大方もう仕事へと出かけているのだろうと思いながら、リビングへと入る。ドアを開けると正面にはいつもの食卓があったのだが、その上に1枚の紙が置いてあった。
それを手に取り、目を通す。
【急に仕事が入ったので、1ヶ月留守にします。お金はいつもの感じでヨロシク】
はぁ、またか。
度々、母はこんな感じで居なくなるのだ。私の口座にはきっと、1ヶ月暮らしていくのに過不足無い様なお金が振り込まれているのだろう。これもいつもの事だから、特段に驚きは無い。
本当、この人はどんな仕事をしているのだろう。何度も不思議に思って聞いた事はあるのだが、彼女は適当にはぐらかして答えるだけだった。マイルがー、という言葉は聞いた事があるので、家を空ける期間から考えても海外を飛び回っている可能性は考えられる。
子供としてはきっちり母親をやってくれている人だという印象は持っているのだが、偶に寂しさを感じない事も無い。話に聞く普通の家庭とは全く違う環境で、よくここまでグレずに育ったものだと自分に変な感心をしてしまう。
いや、立派なゲーマーになってしまっているのだから、そんなに誇れる物でもないか。
冷蔵庫から牛乳を取り出して飲んでいると、英里から再びメールがあった。
【今日はリアルでヨロ。それじゃ、12時にいつものファミレスで!】
それに【わかった】とだけ返信。さて、シャワーで寝汗を流してから向かうとしますか。
「フィオー、こっちこっち」
前にナオを呼びつけた、通学路の途中にあるファミレスへ入る。英里は既に来ており、1人でコーラを飲んでいた。いつも会う時は殆ど制服なので、お互い私服を見るのは久々だ。
彼女はTシャツにデニムのホットパンツで、キャスケットからいつものポニーテールを生やしていた。大きく露出した健康的な足が、かなり眩しい。
私の格好はと言うと、色気も素っ気も無い物なので特に触れない。カーゴパンツは楽なのだ。
「おまたせ。で、突然何なのよ」
彼女の向かいに腰を掛けながら座る。朝は適当に抜いてしまったので、そのまま軽食を注文した。
「いやー、きっと隙を持て余しているだろうと思ってねー」
「当たり前でしょ。持て余しすぎて、今日も獲物を求めて空を飛ぼうとしてた所だったわよ」
「はぁー。それが花の女子高生の言うセリフですか」
「あんたもそうでしょうに……ていうか、部活はどうしたの?」
「今日は休みなんだよね。今週末は例の大会があるんだけど、その前の息抜きよん」
そんな話をしていると、先程注文したサンドイッチが届いた。英里にもどうかと勧めるが、彼女は私が来る前にもう済ませてしまったらしい。
「アテが無いなら、ラズオンカフェでも行く?」
「結局、そうなるか……なら、私に飛行機の乗り方教えてよ!」
「良いけど、私はスパルタよ?」
「運動部を舐めてもらっては困るよ、明智君」
そうして話が纏まった所で、私達は先程会話に出た場所へと向かったのだった。
Lazward onlineカフェとは、一昔で言うネットカフェに属する店だ。家庭用のゲーム機が旧来の据え置き型ゲーム機からVR機器へと移行した現在、興隆している施設である。
VRゲームが流行してすぐ、ゲーム開発を生業にする企業はある問題に直面した。それはVR用のゲームには、多大な開発費用が必要になるという事だった。
ファンタジーRPG、レース、シューティング。どのようなゲームを作るにしろ、仮想空間をまるまる1つ作らなければならない。更に、今までの物と違って人間の五感に訴えるデータが必要になる。その事実は、中小で細々とやっていた企業に重くのし掛かった。
それ故、現在人気のあるゲームは大企業が力を入れた作品が殆どになっている。中小の会社が合併し、力を合わせて開発した作品が人気を博していると言う例もあるのだが。
そういう状況なので、実の所ゲーマーが選べる選択肢というのは余り多くなかったりする。各ジャンル毎に1つか2つ有名な作品があり、そこに人が集中するという構図だ。Lazward onlineは、そこに食い込めている作品の1つだった。
VRゲームは、これまでのリビングを中心とするゲームとは大きく異なっている。その殆どが1人で集中してやるタイプの物だ。ゲーム内で他者とのコミュニケーションを取る事は出来るが、その相手は結局の所見ず知らずの相手が殆どである。リアルでの繋がりは、そこにはない。
そうなってくると、人は同じゲームをやっている人間とのオフラインでの体験の共有を求めるのである。そうして出来たのが、ラズオンカフェのようなゲーム毎に特化した施設であった。
いくつか電車を乗り継いで、電気街として栄えている街へと到着。その駅前の1等地にカフェは居を構えていた。萌え系やらなんやらという広告が軒を連ねる風景の中、1つだけシンプルな装飾の看板。青地に白でタイトルを書いただけのそれは、その中でも一際異彩を放っていた。
カフェとは言ってもここはアミューズメント施設のようなものであり、その店舗は入居しているビル階の半数を占拠している。階毎に陸、海、空とそれぞれのジャンルに分かれており、私達は今回の目的地である空の階へと向かう為にエレベーターのボタンを押した。
離陸のような縦加速を身体に感じながら、6階へと到着。自動ドアが開かれると、ゲーム内の景色のような碧いテーマで飾られた清潔感のあるフロアが目に入ってきたのだった。
「しかしもっと、こうショッピングとか女の子らしい事を……」
「ここまで来ておいて、今更それ言うの!?」
つい漏れてしまった私の呟きに英里がツッコミを入れながら、私達は受け付けを済ます。ゲームに課金をしていると利用料金に割引が入る所が、少し嬉しい。
無線LANで接続された貸出用のVRインターフェースを店員さんから受け取ると、まずは現状の調査から入った。大型ディスプレイが設置された部屋の中央部には人だかりが出来ている。そこに私達も向かい、その映像を眺めた。
やってる、やってる。
「いけっ、今だ撃て!」
「おお、あいつ上手いな」
「なんだこいつ、逃げてばっかりじゃねえか」
50機はいるであろう戦闘機の群れが、それぞれの生き残りを賭けて火花を散らす。その様子に、見物客達は思い思いの感想を漏らしていた。
「この映像って、オン? オフ?」
「オフだと思うわ。全滅戦っぽいもの」
英里の投げた疑問。それは、この対戦がオンライン環境なのか、オフライン環境なのかという事だ。
ここから、いつものオンラインサーバへ接続してプレイする事は勿論可能である。だが、ここに来ている人間でそんな勿体ない事をする者はいない。
ここの目玉は、この独立したオフライン環境での対戦なのだ。
決着の条件は、誰か1人が生き残る事。オフ戦では指定された機体のみが使用可能であり、純粋にその腕を競う事が出来る。
立ち回りの巧者も居れば、ランダムで決定された機体に偶々精通している者もいる。対戦の度に機体は変わる為、ここで生き残るには総合的な実力が必要だ。
「やっぱ、来たからにはやりたいでしょ? オフ戦」
「気を使わなくても良いわよ。私は、あんたと遊びに来たんだから」
「んもー、そう言うのは男に言ってあげなさいよ……ほら、あのジャックさんとかさ」
「なんであいつの名前が出てくるのよ。絶対、言わないし」
何か勘違いしてるだろう、この子は。あんまり言うのも面倒臭いので、とりあえずその件は放っておく。
今回の目的は、あくまでも彼女への指南だ。私達は大型モニターから離れた所にあるオンオフ共用区画へと向かい、それぞれが充てがわれた個室の前へとたどり着いた。
「よし、それじゃお願いします師匠!」
「うむ、頑張るが良い」
そう言葉を交わすと私達はハイタッチをして、鍵付きのコクピットへと乗り込んだのだった。