第7話 スクランブルミッション
暗転した視界が明けると、そこにはいつものように海と空が広がっていた。しかし、Lazward onlineでの物とは違い、どこか異質な様に感じる。それが色合いの差によるものだと気付くのに、数分を要した。
枠の無いキャノピー、長方形のHUD、その下のテンキーと左右に1つずつ有るMFD。
見慣れない機体だ。西側の機体である事はその造形から何となく分かるのだが。
回せる所まで首を後ろへ向けると、機体の背部からは滑らかなラインが主翼へとシルエットを延ばしていた。その主翼の向こう側には、僚機らしき影が左右に1機ずつ飛んでいる。その姿から、自分の乗っている機体も推測が出来た。これはF-16だ。
初めての機体、現在地は不明。不安要素しかない現状に愚痴を吐こうとするが、声を出せない。上半身の位置を調整しようとするが、脳から出た命令は空しくどこかへと霧散していく。
なんなのだろう、この現状は。空の上で、こんな窮屈さを感じたのは初めてだ。
普段と余りにも違う勝手に戸惑っていると、視界の正面にウィンドウが現れた。いつものホロウィンドウと同じ意匠ではあるが、これには立体感が全く無い。
【ミッション目標:敵機、全ての撃墜】
やらされる事は随分とシンプルなようだ。それに安心してMFDを操作し、現在の武装を確認する。
しかし、そこでまた私は驚く事となった。
なんだこれは。
機体の輪郭を模した図が表示されたMFD。そこには、普通に考えてあるべき物が全く無かった。
全てのパイロンはEMPTYを表示している。つまり、ミサイルが装備されていないのだ。機銃だけでやり合えと言うのか。
左右の寮機に顔を向ける。彼らの翼下にも、ミサイルの影は確認出来ない。
なるほど、これが高難易度と言われる理由か。
そして、ここでもう1つの違和感に気付いた。普通、真っ直ぐに飛んでいるだけでも気流の影響で機体が上下に動くのを感じるのだが、それが全く無い。
ジャックの言葉を思い出す。
確かに、これは全くリアルでは無い。おまけに縛りプレイと来た。収入が良いというメリットが無かったら、私は辞退していたかもしれない。
MFD上のルートは直進を示している。HUD上部に映る数字から、その方位は東だ。正面には微かに陸地が見えているが、戦闘空域は海上となるだろう。この状況で、隠れる場所が全く無いのは辛い。
更に数分後だろうか。変わらない景色に飽きが生じ始めたのを見計らったかのように、コクピット内に電子音が響き始めた。
音の発生源はRWRだ。レーダー波の発生源は3カ所、全て正面。RWRは、その主が自機と同じF-16だと表示している。
同型機、しかしこちらの装備は機銃のみ。
どうやって仕掛けるか。
いつものように考え始めるが、それをあざ笑うかのようにして左右にいた寮機達はアフターバーナーを点火して前へと出始めた。
くそ、どういうつもりだ。
その呟きは誰に伝わる事も無く、空しく脳内に響く。
レーダー警報の音が変わり、敵からミサイルが発射された事を知らせる。それと同時に、前に出た2機はスプリットSで反転、急降下を始めた。
それに遅れないよう、自分も感圧式のサイドスティックに力を込める。世界は上下を入れ替え、海が近付いてきた。
HUDのG表示を見ると、それは9.2Gを示していた。一気に数値を減らす速度計に、慌ててスティックに込めた力を緩める。
Gを感じないのも、不便な物だ。
旋回半径が緩んだ機体。それは方向転換による機速のロスと降下による加速の釣り合いが取れ、対気流速度が500ktで安定を見せた。
そしてチャフの連続発射。女性の声がコクピットに響く。
スプリットSの一連の動きが終わり、機体はミサイルに追いかけられる格好となる。ミサイルに対して自身の進路が直角になるように右旋回。その間もチャフを撒き続ける。
アフターバーナーは付けっぱなしだ。既に残燃料は80%を切った。
再び響くミサイル警報。同じ進路を維持しながら、チャフの散布。先程と比べると距離が近くなった為、ミサイルはその勢いを維持したままだ。
このままでは直撃するだろう。
だが、進路はそのまま維持する。キャノピーの右手側には、ミサイルの残した白煙が見えた。こちらの予測位置へ向かって伸び続けていたそれは、途中でその軌跡の伸延を止めた。ロケットモーターによる加速が終わった為だ。
それを確認した所で、今度は左急旋回を開始。これでミサイルの運動エネルギーを使わせ、なおかつ自身の姿をチャフの雲に隠れさせる事が出来る。
キャノピー横から激しいベイパーが発生。程なくしてミサイル警報は止んだ。
2回の回避行動。この間に、敵機は懐と言っていい距離まで近付いてきていた。
2機の寮機は、既に敵を追いかけ始めている。自分と同様の動きで
ミサイルを回避していたようだった。初動の遅れを取り戻すように、自分も攻撃の体勢に入る。
まずは高度を確保しなければならない。スプリットSで増えた速度を運動エネルギーに変換する為、緩やかに上昇しながらの旋回を続ける。
先行した寮機に対しては、敵全機が対処に入ったようだ。つまり、味方の1機は敵2機から追いかけられるというピンチを迎えている。即座に左右へのハーフロールを繰り返し、状況を確認。すると、自機の左下方で2機に追いかけられる味方機が見えた。
スロットルスティックのスイッチをドッグファイトモードへ。するとレーダーがエアコンバットマニューバリングモードへと切り替わる。そのまま今度はターゲットマネジメントスイッチを数回押して、サブモードを切り替えた。
ここまでは自分の考えが自動的に反映された結果、身体が勝手に動いている。しかしゲーム本編で感じていたような、身体が何かに動かされている感覚は感じない。感覚のフィードバックが無い、という表現が合うだろう。
それから少し間を置いて、サブモードであるHUDモードになっていたレーダーが敵機を捉えた。そのシルエットに被さって、丸いロックサークルが表示される。
敵はまだ、味方機を追い続けている。背中を取った。機体のシルエットがくっきりと青い背景に浮かぶ。
HUD上部から、漏斗状の弾道予測線が延びた。その中程に、レーダー反射波から計算された着弾点が点として表示される。
点と、シルエットの中心が重なる。
1秒間、スティックをぶらさないようにトリガーをゆっくりと引いた。
曳光弾が敵機へと吸い込まれていき、その後部から火の手が上がる。
そのまま旋回を続け、その前方を飛ぶ敵機へと次の狙いを定める。
出来れば自分の手で墜としたい。そう考えて射撃位置に付こうとするが、先に追いかけていた味方機の方が敵機をオーバーシュートさせた。
駄目で元々と思いながら、先程と同様にしてトリガーを引く。それと同時に味方機も射撃を開始した。
高G旋回からの十字砲火が、敵を襲う。
先に射撃を開始した私の弾が敵機に当たり、細かいパーツの破片を虚空へと散らす。味方機の弾は、姿勢を崩した敵機体の前方へと着弾を開始した。
機体の形を変えられて空気抵抗の増えた敵機は、その速度を一気に落とす。その横を追い越すようにしながら、落ち行く残骸を見守った。
それが見間違いで無ければ。
20mm弾が当たり大穴の開いたキャノピーは、鮮血で紅く染められていた。
***
「お、戻ったか」
「おかえりなさーい」
サリラへと戻った私を、2人の仲間が出迎える。解散の旨を告げていたので、彼らに出迎えられる事は少し予想外だった。
「なんだ、まだ居たのね」
「おいおい、折角待ってたっていうのにそりゃねえだろよ」
「ベルちゃんと遊びながら、待ってましたー」
そう言うナオの影から、ベルが顔を出した。彼女はナオのジャンプスーツの裾を掴み、こちらの様子を伺うようにして身を隠している。
まぁ、こうやってその様子が分かると言う事は、隠れる事に失敗している訳だが。
「で、どうだったよ?」
「やっぱり、情報通りだったわ。リアルでも何でも無かった。映像だけは綺麗だけど、こっちで飛んでる方がよっぽど楽しいわね」
それが、私の率直な感想だ。
普段に比べて、Gの制限も無く自由に飛べると言えば聞こえは良いかも知れない。しかし、あそこには嘘があった。この世界が完全に現実と同じかと言えば、それは間違っている。だが少なくとも、スクランブルミッションで飛ばされた所よりは本物に近いだろう。
あの、最後に見えた光景を除けば。
「勿論、成功させてきたよな?」
「当然」
「さすがですっ!」
よっしゃ、とガッツポーズをするジャック。こいつはもう奢ってもらうつもりでいるようだ。
そういう男、今の日本じゃモテないわよ。いや、どこでもモテないか。
【スクランブルミッションの成功報酬がインベントリに追加されました】
そんなウィンドウが表示されたので、ホロメニューを表示させてみる。所持金の数値は、ラプターを2機買ってもお釣りが来るぐらいの金額を表示していた。買わないけども。
しかしこれだけ有れば、当分困る事はないだろう。早速、ベルの機体を買ってあげても良いかもしれない。
だが、当のベルはと言うと……。
「ママ、かおがこわい……」
これだ。また例の幼女モードに戻ってしまっているのだ。産まれ付きこういう顔じゃい。てか、こいつも同じ顔じゃないか。
その様子に、意図しない溜息が漏れる。
「折角、今までみたいに飛べると思ったのに……」
「そう言ってやんなって。ベル本体の稼働には、時間制限があるらしいんだ。なんかエラーを吐いてたのが原因みたいなんだが、普段はこっちのベルが出てくるんだとさ」
「こっちの状態だと、空飛べないんでしょ?」
「そうでも無いみたいだぞ? 基本的な性能は全く同じだと言っていたからな」
ジャックの話だと、私がスクランブルミッションへと呼ばれている間にそこら辺の説明があったらしい。記憶も共用している様なのだが、アウトプット側の性能に問題がある為に今みたいな状況になっているとの事だった。
「つまりは言語でコミュニケーション出来る様になったけれども、まだ複雑な事が出来ないって事?」
「そんな所じゃねえかな」
「がおー、おねえちゃんミサイルだぞー!!」
「きゃー!!」
突然、ナオがベルを追いかけ回し始めた。何なのよ、その遊びは……。
「ほら、遊んでるならやる事やっちゃいましょ。ベル、あなたのグリペンをまた買ってあげるからこっちに来なさいな」
そうベルに言うと、彼女は一瞬で動きを止める。そして半端なくにこやかな笑顔と共に、こちらへと走り出したのだった。
「わーい、ママ大好きー!」
「「現金すぎる……」」
ハンガーへ向かった私達は、いつもの様にマーケットメニューを表示させてその中にあるグリペンUCAV型の機体を購入した。
すぐに機体を実体化させる。光と共に現れたのは、アップデート前に『ベル』だと認識していた物だ。機体のシルエットは有人型と同じであるものの、ボティ色で塗り潰されたキャノピーとそこに据え付けられたカメラ群が違和感を放っている。
既にキャノピーは開けられた状態である。ベルに乗るように促すと、彼女は嬉しさを隠そうとせずに鼻歌を歌いながら機体へと登っていった。
「ナオ、ちょっと模擬戦やってもらえる?」
「あ、いいですよ。それじゃ私も機体を出しますね」
手慣れた動きでナオがメニューを触り始めると、ベル機の後方に同じ機体が出現した。こちらのキャノピーは透明なので、実に普通に見える。機体的にはシーグリペンなので、あまり普通では無いのだが。
「とりあえず、今のところはパーティチャットを使うわね。2人共、聞こえてる?」
『『はーい』』
2機は同時にエンジンを始動させた。外部からの力で強制的に回され始めたエンジンが、甲高い悲鳴を上げ始める。
「武器は使っちゃ駄目よ。合図した後に、先に後ろを取った方が勝ち。シンプルで良いでしょ?」
『わーい、おねえちゃんと鬼ごっこー』
『おねえちゃん、負けないぞー!』
そして2人は、揃った動きで各部の動作チェックを始めた。上下、左右へと機体後部の動翼が踊る。それにシンクロする、機首部の遊動式カナード。
「離陸後、高度5,000で待機。ベルは方位360、ナオは180ね」
『『はーい』』
安定していたエンジン音が更に音量を上げる。すると、低音混じりだった回転音が次第に澄んだ音へと変化していった。
2機のブレーキが解除されると、高速で噴出される排気が機体を押し出していく。ゆっくりとしたスピードで、彼女達は誘導路を滑るように進んでいった。
「とりあえず、安心した」
「何が?」
「ベルよ。普通に動かせているじゃない、グリペンを」
「ああ、確かにそうか。まぁ、あそこでマジの子供みたいに、わかんないー! だなんて駄々こねられても困るけどな」
「流石にそれは無いだろうとは思っていたけどね……」
先頭を行くベル機が、滑走路へと合流するT字路出口で停止をした。この辺の、この世界での常識的な行動については問題無く出来るようである。
「フェザー1よりサリラコントロール。フェザー3、4の発進許可を願います」
『こちらサリラコントロール。辺りには何も居ませんので、いつでもどうぞ』
知ってる。今、超過疎地だもん、ここ。
管制官の言葉を聞いた2機は、そのまま滑走路へと進入してブレーキを掛けた。
「ベル、ナオ。クリアードフォーテイクオフ、気を付けて行ってらっしゃい」
『らじゃー!』
『ラジャー!』
そして、爆音が轟き始める。
平行して滑走を始めた2機は、一気にアフターバーナーを全開。F414エンジンが咆吼をあげて、翼が空気を切り裂き始める。短距離離陸性能に秀でたその機体は、滑走を始めてから数秒で既に空の住人へと変わっていた。
胴体が浮き上がってすぐに降着装置を仕舞うと、それぞれ別の方向へとブレイクを開始。青白く光る尾を引きながら、2機はそれぞれの位置へと向かっていった。
「乗るのも良いけど、やっぱ眺めるのも良いわよねぇ……」
「むしろ俺としては、ゲームも良いがそろそろ寝なくていいのか? と突っ込みたいんだがな」
「え、嘘。もうそんな時間?」
「もうとっくに日付が変わって1時で御座います、お嬢様」
「ふふん、でもねジャック。学生様は今日から夏休みなのよ!」
「なにぃ!? キツいの俺だけじゃねーか!!」
叫ぶジャックの肩に、私は両手を置いた。ドンマイ。
「くそっ、もういい! このままエンジン音を子守歌にして寝落ちしてやる!」
そう言いながら、ジャックはエプロンの堅いコンクリ舗装の上に寝ころんだ。
私もその横に腰を下ろして、2機の飛ぶ様を眺める事にしたのだった。