第4話 ランプ・スタート
夕飯後、ログインすると既に見知った顔がサリラ基地に居た。私の居る所、ハンガー前から少し離れたヘリパッド上で、その影は入念に自分の機体をチェックしている。外装のチェックが終わると、彼はコクピットに乗り込んで更にその続きを行った。
今回、彼には私達の足になってもらう訳なので、そういう所をきっちりやってくれている事に少しだけ安心した。
「こんばんは、ジャック」
「ん、フィーか」
昨日少しだけ見たヘリコプター、イロコイの前席から彼は顔を出した。いつもの耐Gスーツではなく、着陸後の地上戦を見据えて緑色のタクティカルベストを付けた姿が新鮮だ。こういう姿が似合うのは、男性がちょっと羨ましい。
「こっちの準備はいつでもいいぜ」
「ありがと、今日は頼りにしてるわ」
「おいおい、今日だけかよ」
冗談を言い合いながら、他のメンバーを待つ。すると、すぐにナオもやってきた。M60をえっちらおっちらと抱えながら、ハンガーからこちらへ小走りに近付いてくる。
彼女の格好はシンプルなウッドランドの迷彩服だったが、弾帯を肩からたすき掛けにしていた。お前はどこのベトナム帰還兵だ。
「おまたせしましたー」
「おっす。それじゃナオも来た所で出発、と……」
「あ、ごめん。今日はもう1人、助っ人が来るのよ。ナオにはもう紹介済みだから、彼女が来たらジャックにも……」
そこまで言い掛けた私に、
「やっほー、フィオ!」
後ろから声が掛かったのだった。
その声の主の居場所にジャックとナオは気付かなかったようで、きょろきょろと周囲を見渡す。で、当の私も声がする方へ振り向いたのは良い物の、彼女がどこにいるのかさっぱり分からない。辺りを見渡すが、雑草の生い茂る草むらか滑走路の舗装しか視界には入らない。
しばらく周囲を見渡していると、草むらの一部がごそりと動き出した。
そこからずるりと這い出してくる、緑の毛で覆われたモンスター。
「やっほー」
舗装路までモンスターは地面を這いずって進むと、そこで立ち上がってこちらに手を振った。緩慢な動作で頭を覆うフードのような部分を脱ぐと、そこには見慣れた顔と後ろで結んだ髪が現れた。英里、つまりエイリだ。
「なんだ、エイリさんじゃないですか……」
「お、ギリースーツとは気合い入ってんな!」
2人は、それぞれの感想を口にする。
頭だけを毛むくじゃらから出した彼女はこちらへ歩いてきて、ジャックの前へと歩み出た。
「どーも、エイリと申します。今日は宜しくお願いしますねー」
「フェザー隊、2番機をやってるジャックだ。宜しく」
そう言って握手を交わし、あっという間に自己紹介を終わらせてしまったジャックとエイリ。私の仕事が無くなっちゃったじゃない。
「気合い入っているのはいいけど、あの辺って緑あったっけ……」
「そん時はまぁ、適当な服に着替えるよ。で、フィオさんや」
エイリは左腕で私の肩を抱えて向きを変えさせると、突然顔を近付けてきた。彼女は空いた右手の親指を立てながら、半目で顔をニヤケさせる。
「何、あのいい男は。これ? フィオのこれ?」
「何でそうなるのよ……」
「どこまで行ったの? ねえ、ねえ?」
うわぁ、うざい。
こうなった場合、まともに対処してもこいつの場合は図に乗るだけだ。なので、右手を脚のホルスターに仕舞ったグロックへと延ばして、
「……それ以上言うなら、撃つわよ」
「オーケーオーケー、わかった。私がわかれば、あなたもわかる。話せばわかる」
その一言で、彼女は私からサッと離れて両手を上げた。なんなんだ、その日本語は。
まぁ、ここで実際に撃ってしまったら私にペナルティが来るんだけど。
「……何やってんだ?」
「さぁ……」
ジャックとナオは私達のその様子を見て、お互いに顔を見合わせていた。
えー、おほん。コントはここまでにして。
私はエイリの腕を掴んで、ジャックとナオの方へと再び向きを変えた。
「で、彼女が今日の助っ人。私の同級生よ」
ふむ、とジャックは顎の無精髭を撫でながら一呼吸置いて、
「今日の流れだけどよ、落下地点に関しては俺とナオが覚えているからそれを頼りに近くまでまずは飛ぶわ。その後は手頃な場所に着陸して、そこから徒歩でいいかね」
「そうね。何も無いとは思うんだけど、捜索中はエイリに周囲を警戒して貰おうと思ってる」
「任してよ!」
エイリはそう言いながら、背中に掛けていた自分の銃を構えた。
ポリマー製で滑らかな曲線を描く本体から、フルート加工された銃身が延びている。昨今のスナイパーライフルにしては、小柄と言える本体だ。
「お、ステアー・スカウトか、珍しいな」
「いいでしょー。これ、私のスタイルに合ってるのよねー」
「てことは、結構動き回って戦う感じか。これ見よがしにデカいの背負ってる奴よりは、断然信頼が出来るな。いきなりギリーで現れたから、まさか芋かと要らん心配しちまったぜ」
その彼の言葉に、エイリは少し得意げに鼻を擦った。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
私の声に3人は頷いて、順にイロコイへと乗り込んでいく。ジャックがコクピット、それ以外の皆は荷室へと腰を落ち着けた。
前席のジャックはオーバーヘッドコンソールのスイッチをいくつか入れると、続いて機体の電源を入れる。すると同時にけたたましい警告音が鳴り始めた。エンジンが低回転である事を表すその音は、神経を逆なでするような嫌らしい音だ。そのオーディオスイッチを切ると、今度はエンジンコントロールパネルを触り始めた。
「何か手伝い、要る?」
「んや、大体は覚えてるからゆっくりしてくれや」
油圧のスイッチを入れた後、足の間に生えるスティックをぐるぐるとまわしたり、ペダルを交互に踏み込んで動翼のチェック。機外の警告灯を灯した後、体の横にあるコレクティブレバーを少しだけ捻ってスロットルを開く。
そこまで行ってから、やっと待望のエンジンスタートだ。スタートスイッチを押し込むと、聞き慣れた高音と共にローターが回転を始めた。断続的な回転音が周囲に響く。
こうして見ていると、大体の手順は戦闘機と似ているように思えるが、イロコイに関してはスイッチ類が少ないのでシンプルな様に思える。やはり、兵器関連のコントロールが殆ど無い為だろうか。
「回転は……大丈夫だな。計器類リセット、外部電源カットオーケー。それじゃ、出発するぜ。フェザー2、離陸許可を願う」
『こちらサリラタワー。離陸を許可します、行ってらっしゃい』
その言葉と同時にコレクティブレバーを最大まで捻ると、やや低音を伴っていたローターの回転音が一気に聞き慣れたヘリコプターの音へと変化した。そのまま彼はレバーを引き、私達は強い浮遊感を感じながら空へと飛び立ったのだった。
四角いヘリパッドがぐんぐんと離れていく。あまりヘリコプターへの搭乗経験の無い私は、ついついその様子が珍しく感じてしまって下ばかりを見ていた。
子供の様にはしゃぐ内心を押さえていると、誰かが私の肩を叩く。エイリだ。
ローターの騒音に負けないように、彼女は声を張り上げる。
「ねえ、やっぱ男の人のこういう姿ってカッコいいよね!」
「わたしも、そう思います! なんだか、普段見れないから新鮮ですね!」
ナオまでそれに合わせて、そんな事を言い始めた。
確かにこれがヒューだったら、誰だって否定が出来ない程に絵になるだろうが……。
「でも、ジャックよ? 今のプラス分を入れて、やっとスタートラインに立ててるんじゃない?」
室内に入ってくる風に暴れる髪の毛を掻き上げながらそう言うと、
「ナオちゃん、知ってる? フィオは、嘘付く時って必ず髪を触るの」
「あ、やっぱりそうですか!? そんな気はしてたんですよ!」
おいこら、適当な事を言うんじゃない。
「なんかそっちは楽しそうだな、お兄さんも混ぜてくれよ! ……ふげっ!」
前席のおっさんがこちらに振り向いて喋るので「余所見をするな!」と言い放ち、持っていたM4のストックでその顔を押し込んだ。
周囲の景色は、平原を抜けて山岳地帯へと入り始める。
「高度を上げてくぞ」
左手でコレクティブレバーを引きながら、若干の前傾姿勢を保つ様に動く彼の右手。頻繁に微調整を入れながら、一定の所でトリム調整。安定した動きで、私達の乗る機体はその山肌を舐める様に駆け抜けていく。
視界の上方に、山の頂が見え始める。それを一思いに乗り越えると、開けた視界には更に大きな山の裾野が広がっていた。
前大戦の決戦の地、スポンリオ山。
「こうして低い所から見ると、やっぱでけえな」
「今まで、もっと高い所から見てましたもんね……」
私も、2人と同じ感想を持っていた。深い緑に包まれる麓。そこから天を刺す様に延びる、茶色の頂。私達を圧倒するような、自然の産物。無神論者の私でも、昔の人達が山には神が住むと言うのに今なら賛同出来る気分だった。
「さて、そろそろ今回の本題だ! ナオ、確かあの辺だったよな?」
ジャックがそう言って指を指したのは、麓の町から延びる峠道に沿って存在する大きな谷だった。いや、峠道が谷に沿って出来たのが本来か。
「そうですね、合ってると思います!」
「私にも、この谷に沿って進入した記憶があるわ」
「よっしゃ、それじゃ近くの降りられる場所は……」
ヘリに搭乗する全員が、窓から下を見下ろした。
「あの峠道に、なんか開けてる場所があるよ!」
「流石スナイパー、目が良いな! それじゃエイリの言った所に降りるぜ」
「えへー」
おい、そこ。デレるな。
ジャックの言葉は、額面通りの意味では無い。身体能力に補正の掛かるこのゲームにおいて、プレイヤー間で視力の優劣は無い。ほんの少しの変化を見つけられる、そういったプレイヤースキルを指して私達は"目が良い"という表現を使うのだ。
イロコイが高度を下げ始める。
「ヘリってなぁ、浮かすのは簡単なんだよな……」
そう言うジャックの顔は、真剣そのものだった。五感をフルに使って操作を行うヘリコプターの操縦で、一番難しいのは着陸だ。高高度から早く機体を降ろしたいという気持ちが先走れば、ローターは簡単に悲鳴を上げてしまう。
適した降下速度を保ちながら、彼は徐々にコレクティブレバーを下げて揚力を減らしていく。それと共にスティックを手前に引いてフレアを掛けながら、同時に速度も殺していく。そうした複数の異なる操作を行いながらでないと、機体は言う事を聞いてくれない。
偉そうに思っている私も、VRゲームではまだヘリコプターの操縦はした事が無い。ここまではPCのフラシムでの知識だ。
お金に余裕がある時に、機体を買っても良いかもしれない、等と思っていると、着陸シークエンスは最終段階に入っていた。
ローターが産み出した風圧が、砂塵を巻き上げ始める。左右に若干振られながらも更に機体は高度を下げると、
「悪い、ちょっと揺れるぞ」
という声と共に、勢いよく機体は降下した。
数回のバウンドの後、体に感じていた浮遊感は息を潜める。それと同時に沸き上がる安心感。飛行機に乗っている時より、何故かそれを強く感じるのもヘリコプターだからだろうか。
スロットルを下げられ、ローターの風切り音が段々と落ち着いた物になってくる。そしてエンジンが止められ、響くのはその回転音だけになると、
「いやー、上手く行ってよかったぜ。ん、お前ら何遊んでんの?」
と、こちらに振り向いたジャックから呑気な言葉が飛んできたのだが。
「0点」
「0点だね」
「0点ですね」
荷室でツイスターゲームの様になった私達女性陣は、口を揃えて彼へと言い放った。