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第1話 アップデート


 上空30,000ft、速度600kt。

 外の気温は何度だろう。いくら断熱圧縮が起きると言っても高度が高度なので、コクピットは凍えるほど寒い。

 下には綿飴を敷き詰めた雲海が広がり、上には群青色の絵の具を塗りたくったキャンバスが広がっている。


 ヘッドオン。


 正面には高速で迫り来る機体。一瞬で自機の右側を通過したそれを追って、操縦桿を右へと強く傾ける。

 敵機は自機と同じ、グリペン。


 ミサイルアラート。


 まだ正面へ捉えていない相手を追って視界を動かす。頭上に見える白煙。ヘルメットマウントディスプレイに映ったロックマーカーが、白煙の先端を捉えた。


 FOX2。


 甲高いビープ音を聞きながら兵装をリリース。マーカーへと急旋回をして向かう、自機のミサイル。

 フレアを撒きながら必死に操縦桿を引く。HUDは9Gを表示、意識が刈り取られかける。


 直後、体を襲う衝撃と金属音。1回、2回、3回。


 そして4回目の衝撃で……。


「いったぁー……」


 私はベッドから落ちたのだと言う事を認識した。




『……それでは次のニュースです。本日未明、トルコとギリシャの国境に位置するケシャンにて大規模な武力衝突が発生しました』


 スーツを着込んだアナウンサーが、遠い国での出来事を報道する。戦争を題材にしたゲームをやっているだけにこういうニュースには敏感になってしまうが、だからといって私はそれに対して感傷を抱くという事はあまり無い。この国でも領土問題は少なからず存在しているが、有権者でもない学生の私が出来る事なんて無いし。


『……ギリシャ国内は今、政情不安定ですからね。数年前の経済問題を発端として、過激派が勢力を強めていました。今回の選挙によってその過激派の実質的なリーダーが政権を取った事で、キプロスの帰属問題を端に……』


 私は「ふーん」と呟きながら、朝食のパンを口に入れる。テレビ画面には海外の記者が取ったであろう戦闘の静止画と、ちょび髭を生やした軍事専門家のおじさんが表示されていた。

 おー、F-16だ。かっこいい……対空戦闘装備かな?


「ほらフィオナ、早く食べないと遅れるわよ」


 テレビ画面を食い入るように見つめていたら、母からの警告射撃が飛んできた。エプロンに身を包んだ彼女は、その長い金髪を掻き上げて私の隣に座る。


「え、もうそんな時間?」


「そうよー。あなたったら、こういうニュースがあると時間を忘れるわよね。ほんと、お父さんに似てるんだから……」


 そう言われても困る。生まれてから1度も会った事の無い人だし……。

 ま、いいや。警告で済んでいる内にこの空域を出るとしよう。

 椅子の下に置いていた鞄を持ち、私は玄関へと向かった。


「それじゃ行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい」


 鞄にぶら下がる定期券を確認しながら、私は家を出た。


 一応、中学の時は真面目な生徒であった私。そのおかげで、今は家から数駅行った所にある進学校へと通っている。通学が楽で本当に良い。

 いつものように正門を潜り、下駄箱へ。ごく自然な風を装ってはいるが、頭の中には操縦桿を握った私がいるのだ。角を曲がる度に傾く頭と視界から旋回している気分になっていると言う事は、極一部の人間を除いては誰も知らないだろう。


「おはよー、フィオ!」


 教室に入ると、ブレザーに身を包んだ女子高生が私の首に後ろから抱き着いてきた。


「えり、おはよ……って、首締まってるから……ぐえ」


「んふふー、今日も飛行機ごっこっしてたでしょー。首、ころころ傾いて変だったよ」


 彼女は高校に入ってから出来た友人、英里。その"極一部"の人間だ。黒髪をポニーテールにしている彼女は、毎朝こうやって私にハグを求めてくる。

 このハグがまた曲者であり、最近はその強弱で彼女の考えている事が大体分かってきた。今日みたいに強い日は、大抵何か企んでいるに違いない。


「で、今度はなんなのよ?」


 先手を打ってそう尋ねると、


「夏休みさ、またテニス部の試合の応援に来てよー。うちの男子達、フィオがいると張り切るからさー」


 そんな事だろうと思った。

 そう、彼女の言葉にもある通り、もうすぐ学生の最大の特権である夏休みがやってくる。今週さえ乗り切れば、パラダイスが待っているのだ。


「……報酬は?」


「んー……、じゃあパフェ1おごりで」


「よし、任された!」


 そういってハグを解いた彼女とハイタッチをして、自分の席に着いた。鞄を机の横に置くと、顔馴染みの男子生徒から声が掛かる。

 彼もまぁ、極一部に入るだろう人間だ。


「おはよう」


「ん、おはよう」


 私の隣の男子生徒、聡とは旧知の仲である。まぁ、日常会話を交わす程度でしかないし、それ以上の物は何も無いのだが。


「なぁ、フィオナ。ミサイルってどう避ければいいんだ?」


 スカートを整えながら席に座る私に、そんな事を言ってくる聡。

 ひょんな事から身バレして以来、彼とはよくゲームの話をするようになった。以前に初期機体をいきなり落としたようで、それ以来彼は必死に金策をしていたのだが……。

 お金が貯まって本格的にやり出したのだろうか。


「RPGの次はミサイル? フレアとチャフを撒いて、八百万の神様に祈るのよ」


「羽根付きでもそうなのか?」


「ちょい待ち。それ恥ずかしいからやめて……」


「恥ずかしいのかよ。この間、散々持ち上げられてたじゃんか。お、先生来た」


 ざわついていた教室が静まりかえる。こうして、私の1日は始まった。

 1限目は英語か……はぁ。




 初めて参戦した大規模戦。その結果として私はプレイヤー達からの名声を得て、1人の仲間を失った。最期に見たその姿は、私の上を覆い被さるようにして飛んでいったJAS39 グリペン。


 教室、窓際の席に座りながら外を見ると、戦闘機が轟音を奏でながら飛行機雲を引いているのが見える。この音はスーパーホーネットだろうか。


「それじゃここのイディオムの意味を……そうだな、岩井。訳して見ろ」


「……」


 ベルがもしホーネットだったら、どんな戦いになっていたんだろうかとふと考える。

 スーパーの方だったら最強だろうなぁ。搭載量が多いから。


「おい、岩井。聞こえているのか?」


「……フィオナ。お前、当てられてるぞ」


 隣の聡が、私の肩をシャープペンで突っついてくる。その言葉で教壇へと視線を向けて、初めて自分の置かれている現状を把握した。

 ……やばい、全く聞いていなかった。


「ぱ、ぱーどぅん?」


「そういう単語だけは詳しいのな、お前は……だが、発音が完全にカタカナ英語だぞ?」


 先生の言葉に教室がどっと笑いに包まれる。

 それは見た目の割に英語が苦手な私の自虐ギャグとしてまた1つ、クラスメイト達に記憶されたのだった。




 ***




 放課後、そそくさと帰り支度をして教室を出る。英里から「パフェの前払い、今日どーよ?」と言う魅力的な提案はあったものの、今日だけは都合が悪いのだ。丁重に断りを入れて、代わりに夏休みのどこかで遊びに行く事を約束した。


 帰りの電車の退屈な時間を乗り越えて家に着いた私は、玄関から自室へと直行。母はどうせ仕事で夜遅くになるので、今は何をやっても問題無い時間だ。

 制服を脱ぎ捨てて部屋着に着替えると、PCの電源をオン。地平線と蒼い空をあしらったアイコンをクリックして、ログイン用画面を表示させる。そのウィンドウの下部では、ダウンロード状況を表すバーが動いていた。


 そう、今日はLazward onlineのメジャーアップデートが行われるのだ。


 ダウンロードをしているその間に公式サイトを覗く。サーバーの稼働状況から、メンテナンスは既に終わっているようだ。

 これなら、クライアントの更新が終わればすぐに遊び始める事が出来るだろう。


 だが、そのダウンロードにはまだ少し時間が掛かるようだった。


 仕方がないので、父の書斎に行って旧式のPCを起動させる。

 日課にしている、古いフライトシミュレーターのプレイ。毎週出される謎の課題のクリアを目指して、私は現実世界のジョイスティックを握った。


 母子家庭である我が家の教育方針は、改めて考えるとかなりおかしい

 小さい頃の話だ。父の部屋にこっそり忍び込んでフライトシミュレーターで遊んでいる事がバレた時、私は母から怒られる事を覚悟して涙を浮かべた。しかしその予想は裏切られ、何故か頭を撫でられただけで済んだのだった。

 それ以来、私はゲームと言えばそればかりをやって過ごしてきた。

 そして1年と半年前の事、彼女はLazward onlineが同梱されたVRインターフェースを持って仕事から帰ってきた。友人からの貰い物であったらしい。

 それを嬉々としてプレイしようとした私に、彼女は言ったのだった。


「あなたにあげてもいいけど、条件があるわ」


 それが、今やっているフライトシミュレーターである。

 何をするのかと言うと、毎回訳の分からない状況に陥った機体を着陸させるという課題をクリアするのだ。その条件設定は彼女がやっているようであるのだが、その意図が全く読めない。

 きっと、娘を虐めるのが趣味なのだろう。


 V1、通過。V2も通過。そしてジョイスティックを引いて離陸させると、私の操る747型機は一瞬浮き上がってからすぐに地面と衝突した。

 突然、推力が全く無くなったのだ。

 もうエンジンポッドが全部落ちたとしか考えられないが、機外視点もリプレイも無いので検証しようがない。帰ってきたら文句を言ってやろう。

 因みに過去には、怪獣の出す光線を避けながら着陸させるという前科がある。彼女は私に、将来何になれと言っているのだろうか。


 溜息をつきながら自室へ戻ると、ディスプレイにはダウンロード完了というメッセージが表示されていた。

 私はすぐにVRインターフェースのUSB端子をPCへ繋ぎ、ゲーム開始までのカウントが開始されたのを確認してからベッドへ横たわったのだった。




 ***




「お、来たな」


「こんにちはーっ」


 アニハへと現れた私を、仲間の2人が出迎えた。ジャックは相変わらずアバターに生やした無精髭を撫でており、ナオはその場でぴょんと飛びながらこちらに手を振る。

 雲1つ無い青空に、潮風が心地良い。彼女の短いが綺麗な黒髪は、その風に煽られてふわふわと踊っていた。


「今日は現実もこっちもいい天気ね」


「ですねー、この間まで雨ばっかりでしたからね。今日は何やります?」


「早くグリペンを買い直したい所ではあるんだけど……」


 大規模戦、所謂ファクションウォーの報酬も入っている。まだ金額を確認してはいないが、もしかしたらすぐにでも買えるのかもしれない。

 そう思ってインベントリを開くと、


「あれ?」


 見慣れない機体の名前がそこにはあった。トゥンナン?


「あれ、なんだろこの機体」


 私と同じ疑問を持ったナオも首を傾げている。

 そんな私達の肩を抱えて、ジャックが言った。おっさん、セクハラだぞ。触るな。


「それよりよ、アップデートだろ大事なのは! その反応からするとお前等、パッチノート読んでないな?」


 そういえば例の課題にかまけてて忘れてた。この様子だと、相当大きな修正が入っていそうだ。


「全く読んでないわね……」


「よし、説明しちゃる。まず機体な? 価格修正が入った事と大規模戦の集結に伴って全員の所持機体がリセットされ、初期機体が配られているらしい」


 うわぁ。前回の戦いで資産を温存した人、涙目じゃないか……。

 ジャックの説明によると、所持していた機体は全てVer2.0以前の金額に換算されて所持金枠へ入っているとの事だ。しかし全般的に機体の金額が引き上げられた為、実質的には損になっているという話だった。

 また、その適用範囲は空と海を初期の戦場として選んだ人だけらしい。つまり、初期に海を選んだ人で今は陸戦メインで戦ってる人が、一番得をしたという事だ。微々たる得ではあるのだが。


「機体のアンロック関係はそのままみたいだな。後、ミッションが追加されてる。これの稼ぎが良いようで、基地に引きこもってる奴もいるな」


「なんで引きこもるの?」


「発生条件がランダムで、基地に居る時じゃないと受けられないんだ。だが、成功すれば前の機体ぐらいポンと買い戻せるって話だな」


 なるほど。しかし情報が早い。きっと、廃人組はもう検証作業に入っているんだろうなぁ。

 とはいっても、ずっと基地に引きこもっているのも性に合わない。


「2人が良いなら、私はやりたい事があるんだけど」


「なんだ?」

「なんです?」


「ベルを探しに行かない?」


 その言葉に、ジャックとナオの目は大きく開かれた。


 前回の大規模戦、最後の戦い。低空進入の為に速度を落とした私を庇って被弾した僚機。彼なのか彼女なのかわからないが、そのAI機は確かに私達の大事な仲間の1人だった。

 所持品枠に空いた空欄。インベントリからその名前が消えてからそれ程の時間は経っていないが、常に1枠を占拠していたその存在感は私の想像以上に大きいものだったようだ。


「賛成です! それにしましょう!」


「俺もいいぜ。でも、何か当てはあるのか? 再取得を目指すのか、それとも……」


 当ては確かに無い。しかし、前回の大規模戦、ファクションウォーでの武器の残骸は未だにMAP上に残っている。もし、フライトレコーダーやブラックボックスみたいな物を回収出来れば……。


「……何かあるかも、って訳か」


「そう。でも、そうなると当分は陸路を行く事になるわね」


「今は休戦期間でPKの心配はあまり無いだろうから、一旦サリラ空港まで飛ぶか。そこから徒歩でスポンリオまで向かえばいい。みんな、アップデートの方に夢中だからな」


 そう言って、ジャックは自分の機体を出した。


「それは?」


「ほぉ……これはF-86 セイバーだな。朝鮮戦争の頃の機体だ。こんなの、博物館でしか見た事ねぇぜ……」


 樽というか、葉巻というか、そんな形の胴体に羽根が生えている。普段見慣れた物とは全く形が違う事に戸惑いを覚えた。

 その様子を見たナオも同様に、自分の機体を出す。


「うへぇ、そっちはカットラスか。大変だな……」


 デルタ翼の機体が、彼女の横に出現する。しかし今のデルタ翼機とは違う特徴を持った機体だった。

 後退角の付いた主翼、その真ん中には垂直尾翼がそれぞれ1つずつそびえ立っている。まるで、古いSF映画に出てくる宇宙用の戦闘機の様だ。


「へ? どういう事ですか?」


「直線番長で、低速での安定性は最悪だって聞くな。俗に言われる未亡人製造機って奴だ。3年しか使われていないし、事故ばっかりだしで……」


 あ、ナオ泣きそう。


「ま、まぁ着艦する訳じゃないから、なんとかなるんじゃないか……」


 慌ててジャックがフォローを入れる。

 が、時既に遅し。


「ジャックさん、交換して下さい!」


「え、えぇー。マジで……」


 そう言ってナオは無理矢理ジャックの手を動かして、メニューのトレードボタンを押させた。

 こやつめ……やりおる。


「今日日の女子高生は、ホントひでぇぜ……」


 さて、私も機体を出すとしよう。彼ら同様にメニューを触ると、自分にランダムで割り当てられた機体が出現した。

 これも、ジャックのセイバーと同時期の機体のようだが。


「なんだこれ、トゥンナン? どこの機体だ?」


「これもサーブの物らしいわ。サーブ29って書いてある」


 グリペンのご先祖様と言った所だろうか。セイバー同様、機首に空気取り入れ口があるが、こちらの方が胴体が寸詰まりに見える。排気口はセイバーのように胴体を貫いた物ではなく、ファントムⅡに似た形だ。

 機体説明を読むと、トゥンナンとは樽という意味らしい。

 確かに樽だ。丸っこい胴体がちょっと可愛い。


「どれ、それじゃ折角だしこの機体でサリラへと向かうか! ほらほら、乗った乗った!」


 ジャックのその掛け声で、私達は見慣れないコクピットへと乗り込んだ。




第二部、開始です。

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