第48話 ファーストアタック2
完璧なタイミングの筈だった。
コブラと言われる機動は、その場で急激に機首を引き起こし、同じ高度を保ったまま何事もなかったかのように復帰する曲技飛行の演目である。一般的には空戦機動には扱われない、ただの見世物だ。
しかしそれは無理な姿勢による急減速を伴う為、敵に背後へ付かれた時には効果的な場合もある。先程はそれが狙いで、敵はまんまとそれに引っかかった。
そこから推力偏向ノズルの力を借りて、無理やりに機首を敵へと向けてミサイルを放つ。普通なら、そこで俺の勝ちだ。
だが向こうはそれが分かっていたかの様に、ワンテンポ早い高G旋回によってそれを回避した。
そして、いつの間にか減っている味方の機影。4機の僚機と数機の味方機を残し、後はあのデルタ翼の軽戦闘機だけが我が物顔で空を舞う。
味方と敵の数の均衡は崩れているが、それは敵の部隊が補給に戻っているからであり、あちらの戦力を減らせた訳では無い。むしろ数が勝っているこちらと、敵の4機との間に戦力差が無い事が問題だ。
そうしている間にも、戦況は転がっていく。
「くそっ、また1機が喰われた!」
敵は2機ずつに分かれて飛ぶ様になり、それと同時に1機の味方機が爆散した。
こんな敵は、今まで見た事が無い。
……いや、1回だけ見た事がある。一騎打ちの模擬戦で、圧倒的な機動を見せたあの機体。
「まさか……フェザー隊か!」
『間違いないだろう。サラマンダー2、一旦引け! こちらもエシュロンを組むぞ!』
「了解!」
『3、4は今追いかけている2機をそのまま追撃。いいか、絶対に油断するな。相手は羽根付きだ』
『『了解!』』
矢継ぎ早に隊長からの指示が飛び、それに全員がすぐさま答える。
だが敵は、そう簡単にこちらの有利なポジションは与えてくれない。何とか1機のグリペンの背後を取ってはいるが、シザースの角度から判断してもう数回で振り切られる可能性がある。
そこに、更に新たな敵機が割り込んできた。その機体は迂闊に手を出した味方機を喰い散らかしながら、こちらの機動に合わせて動く。
「後ろに付かれた、またグリペンか!?」
『俺がそいつの後ろを取る!』
バックミラーに、映るグリペン。そこに隊長の機体が入り込んできた。ミラー内の敵機は、隊長から逃れるように旋回。そこから今まで飛んできていた機銃照準用のレーダー波が無くなり、RWSが大人しくなる。
『くそ、手強い! 』
『なんなんだ、こいつの動きは!』
背後からのプレッシャーが無くなった事でいくらか気持ちが楽になるが、楽になったのは気持ちだけではない。シザース中に射線を回避する動きを挟まなくて良くなった事で動きの効率が上がり、じわじわと前方の敵機との距離が近付いてきたのだ。
『……捉えた! ミサイルをっ!』
『バカ、最小交戦距離を考えろ! フレームアウトするぞ!』
『くそっ!』
ラダーペダルを目一杯に踏み込み機首の向きを修正すると、機銃の予測射撃位置を示すピパー内にグリペンを捉えた。
Gで血液が失われた暗い視界を無視するように、同時に操縦桿のトリガーを引き絞る。機首のGSh-30-1が吼え、数発の30mm弾が発射された。1発でも当たれば機体に大穴が開くはずだ。
しかし、前方の敵機はそれを見切っていたかのようにロール。逆方向へのロールを開始する。
くっそ。こいつ、後ろに目が付いてんのか?
『マズい、4! ミサイル、ブレイクしろ! ブレイクだ!』
『クッ…………ソォォォオ!』
『消火しろ、ダイブだ!』
『……すまん、無理だ。尾翼が吹き飛んで引き起こせない』
『コノヤロォォオ!』
『サラマンダー3、待て! こっちへ合流しろ!』
通信の様子を流し聞くに、4がやられたようだ。このままでは、3まで落とされてしまう。それを受けての隊長の指示だろう。
「隊長、向こうの援護に! その方が早く合流出来る」
そう進言しながらも、敵機の追跡は続けている。HUD内へ入る度に、敵機は方向を変えて左右へと旋回。
『いや、ここで一旦退こう。残弾が少ない、これ以上の戦線維持は無理だ』
「もう少しで捉えられそうなんだ! やらせてくれ!」
再度、HUD内に敵影が入り込む。そう、後少しでもう1度敵機を射程内に納める事が出来そうな気がしているのだ。
少し間を置いて、隊長が質問を投げる。
『……3はどうしたい?』
『そりゃ、答えは1つだ。このまま引き下がれるか!』
彼の言葉には、言うまでも無いという強い意志が籠もっていた。
無論、それは俺だって同じだ。
『お前ら、自分が冷静じゃないって分かっているな?』
「こんな時に冷静でいられるのは、あんたぐらいだぜ」
『違いねえ』
昔の彼を知っているからこその言葉を投げる。
彼だって以前は冷静さを失っていた。だが彼はあの戦いを経て、羽根付きと再度相見えたこの時でさえ、隊長として冷静で居られる程になった。
『……よし、わかった。各機、残弾を報告』
『こっちはR-77残り1、IRは使っちまった。機銃が50だ』
「こっちも同じ。機銃だけ100弱ある」
乱戦時にIR、赤外線誘導の短射程ミサイルは使い切ってしまった。残っているのはアクティブレーダー誘導のR-77のみだ。
『こっちも同じだ。各機、ミサイルを投棄』
「捨てるのか?」
『ああ。お前達とこの機体なら、ガンキルぐらい余裕だろ?』
『言ってくれるねえ、隊長』
「人を何だと思ってんだ。まったく」
左翼下にまだ残っているミサイルを選択し、リリースボタンを押す。若干ではあるが、今まであった左右のロールスピードに差が無くなった。
『パワーも機動性もこっちの方が上だ、先に1機落とせば土俵は同じになる! 全機、自由戦闘!』
その言葉に「了解」と返すと同時に、アフターバーナーによる加速Gが体に襲いかかった。
***
『ベルちゃん、ナイス!』
ナオの声が聞こえると同時、背後のフランカーの機首が大きく動いたので反対方向へのロールに切り替える。
「みんな、残弾は!?」
『もうIRはねえ。ミーティアは初撃の1回しか使ってないから、残っちゃいるが……』
『こっちもです!』
【IRIS-T:empty.Meteor:1】
乱戦に入ってからと言うもの、ミーティアを使う機会が全く無かったのは皆同じか。
敵機に近付けば近付くほど、自機のレーダー範囲は狭くなる。視界の中心から少し目標がズレただけでロックが解除され、発射の機会を失ってしまう。
『どうするよ、フィー。ミサイルを捨てて身軽にするか?』
フランカー達は体勢を立て直す為なのか、その強大な出力でこちらを離しに来ている。そのまま離れてくれればミサイルの射程に捉える事が出来るのだが、それらはナオ達が追いかけていた2機の残りと合流するように、しかもこちらと付かず離れずの距離を上手く保っている。
「いえ、捨てないわ。このまま3機の懐へ飛び込みましょう」
決断した結果は、このまま飛ぶと言うこと。間違いなく、機動性は不利になる。カナード付きのフランカー相手なら、それは火を見るよりも明らかだ。加速は悪くなり、旋回半径は増える。相手がIRミサイルを持っているなら、一瞬でこちらが屑鉄へと変わってしまうだろう。
だが先程から何度もチャンスはあっただろうに、IRミサイルを発射する気配は無かった。きっと、残っているのは中距離のレーダー誘導だ。
数的有利もこちらにある。
「いい? 自分がターゲットにされてないと思ったら、一気に離脱を掛けて。離れる事が出来たら、ミーティアを」
『了解!』
『了解です!』
【Roger.】
そうしている間に、敵のフランカー達は合流。私達もなんとか合流が間に合った。
フランカー達との距離が見る見る内に近付いてくる。
そして再び、ドッグファイトが幕を開けた。
ヘッドオンで交差した後、旋回戦に持ち込もうとするフランカー。それに対し、私達は少しだけ間を置いて……。
「まだ……」
敵が食いつくのを待った。
【Rader detected,6 o'clock.】
「ブレイク開始!」
その指示に僚機達はすぐ反応を返し、背後のフランカーを振り切ろうと行動を始める。
他の3人が回避に入った事を確認してから、自分も旋回を開始。すると、予想外の事が起こった。
『フィー、そっちに2機行ったぞ!』
「作戦はそのまま、手の空いた2機で私の後ろのをお願い!」
背後、2方向からのレーダー波を知らせるRWR。後方へ顔を向けると1機は高度を取り、7時方向へと位置取っているのが確認出来た。
『俺が行く!』
『ベルちゃん、そのまま1機を引き付けておいてね! ジャックさん、わたしも行きます!』
【Consider it done.】
被せてきた1機から、距離を取るようにして右への旋回を開始。だが、アフターバーナーを入れっぱなしにも関わらず、背後の1機が距離を詰めてくる。
『ナオ、レーダーオン! 俺は右の奴を!』
『了解です!』
大きな機動をすると2人のレーダー範囲から外れてしまうので、なるべくスピードが落ちないような半径の大きい円を取らざるを得ない。
その事は敵にも優位に働き、1機が射撃体制に入ったのがミラー越しに見えた。
『間に合え、FOX3!』
『当たって!』
RWRから1方向の反応が消える。回避行動に入って、機首がこちらから逸れたのだろう。
だが、背後の1機だけはそのままこちらに向けて発砲を開始した。ミラーに曳航弾がいくつも映り始める。
そして、コクピットに軽い衝撃が伝わってきた。視界が右に傾く。
『っしゃ! やったぞ!』
『わたしもです! やった!』
2人のその報告を聞いて機体を水平にしようとしたが、機体が全く言う事を聞かなかった。そこをなんとかゆっくりとロールをさせて水平飛行に入る。
ジャックとナオが、機体を横に並べてきた。
「なんかやられたっぽい」
それに反応して、ジャックがコクピットから後ろを指さす。
『エレボンが吹っ飛んでるぞ』
エレボンとは、デルタ翼機の旋回を主に制御する動翼の事だ。カナードによる補正が入り、今は何とか浮いていられるという状態だろう。
「どうりで旋回が鈍い訳ね。それよりベルは?」
早くあれの援護に行かないと。残りは私の担いでいるミサイルしか無い筈だ。
『そうだな、すぐ向こうへ行くぜ』
『ベルちゃん、今行くね!』
「2人共、残弾がないでしょう。私が行かないと」
『そんな状態で来られても、足手まといだぜ』
『そうです、怪我人は休んでないと!』
そう言って旋回を始めようとするジャックとナオ。しかしそのすぐ後、横にもう1機のグリペンが並んできた。
MFDにメッセージが映る。
【I said,"Consider it done."】
ベルだった。その機体を眺めてみるが、特にダメージは受けていないようだ。
『……マジかよ、おっかねえ』
『ベルちゃんが敵じゃなくて本当に良かった……』
「ほんと、タイマン張らせたらヤバいわね……」
その機体に目を奪われていると、イーグルヘッドから増援の到着を知らせる通信が入ったのだった。
私達は一旦、この空域を離れる事にした。
***
着地と同時にパラシュートを切り離す。
よろけた姿勢を立て直してから空を見上げると、先程までの対戦相手達は4機揃って実に緩やかな旋回をしているのが分かった。木々の隙間から、その排気音が鳴り響く。
4番機がどうなったかは戦闘中だったので分からないが、他の2人に関しては上空でパラシュートを確認出来たので無事だろう。
その予想通り、暫くの後に俺達は合流する事が出来た。
「あーあ、手応えは合ったんだがなぁ」
「何かが剥がれていたから、何処かにはヒットしたんじゃないのか」
そう言う隊長。俺の後ろを飛んでいたとは言え、よく見てるもんだ。
しかしガンキルを余裕だと言っただけに、こっ恥ずかしい感覚が残る。
「じゃ一応、一矢報いたと言う事で」
そう俺が言うと、
「いいじゃねえか。俺なんて訳分からん内に後ろ取られて、ボンだ。あの動き、人間じゃねえよ……絶対、アレがフェザーの隊長だね。間違いない」
手を広げて、その時の機動を再現しながら愚痴る3番機。
「そりゃどうだろうな。2が追いかけてた方が隊長だと思うぞ? あの飛び方、きっとあれがあの娘に違いない」
「俺もそんな気がするなぁ」
「絶対俺の方だって!」
いい大人が3人、空を見上げて言い合いを始める。
暫くすると彼らの排気音は消え、それとは別の排気音が轟き始めた。敵側の本隊が戻ってきたのだろうか。
言い合いに疲れた俺達は、揃って手近な木の根元へと腰を下ろした。
「またやられちまったな」
「そうだな」
俺の呟きに、隊長が短く返す。彼は木の間を通り抜ける風を楽しむように、目を閉じていた。
「ま、どうせまたここに連中は来るだろ? そん時は絶対負けねえ!」
「「そう思っていた時が、私にもありました」」
3番機の言葉に、全く同じ返しをした隊長と目が合う。それが無性に可笑しく思えて、俺達は腹を抱えて転げまわった。
そうしてひとしきり笑い合ってから、少し間を置いて隊長が立ち上がる。
「よし、帰るか!」
「だな」
「オーケー、隊長殿」
俺達2人も同様に立ち上がり、彼の後を追いかけ始める。が、程無くして彼は立ち止まり、こちらを振り向いた。
「……なぁ、基地はどっちだ?」
知らねえよ。