閑話 フォーリングリーフ4
『こっちで状況は見とくから、叩き落としちまえ!』
ジャックが叫ぶ。
『了解じゃ!』
『頼んだ! こっちは疲労もあるし、フォッケウルフは持久戦が得意だ。短期決戦で行こう』
フォッケウルフ Fw190。
第二次世界大戦での、ドイツの主力戦闘機だ。
機体は頑丈で、操縦者に配慮された設計。エンジンは空冷も液冷もあり、ドイツお得意の電動パーツにより整備も簡単。
事情が違う他国の航空機と比較するのもナンセンスに思えるが、間違いなく良い機体だ。
それに対して、非武装の2機はどうやって立ち向かうのか。
『……音速で近くを飛んだら、衝撃波で落ちませんかね』
『わかんねえけど、FOX4されたら堪ったもんじゃないから勘弁してくれ。出来て、精々姿勢をぐらつかせるぐらいだろ』
頭をフル回転させて出してみた意見だが、あっさりと却下される奈央。
『まあ、2人に任せてみようぜ。動くのは何かあってからだ』
そん時は体当たりでも何でも許してやるよ、とジャックが言うので、渋々と彼女はそれに従う。
零戦とフォッケウルフは、まず正面から交錯。ヘッドオンでフォッケウルフは機銃を放つが、左下に零戦は急降下してそれを回避。
それに合わせてフォッケウルフも右旋回で追従する。その旋回を切っ掛けにして、2機のシザースが開始された。
まずは零戦が、機速の乗っていたフォッケウルフの背後をとる。
『へ、怖くも何ともねえぜ』
軽口を叩きながら、フォッケウルフは大回りな旋回を始めた。
やはり、いくら小回りが利いたところでエンジンパワーの差は絶対的だ。徐々に2機の距離は離れ始める。
『まずはゼロから頂くぜ!』
十分距離を取ったと判断したフォッケウルフは高G旋回を行い、零戦に正対。再びヘッドオンの状況を作り出し、機銃の斉射を行う。同時に零戦も発砲。
2機がすれ違い、いくつかのかけらが剥がれ落ちた。
『こなくそ!』
『おじいちゃん!』
奈央が悲痛な叫びを上げる。
『む、まずいわい。ラダーが逝ったようじゃ』
ラダーの破損。それは零戦が翼をもがれたという事だった。
零戦の操作は、殆どがラダーと操縦桿の複合動作によって行われる。もちろんエルロンとエレベーターでの旋回も出来るが、その2つだけでは効果的な空戦機動は出来ないのだ。
浅い角度でしか旋回出来なくなった零戦の背後に、Uターンを終えたフォッケウルフが近づく。
『じーさん、シックスオクロック! くるぞ!』
射程距離に収まっただけではまだフォッケウルフは撃たなかった。弾を無駄にしないように、自身の照準機いっぱいに零戦の影が収まるのを待っているのだ。
手元のエネルギーが少なくなり、既に打つ手が無くなった零戦は最期の時を待つ事しか許されない。
『……あばよ』
フォッケウルフの主が呟き、狼が獲物に牙を突き立てようとした、その瞬間。
『頭がお留守だぜ!』
オープン回線に響く叫び声。
それに対して反射的に上を見上げるフォッケウルフのパイロット。だが、今の時刻は正午近くであり、
『くそ、目が!』
太陽を直に見てしまった目は、瞳孔を収縮させた。
眉をしかめて日差しを防いだその時、太陽の中心に6門の機銃を光らせる影があった。
そこから放たれたペイント弾が、フォッケウルフのコクピットに無数に着弾。だが、それ自体には破壊力なんて物は全く無い。
その衝撃と音に驚き、パイロットは俯く。
『驚かせやがって、このクソ野郎……っ!?』
罵り言葉を発しながら彼は気付いた。コクピット内が暗いままだったのだ。太陽光に奪われた視界が戻っていないのか。
そして頭を上げた時、彼は自らの現状に恐怖した。
『前が……見えねえ!!』
ペイント弾は、コクピットを覆うキャノピーに隙間無く着弾した。それは、彼から視界を奪ったという事だった。
この時代の航空機にILS、計器着陸装置なんて物は装備されていない。計器で行える事は落ちないようにまっすぐ飛ぶ事と、方角を決めることだけだ。おまけに、空戦中に自機の位置など把握する余裕はない。
今、彼に許される事はどこに落ちるか分からない恐怖、燃料が減っていく恐怖と戦いながら、避けられない墜落を待つ事だけになってしまった。
『ふざけんなあああ!』
キャノピーをこじ開けようとするが、粘着性のペイントがそれを邪魔する。
恐怖、怒り、悔しさでフォッケウルフは機銃を乱射した。それは数秒の後に途絶え、その様はまるで断末魔の叫びの様だった。
フォッケウルフの射線から離れていく零戦。そこにヘルキャットとファントムが合流した。
しばらくしてバーティゴ――空間識失調――に陥ったフォッケウルフは、垂直に錐揉みしながら墜落。機体は海水へと呑まれていく。
決着は付いた。
『囮にしたようで、申し訳ない』
ヘルキャットから謝罪の通信が入る。
『なぁに、こういうのは慣れとるて。良い一閃じゃったよ』
その声に、ヘルキャットのパイロットは胸を撫で下ろした。
『じーさん、基地まで飛べそうか?』
『余裕じゃよ。わしゃ片足が使えんでも、陸まで飛んで帰ったんじゃからな!』
大声で豪快に笑う三郎の声が、群青の空に響き渡った。
***
よたよたとした足取りで、零戦がランディングアプローチに入る。
『先に降ろさせて貰うぞい』
『どーぞどーぞ』
ジャックが答えると、滑走路に南から侵入するために零戦は右旋回を始めた。
奈央はまだ先程の緊張から、心拍数が上がりっぱなしであった。フォッケウルフが背後に付いた時なんて、見ていられずに顔を背けてしまった程だった。
だが、ヘルキャットの一撃でフォッケウルフを戦闘不能にした時は、別の理由で心拍数が上がったのである。あれは、奈央の目からしても本当に鮮やかな一撃だった。
最初からあれを狙っていたに違いない。きっと曾祖父とやり合うと決めた、その時からだ。
その大胆で、味方をも驚かせる判断と決断。それはどこか、奈央の憧れる人物を思い起こさせるような物であった。
零戦が着陸した。少しバウンドをしたが、問題なく機体は地面に落ち着いた。
『んじゃヘルキャットさんお先にどうぞ。いいよな、奈央』
『はい』
それは帰路で、奈央が初めて発した言葉であった。
着陸を終え、機体を仕舞い終えた4人がエプロンに集まる。大騒動の後に初めて、4人はお互いの顔を見やった。
誰からともなく、自然に笑みがこぼれていく。エプロン上で、4人はしばらく笑い合う。
その後4人はメニューを開き、フレンド登録を行った。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな。俺はグランツ。また、縁があったら一緒に飛びたいと思う」
「じゃのう」
「ああ、そうだな」
「そうですね」
お互いに固い握手をして、今日のフライトは終了となった。
もう夕飯の時間だ、これ以上のプレイはいくら三郎が居ようとまずい。怖い憲兵に怒られてしまう。
「それじゃ、奈央や。いこうか」
「うん、それじゃジャックさん、また後で!」
「おう、2人共またな」
別れを告げて、奈央と三郎はログアウトメニューを開く。
奈央がログアウトした後、三郎は少しだけグランツの方を見た。
あのヘルキャットのパイロットも、こうやって生きた証を残せた。それを知れた事が嬉しい。
そして思った。自身のこの傷跡こそも、彼の生きた証なのだと。
***
朝、6時。
通学までまだ時間があるが、早めに起きるのが奈央の日課だ。なぜなら、この時間にはもう三郎も起きているからである。
いつものように顔を洗い、髪をセット。家族と談笑しながら朝食を取る。
終わったらすぐに制服に着替えて、片道1時間の自転車通学だ。
「いってきまーす」
玄関を開けながら叫ぶ奈央。それを呼び止める声があった。
「今日も、夕方で良いから一緒に飛ばんかの?」
その問いかけに満面の笑みで奈央は答えた。
「うん!」
曾孫との繋がりがまた一つ増えた事が嬉しく、三郎にも自然と笑みがこぼれた。
「それじゃあ奈央、クリアードフォーテイクオフじゃ!」
「ラジャー!」
カタパルトで蹴飛ばされるようにして、奈央の乗る自転車は走り出した。