閑話 フォーリングリーフ2
「おじいちゃん、お疲れー」
風防を開けながら奈央が話しかけてくる。
「ここが目的地かの?」
「そだよー」
前席から身を乗り出す曾孫を横目に見ながら、機体に掛けられた梯子を降り、地上へ立つ。空から見た島は小さく見えたのだが、地上に降りればその一部である空港ですら巨大だ。
かまぼこ状の建造物の前にある舗装路を、機体や人がひっきりなしに行き交う。先ほどまで乗っていたファントムは車に引かれ、そのかまぼこの口へと収まっていった。
スオキ島周辺は、Lazward onlineにとっては特別な地域となっている。陸、海、空を問わず、この周辺では普段奈央が使っているような近代兵器は、使用が出来ない。正確に言うと、火器の使用が制限されるのである。
その代わりに、ここでしか売っていない物がある。第二次世界大戦で使用された兵器達だ。
ミリタリーマニアにはお馴染みであり、現存する物を見る事が滅多に出来ない彼らが、ここでの主役となる。人によってはここでしか戦わない人もいる程に、他の地域に負けないぐらいの活気がここにはあった。
今、奈央と三郎のいるこのエプロンにも、コルセアや烈風、ドーントレスといった、その筋の人が涎を流しそうな機体達がエンジンをアイドル状態にして駐機している。
「おおお……」
その光景に、三郎は心を震わせた。
当時、命を賭けて殺し合いを演じた機械達。それが一同に会するこの状況は、三郎にとってはある意味非現実的な光景であった。
「いい光景じゃ……」
つい漏らしたその呟きは、きっと心の底から溢れ出た物なのだろうと、横にいる奈央は思う。
「いいじいちゃんだな、すげー元気そうだ」
その声のする方向に奈央は振り向くと、見知った顔の男が立っていた。
「あ、ジャックさん」
奈央の所属するフェザー隊で2番機を務める男。
短い金髪に、相変わらずの無精髭だが、白人らしく高い背格好にオリーブドラブのツナギが良く似合う。
最初に会った時は、大人の男で更に外人という所で少し苦手意識を感じていた奈央だったが、今では良い遊び友達と彼女は思っていた。
「今日、フィーは?」
「メールしたんですけど、なんか補習があるから夜のログインだそうで……」
「テストで、名前でも書き忘れたんじゃねーの?」
「ははは……」
あまり否定出来ないかも知れない、と奈央は思う。
フィーと言うのはフェザー隊のリーダー、フィオナの事だ。ひょんな事から知り合った、奈央の命(ゲーム内)の恩人だ。奈央とほぼ同年代の少女であり、偶に奈央でも驚くボケをかます事がある。
ちなみに奈央の乗っているファントムも、そのボケの産物であった。
「ファントムの調子はどーよ?」
「おかげさまでばっちりです!」
「超苦労したんだぜ、それ」
奈央の乗ってきたファントムは空軍機であるのだが、部隊を空母に移す為にジャックが一肌脱いだという経緯がある。たった一日で主脚換装アイテムをドロップさせた苦労を思い出して、ジャックは遠い目をして空を仰いだ。
そんな仕草をするジャックが、奈央は少し微笑ましかった。
ファントムを奈央に譲って欲しい。フィオナからの申し出は本当に急な事だったのだが、それに対して出た言葉は「バーカ」の一言だけであり、それも全てが終わった後だったからだ。
その罵声はきっと、彼女をからかう為だけに後から取って付けたのだろう、と奈央は予想していた。
「奈央や、そちらの方は……?」
そう三郎に言われて、紹介がまだだった事を思い出す。
「こちら、わたしの友達のジャックさん。こっちはわたしの曾祖父、三郎おじいちゃん」
宜しくお願いします、と丁寧に手を差し出すジャックに、少し大人感を感じる奈央だった。
「おお、奈央のぼーいふれんどじゃな! ふつつかな曾孫ですが……」
「いやいや、そういうんじゃ無いですって!」
慌てて否定をするジャック。別に奈央は彼に恋愛感情を抱いてる訳では無いのだが、そうも否定されると何故か少しだけ悲しい。
「ゼロファイターを探しているんでしたっけ? 向こうのハンガーで探しましょうか」
そう言って、ジャックは三郎と談笑しながらハンガーへの案内を始めた。
***
「……で、そう。そこのボタンを押して下さい」
ジャックに促され、三郎はホロメニューにあるボタンを押す。すると、ハンガー内にグレーのレシプロ機が現れた。
海軍零式艦上戦闘機二一型。過去の大戦で活躍した機体が、当時の勇姿をそのままにして現れた。
その姿に奈央は目を丸くし、ジャックは「ほぅ」といった声を上げる。
初めて姿を見た二人に対して、三郎は郷愁のような物を覚えながら、機体に近づいていった。終戦をベッドの上で迎えた三郎が、共に命を燃やした機体。それがこの二一型だったからだ。
もちろん、これはゲーム内の仮想物であり、当時の戦友は今では魚と隠居しているのだろうが、それと同じ形の物を見て興奮しないはずがない。
「これ、動かしてみていいのかの?」
「勿論ですよ」
そうジャックが答えると、三郎は手慣れた動きで機体の各所をチェックし始める。彼の顔は実に嬉しそうに綻んでいるのだが、その目に光る物はまた別の意味を発していた。
その姿をとても自分の曾祖父だとは思えずに、再び奈央は目を丸くする。
曾祖父の武勇伝は小さい頃から何度も聞かされており、それを決して嘘であるなどとは思ってはいなかった。だが、こうやってその姿を見ると、奈央ははっきりと思い知らされた。
彼が、命のやりとりをした事がある人間だと言う事を。
「動かすから、近づくんじゃないぞー」
その言葉と共に、操縦席に乗り込む三郎。奈央とジャックはその場から一歩下がる。
三郎は、彼にとってはいつもの手慣れた手順で計器類を触り始める。
「ジャックさんって、これ手動で飛ばせます?」
「いんや、さっぱりわかんねーわ」
「ですよね」
三郎は操縦席から体を乗り出して、各操舵のチェックをしているようだ。エルロンやラダーがパタパタと動き始めた。
その開いた風防部分を凝視し、指さしながら、ジャックが続ける。
「見てみろよ、きっちり目線が計器に行ってるだろ。システムアシスト使ってたらもっとこう、体だけが動いてる様な不自然な動きになるんだ」
「つまり?」
「いや、何が言いたいのか俺もよく分からん」
は? と、口を開ける奈央。その様子を意に介さず、
「不思議なもんだよな。時代が違うとは言え、昔殺し合ってた人種が今はこうやって一緒に遊んでるんだ。三郎さんは、こういう時代を作ってくれた人、って事なんだよな」
「まぁ、それがまたこういう殺し合うゲームをやるってのも、皮肉だと思いますけど……」
「ちげぇねえ」
ははは、と二人が顔を合わせて笑っていたその時、突然エンジンの始動音がハンガーに響き渡った。
音の方向に二人は目をやると、いつの間にかエンジンカウル横にはNPC作業員が立っており、その手にはクランクがぶら下がっている。始動時に出た白煙は既に姿を消し掛かっており、プロペラが生み出す風圧と、普段嗅ぎ慣れない排気臭が二人を襲った。
「ちょっと行ってくるわい!!」
その声が聞こえてすぐ、急いでホロメニューを触り出すジャック。
「三郎さーん! メニュー出てますよねー! イエスを押してー!!」
そう叫んですぐの後、非戦闘時で基地内のみ使用が出来るパーティチャットに三郎の声が入ってきた。
「これでいいのかの?」
「オッケーです! これも基地を出たら使えなくなっちゃいますので、今の内に無線の周波数を。……よし、ここでいきましょう」
「了解じゃ、行ってくる!」
そう三郎は言うと、スロットルを開いた。奈央とジャックを襲う風圧は一段と強くなり、前傾姿勢を取らないと体制を崩されそうな程になっていた。
NPC作業員により輪留めが外され、ハンガーを出て行く零戦。残されたのは、その姿に手を振るジャックと、呆然とする奈央であった。
「おいナオ、ぼーっとしてんな! 俺らも行くぞ!」
「ふぁ、ふぁい!?」
「ほら、ファントム出せって」
そう促されて奈央は、広々としたハンガーにファントムを出現させる。
ジャックは奈央の背中をぽんと叩いて、コクピットへと彼女を促した。
「俺は後席に乗るから、操縦は任せた」
「りょ、了解です」
「ほんと、元気な爺様だな! 結構好きだぜ」
コクピットに上りながら振り向いて言うジャックに、自慢げに
「でしょ!」
と満面の笑みを浮かべる奈央だった。
***
初フライトを終えて、零戦がタキシングを終える。それに続いてファントムも着陸し、ハンガー前に機体を並べた。
先に地上に降り立っていた三郎に向かって、奈央は急いでコクピットから降りて駆け寄る。
「さぶろーおじーちゃん、すごい!」
三郎に勢いよく抱きつく奈央。タキシング待ちや、ハンガーで機体を触っている人達の目が二人に集まる。
「これ、落ち着きなさい」
彼はそれを、強化された身体能力で受け止める。現実ではもう出来ないスキンシップだ。
ゲームをやる前の奈央であったら、ここまで感情を爆発させることはなかっただろう。航空機の操縦を体感している今だからこそ、彼の凄さを彼女は理解出来ていた。
空の上で、三郎は一通りの空戦機動を試したのだ。
途中で彼から「奈央や、わしを追いかけてくれ」と言われ、彼女は素直にそれを実行した。
通常旋回から段々と角度を増して垂直ループ。その頂上で一旦水平にしてからのスプリットS、シャンデルへと角度を変えて、再び垂直のループを行ったところで、奈央は何故か三郎を見失った。
慌てて彼を捜す奈央に、無線で「ばーん」という声が入った時には、三郎はナオの後ろにぴったりと付けていたのだ。
その事を思い出しながら「いや、いい物を見させて貰いました」と告げるジャック。
「あれが有名な、左捻り込みってやつですか」
「じゃの」
「ナオもまだまだだな!」
しかし、後ろを取られたからと言って奈央が下手と言う事ではないとジャックは思っている。こうも巡航速度が違う機体で奈央は、三郎をエンジンパワーで追い越してしまわないように細かなスロットルコントロールをしていたからだ。
「ちょっと自信無くなりました……」
そう言うナオにジャックは、
「飛行機にゃ、自分の得意な速度域ってのがあるんだ。まあ、あのくらいだとファントムは失速寸前なんだから、しゃーないだろ」
と、フォローを入れる。
「そうじゃよ、相棒の飛びたいように操作してあげるのが、一番良いんじゃ」
そう言いながら、三郎はタイヤを撫で上げた。
「よし、それじゃちょっと向こうで休憩しましょうよ。俺、三郎さんの話をもっと聞きたいですよ」
「おお、やっとわかってくれる奴がおった! わしが一番興奮したのはな、こうラダーを……」
まるで親子のように親しげに話す2人は、そのまま基地のカフェへと消えていった。
「あ、ちょっ、機体……もー!」
取り残された奈央は、生まれて初めて男に対して嫉妬を覚えたのだった。
3人は翌日に再びLazward onlineにログインする約束をして、ログアウトをする。
そしてその日、事件は起こった。