閑話 フォーリングリーフ1
「……でな、わしは後ろを取られたんじゃ。だが、そんなことで慌てるわしではなかった! まだ勢いの残っている内にペダルを踏み込んで、必殺の」
既に米寿を迎えた一人の男が、興奮した様子で語る。聴衆に囲まれる中、片足に体重を掛けながら立つ彼は力強く拳を握り込む。
それに対して観客達は畳に胡座をかき、お茶を啜りながら口々に文句を言い始めた。
「ほーら始まったよ、佐々木さんの必殺技談義……」
「三郎さんも、もう何十年も前の事なのによく覚えてるもんじゃのう」
「……なーんじゃ、ここからが面白いところだと云うのに」
ここは同じ町内に住む老人達が、一日の半分以上を過ごす集会所。青年会に所属する人間からは「町営老人ホーム」などと揶揄されている場所である。その青年会に属する人達も老人へ片足を突っ込んでいるような、高齢化著しい町の片隅でのいつもの光景だ。
今日も暇を持て余した彼らは、お茶とお茶うけ片手に昔話に花を咲かせている。花咲か爺さんになっているのは、いつも決まった人間であるのだが。
すると、話を聞いていた人間の内の一人が言った。
「そんなに言うなら、いっちょやってみればいいんじゃないかね?」
「どういうことじゃ」
「なんだったかの。らずなんとかっていう今流行のぶいあーるげーむとかいうので、本物の飛行機に乗れるそうじゃないか。ボケ防止にも良いらしいの」
それは三郎にとって聞き覚えのある名前だった。数日前に聞いたはずだったのだが、それはどこでだったか。少し考える。
「そういえば、曾孫が最近そのゲームにのめり込んでおるらしくて、孫の嫁に怒られとったわ」
ゲームで友達が出来たと言っていたし、そういう事なら別に問題は無いのではないかと孫嫁の怒声を聞きながら三郎は思っていたのだったが、下手に口を出して「またそうやって甘やかして!」と怒られるのが嫌だったので、大人しく静観していた事を思い出す。
「どれ、曾孫も返ってくる時間だし、ちょいと聞いてみるとするかの。それでは、今日はこの辺で」
ちらりと左腕を見た後に、別れの挨拶をする三郎。
「おー、達者でな」
「新しい物に驚いて、ショック死すんじゃねーぞい。香典出す金なんて無いからの」
そんな老人達の洒落を流しつつ、杖を突きながら彼は集会所を後にした。
***
「ただいまー」
会合を終え帰宅。居間に腰を下ろしたと同時に、曾孫の帰ってきた声が聞こえた。
玄関で靴を脱ぐ曾孫に向かって、手招きをする。
「お帰り、奈央。ちょっとこっちへ来なさい」
「なーに? さぶろーおじいちゃん」
制服のまま居間に入ってきた奈央は、そのまま三郎の向かいに座り込んだ。
「お前、ぶいあーるゲームというのを確かやっておったの?」
「あー……ラズワルドオンラインの事かな?」
「そうそう、それじゃそれじゃ。あれ、わしにもやらせて貰えんかの?」
あ、そういう話かと奈央は思い、少し安堵した。この間、やり過ぎだと母親に言われた事があったので、その事を諭されるのかと思っていたからだ。
そこで、奈央は一つの悪巧みを思い付いた。
「いいけど、一つしか機械持ってないんだよねぇ……ねぇ、どうせやるんなら二人でやってみない? こう見えても、わたしだって飛行機をちゃんと飛ばせるようになったんだから!」
えっへんと胸を張る奈央。
曽祖父の口から出たそのゲームは、奈央のふとした興味から買ってみたゲームであった。最初はシューティングゲームなんて出来るのかと思いながらのプレイであったが、思いの外ハマってしまっているのが現状だ。
良い先生が見つかったから、という事が大きいのだろうかと彼女は考えていた。
「ほほう、それなら昔ならした腕を披露してみるかの。お金は出すから、わしのも買って来てくれんか。プロペラの飛行機があればいいのじゃが……まあ、じぇっとでもそんな変わらんじゃろ」
その言葉を聞いて、心の中でガッツポーズをする奈央。
これで次に親から怒られたとしても、曽祖父と一緒にやってるとなれば言い訳の一つにでもなると思ったからだった。
「それじゃ、明日買いに行ってくるね! 後、プロペラ機があるか調べてみる!」
笑顔で2階にある自室へ戻っていく奈央。曾孫と遊ぶ切っ掛けが出来た事で、三郎の口元も緩んでいた。
***
翌日、学校帰りに奈央はVRゲームの機器一式を購入。お金は朝、学校へ出かける前にこっそりと曽祖父が持たせてくれていた。
親に内緒で行うそれは、どこか彼女の心を弾ませるものであり、駆け足で帰宅した奈央はすぐさま曾祖父の部屋へと入っていった。
ちなみに3世帯住宅である。
「……でね、この機械を耳に付けて……後は目を閉じて、右耳側にある電源スイッチを押せばいいから」
ヘッドホンのような形をしている機械を三郎に装着しながら、奈央は使い方の説明をする。
「零戦とか、あったらいいのう」
「あ、それ調べたんだけど有るみたい! 値段もそんな高くないみたいだから、ゲームの中で合流したら探してみようよ」
「おお、ほんとか! そりゃあいいのぉ」
「それじゃ向こうで会おうね、おじいちゃん。わたしから連絡するから!」
そう言って奈央はパタパタと階段を登っていく。
その姿を見送りながら、三郎は先程説明を受けたように、目を瞑って右耳側首元のフレームにある電源ボタンを押し込んだ。
暗闇に文字だけが浮かび上がる。
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Initializing...
Boot stand by.
.
...
......OK
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すぐに視界が群青色に変わり始めると、目の前にメッセージが現れた。
【Lazward onlineへようこそ! これより初期設定を始めます。脳波、三半規管とのリンクを開始】
「最初の設定は言う通りにしてればいいから」という、曾孫の説明に従って画面を進めていく。人体の3Dモデルが浮かび上がり、説明文の通りに力を込めると、3Dモデルもそれに従って動作を行った。特に問題は無いようだ。
言われるがままに設定作業を進めていき、最後のアバター設定画面で初期の服装だけは少し悩んだ末に決定。
そうして設定の全項目が終わると、初期配置の選択画面が現れた。曾孫からの説明通りにタレク島という場所を選択する。
【それでは、ご武運を!】
そのメッセージが現れると、周囲の視界がフェードしていった。
体の感じる重力感が徐々に強くなっていき、それが現実感を伴った物になる頃には、三郎の目の前には空港の景色が広がっていた。
鮮やかな青空に対照的な、モノクロの人工建造物。目の前に広がる広大な滑走路。普段聞き慣れないジェットエンジンの甲高い騒音。燃料の匂い。
それらは全て例外無く三郎には非現実感を感じさせる要因であったが、その一番の要因はまた別の物だった。
「お……わしは、杖無しで立っておるのか……」
町内会の人間に「必殺技談義」等と茶化されていた、その過去の戦闘が残した傷跡。それは身体の老化と共に悪化し、三郎の体から自由を奪っていた。
だが、この世界では現実世界の障害は関係が無かった。しばらくは考えがまとまらずに混乱していた三郎であったが、再び己の足で自由に歩けるという実感に徐々に包まれていく。
なんと、良い世界なんだ。これは暫く離れられそうにない。そう彼は、突然得られた自由を噛みしめるように思っていた。
感動の余韻に浸っていると、聞き慣れた声が聞こえてくる。
『おじーちゃーん! さぶろーおじーちゃーん!』
「おお、奈央か。聞こえておるぞー」
『あ、よかったぁー。今ね、おじいちゃんのとこから少し離れたところにいるの。迎えに行くから、ちょっと待っててねー』
「はいよぉー」
そんなやり取りをした後に、周囲からクスクスという声が聞こえた。
む、何か間違っていたのだろうか。声が聞こえてきたから、それに向かってやまびこの様に叫んでいたのだが……。
少しばつが悪く思い、頭を掻きながら呟く。
「こりゃ失敬……」
***
「おじいちゃーん、お待たせー!」
十数分の後、奈央は文字通り"飛んで来た"。
これはファントムと言った飛行機だっただろうか。相当昔にニュースで見た気がする。
その前席から顔を出す彼女の姿に違和感を覚えた。初めて体に感じるジェット機の轟音にも、驚きを禁じ得ない。
「おおーぅ、こりゃ……すごいのぅ」
「でしょー? 借り物なんだけどねー。整備員さーん、こっちにハシゴお願いしまーす」
呼ばれたNPC整備員がファントムに駆け寄り、後席に梯子を掛ける。
「おじいちゃん、登れる?」
「おう、大丈夫じゃ」
「あ、その服なんかカッコいいね!」
大きなゴーグル。茶色の防寒飛行服。革手袋にブーツ。普段はステテコ姿の三郎しか見る事のなかった奈央には、それが新鮮に映った。
「ほほ、似合うじゃろう。わしの若い頃と同じような服があったでの」
未だ慣れない自由な体に少しの混乱を覚えつつも、三郎は梯子を登り切りファントムの後席へと体を埋めた。
「んー、まだ燃料は大丈夫かな。ここからね、ちょっと北に行った所にスオキ島っていう島があるんだけど、そこにプロペラ機乗りが集まってるんだって。で、そこなら零戦が売ってるらしいよ」
「そうかい。懐かしいのぉ、あれにまた乗れる日が来るなんてのぉ。わしはあれで何十機と……」
話を続ける三郎を意に介さず、奈央はタキシングを始めた。アイドル状態だったエンジンが少しだけ回転を上げる。
そのままゆっくりとエプロンから出た機体は誘導路を通り、滑走路の前で一旦停止。
「それじゃいくよー、しっかり捕まっててね! こちらフェザー3、離陸許可を願います」
『こちら管制室。進入中のトロール隊は上空待機。……フェザー3、クリアードフォーテイクオフ』
許可が出た為、奈央は機体を滑走路へと進めてから再度停止。
機体にブレーキが掛かった状態のまま、アフターバーナーが点火される。すぐさまブレーキが解除され、暴力的な加速が二人を包み込んだ。
奈央にとって、今では日常となった加速Gも、三郎の体には新しい刺激となって襲い掛かる。
「お、おおおお!!」
「凄いでしょー、速いでしょー」
地面を離れるのに十分な速度を得た機体は、パイロットに命じられるままに上昇を始める。
ギアアップ。フラップ格納。
だんだんと地面が離れていき、巡航する為の高度を得た所で奈央は水平飛行に移った。
「ふいー、こりゃすっごいの……老人には堪えるわぃ」
「大丈夫だよー、リアルの心臓には負担とか無いって話だし。でもこのゲーム、撃たれたりすると本当に痛いらしいから気を付けてね」
「奈央や、そういう事はもうちょっと早めに言って貰えると助かるの」
「……ごめーん」
ふう、と大きく溜め息をついた所で落ち着きを取り戻した三郎は、外を眺めてから再度大きな溜め息をつく事になった。
「おおぉ……」
目の前に広がる大海原。眼下に点在する島々。蒼穹の青空。
その一つ一つが懐かしく、忘れる事の出来ない思い出を蘇らせる。
過去にあった、世界を巻き込んだ大戦争。そこで三郎は、本物の命のやり取りを行った。
多くの人間をこの手で殺め、多くの人間が周りから姿を消していった日々。当時を過ごした人間としては時代の流れに翻弄されるしか無く、その後に残った物は虚しさだけだった。
あの時代を過ごしたのが、息子や孫、曾孫ではなくて自分だけであると言う事が、唯一の救いであるように今では思う。
三郎は足の負傷により戦線を離脱し、そのまま終戦を迎える事となった。病院のベッドの上でその報を聞き、戦友を置いて自分だけが生き残っているという無力感や罪悪感に苛まれた事もあった。
だが、それも全て過去の事であると彼は割り切る事が出来た。持ち前の陽気さもあったが、一番大きな物は妻の存在であった。
もう十年も前に死別してしまったが、彼女の残してくれた財産が今も三郎の原動力だ。前席で操縦桿を握っている彼女も、その一つである。
「あ、おじいちゃん。見えてきたよ」
2時間半の飛行の後、ファントムは着陸の為に高度を下げ始めた。
眼下には、小さなスオキ島が大海原に浮かんでいた。