第14話 罠
墜落の翌日、マリーがいつもログインしてくる時間を待ってから私もログインをした。活動時間を合わせる事で、スムーズな救出が出来るだろうと考えたためだった。
ログイン後の風景は、昨日の暗闇からうって変わって美しい夕焼けに包まれていた。
だが、もうすぐ昨日と同じ闇が訪れるだろう。手早く地図とコンパスを広げて、再度現在位置を確認する。やはり、昨日想像した通りのようだ。
周囲を見渡すと、ここは少し開けた場所であるようだった。昨日は良く分からなかったが、右手側200m程の所にちょっとした林が見える。ここで待つならば、開けた場所で立っているよりは、木々の間に身を隠していた方が良いだろう。
念の為に、拳銃のチャンバーへ初弾を送る。手を前に突き出してスライドを引こうとしたその時……。
重い残響音と共に、右手に激痛が走った。
驚き、目を見開く。手にしていた筈の拳銃は吹き飛んでおり、視界にある右手には人差し指と中指が見当たらなかった。その欠損断面箇所はそこまでリアルな表現は行われておらず、ポリゴンモデルにノイズが走っているだけだったが、それが痛みの原因であることは明白であった。グローブには血液のパーティクルが貼り付いている。
そして同じ音が再度響き渡り、今度は右足太腿に激痛が走る。そのままバランスを崩して、右半身から地面に倒れ込んだ。
視界の右半分に雑草が生い茂る。
右半身が全て心臓になったかのように、ドクドクと脈打つ。
痛い。全ての感覚が痛い。アバターの状況から計算された痛みの信号が、擬似的とはいえ脳に盛大に送られてくる。
食い縛った奥歯が音を立て始めた。
左肩に硬い感触が触れ、そのまま仰向けにさせられた。その寸前に見えたものから、足で蹴飛ばされたのだと悟る。
視界に、一人の男が映った。全身が緑の毛で覆われているように見える。背中には樹脂製ストックのついたスナイパーライフルを背負っており、手にはサイドアームと思われる拳銃。
「よう、待ってた甲斐があったよ」
「……ご苦労様。たった1キルの為に、何時間使ったのかしらね」
痛みを堪えて、精一杯の皮肉を飛ばす。
「いや、殺しはしないよ。殺したら、こっちの目的が果たせなくなっちまう」
心臓の鼓動と共に襲う痛みに呻き声を上げそうになってしまうが、すんでの所で堪えることが出来た。
まだ、この状況で相手に主導権を与えたくはない。
「素直にこちらの言うことに従えば、楽にしてやるよ」
「……それは、殺してくれるって事かしら」
「いや、文字通りさ。手当してやるって事だよ」
何かが落ちる音が聞こえる。その方向に目を向けると、そこには体力回復用の救急キットがあった。空戦メインの私が見る機会は滅多に無いのだが、それはソフトに同梱されている説明用ファイルで見た事のある物だった。
「では質問だ。ここへ飛んできた目的は偵察だろ。て事は、近い内にここへ来る予定があるってことだ。それはいつだ? 侵攻部隊の規模は?」
「……偵察かどうか、そこから確認するべきじゃないの?」
「んー、それはもう分かりきってるからな。お前の機体の残骸に武器が無くて、偵察ポッドだけが付いていた事から考えれば明白だよ」
「……凄いわね、もう調べたんだ。でも、武器は墜落の時に誘爆したのかも」
「んんー、答える気がないのかな?」
そう言うと乾いた破裂音が響き渡り、右肩に激痛が走った。
「っあア!!」
痛みに耐えられず、声を上げてしまう。
「無理しない方がいいよ? セーフティがあるとはいえ、我慢し過ぎるとリアルにどんな影響が出るかわかんないからね」
そう言いながら男は更に2回、引き金を引いた。今度は左肩と左太腿に痛みが走る。四肢の動きを封じられ、何もすることが出来なくなった。
無駄に意識があるのが面倒だ。痛み、もしくは出血でさっさと意識が飛んでくれれば、VR機器側のセーフティが働いて現実へ戻れるはずなのに。
まさか、情報を引き出すためにここまでの事をする奴がいるなんて、思いもしていなかった。いっそこれがセクハラ行為であったなら、まだ対処は楽なのに。
「……言う訳……ないでしょ」
「んー、強情だねえ。そういう子にはお仕置きだ」
再度放たれた銃弾は、右の肺を貫いた。
「ぐぼっ……ぁひゅっ」
気道に溜まった血で息が出来ず、咽る。口から温かい物が流れ出す感覚だけが、妙に鮮やかに感じられる。
早く……このまま意識よ、飛んでくれ。
狭まる視界にそんな希望を抱くが、今度は一瞬で全ての痛みが引き、飛びゆく意識が強制的に戻された。ぼやけた視界が一瞬でクリアになる。
そして再度、四肢を銃弾による痛みが襲った。
「ぅあアっ!!」
「おっと、危なかった。ほら、手当してあげるって言っただろう? 約束を守ってあげたんだから、次は君の番だよ」
フェイスマスクに隠れてよく見えないが、その顔は笑っているようにしか思えなかった。
「ひと思いに……殺して……よ」
堪え切れなかった涙が、瞳から溢れる。
「君が情報をくれたら、お望み通りにしてあげるよ」
一度リセットされた体が、再び新鮮な痛みを供給してくる。
もう、頭がおかしくなってしまいそうだ。こんな思いをしてまで、大事にする程のじょうほうなのか。
あした、しまのみなみに、ぶたいが、じょうりくする。
そういってしまえば、らくになれる。
「あ……」
「あ?」
そこで言葉を飲み込んだ。
ここで口を割ってしまったら。
私はどんな顔をして皆に会えばいいのかわからない……。
最後の気力を振り絞り、男を睨む。
その時。
毛むくじゃらの頭が弾けた。
そして主を失った男の体が、私の上に倒れ込んだ。
しばらくの後にその重さが取り除かれ、別の男の姿が視界に映る。
「こちらヴァルキリー隊、目標フォックストロットを確保。嬢ちゃん、生きてるか? よく頑張ったな、ヴァルハラへ連れて行ってやるぞ」
朦朧とする意識の中、ふわりと体を抱えられている事がなんとなく感じられた。
迎えのヘリ内で手当を受け、そこで身体の痛みは完全に取り除かれた。
だが私の頭は、いまだ霧がかかったままの様だった。
ローター音が響き渡る中、聞き慣れた戦闘機のエンジン音が轟いていた。
***
見慣れた空母のデッキへ降り立つ。そこにはマリーの顔があった。
「フィオナちゃん! 大丈夫だった!?」
そういう彼女に対してなんとか起こったを説明しようとするが、上手く言葉に出来ない。もう痛みは消えているはずなのに。
たどたどしい私の説明に対して、彼女はうんうんと頷いてくれる。
私の説明が終わると、彼女は謝罪の言葉を口にした。
「ヴァルキリー隊から一部始終は聞いているわ。本当に御免なさい。こんな危険な目に遭うのなら、他の方法を考えるべきだった」
そういう彼女に、なんとか言葉を返す。
「いえ……いいんです。こういう覚悟もしていました。私も、心が折れそうになった事を謝らなければいけません」
覚悟していたのは本当だ。だが真に出来ていたかというと、それは嘘になるだろう。
今回の一件で、それは空戦で墜とされる際の一瞬の痛みに耐えるだけの覚悟だったと言う事を思い知らされた。
あの男のようなものも、運営から公式にロールプレイとして容認されているプレイスタイルの一つなのだ。それを想定してプレイ出来ていなかったのは、私の至らなかった点だ。
そういう、厳しいゲームなのだ。このゲームは。
だけど、これだけは言いたかった。
「でも、私の口からはどんな情報も漏らしていないはずです」
これだけは、誇ってもいいはずだ。たかがゲームであっても、厳しい状況であっても、戦友達を裏切らなかったというこの事実だけは。
そして、また見慣れた機体が空母へと帰ってきた。
羽根のエンブレムが尾翼に描かれたホーネットは鮮やかに後輪をデッキに叩き付け、アレスティングワイヤーで急制動を行なった。
「彼、ずっとあなたを探して飛んでくれていたのよ。見つけた後は、レスキューに向かったヴァルキリー隊を上空援護していたの」
コクピットから降りたジャックは、NPCキャラに「機体、しまっといてくれー」と声を掛けていた。
それを眺めている内に、目が合ってしまう。
「よう、元気そうだな!」
その姿を見て、その声を聞いて……。
今まで堪えていた物が堰を切って溢れてしまい、衝動的にジャックに抱きついた。
身長差のせいで、彼の飛行服のお腹のあたりに顔を埋める。
「ごめん……少しだけ、このままでいさせて」
そういって私は、そのバーチャルな安心感と温かさに心を委ねてしまった。