第13話 依頼
空母マリーゴールドの艦長室。2回ノックをして、部屋の主へお伺いを立てる。するとすぐに返答があったため、ドアを開けて部屋に入った。
「いらっしゃいフィオナちゃん。あ、その辺適当に座っちゃってー」
「失礼します……」
艦長室の中は他の部屋のようなグレー一色ではなく、木製の机や椅子、その他装飾品で彩られていた。その中の、マリーの座る机近くの椅子へ腰掛ける。
「コーヒーでいいかしら?」
「あ、はい。ところで、ご用件は……」
マリーとこうして二人きりになるのは初めての為、どのように対応して良いか分からずちょっと落ち着かない。
そんな私の前にコーヒーカップを差し出して、マリーが答えた。
「さっきのブリーフィングの感想を聞きたいなぁー、って」
「そうですね……」
こちらの艦隊の動きは分かったが、各隊がどういう動きをするのかは未確定……というか命令も自己申告もまだ無い為、なんとも言い難い。
敵の戦力が現状では把握出来ていない点も問題だろう。というか、現実であれば大問題だと思う。
その事を伝えると、うんうんと頷くマリー。
「敵の規模がどのくらいなのか、どこに対空兵器があるのか、入港している艦船数、分かんない事だらけなのよねぇ……。リアルだったら偵察衛星で見ればいいだけの話なんだけど、このゲームにはそんなの無いし。ところでフィオナちゃん、普段のイン時間って何時ぐらいなの?」
ジャックと一緒に行動しているのは、大抵土日だ。
というのもこのゲームは私の居る国とは時差があり、私が平日にインする18時だとゲーム内は11時になる。リアルでの日付が変わる時に、ゲーム内では日没になる。
彼がインしてくる時間帯に合わせると、必然的にこちらが夜更かし出来るタイミングに合わせなければいけない。
ただ彼もこちらを気遣ってくれており、今までの作戦行動はゲーム内で太陽の昇っている時、つまりリアル時間で言う夜のゴールデンタイムが殆どだった。
「平日でいうと、普段はゲーム内の午後から日没までです」
「一日だけ、ちょっと夜更かしお願いできない……かな?」
「と、いいますと?」
「夜間偵察をお願いしたいのよ。まあ全世界からログイン出来るこのゲームが眠る時なんて無いんだけど、やっぱり見つかりにくいしね……」
なんで私に……あ、そうか。
「TARPSを使って、ですか……」
TARPSとは、F-14の専用装備である戦術航空偵察ポッドの事だ。
トムキャットは当初こそ艦隊防衛を担っていたが、開発国の艦隊防衛構想がイージス艦を活用するものにシフトしてからは、専ら偵察任務で使用される事が多かった。ポッドには赤外線カメラと、中低高度用のパノラマカメラが付いている。
「赤外線カメラが何処まで映るのか、わかんないんですよね。何せ使ったことが無いので」
「そうねぇ。基本的にはやっぱ低高度を飛んで貰う事になると思うわぁ……。というのは、実は私もTARPSってよくわからないのよ。私が居た頃、もう猫ちゃんは現役引退しちゃってたもん」
なに、この人も軍人だったんだろうか。何か不穏な事が聞こえた気がする。
「ジャックにやらせればいいんじゃないんですか?」
「あー、あの人は低いとこ飛ぶのが嫌いなのよ……」
「……もしかして、過去の事ですか?」
知っていたの? と言いながら、あたりとジェスチャーで返してくるマリー。
「そういう事なら、私で良ければやってみます」
「助かるわぁ! TARPSならこちらにリアルタイムで情報を送れるはずよ。島はそんなに大きくないから、往復してくれればいいわよ」
「了解です」
その後の話し合いで、偵察の決行は木曜日深夜に決まった。出来れば大規模作戦開始となる週末寸前の方が良いのだが、私も大規模戦への準備を行う時間が欲しい。その妥協点を探した結果だった。
***
木曜日、学校から帰宅した後に仮眠を取り夜間出撃に備える。
まったく、どこの世界にそんな女子高生がいるというのだろう。この所、ゲーム優先で友人の誘いも断りまくってしまっている。いつか埋め合わせをしなければ……。
天井を眺めながらそんな事を考えている内に眠りに落ちてしまい、携帯電話のアラームで目を覚ました。
午前2時、時間だ。
ログイン後、F-14へTARPSを装備しながらマリーと通信する。ミサイルは機動性を確保するために積まない事にした。イザという時はガン逃げだ。
「今のうちに謝っておきます。上手く撮影出来なかったらごめんなさい」
「多分だいじょーぶよ! たぶん。それよりお願いしておいてあれなんだけど、気をつけてね」
「了解です。あ、換装終わりました。エレベーター上げて下さい」
既にコクピットに乗り込んでいる私は、そのまま機体と共にデッキまで上がる。
いつもの手順で発進シークエンスを進めていくが、周囲は真っ暗だ。デッキ上の僅かな明かりと計器の光が、視界に入ってくるだけ。
カタパルトによるGを感じた後、HUDに映る高度と方角を示す数字を頼りに1,000ft程の高度を取りながら機体をスロシ島へと向けた。
現代のレーダー技術では、低空進入はそれ程効果的ではないだろう。だがスロシ島には小山が点在しているため、レーダー波を避けられる可能性が高かった。見つけられる可能性を低められるなら、それに越したことはない。
午前3時、ゲーム内では午後8時。島の南部に近付く。TARPSを起動し赤外線カメラでの撮影を始めると、その画像が後席のMFD、つまり視界の隅に映り始めた。
「こちらフェザー1、TARPS起動。マリーさん、見えてますか?」
「こちらマリーゴールド。見えてるわよー」
「予定通り、このまま島南部から北部に抜けます」
「マリー了解、宜しくね!」
僅かに光る地平線の輪郭を頼りに、高度を調整していく。
若干東側に進路を取り、北部の海へ抜けた後にUターンし、西側を通るというルートだ。既に機体のナビゲーションにはウェイポイントを入力済みであるため、それに沿っていけば予定したルートを通る事が出来る。
RWRに注意を払いながら、ウェイポイントを消化していく。
MFD上に表示されているルートのUターン地点まで達した時点で、再度マリーへ通信を行なった。
「こちらフェザー1、ちゃんと映ってます?」
「うんうん、バッチリよぉー。結構、船が居るのねぇ……」
一応MFDで画像は見えているのだが、帰ったらゆっくり見せて貰おう。何かの役に立つかもしれない。
そうして往路は何事も無く消化出来た為、復路も何事も無く終わって欲しい。後、全行程の1/4も進めば海上へ出られるだろう。
そう思っていたが突然RWRの左側にマークが表示され、警報音が鳴り始める。
レーダーを起動してその方向に一瞬機首を向けるが、何も映らない。SAMか。
目視でミサイルの確認が出来ない為、とにかくチャフを連続でばら撒き続ける。ミリタリー推力にして、水平方向へ高G旋回を始めた。低高度を飛行中なので、インメルマンもスプリットSも自殺行為だ。
視界がブラックアウトしているのか、単に夜で暗いだけなのか判断が出来ない。だが計器は見えているので、それだけを頼りに操縦桿を引き続けた。
外れて欲しい。その一心でチャフを撒く。だが警報は鳴り止まない。
そして轟音と共に、機体に激しい衝撃が走った。
機体情報を示すランプの殆どが赤く点滅する。【Right engine fire.】の警報。すぐに消火装置のスイッチを入れるが、ひき続いて【Left engine fire.】の警報も鳴り響く。
ガタガタと振動し続ける機体。機首を上げようとするも、失速警報がHUDに表示される。
「フェザー1、被弾! コントロール不能、脱出します!」
マリーの返答を待たずに、自分の股間部にある黄色と黒の斑に彩られたレバーを引いた。安全ベルトが自動的に強く引かれ、身体が座席へ押し付けられる。破裂音と共にキャノピーが吹き飛び、同時に強い縦Gに襲われる。
目の前にあった赤く輝く計器類は一瞬で視界の下方へと追いやられ、視界は闇に染まった。
体が風圧によって塵の様に弄ばれるが、それに耐えながらパラシュートを開く。
下方に、燃える機体が墜ちていくのが見えた。
夜間のため地面との距離が分からず、受け身が取れないまま地面へと叩き付けられる。その衝撃で肺の中にあった空気が一瞬で外に出て、嗚咽してしまった。
その後もしばらくは全身の痛みが抜けなかったが、我慢して体に纏わり付くパラシュートをハーネス毎取り外す。そのままでは強風に煽られた場合、命の危険があるからだ。
いや、それで死ねれば今すぐにリスポーン出来るではないか。そんな考えもよぎるが、やはり痛い思いはしたくない。始めて間もない頃に、脱出で失敗した時の記憶が蘇った。あの時は首が折れたっけ。
このままでは動き難いので、耐Gスーツも脱いでしまおう。そして、射出座席に収まるサバイバルキットと拳銃――M92F――を取り出せば、一応の準備は完了だ。サバイバルキットの物で役立ちそうな物は……地図、コンパス、信号筒ぐらいか。食料も、真水を作る為の脱塩剤も、ゲーム内で必要になるとは思えないから放置。
さて、これからどうしようか。
駄目元でホロウィンドウのメニューを開く。やはり、メニュー内のチャットやメール機能は死んでいた。敵陣内で、そんな簡単にゲーム的な通信機能が使えてしまうのは"リアルではない"。
ミサイルを撃たれた地点は、週末の上陸予定地点から北に4km程の場所だった。今いる場所も、そこからそう外れた場所ではない筈だ。
座席からは救難ビーコンが発信されているため、下手に動くよりはここに留まっていた方が見つけて貰える可能性は高い。だが、それは同時に敵に発見される可能性も高いと言えるだろう。
上陸地点まで移動すれば、少なくとも明後日には発見される。だが、大規模作戦への参加は難しくなってしまうだろう。迅速に前線へ合流出来たとしても、敵の残りカスを漁る羽目になるだろう事は想像に難くない。
動くか動かないか。2つの可能性を考慮した結果、私はここに留まる事を選択した。
救助部隊がすぐ来る事は難しいだろうが、マリーは私が墜ちたことを知っている。つまり、リアルの都合を知っている人間が居るという事だ。どちらにしろ、もうログアウトしなければいけない時間である。明日、気が変わったなら移動すればいい。
そういう結論に至った為、システムの交戦タイマーが切れた後にログアウトを行なった。
翌日のログイン時。私はまだこのゲームに対する考え方が甘かった事を、強く思い知らされる事となる。