第36話 対立
模擬戦2日目。最後に残ったサラマンダー隊との対戦の前に、ナオは修理が終わったグリペンのテストフライトを行なった。特に問題は発生せず、何事も無く島を1周したナオは帰ってくるなりエプロンに駐機したグリペンの前でホロメニューを眺めていた。
「どうだい、何か分かったかい?」
そこにやってきたジェイクとエイリ、ウィリアム達。
「いえ。何も分からない事が分かったというか……」
グリペンは、普通に飛んでいる分には全くおかしな所は無い様に感じられた。やはり問題はポストストール時の挙動にあると言う事だろう。
「もう一度模擬戦をやってみるというのはどうだろう。我々サラマンダー隊と戦えばゲージは増えるのだろうし」
「いえ、それが……」
確かに現状でどこかに問題があろうが、最適化ゲージを100%まで上げてしまえば解決する可能性は高い。だが先程からメニューを眺めていたナオには、それが不可能である事が分かっていた。
「そのゲージがですね、今まではとりあえず少しでも飛びさえすれば1%は進んでいたんです。だけどそれが昨日から全く進んでいなくて」
そう言って全員に自分のメニューを見せるナオ。昨日は数値が80%を示していたが、それは今も全く同じだった。
「現状では何をしても無駄と言う事か」
「アイテムなのか行動なのかは分からないけど、何かがキーになっていると考えるのがこのゲーム的には自然かな」
ジェイクの発言に皆が同意する。
「例えばウィリアムさんのフランカー、Su-30MKIはどうやって手に入れたんですか?」
ふと思い付いた疑問を口にしたナオに対し、
「ふむ。それは教えても良いんだが、こちらにも何か交換条件が欲しいな」
ウィリアムは情報への対価を要求した。
正直な所、彼等が素直に模擬戦に応じていてくれたのはおかしいとジェイクは考えていた。どこかで何かしらの交渉が入るだろう、と。
しかし既にこちら側が恩恵を受けている以上、これは別に不当な要求では無いので彼はこの場を静観する事にした。
「そうですね。これの推力偏向パドルのドロップ条件――は、あまり必要じゃないですかね。フランカーにはほぼ標準装備ですし」
そうして10秒近く腕を組んで、真面目な顔でナオが出した答えは。
「うちの隊長の……スリーサイズはどうでしょう」
***
「私はどうすればいいの?」
「お前のやりたい様にやれば良い」
その回答はズルい。
ここまでややこしい状況を作っておきながら、回答を他人任せにするのは卑怯だ。
「私は――」
どうすればいいのか分からないから聞いているのに。
これ以上、ベルに現実での争いをさせたくない。これ以上、望まない争いに荷担してしまう人を増やしたくない。これ以上、チャールズの思い通りにさせたくない。
それは、つまり。
「あの世界を穢されたくない」
父と目が合う。
それは数秒か、数分か。その一瞬はまるで永遠のように感じられて。
「……現状を教えてくれないか」
「大体の所はNSAからの聴取でも聞いたかも知れませんが、直近で状況が大きく変化しました」
「あの後、私とジャックはベルの力を借りてLazward online側からスクランブルミッションの妨害をしたの。成功したんだけど、そのすぐ後にベルがおかしくなって」
「おかしく?」
「幼児退行と言って良いのかわからないのだけど、大規模戦の後に子供みたいな人格になっていたの。あの時はそれでも問題は無かったんだけど、今回はそれが私達を襲ってきて……」
「その現象自体は縮退モードで稼働した時の物だ。だがバックアップAIに切り替わったからと言って、プレイヤーに対して敵対行動を取ると言うのは有り得ないだろう」
「有り得ないって言っても、現に!」
「通常では有り得ないのであれば、それには何かしらの外的要因があると言う事だ。ローリングキューブが買収された後、俺の知らない所でベルの基幹部分に手が加わった痕跡があった。何をされていたかまでは脱出時の混乱で時間が無く、突き止める事が出来なかったんだが」
「スクランブルミッションの妨害時、ベルによって我々は未実装エリアへの侵入をしましたが……それも何か関係ありますか?」
「――成程、そのタイミングでバックドアから侵入されたんだな。バックアップAIを偽装した都合の良い別人格を上書きされたか」
「今の状況でベルを撃墜したらどうなるの?」
「縮退モードとは言え、システム上は本体と何ら変わらない処理がされる。アイテムであるベルが破壊されれば、それはロスト扱いになるだろう」
「つまりベルを放置したまま今後の行動をしろって事?」
いくらなんでもそれは無理だ。ベルがこちらの言う事を聞かない以上、それがチャールズの指揮下にあろうがなかろうが彼女は私達の前に障害として立ち塞がるに違いない。
「なんとかベルの機体を不時着させて捕獲を試みたんです。ですが回収した機体には姿がありませんでした。前後の状況から考えて、もしかしたら"ログアウト"したのではと思っているのですが」
「ゲーム内アイテムがログアウトするだって? ……いやしかし、可能性として無い話じゃない、か。ベルのAIはゲームエンジンとは別物だ。他のNPC用AIとも違って独立して動いているから、そこだけを切り出せばプレイヤーとして扱う事も不可能じゃない。元々、汎用性を持たせる事まで視野に入れていたからな」
「何か有効な手立ては考えられませんか?」
「――君に渡したUSBだが、今はどこにある?」
あれか、確か緊急時に使えとか言われた……。
「私が持ってるわ、まだ使ってないけど」
「そうか、それならまだやりようはあるな。あのUSBに入っているのはベルのバックアップだ。スタンドアロンでも動くようにパッケージングしてある。本来ならあれをクライアント側で動かす事でAIの並列処理が出来るから、ベルの能力を少しでも底上げする為にと考えていたんだが」
「じゃああれを使えば!」
「バックアップは丁度、前回の大規模戦終了時に作った物だったか。つまりその時点のベルをローカルに復元する事になる。VRインターフェースにUSBメモリを刺せば、後は自動で展開が行なわれるだろう。こちらのベルも向こうと同様に、プレイヤーとしてログインさせればいい」
行ける。ゲームに対して大きな影響力を持つベルが居れば、まだ私達にも何かしらの行動が出来る筈だ。
「だが、AIエンジンをローカル環境で動かさざるを得ない以上、その機能は大きく縮小されるだろう。戦闘機を飛ばす事は可能だろうが、人型インターフェースの実行は無理だろうな」
そこについては仕方が無いと諦めるしかない、か。
「後、これは一番の問題になるんだが、ベルをログインさせる為にはお前のアカウントを使う事になる。元々のベルはアイテムである以上、ゲーム内でのロストをフラグにした自己消去プログラムが実装されているんだ。その影響がお前のアカウントにも影響を及ぼす事が考えられる」
「どういう事?」
「ゲーム内での死が、アカウントデータの消去に繋がるという事だ」
「……つまり二度と死ねなくなる、と言う訳ね」
「まぁキャラデータなんぞは作り直せばいいだけの話だが、今までの資産は消えるな」
「これ、言うなれば多重ログインですよね。運営側から横槍が入る事は考えられませんか?」
「未実装エリアへの侵入時に横槍は無かったんだろう? それはつまり、連中も管理者権限を得られてないという事だ。俺が教えていた管理用アカウントも、脱出時にパスを変更しておいたしな。だからあくまでも連中がコントロール出来るのは、ゲームシステムに対して外付けになる部分だけって事さ」
とりあえずこれで問題の1つは何とかなりそうだ。だが根本的な物ではない。
「向こうのベルを止める方法は何か無いの? 撃墜ではなく、稼働を停止させるような手が……」
「ある」
あるならとっとと教えてよ。
***
仲間を売るなとエイリに真顔で怒られ、ジェイクにも苦笑いされたナオは少し反省していた。流石に彼女に毒されすぎたかもしれない、と。
最終的にスリーサイズの話は冗談で流されたので、グリペンを艦載機化した時の情報と交換する事となった。彼等であれば、もしかしたらフランカーを西側空母で運用出来る様な物が出るかも知れないと踏んでの事だった。
「フランカーシリーズは結構ややこしいんだ。基本となるSu-27ですら初期状態では買えないんだが、これはスホーイ社系の機体を使用してるといつの間にかショップに並ぶ様になる。Su-27と30の違いは分かるかい?」
ぶんぶんと顔を横に振るナオ。
「27は大元となる機体だが、基本的にこれは制空戦闘機なんだ。これの性能を向上させる為にカナードと推力偏向ノズルが付けられたのが27Mなんだけど、ここから使い方次第でショップに並ぶ機体が変わっていく。空中戦メインだとSu-27SM、マルチロール方向だと我々の使っているSu-30MKIという感じでね」
「へぇー、知らなかったです……」
口をぽかんと開けて関心するナオ。
「でもMKIって中途半端なんですよね?」
「中途半端とは?」
疑問の表情を浮かべるウィリアム。それにジェイクが助け船を出した。
「ああ、それは僕が昨日ちょっと話をしてたんだ。フランカーシリーズの中でも輸出型のMKIはまだ発展途中だって。27SMは近代化改修仕様なのにカナードを採用していないし、そもそもカナードがある事での不利について――」
「それは聞き捨てならねぇな」
そう言ってジェイクの言葉に反応した男がいた。サラマンダー隊の副隊長であるジョンだ。
「おい、やめとけって……」
「でもよ隊長、こいつの認識は間違ってんだよ。27SMの改修はそもそも寿命延長が目的で、機動性を求めたもんじゃない。カナードどうこうを例に出すならSu-35Sが適している」
「ならそのSu-35Sこそが最強のフランカーって事なんじゃないかな? このステルス機全盛の時代にいくら機動性を求めても、ね」
「なんだ、ステルス厨かよ。そもそもMKIが中途半端? そんな舐めた認識じゃいつか墜とされるね」
「MKIはSu-30SMとカタログスペック上はほぼ同じで、結局35Sはマルチロール方向に舵を切っているんだろう? なら発展途中という認識は間違っていないんじゃないかな。カナードも、搭載量を増やす為に付けざるを得なかったのかもしれない」
「MKIのアビオニクスがオープン・アーキテクチャとして設計されていると言う意味が分かれば、その認識は誤りだってのも分かると思うんだがな。現実じゃどうかはわからないけど、特にこのゲームではな」
思わぬ所から火の手が上がり、後ずさるナオとエイリ。
「……すまん、ジョンに悪気は無いんだ。ただこいつ、フランカーの事になるとなぁ」
「副隊長、これさえなきゃ良いんだけどな」
「フランカーバカよねぇ。そんなに鶴に尽くしても、機織りして恩返ししてくれる訳でも無いのに」
というウィリアムを筆頭とした各面々からの声を聞く限り、まぁなるようになるだろうと言う結論を出したナオとエイリは、そそくさとその場を離れる事にしたのだった。
結局、ジェイクとジョンは「ドッグファイトで話の決着を付けよう」という事になった様だった。
「男ってこういうとこあるよね……」
「そういうもんなんですか? ジャックさんだったらもうちょっと話がまとまってそうですけどね」
「あの人は流石に大人な対応しそう」
「まぁ、問題はその横にいるフィオナさんかも知れませんけど……」
「あー、想像出来ちゃったわそれ」
「悲しいですね」
ナオとしては散々と彼女に振り回されてきたので、エイリの言葉に言い知れぬ連帯感のような物を感じていた。リアルでの友人として歴史の長いエイリがそう言うのであれば、出会って半年も経っていないナオの認識も間違ってはいないのだろう。
轟音と共に2機の戦闘機が離陸していく。Su-30MKIとF-35だ。
「あ、始まった」
「ジェイクさん、本当にF-35を使ってるんですね……」
「私よく分からないんだけど、F-35ってスゴいの?」
「前にもちょっと話が出ましたけど、わたしもよく分からないまま終わっちゃったんですよね。以前のスロキス島攻略戦の時ですけど、どうもわたし達はジェイクさん達と戦ったみたいなんです。こちら側の船が攻撃されてるって事でそれを叩きに行ったんですが、その時に使われてたのがVTOL機で、向こうは垂直離着陸が出来る事を生かして対艦ミサイルを地形の陰から撃ってきてたんですね」
「なーる、モグラ叩きみたいなやり方だねぇ」
「で、他の情報も総合して考えて相手はF-35Bだろうって事で行ったんですが、わたしが見つけたのは普通にロック出来ちゃって。で、それを撃ち落とした瞬間に他のとこから飛んできたミサイルでどかんでした」
「囮だったのかね?」
「ええ、多分。その後すぐジャックさんもやられて、結局ベルちゃんが墜としたって聞きました。パラシュートにぶら下がって見ていたんですけど、F-35は多分1機だけでしたね。他は別のVTOL機でした」
轟音の主達のトレイルが絡み始め、空中戦が開始された。
「たった1機に4人がかりでやってそれかぁ。おまけにベルちゃんでないと倒せなかったなら、ほぼ負けみたいなもんだね」
「ですね。正直、あれは強いです」
F-35の本来の強みは、ドッグファイトではなく総合的な作戦能力にある。機体各部に備え付けられたEOTSやDASと言った各種センサーの情報を統合し、それをパイロットにわかりやすく提示して正確な判断を素早く下す。また他の機体との情報連携によって探知能力を倍増させる。そういった運用が合わさって最大の能力が発揮される様になっている機体だ。
だからといって個の能力が他の機体に劣るかと言うと、そうではない。機体自体の持つ高いステルス性、高い探知能力であるのに一瞬で走査を終わらせて相手に悟らせないAESAレーダー、他の追随を許さない程の高推力エンジン。様々な要素のどこを切り取っても一級品だ。
しかし、この模擬戦は機銃のみを使用するという想定だ。その為、ジェイクのF-35は胴体下部にガンポッドをぶら下げている。おまけに彼の機体はB型なので、空中戦では死荷重となるリフティングファンを装備している。
これらを踏まえると、ジェイクが圧倒的優位とは言えないだろうとナオは考えていた。今までの模擬戦から、彼等の高い練度があれば悪くない戦いになるのではないか、と。
始まったばかりの旋回戦を制したのはジョンだった。F-35は完全に後ろを取られ、Su-30MKIが射撃ポジションに入る。
だがそこで何かが起きて、F-35の軌道が"ズレ"た。
勝利の女神はジェイクに微笑んでいた。