第9話 乗艦
片足を破損し、景色が傾くコクピット。
急いでエンジンへの燃料供給を止めてキャノピーを開ける私を出迎えたのは、火災に備えて出動した消火班NPCとグラマーな金髪の女性だった。
潮風でたなびく腰近くまで伸びた髪、Gパンに胸元がはだけたシャツ。
「空母マリーゴールドへようこそ。私が艦長のマリーよ。あなたがフィオナちゃんね?」
そう自己紹介した女性は、コクピットから飛び降りた私に向かって言った。
「お世話になります。いきなりデッキに傷を付けてしまって御免なさい……」
「いいのよ、そんな事! それより……」
とその瞬間、顔が柔らかな感触に包まれ息が出来なくなる。
「かわいー! ちっちゃくてかわいー!!」
ぐ……ぐるじい……。
そしてこの感触はなんなのだ。なんなのだといっても彼女の胸しか無いのだが、喩えるならば、桶で作ったプリンのような。いや、そんな量を作った事はないのだけれど。
「おーい、そのぐらいでカンベンしてやってくれや」
いつものようにニヤつきながらジャックが言う。そう言われて、マリーのベアハッグから開放される私。
目の前にいるマリーに目をやる。女性の私でもその胸元に目が行ってしまって、そして思わず自分の胸元に目をやって……悲しみを覚えた。
「おめぇも少し分けて貰えよ」
「次言ったら、蜂の巣にする」
げっ、と目を見開くジャック。
このゲームでのセクシャルハラスメント対策は強烈だ。なにせ痛みが再現される環境なので、仮想空間とはいえプレイヤーの精神はある意味で極限状態に置かれる。そのストレスから不貞の輩が異性のプレイヤーを襲う、といった事は当然考えられる事案だ。
流石にこの程度の軽口では反応しないのだが、もしそのような状況に陥った場合は視界の隅にボタンが現れ、そこから出る質問にYESと答えれば対象プレイヤーは問答無用で爆発する。そう、"爆発"するのだ。まず手足の末端、次いで下半身、最後に脳が。
そのやり取りを聞くと、微笑みながらマリーは会話を続けた。
「聞いてるわよー、タイガーでラプターをカモったんですって?」
「あれは本当、偶々です。一人でやった訳ではないですし」
「そうそう、俺様の華麗な援護があってこそ!」
ちょっと黙っていて欲しいので、思い切りジャックの足を踏んづける。
小指を狙った事で痛みがモロに反映されて、彼は蹲ってしまった。
「ぁぁぁ……くっそ痛ぇ……」
「でも、フィオナちゃんが来てくれたなら、うちの船に乗りたいって人も増えるわぁ」
「なんですかそれ。客寄せパンダじゃないんですから……」
「あなた、結構外部掲示板とかでも有名なのよ? この間のスリポリトの時なんて、地上の連中は女神だなんだって持ち上げてたんだから」
羽根付きと言われる分には少し慣れた感じもあったのだが、流石にその呼び名は強烈に恥ずかしく、思わず顔が火照ってしまう。
とにかくこの話題はお終いにしてしまおう。
「わ、わたし喉乾いたので食堂行きます!」
「あら……」
そう言って無理やり会話を終わらせて、そそくさと甲板を離れた。
甲板に放置されたトムキャットが少し寂しそうに見えたが、NPCが運んでくれるのを待つしか無い今の私に、出来る事はない。ごめん。
***
「ジャック、久しぶりね……」
甲板に残されたマリーが、ジャックに向かって言う。
「ああ、顔合わすのは現場以来だな。お前も忘れられなかった口か」
「ええ。」
マリーは髪を掻き上げ、目を細めて言った。
「結婚して船を降りたんだけどね、やっぱり潮風が恋しくなっちゃって。……あなたは?」
「俺ぁ、企業秘密ってやつだ。色々複雑でね」
「あの子にご執心?」
「そういう訳じゃないんだが、あいつは上手くなるって思ってさ」
「そう。……ちゃんと面倒見てあげなさいよね?」
右手を上げた後、残された左手で頭を掻きながらジャックも艦内へと歩を進めていった。
***
食堂に着き辺りを見回すと、自動販売機が壁際に設置されていた。
しかし、コークに色とりどりのスポーツドリンク……なんてアメリカンスタイルなのだろう。ミニッツ級なのだから当然といえば当然なのだが。東側の空母だと、ラインナップもそれに合わせてあるのだろうか。
コークを1本購入して口をつけると、その炭酸の爽快感、甘ったるい味はまさにそのものだった。これが再現出来てしまうと言う事は、運営側とメーカーで提供でもしてるのだろうか。たしか成分は企業秘密だと聞いた事があるが……。VR技術って凄いな、と変な所で感心してしまう。
太る事を気にしなくていいため思い切り喉に流し込んでいると、ふと視界内のメニューの一部が点滅している事に気づく。ゲーム内メールだ。
開くとそれはサイクロプス1、ヒューレットからの物だった。
【来週、時間あるかな? 今、スリポリトとネテア間にあるストンリコで地上戦が頻発してるんだ。上空援護で出る予定なんだけど、もし時間あるなら一緒に支援をして欲しいんだ】
来週……か。それなら、それまで着艦の練習も出来るし、今は特に予定もない。久々に稼ぎに行くものいいだろう。
ちょうど部屋に入ってきたジャックへ相談を持ちかける。
「ジャック、いいところに。ヒューから支援要請が来てるんだけど。どうやら、前線はストンリコまで前進してるみたい」
「ああ。その事でちょっと噂があるんだ」
「噂?」
「どうもな、次から次へと湧いてくる敵性航空機がいるんだとさ。機数は2機なんだが、長射程のミサイルを撃ってくるもんで相手に近づけない。お陰で、地上への支援があんま捗らないんだと。んで追撃しようにも、とにかく足が早くて、すぐネテアの防空圏内に入っちまう」
ヒュー達がまだF-16を使っていると考えると、マッハ2以上の最大速度が出る機体だろう。そして、長射程ミサイルが使える機体となると必然的に機種は限られる。
「F-14……もしくはMig-31かしらね」
「その辺が妥当だろうな。なんだ、詳しいんだな?」
そういえば軍事的な知識の部分については、ジャックから初めて突っ込まれた気がする。わざわざ自分からそういう話題を振った事も無かった為、当然なのかもしれないが。
「ええ、父が好きだったのよ」
「成る程、いい情操教育だな。俺も娘が出来たらそうしてみるか」
「え、その前に結婚出来ると思ってるの?」
「うわ、それ傷ついたぞ……」
これは流石に言い過ぎたらしく、珍しくヘコんで俯いてしまった。
まあいい、これでさっきのセクハラは許してあげる事としよう。
「じゃ、ヒューに行くって返信しとくわね。終わったら今日はログアウトするから。じゃね」
開きっぱなしだったメニューから返信を選び、ホログラムで出来たキーボードでメッセージを書き込んでいく。
今週中に、一人で着艦をこなせるようにならなければ……。




