第32話 渡航
ベルを失った翌日、私は車に乗る事となった。有無を言わさず乗せられたと言った方が正確か。
これは勿論ゲームではなく現実での話なのだが、更に言えば勿論私が運転している訳ではない。
最近またいつものように出掛けていた母が突然の朝帰りをし、しかも男を連れてきたのだ。見慣れた金髪に無精髭、いつもゲーム内で見る姿とは違うスーツのおっさん。
……まぁ、つまりはジャックである。
家から車に揺られて一時間弱といった所で、周りの景色が高速道路へと入る。
運転はジャックがしており、その横で母はしきりに色々な所へと電話をかけまくっていた。
高速へ乗って少しした所で落ち着いたようだったので、二人へと話し掛ける。
「ねぇお母さん、これからどこへいくの?」
「何も言わずに連れ出してごめんね、ちょっと事態が急を要する事だったから」
道路から、継ぎ目を乗り越える度に周期的な振動が伝わってくる。
あまり後部座席に、と言うよりそもそも車に乗る機会がほぼ無かったので、振動を意識してしまうと酔ってしまいそうだ。
普段、ゲームとは言えあんな事をしてる癖に私の三半規管は大して鍛えられて無かったらしい。今のVRデバイスは、三半規管へ外部から刺激を加えて感覚を与える仕組みだったと思ったが、そんなもんか。
「お母さんの急な事にはいい加減私も慣れてるけど、でも今迄とは毛色が違い過ぎない?」
あの出来事以来、多少の事では驚かなくなっているのはあるのだけど。
普段の生活においては母関連の人間が家の付近で監視をしてくれているらしいが、一応無駄な外出は控えている。夏休みだと言うのに、引き篭もり生活だ。
そんな状況であるにも関わらず、報道に変化は無い。ゲーム内、また外部の掲示板も穏やかなものだった。私達がリークしたログを目にした人間が全く居なかった訳では無い筈だが、やはり関連する書き込みやキーワードは規制されているのだろうか。
本当にごく一部の人間だけが動いていて、逆にそちらの方が異常であるかの様だった。
そんな現状に対して母がどう思っているか、何を考えているのか全く分からないのだが、彼女はいつもの調子で
「そうね、流石に外国へ連れてくのは初めてよね」
と抜かしよった。
は? 今、なんと仰いやがられましたか。外国?
「フィー、圭一さんの意識が戻ったんだ」
続いてジャックから出た言葉は全く予想していなかった物で、私の思考を止めるには充分な言葉だった。
***
「人格プログラム統合シークエンス、準備が整いました」
アンドリューの言葉に、チャールズは機嫌の悪そうな顔で答える。彼のそんな八つ当たりのような行動に、アンドリューは心の中で舌打ちをした。
彼等の企図したAIの置き換え作業は、全て滞り無く終わった。
その上でベルをすぐにログアウトさせず、フィオナと戦わせたのは上司であるチャールズの判断だ。その結果が悪かったからといって、アンドリューには当たられるような責は欠片も無い。
「……もう一つの予備はどうなっている」
トーンの低い、不満げな様子を隠そうともしないチャールズの声に「作業は完了しております」と答えるアンドリュー。
その言葉でチャールズの険しかった表情は、鼻音と共に少しだけ緩んだ。
予備と呼ばれた物は、ベルのサポートに当たらせる為に新規で構築されたNPCウィングマンの事である。
以前にスキャンしたフィオナの意識データには2つの使い道があり、1つはベルの戦闘データを補完するための物だった。そしてもう1つは、それ単独で稼働する新たなAIの構築用の素材である。
圭一の作ったベルは、既にチャールズ達の仕込んだ第二の人格データの支配下にある。だが万が一を想定し、チャールズの指示で監視用NPCの作成を並行して進めていたのだった。
これについては予定を大幅に前倒ししての実装となったので、彼も満足したのだろう。それも、アンドリューが予算度外視のマンパワーを注ぎ込んでいた結果であるのだが。
しかし先程の敗北は、小骨のようにチャールズの喉へ突き刺さっていた。
「……大量投入の目処は?」
「申し訳ありませんが。以前報告しましたようにどちらもほぼ仮想的に人間の脳を再現しているような物ですので、現状のマシンパワーでは割り当てスレッドを増やした分だけ個々の性能が落ちるものと思われます」
ベルの構造を解析し、人の意識データを用いて同様の物を構築する。それは元となる物が、"偶然"にして人間の意識データを載せられるような物だったので出来た事だった。
このような作業は当初の計画には無かった事なので、アンドリューからしたら成功した事がまるで奇跡のような事だった。
そもそも、彼には現状がとても不安定な物だと感じられていた。
UACSの土台となるベルをコントロール下に置いたのはいいのだが、彼等は全ての権限を掌握し切れてはいない。管理者権限は本来のベルに握られており、その人格を封印する形で別人格を実装した為に開発者が持つべき機能にアクセスが出来ないのだ。
つまり彼等は、ゲーム内の事象をコントロールする事が出来ない。追加コンテンツはAIの管理外モジュールとして設計されているので問題は無かったが、今後の予定を考えると不安は残ってしまう。
「ハードウェアの増築は可能なのか?」
「仮想マシンを増やすのは容易ですが、物理的なハードの追加には一ヵ月は……」
それに対し、チャールズは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「現在の戦況はどうなっている?」
「革命軍は現在、陸空共にトルコ領土の1/3を確保しております。ただ、これまで静観していた多国籍軍介入の噂が流れ始めました」
「ギリシャの戦力が消耗しきる前に、完成品を送り込まねばならんな」
無論、現状のシステムを実戦投入しても相当な効果は出るだろう。
だが戦況として余裕のある今、次に指される一手を見越して動く事が必要だ。勝利は完全でなければならない。
チャールズは決断を迫られていた。
***
まさか、こんなルートを使う事になるとは。
道中の車内からは車の行き先は全く分からなかったのだが、大量の書類のやりとりを母がしつつ、警備の厳重なゲートを通り、軍用車両が闊歩して、海外ナンバーの車が行き交うような場所が最終目的地だった。そう言ったら、そんな場所は限られてくると思う。
でもって、日本人の姿が少ない。外を行き交うのは白人系、黒人系、ヒスパニック系ばかり。当然、ほぼ白人に見られるだろう自分の事は棚に上げている。
これはもう、日本国内にある外国に連れてこられたという事だろう。うん、間違いない。
「羽田あたりに行くと思ってた……」
「サンフランシスコだの、ホノルルだの、ロスだの、民間機だとどっか経由するのが面倒だろ? だから、横田から直接ネリスへ行く事にした。協力して貰ってるって事もあるし、ファンサービスだ」
「えー……、そんな適当で良いの……?」
「一番の理由は、ネリス空軍基地内の医療施設に圭一さんがいるからって事と、セキュリティの問題だがな。もしかしたらサンダーバーズが見れるかも知れないぜ、ワクワクしとけ」
ワクワクってそんな、雑すぎる。
「後、向こうで他にもお前を待ってる人がいるからな」
そう言うと車はゲートから程なくして駐車スペースで止まった。
なんてこった、フェンス越しにガチで軍用機がタキシングしてる……A-10が飛んでく……。
私はとりあえず車から降りて頬をつねった。当然の様に痛い。
「ここからは空路になるが、流石に戦闘機に乗せるわけにはいかんし輸送機で行く方がキツいし、まぁ許可も下りなかったからな」
そう言ってジャックが指さした先にあったのはビジネスジェットだった。
小さめの胴体の中心から伸びる後退翼、後部左右のエンジン、垂直尾翼の上に乗る水平尾翼。それら全てが、ビジネスジェットのテンプレートとも言うべきな特徴になっている機体。
「ガルフストリーム G550、米軍じゃC-37Bって呼ばれてる。VIP専用機だぜ、変なので行くよりゃ逆にこっちの方が良いぐらいだ」
そうは言われても、借りてきた猫状態の私はさっきから絶賛混乱中だ。
そんな中、母は急ぎ足で近くにあった建物へと入っていった。何か手続きでもするのだろう。
「……あんだよ、妙に今日は大人しいんだな?」
「この状況で混乱しない人間の方が、脳に何かしらの欠陥があるんじゃないの」
「まぁ難しい事はソフィーさんにでも任せておけばいいさ。向こうまでたっぷり時間はあるから、悩むんだったら圭一さんに話す事でも考えとけ」
ソフィーとは母の事だ。これは愛称なので、正確に言えばソフィアが母の名前になる。
肉親の名前とは意外と頭に残っていないもので、ジャックに言われてからそれが母である事を認識するのに秒単位で時間が掛かってしまった。
普段はお母さんとしか呼ばないし、みんなそんなもんじゃないかとは思うのだが。
そんな流れからふと、親とは何なのかと考えてしまった。
仕事で殆ど家に居ない母。母子家庭なんてよくある事だとは思っていたから、特にそれで寂しいと思った事は無かった。
小学校の低学年くらいの頃だろうか。自分の容姿の事で男子からからかわれたり、授業参観にも来れない事を指摘されたり、それで母にあたるような事は当然少しはあったもんだ。
ただ普段は、みんなと私の普通が違うのは当たり前だと達観してたような気がする。勿論、同級生にも母子家庭の子は居たし、何もそんなに特別な事じゃない。
だからといって死んだと聞かされてた父が実は生きていたなんて展開は普通じゃないし、なりゆきで変な陰謀に巻き込まれるなんてのも普通じゃない。
普通である事にはむしろ抵抗感すら感じる方だが、そういう範疇からは逸脱しすぎてる。
私はどうしたらいいんだろう。
父に会って、何を話せばいいんだろう。ずっと彼の見ていた世界に憧れを抱いていたのに、いざその時が来てしまうとこれだ。
手続きを終えた母達にエプロンへの移動を促され、ガルフストリームの内蔵式タラップを登る。
ネリスに着くまでの時間で、私は何か答えを見つけられるのだろうか。
***
「ナオちゃん、今日はどーする?」
隣に座るエイリが問い掛けてきた。
腰掛けたスオキ港の岸壁、その足下にエメラルドグリーンの海が広がっている。現実の海は濁った物しか見た事の無いナオにとって、その光景はまるで自分が異世界の空に浮いているように思えた。
「フィオから、今日から数日はイン出来ないかもってメールが来てたんだけど」
「何かあったんですかねぇ?」
「あんな話をした昨日の今日で、家族旅行だなんて事は流石に無いとは思うんだけど……」
ゲーム内でフィオナに振り回されてきた過去はあるが、そこまで非常識な行動をする人間では無い事をナオは知っている。
とすればまたジャックと二人で独自の行動を、なんて考えも浮かんできてしまうが、合流した際に再び登録したフレンドリストは二人がオフラインになっている事を示しているのでそれも無いだろう。
「まー、フィオが戻ってきた時の為に何か準備をしておいても良いかもね」
確かに、とは思うのだが今後の方針が分からない以上、ナオには何も具体的な案が浮かんでこなかった。
ふと、ホロメニューを開いて手持ちのアイテムや資金、各種ステータスを眺めてみる。確かフィオナがスクランブルミッションの失敗で金欠に陥ったと言っていた事を思い出したので、資金を浪費する様な事はしない方がいいだろうと結論づける。
だとしたら二人が居なくなった時の出撃費用はどうしていたのだろう。そんな事を考えていると、ナオの頭の中では費用を出せとせがむフィオナと、それに文句を言うジャックの姿が勝手に現れて喧嘩を始めた。
「急に笑って、どったの?」
「あ、あはは……大丈夫です!」
顔に出てしまっていた事を悟り、少し焦る。
そのままそれを誤魔化すかのようにホロメニューを動かしていると、自分のグリペンの機体情報が目に留まった。
各種数値情報、現在の兵装、飛行時間、次のオーバーホールまでの時間。どれも他の機体と同様のレイアウトで表示される物だ。
しかし一つだけ違う、基本情報欄から外れた位置に表示されたゲージ。パーセンテージで表記された、フライトコントロールシステム最適化の進捗情報。
これはフィオナが、グリペンへ推力偏向システムを追加した為に現れたステータスだ。彼女が居なくなった時点では確か8%程だった筈だが、現在の数値は24%を示している。
ナオのグリペンはフィオナから購入した物だ。しかし所有権がナオに移っても、何故かフィオナが行なった改造の状況がこちらの機体にも反映されていた。同じ部隊内だと反映される仕様なのだろうかと予想し、それならばこれは利用出来るかも知れないという考えに至った。
「エイリさん、やる事見つけましたよ!」
そう勢い良く言うと、ナオは岸壁から腰を上げてエイリの手を取った。